Le Chèvrefeuille

世界は遊覧、思い出の場所であり、われらは去りゆく者

イラン旅行(7)2016.2.25 夜行列車でテヘランへ

2016.2.25

マシュハド観光

21:15 マシュハド駅発

→→→(車中泊)

 

本日は夜までマシュハドを観光し、そののちに夜行列車でテヘランに向かう。

といっても、マシュハドの唯一かつ最大の観光の目玉であるエマーム・レザー廟はすでに二回も訪れてしまい、あまりやることがない。ホテルを遅めにチェックアウトし、荷物をホテルにあずかってもらうこととする。あまり見るものがないので、適当に市内を散歩することにする。正直この日は全日程を通してもっとも記憶に残らなかった日だったと思う。バーザールも大した規模ではないし、エマーム・レザー廟のほかに観光するものといえばナーディル・シャー廟くらいしかない。しかもそのナーディル・シャー廟も柵の外からなんとなく外観を見ることができるし、外観は明らかに工事中であったので金を払ってまで入場する気が失せた。

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左:趣の乏しいバーザール 右:ベイトル・モガッダス広場(「神聖な家」の意)

ナーディル・シャーというのは世界史においてはそれなりに重要な人物なので、一応紹介しておく必要があるだろう。凋落著しい末期のサファヴィー朝において、彗星のごとく現れたのがこの男である。マシュハドの出身で(廟があることからもわかると思うが)、出自はテュルク系であったという。わずかに命脈を保っていたサファヴィー朝の摂政を務め、ペルシャに侵入していたアフガニスタン勢力や、オスマン帝国を駆逐。トルキスタンやインドへの遠征も繰り返し、一時的に領土を大きく拡大した。しかし後世には恐怖政治を敷くようになり、周囲から恐れられ最後には暗殺されたという。ウズベキスタンに遠征した際にサマルカンドのグーリ・アミール廟からティムールの棺を運び出すよう命じ、その際これを悪い兆候だと考えた部下により諫められたとの逸話がある。結局ティムールの英雄譚を模倣しようとした彼の驕慢さは治世の残酷さとなって現れ、結果的に自らを死に追いやったわけである。いつの時代も人間というのは自分の本来あるべき天分を大きく超えた権力を手にするといい気になり、調子に乗り、羽目を外すものなのだろう。英雄の悲しい性である。

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左:市街地に現れた小さなモスク?? 右:工事中のナーディル・シャー廟

時間が余ってしかたがないので、市役所の前で休憩したり、ホテルのロビーで暇をつぶしたりしていた。ロビーでは聖地ということもあって頭にターバン的なものを巻いたオッサンも出入りしている。このターバンの色、黒だとムハンマドの子孫であることを意味するとかなんとか。ここでも現地人が話しかけてきた。発音はきれいだが文法は(私でもわかるくらい)めちゃくちゃだ。しかしこれなら外国人と話すことができる。なにより彼らは外国人と話すことに全く躊躇がない。外国語上達の秘訣は結局は積極性であるということだろう。外界と隔絶された島国日本と、常に人の流動がある大陸における人々の気質の違いを感じざるを得ない。

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左:マシュハドの市役所 右:夕刻の市街地。ネオンがまぶしいのはほかのイランの都市と同じ

夕刻になったがやはり時間が有り余っているのでマシュハド駅へは徒歩で向かう。治安はよいので特に心配はない。マシュハド駅はとても立派な駅で、下手をすると下手な地方の空港よりも立派だ。

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左:マシュハド駅外観 右:駅は多くの人でにぎわっている

駅は電車の発車を待つ人であふれている。駅にある売店で飲み物や夕食を買い込んだ。隣に座っていたおじいさんに何時の電車に乗るのかと聞かれたので、覚えたてのペルシャ語で答えてみる。するとペルシャ語ができるのかと聞かれたので、ほんの少しだけ、と答えた。

外国語の学習はどんなに簡単といわれる言語であっても長い道のりで、決して容易ではない。現地の人々の言葉を少しでも覚え、コミュニケーションをとろうとすることが、その土地に暮らす人々への敬意につながるのではないかなどとなんとなく思っている。

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列車の一覧が掲載された掲示板。ザンジャーン行きの1本を除き、すべてテヘラン行きだ。我々は21:15発に乗る

定刻に近くなったのでゲートに向かう。駅はまるで空港のようにセキュリティーチェックが厳重で、チケットと一緒にパスポートもチェックされる。先頭車両で写真を撮影するほどの時間的精神的余裕はさすがになかった。

我々の席は二等寝台で、少し古びた電車に乗り込むと老夫婦と同じ部屋であった。途中謎のオッサンに「席をかわらないか」と言われたが老夫婦が追い払ってくれた。まあ、イランの人々はこのように思ったことを好き放題言っては来るものの、だからと言ってそこまでごり押しはしてこないのがいいところだ。大陸的な積極性の中にどこかプライドとひかえめさがある。

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左:テレビが備え付けられた社内。同じ部屋になったおじいさん 右:寝台を広げた様子

部屋にはテレビが備え付けられており、謎のイラン映画が流されていた。イラン人がアメリカに行くが文化の違いから様々な苦労をするという、皮肉とエスプリのきいた映画でなかなか面白かった。私より友人にウケたようである。マシュハドから出ると電車は市街を巻くようにしておおきくカーブし、次第に町明かりのない暗闇に移行していく。消灯し、車両の振動に揺られながらぐっすり寝た。