Le Chèvrefeuille

世界は遊覧、思い出の場所であり、われらは去りゆく者

イラン旅行(1)2016.2.18-19 イスラム圏の衝撃

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QR813便 0:15 羽田→06:05ドーハ

IR682便 11:45ドーハ→13:30シーラーズ

ザンディーエ・ホテル泊

 

さて、待ちに待った2月18日になった。翌日0:15発の飛行機のために、2時間前の10時に羽田空港に到着。カタール航空カウンターの近傍の椅子に座って時間をつぶすことにする。

実は姉の結婚式がこの前の週にある予定だったのだがどういうわけか変更になり、イランへの旅にちょうど被ってしまった。このために十数日の日程を割いてくれた友人に対して日程変更を申し出るわけにもいかなかったため、残念ながら姉の結婚式には欠席することになってしまった。少し楽しみだっただけに申し訳ない。

 

カタール航空は中東の航空会社だからもっと広々とした座席だろうと推測していたが残念ながらエコノミークラスはそれほどシートピッチが広いほうではない。正直あまり快適ではなかった。ドーハのハマド国際空港に到着し、飛行機を出ると湿度が高く蒸し暑い。建物は全体的に新しく無機質でオイルマネーの気配が感じられ、初めて経験する中東の空気に少し戸惑う。歩いている人々の中にはアラブ風のゴトラやサウブを身に着けた男性や全身を黒いアバーヤで包んだ女性がちらほらいて、なんだかなれない世界に足を踏み入れた感じがしはじめた。

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ハマド国際空港は全体的に新しく無機質な感じだ

シーラーズに向かう便への乗り継ぎは5時間あまりあるが、別の航空会社に乗り継ぎになるため、イラン航空の航空券発券などの手続きをしなければならない。窓口に聞いてみると、肌の浅黒くスキンヘッドでやる気のなさそうなオッサンが、2時間後に窓口を開けるという。窓口近くで2時間ほど時間をつぶしたものの、空港wi-fiの速度も遅く特にやることもないので、朝の空港のけだるい雰囲気もあいまって待ち時間は異様に長く感じられた。

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掲示板の表示にIR682と見える。

手続きをすませたあとにようやくイラン航空の出発ゲートに向かう。

イラン航空の出発ゲートはすでに異様な雰囲気を呈していた。頭にターバンを巻いたもはやどこの出身か推測不可能な人、日本人がまず着なさそうな謎のスーツ風の格好をした浅黒いオッサン、全身を黒いアバーヤ(イランではチャドルという)で覆った女性。おそらくすべての人がイランの人もしくは宗教的な目的でイランを訪れる人だろう。無防備さをウリにするチャラチャラして浮足立った女子旅連中はおろか、マイナー国への旅行では定番のはずのキザでナルシスティックなバックパッカーの姿すらない。肌が浅黒く彫刻のように深い彫りの刻まれた人々の集団の中で、明らかに自分たちだけが浮いている。ウインナーコーヒーの上のクリームのような孤独感と不安に乾いた笑いがこみあげ、ニヤニヤが止まらない。自分はどうやらヤバい場所に来てしまったようだ。

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出発ゲートは異様な雰囲気を呈していた

 

シーラーズ行きの飛行機に乗り込む。イラン航空の機体は経済制裁により新しい航空機が購入できないことが影響し、かなり古い。ペルシア湾を超えるとイラン高原にそびえる乾いた山々が畝をなしている様子が見て取れ、その畝をひとつ超えるごとに少しずつ近づく異国への旅に緊張が高まる。途中で赤茶けた水をたたえた湖が見え、飛行機内の異様な雰囲気にさらなる彩りを添える。

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赤茶けた水をたたえた湖

シーラーズ空港は大変に古びた空港で、規模も小さく、雰囲気は哀愁を帯びていた。入国審査では髭を生やした不愛想な入国審査官がボン!とパスポートに判を押してあっという間に通過する。地球の歩き方には入国審査でいろいろ質問されると聞いていたので、そのユルさに少しほっとした。入国審査を終えると手荷物を回収するベルトコンベアーのあたりに異様な恰好をした人が多く集まっている。イランという国は海外から帰ってきた家族を総出で迎えるのだろうか、先ほど乗ってきた飛行機内の人数に比べて明らかに多い。たむろしているイラン人の一人に「Welcome to Iran!」などと声をかけられて戸惑う。現地人ばかりのこの空港では、東洋人の観光客はあからさまに浮いて見えるらしい。

そういうわけで、イランという国に我々二人はついに放り出されてしまった。

残念ながら旅行会社には出迎えを頼まなかったので、ホテルまではタクシーを呼ばなければならないのだが、現地通貨を一切持っていない。外国人観光客などほとんどいないのだろう、両替窓口すらない。どうしたものか。空港の職員に聞いてみたところ、空港の売店で両替をしてくれるという。なんとありがたい話だ。しかしながらありがたい話というのには悪い話がつきものである。それはまあ、これからじっくり語るとしよう。

売店で友人が両替を頼むことにした。売店の奥のほうから眼鏡をかけたお姉さんが出てくる。100ドル=250万リヤルで両替をしてくれるのだという。当時の相場(当時のレートでは100ドル=300万リヤル)を考えるとレートはやや悪いが、ここは両替をしてくれる親切心に素直に感謝することにした。

ありがたく店を去っていこうとすると、

「うちの売店で少し休憩していかない?」

売店のお姉さんが言う。まあ両替もしてもらったことだし、ありがたく売店で食べ物でも頼むことにしよう。メニューを渡される。この時点で値段が書いていないことに気付くべきであったが、残念ながら当時は注文の時点で値段を確認するという習慣がなかった。

頼んだジュースとケーキが出てくる。ジュースはまあいいとして、チョコレートケーキはまるでそこらへんのスポンジを食らっているかのようにパサパサで、味も薄くとても食べられたものではない。一体何なんだ。このあたりで我々は何やらおかしいことに気付き始める。しかしながらそれはすでにわれわれがぼったくりのカモにされた後であった。かなしいかな、我々はすでに罠にはまってしまったのだ。

会計をお願いすると、なんと2人分で80ドルだという。ジュースとパッサパサのケーキで一人4000円である。何をふざけたことを言っているんだこのお姉さんは。まともそうな雰囲気を醸し出していながら、中身はまったくまともではなかった。あまりにも高すぎると文句を言ったが、値段を聞かずに注文した我々の分が悪い。大変気分を悪くしたまま、そのへんのタクシーに乗る。残念ながら何かを注文する前には必ず値段を聞かねばならないという海外旅行の鉄則を身に着けるための授業料だと思うことにした。(なおその後数日にわたって私はぼったくられたことに対する文句をブツブツと友人に垂れ流していた。すぐに頭を切り替えられないのは自分の悪い癖である。本当に申し訳ない)

 

タクシーからはきれいに区画され、しかしながら古びたシーラーズの街並みが見える。たまに出現するタマネギ状のモスクのドームがまるでおもちゃのようで現実感がない。あまりにも慣れ親しんだものと違う街並みの雰囲気に頭がついていかず、これが人の住む場所であると認識できない。しかしながら長い経済制裁の影響だろうか、色あせた街並みはどこか哀愁を感じさせ、野町和嘉氏の写真集「PERSIA」の一節を思い出した。

 

イスラーム革命以来、アメリカとは国交を断絶したままで、長期にわたる経済制裁を受けていることもあって、経済的にはやや低迷が続いているが、反面、悪しきグローバリズムの洗礼は受けておらず、ややくすんだ街路には、ペルシア文化のしっとりとした情感が流れている」

 

そうこうしているうちに、ザンディーエ・ホテルに到着した。とても新しいホテルのようで、内装も綺麗だ。チェックインを済ませた後、エレベーターに乗りこむが、エレベーターは動き出すと音楽が流れる仕様になっている。しかも聞いたことがないような重厚な音階をもつ独特のメロディーで圧倒される。

まだ現地時間は14時ごろ。少し散歩する時間がある。町に出て観光地の1つくらいに行く程度の余裕はあるだろう。相談のうえ、鏡のモザイクで有名なシャー・チェラーグ廟に向かうことにした。シャー・チェラーグ廟は、十二イマーム派の第8代イマームの兄弟が祀られている霊廟であり、各地からの参詣者が絶えない。異教徒にも観光の門戸が開かれており、入口で待っていると観光目的の人には無料のガイドがついてくださるシステムであるらしい。

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青いタイルワークの美しいシャー・チェラーグ廟の入口

さらにもう一つの門をくぐると、いよいよシャーチェラーグ廟が姿を現した。

広々とした門を構え、白い幕が半分ほど降ろされた廟は外観からして風格がある。広場には参詣に訪れた多数の人が噴水前でたたずんでいる。

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シャー・チェラーグ廟の立派な構え

ガイドに導かれ、靴を脱いで廟内に上がる。廟の入口は男女で分けられている。廟内に入ると、細かい鏡のタイルワークによる光の反射がまばゆく、まるで小宇宙のような光の空間を作り出している。この光の洪水のような空間で、人々は祈りをささげたりくつろいだりと、思い思いの時間を過ごしている。自分のついたガイドは写真を撮ることにきわめて寛容で、廟の説明をしながら、「You can take the photo, no problem.」と繰り返していたが、そもそも入れるかどうかが運といううわさもあるし、入れても写真が撮れるかどうかもこれまた運といううわさもある。イン・シャー・アッラーというやつだろう。まばゆく華美な空間は不思議と安らぐ空気が流れており、写真を撮ったり装飾の美しさに息をのんだりしながら、ゆっくりと時間が過ぎていく。

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あまりの美しさに圧倒される
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同じ敷地内にはセイイェド・ミール・ムハンマドというシャー・チェラーグの弟の廟もある。こちらはシャー・チェラーグ廟よりも小ぶりでかわいらしい。

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左:敷地内にあるシャー・チェラーグの弟の廟 右:廟内

ガイドに一通りの案内を受けた後、ガイドたちの控室的なところに案内され、お茶が出された。彼らと話していると冊子を渡される。ハメネイ師の写真が掲載されており、なんだか内容も政治的だ。ガイドはその冊子の内容についていろいろ喋っていたが、正直あまり覚えていない。廟があまりにも美しすぎたがために、ふーん観光客に対する政治的な宣伝の意味合いもあるのねえ程度の印象しか残らなかった。

 

あまりの美しさに呆気にとられたまま、ホテルに戻る。すさまじい一日だった。見慣れぬ景色や音、人の姿や声そして言葉といった不慣れな情報の嵐に頭が混乱し、部屋に戻ると、我々はすでに外食に向かうエネルギーは残っていなかった。持ってきた保存食を夕食として食べて、そのまま寝てしまった。そんなこんなで、イラン旅行の初日はめまぐるしくあっという間に過ぎていった。