Le Chèvrefeuille

世界は遊覧、思い出の場所であり、われらは去りゆく者

イラン旅行(5)2016.2.23 世界の半分

2016/2/23

全日イスファハーン観光

アッバースィーホテル泊

 

イスファハーンは世界の半分。

世界史を学んだ人なら、この言葉を一度くらいは耳にしたことがあるのではないだろうか。私は高校時代世界史は大嫌いだったが、サファヴィー朝の名前もイスマーイール1世の名前も全く記憶にないのに、この「イスファハーンは世界の半分」という言葉だけは覚えていた。それだけこの言葉が強烈なフレーズだったからだろう。

そもそもこの言葉、冷静に考えてみれば意味が分からない。自らの成果を誇示しがちな帝国の支配者が自らの都市を世界のすべてがあると形容するならまだしも、わざわざ半分といっているのである。謙遜だとしてもせめて世界の大半があるくらいにしておけばいいのに、半分にこだわった理由が謎すぎると、当時は思っていた。

高校の頃勉強した世界史の記憶なんて、ジッグラトという不慣れなアクセントを持った単語と、「イスファハーンは世界の半分」というこの意味不明なフレーズと、世界史教科書の表紙を飾る青く美しいモスクの写真くらいだった。どういうわけか、これらはすべてイランと関係のある知識である。そんな自分が高校を卒業して何年かのち、中東の言語・歴史・文化に興味を持ち、このイランの地に立っていたのはある意味運命であったのかもしれない。

朝食を済ませてホテルを出ると、まずはイスファハーンの中心にあるイマーム広場に向かう。風流な街路樹の植わった大通りを越え、西側の通路から広場に入る。広場を吹き抜ける朝の風がさわやかだ。目の前には黄色と明るい水色で装飾されたドームの左右に、均等な大きさの白いフジュラがどこまでも伸びている。広場の中は美しい噴水や針葉樹の植え込みが美しく、図形的な建築との調和が圧巻だ。

どういう順番で見学しようか迷っていたところ、一人の青年に出会う。イマーム広場を案内したいのだという。ありがたい話だが、勝手にガイドしておいて金をとるタイプの人かどうかもわからないので、話はありがたいがこれで失礼したいとうと、なぜありがとうばかり言うのかよくわからないなどと絡んでくる。「No thanks」の意味で「Thank you」と言っているのだがどうやらまったく伝わっていないらしい。我々は自分たちで回りたいというと、13時ごろにここに集まってくれれば案内するよといい残してその青年は去っていった。謎絡み一号である。

まあそんな彼のことはひとまずおいておき、まずはイマーム広場の概要をば。

イスファハーンの目玉ともいえるイマーム広場とその周辺の建築は、サファヴィー朝アッバース一世の命で作られたもの。きれいな長方形をした広場とそれを囲むように作られたバーザール、モスク、そして宮殿の複合建築である。繊細で美しいタイルワークで彩られたモスクはイラン・イスラーム建築の白眉であるとされている。モスクの向かいにある宮殿もまた数多くの柱で高い天井を支える開放的なバルコニーが印象的だ。

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マスジェデ・シェイフ・ロトゥフォッラー

最初に、我々の入った入口から正面に見えるモスク、マスジェデ・シェイフ・ロトゥフォッラーを見学することにする。ここはサファヴィー朝時代は王族専用のモスクとしてあり、シャーの妻たちは宮殿から地下通路を通ってここで礼拝をしたのだという。入口にはこぢんまりしたエイヴァーンがある。

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エイヴァーン

横にあるチケット売り場でチケットを購入し、美しいモザイク装飾に彩られた少し暗い通路を通っていくと、唐草模様の装飾が施された小窓から陽光の差し込む空間に出た。天井のドーム部分は紡錘形を基調としたパターンが放射状に伸び、壮大な模様を形成している。シーラーズのシャー・チェラーグ廟とは当然趣向は違うが、繊細な模様の繰り返しが壮大な空間を形成しており、まるで万華鏡の中にいるようで、ため息が出るような美しさだ。メッカの方向には小ぶりなメフラーブが設けられている。

このモスク、着工から完成まで17年かかったという。その精緻な模様からもそれはうなずける。本当に素晴らしい。

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左:天井の繊細な装飾 右:日光が差し込むモスクの空間

マスジェデ・シェイフ・ロトゥフォッラーを出て、次はマスジェデ・エマームへ向かう。この入口のエイヴァーンは周囲の建築よりも一段高くなっており、2つの大きなミナレットを備えている。まさに私が世界史の教科書の表紙で見た、あの青いモスクである。遠く離れた、自分に縁がない世界と思っていた教科書の写真の風景が今目の前にあることに、静かな高揚感を覚える。

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マスジェデ・エマームのエイヴァーン

入口でチケットを購入し、マスジェデ・シェイフ・ロトゥフォッラーとは対照的に大きく開放的な回廊を行く。右に45度折れると、正面にミナレットを有するエイヴァーンが大きく構えているのが見える。写真ではやや伝わりにくいかもしれないが、その壮大なスケールには圧倒される。濃い群青を背景として黄色や白の模様が描かれた装飾は、遠くから見ると宇宙に浮かぶ無数の星のようで、荘厳でありながら少しかわいらしい。

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左:ドームへの入口 右:イマーム広場方向を振り返る

天井の高い門を潜り抜けると、天井はやはり青を基調として繊細な唐草模様が描かれている。マスジェデ・シェイフ・ロトゥフォッラーの天井装飾のような迫力はないが、これはこれで間違いなく美しい。

ドームから横の通路を通ると多数の柱のある空間に出る。天井は多数の柱もありあまり高くない印象を与えるが、日光が差し込んでおり明るい雰囲気だ。

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左:マスジェデ・エマームの天井装飾 右:柱の空間


入口を振り返ると、イマーム広場からの回廊が壮大な入口を構えている。左右にはマドラサのフジュラが規則的に並んでいる。鮮やかな濃い青と白、黄色、青緑の混ざった繊細な装飾は、遠くから見るとくすんだ青色に見え、広場全体を落ち着いた雰囲気にまとめあげている。

 

どのような形容詞もこの空間のもつ荘厳さ、繊細さ、美しさを言い表すには足りない。これが400年前の建物というのが驚きである。本当に素晴らしい。ただただ感嘆の声を上げながらたいして性能もよくないコンデジで何枚も写真を撮った。

つぎに、イマーム広場に面する大きな建築物としては最後の、アーリー・ガープー宮殿に向かう。この建築は修復用の足場が組まれていることもあり、外から見ているとなんだかパッとしないような感じがしたが、内部の装飾は素晴らしい。バルコニーからは壮大なイマーム広場がきれいに見渡せる。バルコニーの天井は細かく装飾されているが修復中で、女性が楽しそうに会話しながら修復作業に当たっていた。壁にはペルシア美人の絵が描かれている。

イランではモスクの入口にはホメイニー師やハメネイ師の顔写真が大きく飾られていたりするし、王宮にはこのように人物画が描かれていたりする。モスクの装飾もアラブ世界のそれと比較すると繊細で鮮やかかつ絢爛である。同じイスラームでありながら人物画のたぐいを一切廃し、質素かつストイックなイメージのアラブ世界とは一線を画したペルシャ的な美的センスを感じる。

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アーリー・ガープー宮殿からみるイマーム広場

宮殿の最上階にある音楽室では、天井に楽器の形に彫られた多数のくぼみが設けられている。余分な音を吸収するためのものだそうだ。楽器の形に彫られたくぼみは、まるで中国の兵馬俑を影絵にしたかのようでもあり、UFOのようでもある。しかし随分薄い素材でできているようだ。木製なのか金属製なのか大変気になるところではあるが、当然触ることはかなわなかった。

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左:ペルシア美人の壁画 右:音楽室天井の装飾

ひとまずメインの見どころは回ったので、イマーム広場の四角形の「辺」にあたるバーザールを散策することにする。青・赤・緑さまざまなミーナ・カーリーを売る店、絨毯を売る店、銅細工の店、そして銘菓のギャズを売る店…たくさんのおみやげ品がバーザールのショーウインドーを飾っている。特に独特の形をしたミーナ・カーリーがとても美しいが、たくさんのお店がありどう選んでよいのかがよくわからない。

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バーザールの様子。ショーウインドーにたくさんの商品が並ぶ

ひとまず多くの店主に話を聞いてみることにした。私も友人も無数に並ぶおみやげに何を買ってよいかわからずバーザールを半周くらいしたとき、ふと「こんにちは」と声をかけてきたおじさんが。日本語が堪能で、かつてペルシャ絨毯の商人として日本にいらっしゃったのだという。彼の経営するペルシャ絨毯のお店に案内してもらい、お茶とお菓子まで出してくださった。お菓子はカラメルのようでとても甘く香ばしい。彼に商品の見分け方についていろいろお話を伺う。

「絨毯は、これはシルク製で、大体800ドルくらいですね。こちらは毛でできていて目も粗いから、300ドルくらいで買える」

ミーナ・カーリーについても見分け方を伺ってみる。それぞれの店舗は当然工房のマスターであり自分たちの作品を売っているわけなので、自分の作ったものを悪く言うはずは当然ない。彼は自分の知り合いだという人のお店に案内し、手に取って説明してくれる。

「(ミーナ・カーリーは)こういうつるつるしたものに絵を描くほうが難しいです。凹凸があるほうが簡単に作れる。これはいい仕事ですね。これはまあまあな仕事かな。」つまり表面が平滑なものに絵を描いていくほうが難易度が高いということらしい。凹凸のあるほうがおしゃれに見えたので、少し意外だった。隣のお店もミーナ・カーリーのお店で、緑色のものが欲しかったのでこのおじさんに伺ってみると、そのお店のスタッフにペルシャ語でいろいろ聞いてくださり、作りたてだという緑色のものを持ってきてくださった。

「これは表面でこぼこしているでしょう。まあまあな仕事だと思います。」なるほど。勉強になる。結局この緑色のミーナ・カーリーはお迎えしなかった。まあ、買っておけばよかったと今更思わなくもない。

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左:お店で出されたお茶とお菓子 右:親切にしてくださったおじさん。ガラム・カールの制作に使う判を手に持っている。本当にありがとうございました

彼の絨毯店の向かいにあるガラム・カールのお店にお邪魔する。ガラム・カールとは綿布に木を彫って作ったハンコで様々な装飾を施した布のこと。見た目は絨毯に比べて大したことないように思えるが制作には手間がかかり、最近では職人の減少が課題なのだという。このハンコを持ってきて作り方についても詳しく説明してくださった。少しくすんだアイボリー色の生地に渋い茶色で装飾をした布を1枚購入することにしたが、彼が値下げ交渉をしてくださり、おまけに小さな布を1枚つけてくれた。

さらに、親切に甘えるようで少し申し訳ないが、このあたりでおすすめのレストランはないかと伺ってみる。するとイマーム広場を出て、地元のペルシャ人以外は決して入らないであろうお店に案内してくれた。

「私はかつて日本にいましたから。日本ではとても親切にしてもらった。これはその恩返しです」

我々が明日までイスファハーンに滞在することを伝えると、またいつでも来てくださいとおっしゃって去っていった。丁重にお礼申し上げて、ひとまず食事をいただくことにする。頼んだのは豆の煮込み料理で、サフランライスの上には干しザクロがまぶしてあり、甘酸っぱさが料理の味にアクセントを加えている。器は質素だが、とてもおいしい。しかしこの店に入る勇気のある外国人はまずいないだろう。まわりの客はみな地元の方だった。

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昼食。ペルシャ語のメニューで名前はわからなかったが、美味

食事のあとに少し離れたところにある、マスジェデ・ジャーメに向かう。(すでに読者の方はお忘れかもしれない、先ほどイマーム広場を案内すると言っていた謎の青年には申し訳ないが、上位互換のガイドが現れてしまったこともあり、トンズラさせていただいた)こちらは8世紀ごろからあるイスファハーン最古のモスクであるが、増築が繰り返されており元の姿をとどめているのはごく一部らしい。イマーム広場の北出口からバーザールにつながっており、ここの道をまっすぐ1㎞ほど歩く。こちらのバーザールは日用品を多く売っている。一度車道をこえて少し歩くとそこがマスジェデ・ジャーメである。かつてのサファヴィー朝の栄華が偲ばれる豪華絢爛なイマーム広場のモスクと比較すると質実剛健な建築が印象的だ。エイヴァーンの下ではちょうど敬虔なムスリムたちが昼の礼拝をおこなっていた。こちらでは久しぶり外国人観光客のカップルに出会った。ロシアから来たらしい。

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左:マスジェデ・ジャーメの入口。左右はバーザールになっている 右:内部。出会ったロシア人のカップ

この近傍に銘菓ギャズの有名店があると地球の歩き方に書いてあったのでそのお店を訪れていたが、大量の地元民たちがギャズをどっさりと箱買いしていく。英語の案内はいっさいなく、人がたくさん並んでいてなんだか質問もしにくい雰囲気だ。しかも箱買いしか選択肢がなく、おみやげとして持って帰るには負担ということもあり、結局買うのはあきらめた。

再び来た道を戻り、今度はイマーム広場を通り抜けて、南のザーヤンデ川に向かう。しばらく大通り沿いに歩くとザーヤンデ川にかかる美しい橋であるスィ・オ・セ橋に出る。スィ・オ・セというのはペルシア語で33を意味し、橋の上に33のアーチがあることから名づけられたようだ。スィ・オ・セ橋の付近は親水公園のようになっており、川べりで多くの人が川の流れを眺めながらゆっくりとした時間を過ごしている。橋の上では若者が「コンニチワ!」などと話しかけてくる。非常に面白い。飲酒という娯楽がないからなのだろうが、人々の時間の過ごし方にとても品性があるように感じられる。

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ザーヤンデ川にかかるスィ・オ・セ橋。1602年完成の歴史ある橋だ

ザーヤンデ川にかかる橋巡りをすると面白いらしいが、すでに本日歩きすぎてなかなか足がつらいものがあるので、これはあきらめた。橋をわたってしばらくまっすぐ歩くとジョルファー地区という旧アルメニア人居留区に出る。ここは、サファヴィー朝アッバース1世が商人としてすぐれた能力を持っていたアルメニア人を移住させた地区である。イスファハーンの繁栄に寄与した彼らには信仰の自由が与えられたという。右手に折れ曲がったこぎれいな道をいくと、ヴァーンク教会というアルメニア正教の教会に至る。外観はモスクのようなドームを持ち、そこまで目立たない。入場料は20万リヤルだ。

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左:ヴァーンク教会外観。地味だ 右:内装。禍々しいまでに派手なフレスコ画が印象的

外観は地味なこの教会であるが、内部の装飾は強烈だ。入ると金色を基調としたまばゆいフレスコ画が目に入る。モスクのどこか奥ゆかしく静謐な模様の世界に目が慣れていると、イスラム世界を旅しているのでなければ美しいと思えるはずのフレスコ画もやや禍々しく感じられる。イエス・キリストの顔だけ描かれたパターンが繰り返し現れる部分などもはやシュールで少し気味が悪いくらいだ。ムスリムが偶像を見たときに感じる感情とはこういうものなのか、というのが体感できるような気がする。この教会は博物館が併設されており、聖書の言葉を記した髪の毛や世界最小の聖書など、興味深い展示がたくさんあった。

ここからはかなり長い距離を歩いてホテルまで戻らねばならない。日が沈むとやはり人通りが多くなり、スィ・オ・セ橋は人であふれていた。帰り道に通ったケバブ屋で買ったケバブを本日の夕食とすることとし、ようやくホテルに到着。イランの夜の市街はネオンがきらめき、昼の光景とは違った独特の様相を呈するのだが、当時自分が持っていたデジカメの暗所性能が著しく悪く、きれいに写真が撮れなかった。

到着したホテルでは先ほどのケバブを食したあと、夜の街を散歩してみることにする。友人は疲れたらしくホテルで休むといったので、一人で街に繰り出すことにした。やはり治安はよく、イマーム広場ではたくさんの人がくつろいでいた。

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夜のイマーム広場の様子。カメラの性能が…

それにしてもカメラの性能が悪い。現代ならスマホのカメラでさえ夜の写真をもっと美しく撮ることができるだろう。しかし夜のイマーム広場もライトアップされており、独特の趣があって美しい。

 

イスファハーンはイランにおけるイスラームの軌跡やサファヴィー朝の隆盛を偲ぶことができ、圧巻だった。「半分」というのはおごりではなく、おそらく当時の人がこれらの建築群の美しさや、この町の繁栄ぶりを前にして実際に体感したことなのだろうと思われた。

明日の午前中は本日バーザールで回って見当をつけたおみやげ品を買うこととし、午後は飛行機でシーア派の聖地のひとつ、マシュハドへ向かう。