Le Chèvrefeuille

世界は遊覧、思い出の場所であり、われらは去りゆく者

イラン旅行(0)プロローグ

イランという国の名前を聞いたことがある読者は多いだろう。

最近ではウランの濃縮とか核合意とかイエメンとかシリアとかいうきな臭い文脈で語られることが多い。というか1979年のイラン革命以来、イランという国はほぼ常に、他国への介入の手痛い失敗を認めたくない西側諸国の、特に米国によって否定的なイメージとともに語られてきた。しかしながら、私という人間は性格がひねくれているので、否定的なイメージで語られれば語られるほどかえって興味がそそられるし、多数派に肯定されればされるほど懐疑的な眼差しを向ける癖がついてしまっている。

 

もっとも国際社会や世界情勢に向けるまなざしとしては、それは必ずしも間違った姿勢ではないようにも見える。他国を大国自身の都合が良いようにコントロールするために、自分と同じ社会システムを持つ国を肯定し、自分と異なった社会システムを否定するなどというのはもはや常套手段である。東西冷戦時代においては東側諸国否定のためのプロパガンダが跳梁跋扈していたし、現在でも続くキリスト教国によるイスラム教諸国への否定的な意見は西側諸国の一員とされている日本ではメディアによってほぼ無批判に垂れ流され、多くの人がそれを真に受けて、世界の真実であると思い込んでいる(確かに過激派によるテロが近年目立つような気はするが)。

そもそももこの世界には真実などどこにも存在しない(いや、正確に言うなら真実は人の数だけ存在するので、世界を解釈するにあたって一つの側面からしか物事を見れないのは不十分である)のだが、どういうわけか人々は真実という足元の大地に目を向けることはなく、何者かによって特定の意見に人々を誘導するために作られた通説を真実として信じ込んでしまう。その結果世界地図上でイランの位置が指せなかったり、イランとイラクの区別もつかないような人々が平気でイランは危ない国だなどと語ったりするわけである。

 賢者は歴史に学び愚か者は経験に学ぶというが、この世界では歴史は為政者に都合の良いように作り替えられることがしばしばあるわけだし、実際に目にし、話を聞き、経験することなしには真実の片鱗にすら到達できないことがたくさん存在するので、この諺は必ずしも正しくない。世界に流布する「イランは危ない国である」という通説が本当であるかどうかは、実際に現地に赴き、現地の人の話を聞き、現地の空気を感じることによって初めて検証するスタートラインに立てるものである。

 

長くなり過ぎてしまった前置きはさておき、まずはイランという国の歴史(といっても私は世界史にそれほど詳しいわけではないので、さわりだけ述べる。間違っていたらご指摘ください。むしろここは専門家にぜひ書いていただきたい)を簡単に紹介したい。

古代から文明の交差路であったイラン高原では、数多くの王朝が勃興を繰り返してきた。それに従い、イラン高原では豊かな文化が育まれ、人々の心に根付いてきたと思われる。世界史の授業で印象に残っているであろうジッグラトで知られるウル(古代メソポタミア)からエラム王国、大帝国を築いたアケメネス朝やゾロアスター教を国教としたサーサーン朝、サーサーン朝を倒してイラン高原イスラームを根付かせたウマイヤ朝アッバース朝、そしてその後のモンゴル勢力の襲来、サファヴィー朝によるペルシャ人国家の再興(これも眉唾らしいが…そもそもサファヴィー朝を興す原動力となったサファヴィー教団を興したサフィー・ウッディーンは今のイラン北部やアゼルバイジャンの周辺で活動したクルド系の人であったとも言われるらしい)と衰退、ナーディル・シャーによる一時的な再興、欧米列強やロシアの圧力を受けた苦難の時代を経る。このようなきわめて長くかつ多様な文明による征服・被征服を繰り返してきた重層的な歴史的経緯から、ペルシャ人の心にはイスラームの根底にゾロアスター教善悪二元論的な考え方があり、これがイランを中心に根付くシーア派の教義に通底すると指摘する書籍は多い。

近代ではパフラヴィー朝がきわめて欧米寄りの政策を行い、イスラム教勢力は弾圧にさらされた。ネットを調べればイラン人女性がスカートにヒール姿で街を闊歩する異様な姿の写真をすぐに見つけ出すことができる。欧米諸国は自分たちの利益のために政策に干渉を繰り返し、その結果怒りを蓄積させたイランの人々が起こしたのがイラン革命である。すなわち、これは冒頭の言葉にも結びつくが、イラン革命は欧米による他国への干渉の失敗の象徴であって、これを認めたくないがために欧米諸国がイラクを唆して勃発したのが8年に及ぶイラン・イラク戦争というわけである。

 

高校生の頃は世界史など全く興味がなく常に赤点スレスレで通過していたので当然勉強したことは記憶になく、ほぼまっさらな状態からの勉強になったが、このようにイランの歴史は文明の交差路だけあって世界史を集約したかのようで、きわめて興味深いものだった。特に興味を引かれたのがイラン革命の原因であった。イランの現体制は、多くの日本人がその「正しさ」や「権威」を信じて疑わない某大国が犯した間違いによって誕生したという事実(史実はいくらでも歪められるが、古今東西の大国たちの振る舞いを見ていると概ね真実であると思われる)はかなりの衝撃であった。

医学徒や優秀な知人たちは、無批判に、いや科学を極めるという自分の目標を達するためだと思うのだが、そこには世界の理があると信じて疑わないかのような勢いで某大国に吸いこまれていく。それはきっと、今の日本における常識に照らし合わせればきわめて正しいことだろうし、それ自体はまさに優秀さの象徴であり、素晴らしいことだ。しかし、某大国の犯した間違いはまさに彼らと同じようなエリートたちの手によって為されたものである。世界をある一つの見方でしか見られないようでは、科学的な真理に肉薄はできても、永遠に真実(世界は一つの論理に従ってconcentricに成り立っているのではなくmulticentricであり、個々の人間・集団・国ごとにそれぞれの論理があり、その全体像を把握するためには世界を演繹的ではなく面倒だがそれぞれを個別に解釈する必要がある。そうすることによっておぼろげながら世界の全体像が見えてくる。それを真実とここでは呼んでいる)には到達できない。そう考えるようになった。そして私は大学生活の終わりという一つの人生の節目に、この国を訪れてみようと決めたのだった。

当時海外旅行慣れしていなかった自分は一人で海外旅行に行くなど考えも及ばず、何人かの友人を誘ってみた。しかしながらイランという国のイメージから、手を挙げる人はほとんどいなかった。唯一興味を示した一人の友人とともに、イランに旅立った。2016年2月のことであった。