Le Chèvrefeuille

世界は遊覧、思い出の場所であり、われらは去りゆく者

イラン旅行(10) テヘラン、そして帰国

2016/2/28

9:00頃 タブリーズ空港着 

10:10 ATA航空5203便でテヘラン

11:10 テヘラン・メフラバード空港

テヘラン市内観光

17時ごろ テヘラン市を出発、エマーム・ホメイニー空港へ

22:30 カタール航空499便 ドーハへ

2/29

0:05 ドーハ・ハマド国際空港

1:15 カタール航空806便 成田へ

16:55 成田空港到着

 

この日はイラン観光の最終日である。残念ながら写真があまり残っていないので、若干淡泊な感じの記事になってしまうと思うがお許しいただきたい。

タブリーズのホテルをチェックアウトし、空港へタクシーで向かう。どんより曇った天気だ。タブリーズ空港の待合室は広く、開放的な雰囲気。

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左:タブリーズ空港は開放的な雰囲気 右:ATA航空の飛行機

 メフラバード空港に到着。やはりどんよりと曇っている。空港に並んでいるタクシーを拾い、まずは空港から一番近い観光地であるアーザーディータワーにまず向かうことにする。例によってタクシーが何台か並んでいたが、吹っかけてくる人もいたので一番良心的なタクシーを地元女性客とシェアすることにした。

アーザーディータワーは1971年、ペルシア建国2500年を記念して建てられた。イラン革命がおこる前の1971年のこと、パフレヴィ―朝時代のことである。当時は大変に先進的な建築であったに違いなく、おそらく親欧米政策を採っていたため欧米からの援助もあったのだろう。塔の地下は博物館になっており、謎のミニチュアが展示されているスペースや動画を放映しているスペースなどいろいろある。しかしながらいずれもイランらしさは薄く、どこか欧米的な商業っぽさを感じる。塔の最上階は展望台になっており、六角形の形をした特徴的なエレベーターで昇っていくが、エレベーターの動きが遅くて若干怖く、そのうちワイヤーが切れて落下するんじゃないかと思った。最上階の窓にはガラスなどはついておらず、展望台を吹き抜ける風が強い。

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アーザーディー・タワー
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左:地下の博物館への入口 右:最上階の展望台

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展望台からテヘランの市街が一望できる


 展望台から見る市街は高層ビルなどほとんど見えず、古いアパートや建物が目立つ。長期にわたる経済制裁で国が疲弊しているのだろう。またテヘランは大気汚染がひどい都市としても有名であり、本来市街の奥に見えるはずの山脈はかすんでほとんど見えない。

アーザーディー・タワーからはタクシーを拾い、ひとまずテヘラン駅に向かう。駅の有人ロッカーに我々の荷物を預け、今度はBRTに乗ってイラン考古学博物館へ。ここの博物館、構えは大変立派だし、地球の歩き方には大変大きなページを割いて取り上げられていたので楽しみにしていたのだけれども、中に入ってみると案外狭く、展示も羅列的で極めて淡泊と言わざるを得ず、かなりがっかりスポットであった。物事を博物学的に羅列するのが得意な欧米人とは違い、ペルシャの人々には珍しいものを蒐集して系統的に並べるという習性がないのだろう。かつてサーサーン朝と東ローマ帝国が抗争していた時代、ゾロアスター教より体系的にまとめられたキリスト教に信者が流れ、それがサーサーン朝弱体化の一因になったといわれている。体系化、系統化は欧米人のお家芸ということか。展示物そのものだけではなく、見せ方も博物館における大事な要素であることを実感させられる。まあ、イランにはまるで屋外博物館のような遺跡や建築がたくさんあるので、こういう生きたものに触れに行ったほうがよほど良いと思われる。

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門構えの立派なイラン考古学博物館
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博物館の部屋は簡素で、展示も淡泊

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こちらはチョーガ・ザンビールというジッグラトからの発掘物。かなり価値があるものらしいが、とてもそうは見えない。

博物館を出て、何をしたのか正直あまり覚えていないのだけど、イラン、特にテヘランは信号がろくに整備されていないので、横断歩道を渡る際は車の途切れたスキを見て渡らなければならない。交通量も多いので横断は命がけである。横断歩道一つ渡るのに命を懸けるなんて大変な国であるなあ。正直大都会の街歩きは風情がないのであまり好きではないし、10日異国に滞在して疲労が隠せない我々は早めに荷物を回収して空港に向かってしまうことにした。

なお、一応備忘録的に書き残しておくが、テヘランのバーザールはかなりゴミゴミしていて、雰囲気も地方都市のバーザールと違って趣が乏しくごちゃごちゃしており、あまり雰囲気がよろしくなかった。確実に歩いた記憶はあるのだが、訪れたのは2月26日か28日かの記憶がまったくない。しかし、東へ向かうBRTに乗ったのちにバーザールを訪れたような気がするのと、バーザールはゴレスターン宮殿に隣接しているので、ひょっとしたら26日にバーザールを訪れてからゴレスターン宮殿を訪れたのかもしれない。(すると(8)の記事は一部に間違いがあることになる。)そしてそのBRTであるが、専用線にバイクや車が入り込んでいて専用線の意味をなしていなかった。まあ、覚えてないということはあまり印象に残っていないということなんだろう。

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イランの市街地ももう見納めと思うと感慨深いが、都会でどうも落ち着かない

BRTで駅まで戻り、駅前で待機しているタクシーでエマーム・ホメイニー空港に向かう。市街地から空港まではかなり距離があり、1時間ほど走る。50万リヤルほどであった。空港でもあまりにも時間が余っているのでダラダラして時間をつぶし、夕食はアメリカ風ファストフード店で済ませた。空港のおみやげ売り場ではイランの代表的なミーナ・カーリーやガラム・カールなどのお土産品を売っているが高価だし、種類も少ない。友人はホメイニー師の顔写真マグネットを買ってニヤニヤしていた。売店で買ったペットボトル入りのザクロジュースは不思議な味がした。

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人の少ない空港内で時間をつぶす

イランでの10日間はあっという間に過ぎていった。前半の3都市での濃密な体験と比較すると、後半は都会が多かったということもありなんだか淡泊な体験であったようにも思われるものの、それでもかなり濃厚な体験だった。カタール航空にてドーハへ。ドーハからはわずかな乗り換え時間で日本に向かう。帰りの飛行機は比較的すいており、ゆっくりと過ごせた。

成田空港からはお決まりのスカイライナーで上野へ。上野でこれから間髪入れずオーストラリアに向かうという友人と別れて帰宅した。あまりにも強烈な文化的体験をしたせいか、それとも緊張の糸がほどけたせいかはわからないが、帰宅後数日間発熱で寝込んでいた。