Le Chèvrefeuille

世界は遊覧、思い出の場所であり、われらは去りゆく者

イラン旅行(2)2016.2.20 シーラーズ、ペルセポリス

2/20

~10:00 シーラーズ観光

10:00~13:00 ペルセポリス、ナグシェ・ロスタム観光

13:00~ シーラーズ観光

ザンディーエ・ホテル泊

 

本日は一日中シーラーズ観光である。

イラン旅行の中では一つの目玉といってよいだろう、アケメネス朝ペルシアの遺構ペルセポリスやナグシェ・ロスタムを観光し、その後シーラーズの観光地をめぐる。ペルセポリスに向かう前に、「ステンドグラスのモスク」として有名なマスジェデ・ナスィーロル・モルクに向かう。この時間帯に訪問するのは、モスク内に差し込む太陽光によりもっともステンドグラスが美しく見えるのが朝の時間帯だという情報を得ていたが故。このモスク、ネット上では「マスジェデ・ナスィーロル・モスク」と紹介されているものが多いが、あれは間違いである。これを訳すと「ナスィーロル・モスクモスク」になってしまう。ネット上の情報にコピペが多いことの証左だろうか。情報があふれる世の中であるが、正しい情報にアクセスするのにはかつてよりますます困難になり、個々人のリテラシーがより要求される時代になったと思う。

 

ホテルを出発し、ひなびた街並みを歩いてモスクに向かう。朝のシーラーズの町は、現地の人々が路上をほうきで掃除する姿が多く認められ、この国の清潔に対する意識の高さをうかがわせる。フランスなど道路上に犬の糞が落ちていることがしばしばあり、それを踏んで気分の悪い思いをしたことがあったが、そもそもこの国では犬を飼うという習慣がないらしい。当然路上に動物の糞など落ちていない。お洒落で洗練されたイメージがあるフランスだが、その足元は思った以上に不潔であり、いろいろ考えさせられる(フランス語の教材にはglisser sur une merde de chien(「犬の糞でスベる」)などという表現が載っており、そういうことが日常茶飯事であることが推測される。なおこの知識はイラン訪問時にはなかった笑)。などと考えているとモスクに到着した。モスク入口のムカルナス(鍾乳石造り)が大変美しい。入場料は10万リヤル。

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マスジェデ・ナスィーロル・モルクのムカルナス。大変美しい

モスクに入ると、典型的なペルシャ様式の池があり、奥には上に人の手形のような装飾のついた小ぶりなミナレットが一対ある。この人の手は「ファーティマの手」であり、魔除けの意味があるらしい。そしてその左右にステンドグラスの窓がある礼拝堂が並んでいる。

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池のある中庭と「ファーティマの手」のあるミナレット

ステンドグラスの窓がある礼拝堂には絨毯が敷かれており、そこには昨日のシャー・チェラーグ廟とは異なった陶酔の空間が広がっている。

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鮮やかな色のあふれる空間に呆気にとられつつ写真を撮影し、その後ホテルに一度戻る。その際に日本人ツアーとおぼしきなんだかビクビクしたアジア人集団を見かけた。日本人は中国人や韓国人と似た東洋人風の顔貌をしているが、外国では大体少し怯え気味ですぐにそれとわかる。日本人は一言でいえば内弁慶なんだと思う(まあ、それが必ずしも悪いわけではないだろうけど)。イランを旅行していた十数日間で、日本人に遭遇したのはこの時だけであった。

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シーラーズのくすんだ町並み

ホテルのロビーで、ペルセポリス+ナグシェ・ロスタムに行くためにタクシーをチャーターしたい旨を伝えると、どうやら値段が決まっているらしい。たしか30ドル程度だったと記憶している。しばらく待っていると入口にタクシーが到着。てっぺんハゲで口髭を生やしたオッサンであるが味のある雰囲気を醸し出しており、なんだか優しそうだ。

タクシーでホテルを出てペルセポリスへ向かう。シーラーズ市街の道路は混雑しているが、日本の道路のように車線を守って走行する車はほとんどおらず、まるでゴーカートのようだ。レンタカーなど借りた暁には一瞬で事故に巻き込まれるに違いない。次第に人家が少なくなっていき、半砂漠地帯の高速道路を猛スピードで走行していく。そして現地のポピュラー音楽と思しき、聞いたこともない音楽を流している。基本的に短音階なのだが、乾いた大地の景色と大変にマッチしており、文化というのはその土地の気候や風土を多分に反映するものだと思わされる。なお、このタクシー運転手が流していた曲を大変気に入り、日本に帰ってから血眼で調べてみたところどうやらその曲に行き着いたので、下に記す。興味がある方はYouTubeなどでペルシアの空気を味わっていただければと思う。

♪Mahasti, Bezar man khodam basham

♪Mahasti, Nazi Nazi

♪Mahasti, Barge gol

途中マルヴダシュトという小さな町を抜け、広い松の林を抜けるとそこがペルセポリスである。タクシーの運転手のオッサンは我々一行をチケット売り場に案内してくれ、その後ここで待っているから行ってきなさいとジェスチャーで示す。

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我々をペルセポリスの入口へ案内するタクシー運転手のおっさん

ペルセポリスパルミラ、ペトラは中東の3Pと呼ばれ、観光客に大変人気な観光地である。ペルセポリスは、アケメネス朝の宗教的な首都として築かれ、ノウルーズなどの儀式が行われたという。しかしながら、紀元前331年、アレキサンダー大王の征服により陥落。宮殿は廃墟と化したという。日本の歴史を学ぶと法隆寺建立の607年ですら太古の昔のように感じるが、世界史を学ぶと日本の歴史もそれほど深くないのだなと思ったりもする。

 

ペルセポリスの入口は段の低く奥行きの大きな階段になっており、上っていくと羽の生えた人面獣の彫られた門が姿を現した。これはクセルクセス門というそうだ。顔面はおそらく偶像崇拝を嫌うムスリムによってであろう、削り取られているが、門の裏手の像は顔が残っており、なんとなく元の血の気の通わない平面的な顔貌を推察できる。門の壁には平面的に並んだ多くの人の姿が刻まれているが、上の段の人は顔が削られているのに対し下の段は彫刻がきれいに残っており、おそらく砂か何かに埋もれていたのではと考えられる。

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クセルクセス門の全貌

ホマーという双頭の鷲を横目に見ながら順路を進むと、女子中学校の社会科見学と思われる女性集団がいくつもおり、先生とおぼしき人がおそらく遺跡についての解説をしている。外国人観光客と気づくと手を振ってくる生徒がたくさん。とてもフレンドリーでほほえましい。このような集団をこの旅行では多く見かけることになる。

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百柱の間を見学する地元の学生集団

隣接する高台にはアタクセルクセス2世の墓があり、そこからペルセポリスの遺跡を一望することができる。乾いた風と日差しが実にさわやかだ。

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アタクセルクセス2世の墓からペルセポリス全景

ペルセポリスにはイランの企業や団体で現在使われているシンボルのもとになっている彫像や彫刻が大変多く認められる。例えばIranAirのマークはは先述のホマーをマークにしたものだし、ヤズドのゾロアスター教神殿に刻まれた守護霊プラヴァシのマークは、アタクセルクセス2世の墓にすでに彫刻として刻まれている。シーア派イスラームが国教となった今なお、ペルセポリスはある意味イラン人の精神的支柱の一側面を担っているわけである。
自分がイラン旅行に行くきっかけを作った野町和嘉氏の写真集「PERSIA」で大変印象的であった東階段の彫刻や、比較的保存状態の良い冬の宮殿など、実に見ていて飽きない。北アフリカやレバントにも古代遺跡はあるが、パルミラをはじめ多くは古代ローマの遺産である。非ヨーロッパ系文明の古代遺跡をこれほどの規模で拝めるところはなかなかないのではないだろうか。

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保存状態の良い「冬の宮殿」

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やはり東階段に刻まれたこの彫刻を載せないわけにもいくまい。

この彫刻は、世界各国からの使者が刻まれているそうであり、ガイドブックを見れば詳しく書いてあるが、残念ながら予習不足によりどれがどこの国の使者なのかは同定できなかった。しかしながら当時オリエント世界で絶大な影響を誇っていたアケメネス朝の強大さの片鱗を見るには十分だった。

先ほどのタクシーに戻る。次の目的地はナグシェ・ロスタムである。

ナグシェ・ロスタムはアケメネス朝の歴代の王が眠る墓が巨大な岩壁に彫られたものであり、その近傍にはゾロアスター教関連の建築物と思われる謎の建物が認められる。こちらもやはり規模が大きく圧倒される。しかしながら次第に日差しの強さと乾燥した空気でのどが渇いてきた。写真をササっと撮影し、タクシーに戻る。

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ナグシェ・ロスタム

(なお、最近知ったことだが、このロスタムというのはペルシャの民族的叙事詩であるシャー・ナーメにも登場するペルシャの英雄の名前だそうである。なおウズベキスタンサマルカンドにはアフラシャブの丘というのがあるが、アフロースィヤーブ(=アフラシャブ)というのはトゥーラーン(今のトルキスタン地方と比定されている)の英雄の名らしい。イラン文明圏に対する理解をさらに深めるには、このシャー・ナーメを紐解くことが必須と思われる。)

タクシーで1時間ほどで、シーラーズの市街に戻る。大体13時ごろにホテルに戻った。タクシー運転手にありがとうと言っていったんホテルに戻る。少し休憩し、午後は昼食&シーラーズ市街の観光スポットをめぐることにする。その前にホテルの近所の銀行で両替をしたが、100ドル=350万リヤルというかなり良いレートだった。

まずはマスジェデ・ヴァキールというモスクを訪れる。こちらは朝訪れたマスジェデ・ナスィーロル・モルクを一回り大きくしたようなモスクで、装飾は美しいが、やや無個性な感じがする。

昼食はバザール内にあるおという洒落なお店、サラーイェ・メフルを訪れることにした。バザールを本格的に歩くのは初めてだが、まるで迷路のように入り組んでおり、どこに何があるのかがよくわからず同じところをぐるぐると回ってしまう。少しわき道にそれると四角い池のある小広場に出たりする。緻密に積み上げられたレンガにより生み出される様式美が美しく、まるでおとぎ話の世界に入り込んだかのようだ。窓の装飾なども凝っており、これほどの文化的遺産の中で日常生活を送っているイランの人々が羨ましくもある。バザールには装飾品や有名なおみやげ物のミーナ・カーリー、香辛料や食べ物を売る店が区域ごとに集まっており、バザール内には香辛料の独特の香りが充満している。歴史が教科書上の記述ではなく、現在に連続していることを意識させられる空間。個人的には拳より一回りも二回りも大きいザクロが売っているのが印象的だった。

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美しいバーザールの空間

レストランはバザールの少し奥まった一角にあり、入口がわかりにくい。しかし内部は絵やステンドグラスがたくさんあり、とてもお洒落な雰囲気だ。ここで食べたチェロウキャバーブについていた焼きトマトは、その後食べたすべての焼きトマトの中で一番おいしかった。

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お洒落な雰囲気のレストラン。味もGOOD

その後は市街地の西のはずれにあるエラム庭園に観光に行くことにする。タクシーをひろうほどの距離でもないと考え、市街地を歩いていくが、やはり町並みは古びているものの清潔という印象だ。ヨーロッパ諸国にありがちな柄の悪い青年がたむろしているスラムのようなところもあまり見受けられない。1時間ほど歩くと、エラム庭園についた。内部のバラ庭園は絶賛整備中で重機が轟音を挙げて土を掘り返しており、四季折々の花が咲き乱れるというゴレスターンとは程遠い印象であった。このエラム庭園もまた、世界遺産に登録されているらしい。独特の形をした屋根が印象的だ。

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エラム庭園の宮殿は、ガージャール朝時代のもの

エラム庭園からは徒歩でホテルに帰る。今日もまた外に出る気力がないので部屋食である。ホテルのルームサービスで食事を持ってきてもらおうとも検討したが、結局高価だったのでやめた記憶がある。友人は近くの商店で買ったビスケットを食べていたが、私は持ってきた保存食を消費した。明日はヤズドへ移動することになる。どんな都市なのか楽しみだ。