Le Chèvrefeuille

世界は遊覧、思い出の場所であり、われらは去りゆく者

ウズベキスタン(2) ヒヴァ

2019/10/31

7:25 タシケント空港 HY051便

8:55 ウルゲンチ空港 ヒヴァへ

終日ヒヴァ観光

オリエント・スターホテル泊

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本日は朝早くヒヴァに移動し、1日中ヒヴァを観光する日程。宿泊はヒヴァ・ハン国時代の建築をリノベーションしたホテル、オリエント・スターに宿泊する。

朝6時半ごろに送迎車でホテルに来てもらい、タシケント空港に向かう。少し肌寒く、外はまだ暗い。空港の敷地に入る際に簡単なセキュリティーチェックを受ける。がらんとした空港国内線の待合室でしばし待機。荷物検査の際にハイアットリージェンシーからもらってきたガラス瓶入りの水をリュックに入れていたのだが、検査員の人は「これくらいならいいだろ」的な雰囲気で持ち込みを許可された。平和な国だ。

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左:早朝のタシケント空港 右:待合室の様子

離陸すると、次第に景色が砂漠化していく。キジル・クム砂漠である。赤茶けた砂がさざ波のような地形を作っているのが見える。アムダリア川の流れが大地を潤しているのがよく見えるようになると、ほどなくウルゲンチに到着である。空港施設の規模はかなり小さく、それこそ日本の大東島空港のような趣である。

とても寒い。砂漠というのは朝晩は冷え込むくせに昼はかなり気温が上がる。乾燥しているので肌もガサガサになる。体調管理にはかなり気を使わなければいけない。空港のトイレはかなり汚れていて思わず顔をしかめてしまった。

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左:アムダリヤ川の流れ 右:ウルゲンチ空港に到着。風が強く、寒い

ヒヴァ市街まではトラムが敷かれているが、今回は空港からホテルまでの嬉しい送迎付きということなので、ドライバーにヒヴァの市街に連れて行ってもらう。ありがたや。車窓からは綿花の畑が広がっているのが見える。ウズベキスタンの特にこのホラズム地方は綿花の一大産地であり、国旗にも綿花があしらわれている。旧ソ連時代にアムダリヤ川の灌漑によりこの地域には大規模な綿花畑がつくられたが、その結果アムダリヤ川流入先であるアラル海は干上がり、今やほとんどなくなってしまったというのは有名な橋である。スターリンはこの大規模な灌漑計画を「自然改造」といってむしろ肯定的にとらえていたそうな。渋い話である。

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車窓からは一面に広がる綿花畑が見える

ヒヴァのイチャン・カラまではそれほど時間はかからなかった。車を降り、内城の中にあるホテルへまずは荷物を置きに行くことにする。内城の中はまるで別世界。中世のイスラム都市に紛れ込んだかのようだ。ホテルは城門の入口近くにあり、ヒヴァ・ハン国時代のムハンマド・アミン・ハン・マドラサを改装したもの。近くには有名な未完成のミナレット、カルタ・ミノルがあり、ヒヴァのシンボルになっている。なお、この城門の中に入るのにはチケットが必要。イスラーム・ホジャ・ミナレットに登ることのできるスペシャルチケットと、スタンダードチケットがある。当然のごとくスペシャルチケットを購入。高いところが好きなのである。馬鹿だけに。

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左:イチャン・カラの城門 右:城門をくぐると、そこは別世界
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左:オリエント・スターホテル内部 右:客室の様子。狭いが、それがいい

かつてのヒヴァ・ハン国の中心ヒヴァには、イチャン・カラとディシャン・カラという二重の城壁に囲まれた都市であったそうである。ディシャン・カラはすでになくなってしまったようだが、このイチャン・カラは非常に美しい状態で保存されている。かつての王宮や廟、マドラサやモスクなどが高い密度で配置されており、町全体が世界遺産。なかなか見事な様子である。文章で伝えるよりも写真のほうがよいだろうから、以下は写真を中心に街の様子を紹介していく。

チケットはパフラヴァン・マフムド廟を除いて全館共通になっている。まずはクフナアルクからお邪魔することに。

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クフナ・アルクにて。左:音楽にあわせて踊る地元の方 右:高い柱とテラス天井

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細密に描かれたアラベスク模様。微妙にゆがみがあって手作り感がある

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こちらは王の間。絢爛な装飾

このクフナアルクには展望台のような施設があるが、最初に訪れたときはその存在に気付かずスルーしてしまった。後ほど再訪したので、写真はそちらを参照。メインストリートから外れると舗装の荒い道路に至る。おそらくこれが昔の舗装のままなのだろう。民家があり、住民の日常生活を垣間見ることができる。遠くにはミナレットが美しい。

タシュハウリ宮殿に向かう。こちらはヒヴァでもっとも絢爛な装飾を誇るそうだ。二つのゾーンに分かれており、入口が異なっている。南側のエリアは儀式が行われた場所だそうだが、ユルタが設置されている。ユルタというのはモンゴル語でゲル。移動式の住居である。北側のエリアは広く、4人の正妻のための寝室がある。それぞれの寝室前の天井装飾は4つの部屋それぞれで異なっており興味深い。

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ユルタの設置された広場

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こちらは正妻の寝室があるエリア。がらんとしている
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寝室前の天井装飾がみごと。4つの部屋ごとに装飾は異なる

イランの宮殿のような華美さ、絢爛さはないものの、質実剛健さ、素朴さ、力強さが感じられる装飾はもとは遊牧民であったウズベク人の気質に由来するものだろうか。装飾もそこはかとなくシノワズリな風味があり、やはりここはシルクロードを通して中国の影響が少なからずあったのだろうと思われる。

次はメインストリートに戻り、ジュマモスクに向かう。高いがやや質素なミナレット、そしてなんといってもたくさんの柱が立ち並ぶ光景が印象的だ。柱のうち何本かは、10-11世紀のものだという。

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左:ジュマモスクのミナレット 右:柱の間

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古い木の質感が落ち着いた雰囲気を醸し出している

少し歩き疲れてきたのでお昼休憩。地球の歩き方には何個かレストランが載っているが、ホテルのフロントの方おすすめのレストラン、「ミルザボシ」に向かう。格子状の窓でおおわれた開放的な雰囲気が印象的のレストランで、緑色の麺が特徴的な「シュヴィト・オシュ」を注文した。麺の上に挽肉やイモがのっており、ヨーグルト(!)をつけていただく。ヨーグルトは日本で食べるもののような甘みがなく、酸味が印象的だった。あまり日本では食べない味だがそりゃそうか。これはこれで面白い。

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左:レストラン・ミルザボシ 右:シュヴィト・オシュ。緑色の麺

 レストランをあとにして、レストラン奥の通りを南に進んでいく。スザニセンターといって地元の名産スザニを売っているところや、ホラズミの家博物館と称する古い建築が並んでいる。

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ホラズミの家博物館?簾越しにパフラヴァン・マフムド廟のドームが見える

左に折れると正面にイスラーム・ホジャ・ミナレットが美しくそびえている。通りの右側には大きなマドラサ、左側にはお目当てのパフラヴァン・マフムド廟が見える。

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イスラーム・ホジャ・ミナレット

パフラヴァン・マフムド廟は先述の通りヒヴァの共通入場券とは別のチケットが必要となる。6000スムと記憶している。廟内ではクルアーンを美しく読み上げる係員がおり、東南アジアから訪れたと思われる女性たちが祈りをささげていた。内装は繊細なタイルアートが非常に美しく必見である。

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左:大ドーム天井の装飾 右:右手に続く部屋にも棺が置かれている

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繊細で美しいタイルアート

次はさきほど正面に見えていたイスラーム・ホジャ・ミナレットに登ることにする。イスラーム・ホジャはヒヴァ最後のハンに仕えた大臣で、非常に進歩的な人でロシアを訪れて得た知識を生かして近代化を進めたという。しかしながら人気が出たためハンの怒りを買い、生き埋めにされたそうだ。その後ヒヴァ・ハン国はロシアに併合されることになる。出る杭は打たれるというが、悲しい話である。

ミナレットに登る入口付近からタイルアートを間近に見ることができるが、よくみると手作り感にあふれていることがわかる。近くで見ると丁寧どころか雑にすら感じるものだが、それが何枚も並べられることで統一感のある美しいパターンを生み出している。イランのモスクであればこれらの模様はおそらくすべてモザイクで表現されるだろう。やはり繊細というよりは(十分繊細ではあるのだが)力強さが感じられる建築美術である。

らせん状の階段を登っていく。ミナレットは基本的に石造りだが、天井は木の梁によって支えられている。木が朽ちたらいったいどうなってしまうのだろう。ミナレットの頂からは、ヒヴァの町並みが一望のもとに見渡せる。美しい緑色のドームがパフラヴァン・マフムド廟。土色の町並みが美しい。

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左:よく見ると手作り感あふれるタイルアート 右:ミナレット頂上

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ヒヴァの町並み

歩いているとイスラーム・ホジャ・マドラサの近くでスザニを売っているおばさんの熱烈なセールスを受けた。80ドルにするから買って!という。商人はイランよりも熱心なイメージがある。このおばさんのスザニは結局買わなかったけど、結論から言えばヒヴァのお土産品はブハラのそれと比較すると品質は2/3、値段は1/2程度。スザニに限ってはブハラと同程度の品質のものが半分以下の値段で買えるので、おみやげはヒヴァかブハラで買うのがおすすめ。サマルカンドはお土産品の品質はあまり高くないし、種類も少ない。

一通り内城の観光名所はめぐったので、今度はいったん内城を出て、ヌルラボイ宮殿を見ることに。こちらの宮殿も内城とは別の入場料を支払う。20世紀初めに商人の寄進により建てられたとのことだ。

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左:内城の外観 右:ヌルラボイ宮殿

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宮殿の内装は豪華絢爛で、やや西欧的

ホテルに戻ってしばし休むことにする。

イチャン・カラでは地元アーティストの陽気な音楽が流れている。アコーディオンのような音色の楽器を使った味わいのあるメロディが印象的だ。音楽を流している露店の青年にアーティストの名前を聞いてみた。Dilmurod Sultonovというらしい。興味がある方はぜひ聴いてみてください。

夕暮れ時の景色が見事とガイドブックにあった、クフナ・アルクにもう一度向かうことにする。入口はわかりにくいが、右手奥に屋上に向かう階段がある。登りきると内城の美しい景色を、先ほどのイスラーム・ホジャ・マドラサと違う角度から眺めることができる。

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クフナ・アルクからの夕暮れの景色

夕食はファルーフという、ジュマモスクの近くにあるチャイハナで摂ることにした。夜が近いので人はまばらだが、作り立てのプロフを味わって食べる。プロフというのはいわゆるピラフで、ウズベキスタンソウルフードである。

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プロフ

 日が暮れたのちも少し散歩をしてみることにした。カルタ・ミノルをはじめ多くの施設がライトアップされており、夜の景色も大変美しい。

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ライトアップされるカルタ・ミノル

明日は送迎車でブハラに移動する。6時間ほど車に乗り続けるという過酷な日程である。ヒヴァは大変美しい町なので、もう一日滞在してもよかったかもしれないと思った。