Le Chèvrefeuille

世界は遊覧、思い出の場所であり、われらは去りゆく者

開設にあたって

高校の頃から知人の多くが開設していたブログというものを、いつか自分も書いてみたいと思いつつ、自分の飽きっぽさや文章の拙劣さを鑑みると到底他人の鑑賞に堪えるものが書けると思えず、ずっと手を付けられないままだった。

 

そんな自分をブログに駆り立てた大きな理由は、かつて大学の卒業旅行で訪れたイランという国があまりにも自分の心に絶大な影響を及ぼし、今なお及ぼし続けているからだ。他人と遭遇しないところに旅行したいというちょっとした出来心は、自分という人間の方向性を大きく変えてしまった感じがする。それは表面的には見えていなくても、自分の根幹における確実な変化である。

 

ひょっとしたら自分の人生の転換点であったかもしれない2016年2月の経験は、いまだに昨日のことのように思い出すことができる。それでも記憶というものは儚いものだから、少しずつ生々しさが薄れ、ノスタルジーによって味付けされ、次第に変質して元の形を失ってしまうかもしれない。自分がかつてどのような経験をし、何を感じ、何を得たのか。そういうのを文章にして残そうと思った。いや、残さなければと思った。

 

SNSというのは思ったことをヒョイと言葉にするのには優れているツールであるが、それはすぐに言葉の海に投げ込まれ、大波に飲み込まれて消えていく。何年もたったのちにかつての思考をたどるような使い方にはまったく向いていない。どうしたものかと考えた結果が、旧友が細々と更新しているブログだった。尤もブログだって所詮はオンラインサービスであるから時代の流れによる栄枯盛衰が著しいし、いつかサービス終了なんてことはいくらでもありうる。それこそかつて隆盛を極め、ご多分に漏れず私も夢中で記事を書いたはずのかつての某mi×iなど今や見る影もない。半永久的に自分の思考を遺すなんていうのは不可能なのかもしれないが、時間の経過に抗って自身の思考を遺したいというのはそれこそ先史時代から人類がやってきたことだし、人間に刻まれた抗いがたい性分なのかもしれない。

 

本ブログの開設目的はおもに下記のようになると考えている。

●2016年2月に旅行したイランの記録

●その他国内・海外の旅行記

●日常の所感

本ブログではオフィシャルな事項については一切触れない。ブログを書いているときくらい仕事をしていることはすべて忘却したいし、そもそもこのブログの開設目的に「社会から与えられた・受け入れざるを得ないofficialな立場への抵抗」という意味合いをわずかながら込めているつもりである。したがって日常の所感も仕事やそれに付随する事項とは一切の関係がなく、もし仕事と関連しているように推測されたとしても、それはofficialな立場とは何の関係もないことには留意されたい。

 

もっとも、このブログの更新自体、どれくらい続くかわからない。そもそも試験的な運用だし、先述の通り大変な飽き性であるうえ、文章は拙劣で読むに堪えないだろう。すでにこの文章自体が読むに堪えないのだが、どのように推敲すれば素晴らしい文章になるか見当もつかず途方に暮れているようなありさまである。

 

しかしまあ、日々の生活で思うところはたくさんあるわけなので、こういうのを少しずつ文章にして書いていこうと思う。苦手分野というのはある意味フロンティアであるから、文章の稚拙さも努力によって得意分野とすることができるかもしれないし。

 

そういうわけで、少しずつ更新していくつもりである。まずは本ブログの趣旨であり至上命題であるイラン旅行の記録から書いていこうと思う。

 

拙い文章ではあると思うが、これから書くであろう自分の文章が人の心に少しでも良い影響を与えられるなら、これほどうれしいことはない。

 

どうぞよろしくお願いいたします。