Le Chèvrefeuille

世界は遊覧、思い出の場所であり、われらは去りゆく者

تغيير

再び表題をアラビア語にしてみた。

تغيير(taghiir)

これはغيّر(変える)の動名詞形で、変化という意味。

同じく変化という単語にはتغيُّرというものもあるが、こちらはتغيّر(変わる)という意味の動名詞なので、どちらかというと自動詞的な意味が強い。表題のتغييرはより主体的なchangeというわけだ。

 

まあそんなことはどうでも良い。

 

何度も繰り返し書いているから読者の皆様はきっとうんざりされていることとは思うが、小中高とあまりいい目を見て生きてこなかったので、かつての自分から抜け出したいという意思は昔からあった。小心者で実行力もなくコミュ力も低く、人をまとめる能力がない。器用貧乏で意思が弱く飽き性で何事も続かない。協調性や社会的貢献に対する興味に至っては皆無である(まあ後者の二つはもうDNAレベルで刻み込まれていて、実際社会貢献やボランティア活動などお世辞にも全く興味がないので別にいいのだが…社会貢献大好き系の方々からは到底理解されないだろう。)

不本意な形ではあったが大学受験という大きな関門をくぐり抜けたあと、私には何も残っていなかった。あの頃の自分は荒れ果てた平原のようだった。当時の様子を知人から聞くに、周囲の人間からは明らかに浮いて呆然としていたらしい。そのころの自分の写真を見てみると確かに笑顔がなく暗い顔をしていてウケる。

 

その頃の自分は、ただ何も考えずに山ばかり登っていた。某大学某学部では体育会系の部活に入り、体育会系の上位下達の精神を涵養することが当然の流れとなっていたが、残念ながら私の気質には合うはずもなく、当然の如く去る羽目になった。特に個々人に対して恨みがあったわけではない。部活よりもやりたいことがたくさんあったし、部活動という因循姑息なシステム、それを変えることよりも従順であることを要求する空気に息苦しさを感じた。(その部活を紹介してくれた友人にはちょっと申し訳ないくらい辛辣な言い方になってしまっているが…すみません)。その頃の自分にとってはそれもまた大きな決断だったと思う。下界では冷たい人々に愛想笑いをして生きていかなければならないが、山に行けば美しい森林や高山植物、動物がいつも出迎えてくれる。悪天候や災害はどんな人に対しても平等に訪れ、人を地位や好みで差別することもない。厳しい自然を好む人々は心が優しくおおらかで、一人で山に乗り込み、山で出会った人々と話すことが私の救いだった。

 

大学4年生の頃、北アルプスを1週間で縦走するという計画を実行に移していた私は、とある人に出会うことになる。よく引き締まった壮年の男性。なんと自分と同じ大学出身であった。大変気前の良い彼はなんと北アルプスの登山口から私を東京まで車で送迎してくださった。当時の自分は受験の失敗から回復しきっておらず、「自分の人生はどん底ですよ」ということを自嘲気味に話したように思う。その時の彼の言葉は、「今がどん底ならこれから良くなるしかないと思えばいい」だったはずだ。暗闇でうずくまっていた自分の心に、その瞬間圧倒的な光明が差したことをよく覚えている。人のせいにはしたくないが、私の家族は某学部に子供を入れるという選択が正しかったことを主張するばかりで、モウロ将軍に対するムスカの言葉ではないが、心底うんざりさせられていた(親の名誉のためにも、その主張は必ずしも間違ってはいないこと、そして身近な人のアドバイスほど案外心に響きにくいことは断っておきたいが)ので、彼の発想は自分にとって革命以外のなにものでもなかったのだ。そうだ。今の自分は戦争後の焼け野原。これから自分の思い描く未来を作っていくんだ。何もないのだから、何でも作れる。そう思った。彼と別れ際に交わした握手、その手の大きさがよく記憶に残っている。この人には感謝しきれないくらい、今でも感謝している。

 

ようやく光が差した大地でふと考えたのは、「自分は何がしたかったのか」だった。周囲に流され、周りのご機嫌を取るためにしたこの選択が、自己肯定感を満たすことは1mmもなかった。今自分がここにいるのは親が自分に残した教育という遺産のお陰である。そこに自分の意思・オリジナリティはない。その遺産を自分の考えた方法で活用し運用していくことによって初めて自分自身の人生ということができるはずだ。言うならば今の自分は親の遺産を食い潰して生きているだけの状態。このままではいけない。変化しなくてはならない。自分のやりたいこと。自分のすべきことは何か。このままレールの上を走っていていいわけがないと思った。何かオリジナリティのあることをやりたい。そしてかつての失敗の損失分を埋めて、より優れた人間となりたいと思った。そこでふと思ったのが語学だった。今まで〇〇語をやりたいという大学生特有の希望的観測で物事を語りながらも、それを実行に移すことは決してなかった。私には努力の才能が欠如していたからだ。しかし自分を変化させるためには、そういう根本的な悪癖を完膚なきまでに破壊し、粉砕し、上書きしなければならない。正直語学というのは昔からあまり得意ではなかったが、毎日何らかの形で継続することに力を注いだ。今やフランス語なら会話の練習が圧倒的に不足しているがまあできると言っても差し支えない程度にはできるし、アラビア語の方もお陰様で苦労しつつもニュースが読める程度にはなっている。ロシア語の文法も格変化に悩まされながらも一通りは理解した。自分がここまでできるとは、思っていなかった。振り返ると普通に某学部に入ったら順当に進むであろう道を走っている人とはかなり違うポジションに自分がいるような気がして、まるで自転車で登ってきた峠を振り返るような、少しばかりの達成感がある。かつての荒野にも少しは植物が生い茂っているのかもしれない。

しかし、まだ語学を身につけたと言っても、所詮はまだ趣味レベルの域を抜け出せていないかもしれない。語学は手段であって、大事なのはそれを用いて何を成すか、である。自分はまだその段階には達していない。〇〇語は〇〇などと無教養な人間に自慢げに説いている自称教養人がいるが、そんなものは何の意味もない。自分がその言語が扱えないことに対する負け惜しみのようなものだ。何を成すべきか。何ができるか。そもそも本当にできるのか。それは私にもわからない。自身を過小評価しすぎなのかもしれないが、かつて過大評価しすぎて必要な努力を怠り、痛い失敗をした経験から、そう自分の能力を高く見積もることはできそうもない。しかし、フランス語に至ってはもう6年ほど続けている計算になるので、そろそろ何かを成すべき時に来ているのではないか。何をなすべきか、そしてそのために必要なパズルのピースが揃っているかを、今は検討すべき時な気がする。

 

きっと昔の自分から何一つ変わってないことはたくさんあるだろう。最初に挙げた悪癖のうち半分くらいはおそらく治っていない。そもそもこの文章に漂う過去志向自体、昔から何一つ変わっていないような気もする。旧知の人に久しぶりにあったときに「相変わらずだ」と言われるのは正直辛い。しかし自分の歩みが自分自身の人生を変化させる可能性に、今は賭けてみたいと思っている。