Le Chèvrefeuille

世界は遊覧、思い出の場所であり、われらは去りゆく者

ウズベキスタン旅行(0) プロローグ

中央アジアの国、ウズベキスタンは、最近でこそ(といってもコロナ禍の前のことではあるが)インスタ映え(笑)的な旅行で女性に人気が出てきたものの、観光地としてはやはりマイナーな部類に入る国である。

過去にイランを旅行した際、ウズベキスタンもよいかもしれないと思っていたが、サマルカンドの有名なマドラサのエイヴァーンに描かれたモンゴル人風の顔がなんだかシュールで、イスラーム美術としては明らかに異端で洗練に欠けるという印象を受けた。その上、イランの建築美術のすばらしさ、人々のやさしさ、町を流れる音楽、そういった情感があまりにも忘れがたいものであったため、イラン旅行を超える体験はできないのではないかと思い、海外旅行への意欲が虚脱していた。しかしそれから3年も経つとかつての記憶も薄れ、イランとはまた微妙に異なった手作り感のある趣の青いタイルで装飾されたウズベキスタンの建築群もまた、魅力的に見えてくるようになるものである。

海外旅行というのは海外の生活にお邪魔させていただき、少しだけその雰囲気を体験させてもらう、そういったものであると思っている。限られた時間でより深い体験をするには、事前にその国の文化や歴史を紐解くことが肝要だと思っている。もちろんただ美しいとか、○○ヵ国に旅行したとか、インスタ映えとか、そういうこともモチベーションとしては大切なのかもしれないが、やはりそれだけでは30近くになった人間のやることとしては奥行きに欠ける。

かつては世界史になどみじんも興味がなかったが、地球の歩き方をはじめとした海外旅行のガイドブックを開くと、有名な遺跡にはたいてい由緒がある。ピラミッドはクフ王により建てられたものだとか、ペルセポリスアレキサンダー大王に略奪されたアケメネス朝の遺跡だとか、そういうかんじのものである。単にモニュメントの歴史的由来を知るということも重要だし、歴史というのは大変示唆に富むもので、それがまた興味を引く。歴史を学ぶことで、歴史上の人物の栄枯盛衰を通して、人間のはかなくも愛しい営為を追体験することになる。古典を紐解けば、自分が何か悩みに突き当たったり、解決できそうもない問題に頭を抱えたりするときに、歴史上の人物が時を超えて語り掛けてくるような感じがして、なんだか心強くなる。そういう血の通ったあたたかさが、文系の学問にはある。点数化して人の実力を測るにはあまり向いていないかもしれないし、私も受験科目としては苦手だったし興味がなかったが、近年は文学とか歴史とかそういったものの価値を再認識しているし、こういうものが人間というものの存在に奥行きを与えていると思う。

さていつものことだが話が逸れた。ウズベキスタンというのは1990年代になって旧ソ連の一員であったウズベクソビエト社会主義共和国から独立した国であるが、この地の歴史は大変長い。

ウズベキスタンの位置する地域の通称である、マーワラーアンナフル(ما وراء النهر:アラビア語で川の向こうの意)は古くからイラン文化圏の辺縁としてイランの影響を強く受けつつ、地元のテュルク系の人々の文化がまじりあって歴史が紡がれてきた地域である。シャー・ナーメではテュルク系民族トゥーラーンとして書かれ、トゥーラーンの英雄アフロースィヤーブの名前はサマルカンドの「アフラシャブの丘」の地名に見ることができる。

ウマイヤ朝により征服されたのちは、この地にイスラームが根付いていくことになる。アッバース朝の地方政権を由来とするサーマーン朝の中心都市として発展したブハラでは、この地域の最古のイスラーム建築のひとつ、イスマーイール・サーマーニー廟をみることができる。カラハン朝、ホラズム・シャー朝の支配ののち、この地はチンギス・ハン率いるモンゴルによって著しく破壊され荒廃したという。

モンゴルの征服後、チャガタイ・ハン国の支配を経て、この地域に突如登場したのがティムールという男である。ティムールはテュルク系言語で鉄を意味するらしい。文字通り鉄の男ティムールは戦争ではほぼ全戦全勝に近い戦績を誇る圧倒的な英雄であったという。征服した地域で捉えた職人をサマルカンドに連れ帰り、そこで大規模な建築事業を行った。サマルカンドでは素晴らしい建築文化が花開き、グーリー・アミール廟をはじめとしたティムール朝時代の大規模な建造物がみられる。ティムール朝はそれほど長くは続かず、ウズベク族により征服されてしまう(ので、ティムールがウズベキスタンの英雄というのは本来?であるらしい。)

その後テュルク系王朝、もしくはイラン系王朝の支配が続いたこの地であるが、次第に強大化したロシアにより保護領化され滅亡の運命をたどることになる。現在ウズベキスタンの市街地に残るロシア風の町並みから、その強い影響を見ることができるが、ロシア人は地元の人々の住む街を破壊せず、その辺縁に新しい市街を作ることを選んだため、現在でもブハラやサマルカンドで情感あふれる古い町並みを堪能することができる。

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ブハラの町並み


 

 

実は、このウズベキスタン旅行は自分にとって初めての一人海外旅行であった。それ以外にも2019年という年はよくも悪くも自分にとって試練の年であり、それは今なお自分の人生に先の見えない影を落としている。何年も経過したのちに振り返れば解決済みか、どうでも良くなる類のものなのかもしれないが、こういうのは目に見える形で記録しておくというのが大切なように思われるので、敢えてこのような形で言及しておきたい。

そのころ聴いていたクウェートの歌姫(といってもおばさんだが)Nawal(نوال)の"قضى عمري(私の時を過ごした≒時が過ぎた の意)"を聞くと、当時の記憶や自分の考えていたこと、さまざまな感情が色鮮やかに思い出される。興味を持たれた方はネットに出ている歌詞をGoogle翻訳にでも投入してほしい。すべてが明らかになるだろう。

https://www.youtube.com/watch?v=_ry_WDr_yTI

この言葉がしかるべき人に届くことを祈る。