Le Chèvrefeuille

世界は遊覧、思い出の場所であり、われらは去りゆく者

イラン旅行(9)2016.2.27 トルコ人たちのイラン

2016/2/27

終日タブリーズ観光

タブリーズ・インターナショナルホテル宿泊

 

この日は終日タブリーズを観光する。

タブリーズの名所といえば、なんといっても規模の大きなバーザールだろう。このバーザールの歴史は1000年以上前にさかのぼるとされ、現在の建物の原型は15世紀ごろに成立したのだという。15世紀といえば黒羊朝(カラ・コユンル)やティムールによる占領、白羊朝(アク・コユンル)の時代であり、白羊朝の首都はタブリーズに置かれていたというから、そのくらいの時代に作られたものということだろう。

タブリーズ・インターナショナルホテルは中心市街から少し外れているので、BRTを利用して市街にアクセスすることになる。BRTはイランの乗り物の常で、男女別々の車両に分けられている。ホテルから10分程度の乗車で、ほどなくバーザールやモスクのある中心市街である。空の色はシーラーズやヤズドといった南部の都市のそれよりも少しくすんだ青色をしていて、どこか控えめな感じがする。気のせいかと思っていたが、写真を振り返ってもやはりシーラーズの空はタブリーズに比べ抜けるような青色をしている。緯度の問題だろうが、こういう細かいが確実な違いは町並みへの印象に少なからぬ相違を与えている。

f:id:le_muguet:20210429233102j:plain
f:id:le_muguet:20210429232956j:plain
左:タブリーズのBRT 右:市街地の時計台

市街地ではよく居るニセ両替おじさんの誘いを無視して、両替屋に向かる。Sephehr Exchangeというところで、レートは100ドル=345万リヤル程度とシーラーズに迫る良いレートであった。町並みは特段に伝統的なスタイルというわけでもないのかもしれないが、くすんだレンガでできた高さの揃った家屋と、落葉した並木の色が調和して美しい町並みを作り出している。

f:id:le_muguet:20210429233248j:plain
f:id:le_muguet:20210429233324j:plain
美しい中心市街の町並み

f:id:le_muguet:20210430000313j:plain


両替屋の近くにある構造物はアルゲ・タブリーズという城塞の遺構で、14世紀のイルハン朝(フレグ・ウルス)時代に建てられたものだという。タブリーズ一帯は地震が多い地域であり、この城塞の遺構も一部しか残っていない。装飾にも乏しく、なんだかちょっと寂しげだ。

f:id:le_muguet:20210429233737j:plain

寂しげにたたずむアルゲ・タブリーズ

バーザールのお店が開くにはちょっと時間が早いと考えたので、この町の最も大きなモスク、マスジェデ・キャブ―ドに向かう。外から見るとレンガ色をした2つの形の異なるドームが並んでいるのが印象的だ。5万リヤルを支払って構内に入る。

f:id:le_muguet:20210429234105j:plain
f:id:le_muguet:20210429234138j:plain
左:マスジェデ・キャブ―ドと詩人ハーガーニーの像 右:モスク構内

このモスクは15世紀、先述の黒羊朝(カラ・コユンル)のスルタン、ジャハーン・シャーの時代に建てられたものだという。今土色をしたドームも、かつては美しいブルーの装飾タイルでおおわれていたらしいが、度重なる地震で装飾は大きな損傷を受けたそうだ。エイヴァーンや外壁の一部に装飾タイルが残っており、地震ではがれ落ちたタイルの一部が展示されている。

f:id:le_muguet:20210429234539j:plain

露出した漆喰が痛々しいエイヴァーン

モスク内部の装飾は修復中のようで、床には工事現場のような緑色のシートが敷かれている。やはりオリジナルの装飾タイルが残存しているのはごく一部にとどまるものの、その8本の大きな柱で区画された大ドームは大変特徴的な構造をしている。修復のためと思われる、仮塗りされてまだタイルが埋め込まれていない装飾が認められ、もとの美しい姿が偲ばれる。

f:id:le_muguet:20210429235240j:plain

f:id:le_muguet:20210429235128j:plain

大ドーム内部の装飾。一部にオリジナルが残る

上の写真の明るい部屋のほうに向かうと、こちらには地震で落ちてしまったタイルの一部が展示されている。振り返ると今まで見たこともないような濃い青の6角形タイルで装飾されている部分が残る。かつて完全に装飾がなされていたころには、この部屋にいるとさぞかしコバルトガラスの瓶の底に沈められたような気持ちになったに違いない。

f:id:le_muguet:20210429235549j:plain
f:id:le_muguet:20210429235510j:plain
左:濃い青のタイルの装飾が残る 右:地震で落ちてしまった装飾タイル

モスクをあとにする。バーザールに向かう途中で、若者の集団に声をかけられた。このあたりの大学の大学生だという。そのうちの一人、オードリー・ヘプバーン似の美人な女性が私のところに寄ってきて、「私もラインやってるの!ライン交換しましょう!」とか「ガールフレンドはいないの?私と結婚しましょう!」などと適当なことを言ってくる。いや、あまりに日本にいる奥ゆかしい()女性たちとは異なることをいってくるもんだから真意がつかめない。同行する友人も別の女性に絡まれていた。この国の人々は本当に他人に話しかけることに躊躇がないし、女性はとても積極的なイメージがある。いつも男性のアプローチを待っている日本人女性は少し見習っていただきたい…とかいうとたぶんフェ●ニ●トがこのブログを発見したときに発狂するだろうからやめておく。この大学生集団と記念撮影させてもらったが、我々の映っていないほうを掲載しようと思う。

f:id:le_muguet:20210430001415j:plain

市街地で出会った学生さんたち

ここで学生さんたちとは別れて、バーザールに向かう。途中の道で「チュンチョンチャン!」と言ってきた少年が。イラン旅行のブログで、中国人を揶揄するこの「チュンチョンチャン!」のうわさを聞いてはいたのだが、実際にこれを喰らったのは初めてである。外交上は友好関係を保っているものの、実際のところ例の国に対するイラン国民のイメージは決して良くないように思われる。

さて、本日の目玉、バーザールに入っていく。迷路のような建築なので入口は当然多数あるが、イランの建築の常で入口からは内部の美しさは想像できない。

f:id:le_muguet:20210430002327j:plain

バーザールに入っていく

バーザールは迷路になっており、これはほかの都市のバーザールでも同じだが、道によって扱っている商品のジャンルが異なる。このバーザールでは特に絨毯のお店が目立つ。それも観光客向けのチャラチャラしたお店ではなく、地元民向けの大きなサイズの絨毯が平積みにされていて、なかなか壮観だ。狭い道を歩いていると急に開けた天井の高いところに出たり、ちょっとした庭のような場所に出たりして、そぞろ歩きはなかなかに楽しい。空から見たらこのバーザール全体の建築はいったいどうなっているのか気になるところだ。リアカーを引いた老人が「Ya Allah!Ya Allah!(どいたどいた!)」と言いながら突き進んでいく姿にも風情が感じられる。

f:id:le_muguet:20210430002856j:plain
f:id:le_muguet:20210430003057j:plain
バーザールの風景。左の写真に映っているような絵の描かれた絨毯が多く売られている

f:id:le_muguet:20210430003742j:plain

宝飾系を扱うエリア

f:id:le_muguet:20210430003139j:plain

広い空間に出る。この周辺では絨毯を扱う店が多い

質素ではあるが様式美を感じられる建築であり、迷うのが楽しい。少し歩き疲れたので開けたところで休んでいたところ、謎のおじさんが出現してポーズを取り始めたので、しっかりと写真を撮らせていただいた。

f:id:le_muguet:20210430002951j:plain

謎のおじさん

先述したようにこのバーザール、規模は大きいがおそらくすべて地元民向けであり、観光客向けのミーナ・カーリーを売っている店は皆無に等しい。金属加工品を売る店もわずかだ。これは観光客が少ないというのもあるが、後述するように民族の違いによる文化の相違によるところもあるかもしれない(推測でしかないが)。

お昼の時間になったため、いったんバーザールを離れてレストランに向かう。レストランはエマーム・ホメイニー通り沿いにある適当なお店に入った。地下への入口を入るとそこには広いお店の空間が広がっている。英語メニューもあった。メニューがありすぎて何を頼んだのかあまり記憶がないのだが、店はすいており、個人ガイドとともに入店したフランス人女性くらいしかほかの客はいなかった。

適当に街を散策することにする。先ほど訪れたマスジェデ・キャブ―ドに隣接して公園があり、そちらで一休み。するとこちらでも地元の学生が話しかけてきた。どこからともなくお茶が出される。彼曰く、「我々はトルコ人」だという。トルコ人ペルシャ人の違いは、彼ら的には顔でわかるらしい。最初は何を言っているのかよくわからなかったが、調べてみると興味深いことがわかってきた。

現在のイランの領土のうち、北東部のアルダビールやタブリーズでは住民の多くがトルコ系のアゼリー(つまりアゼルバイジャン人と同じ)である。アゼルバイジャンもかつてはイランの領土であり、ガージャール朝時代にロシアとの戦争に敗北しゴレスターン条約にてこの領域を失ってしまうが、住民的にはアゼルバイジャンと同じ系統というわけだ。イランというのはペルシャ人の国家ではなく、ペルシャ人やトルコ人、オルーミーイェ州の西のほうに多く住んでいるクルド人など多くの民族を抱える国家である。もっとも興味深いのは、多民族国家だからと言って民族対立が起きているわけでもないということである。国の最高指導者ハメネイ師はそれこそテュルク系の人である。

近代において流行った思想に国民国家とか民族自決とか言った概念があるけれども、民族で国境を分けようとするとその境目はかえって恣意的になり、今まで意識されていなかった民族意識というものが生まれ、民族内での団結は深まるがその一方で今まで意識に上ることがなかった「他民族」という概念を生み出し、無駄な争いが生じることになる。こういういい方は身もふたもないかもしれないが、宗教も民族自決国民国家の概念も、方向性は違えど人類の団結力を深める手段として発明された概念という点では共通しているが、これらの概念を維持するには共通の敵というものが必要である。すなわち団結というのは血なまぐさい争いによって担保されているわけである。本当に民族自決という概念は世界に利益をもたらしただろうか?「トルコ人の民族国家」を作った結果クルド人問題を抱えるトルコや、恣意的に奇妙な国境線が引かれたトルキスタン諸国、そして最近では民族ごとに州を分けた結果ティグレ人とアムハラ人の争いから内戦に突入したエチオピアなどを見ていると、強い疑問がわいてくるわけである。

f:id:le_muguet:20210430010753j:plain

ミナレットのある風景。これも見納めに近い

閑話休題

バーザールは大方見終わったので、ほかに特に見るものがないということもありホテルに戻る。本日はイランでの滞在の最終日ということで、ホテルのレストランでは夕食に加えノンアルコールビールを注文した。このビール、なんだかオレンジジュースのような味がして、ビールとして飲むと違和感があるが、案外おいしい。この10日間はあっという間であったように感じられ、名残惜しさとともにイランでの最後の眠りについた。