Le Chèvrefeuille

世界は遊覧、思い出の場所であり、われらは去りゆく者

八丈島・青ヶ島(5) エピローグ

Вчера было холодно. Сегодня прохладно. Но завтра будет тепло. Это как жизнь.

(昨日は寒かった。今日は肌寒い。でも明日は暖かくなる。人生みたいだね。)

 

(0)で引用したまいにちロシア語の文章には、実は続きがある。

最初の引用は、主人公のТокиваは人生がうまくいかなかった時のメール。

数年後、彼女は人生の苦難から抜け出し、かつてロシア留学時代の友人であったНикитаにメールを送る。その返答の一部がこれである。

 

どれほど苦しい時期も、耐えれば少しずつ状況が改善していくかもしれないし、新しい景色が見えてくるかもしれない。まあ、耐えるのは言うのは簡単だけど実際に困難な状況を耐え抜くのは難しいし、耐えている間に心を病んだり屈折してしまったりする人も多いだろう。それでも、困難に自分の力で耐えて、足掻くことで本当に大切なものが見えてくる気がする。それはまるで雲があるからこそ景色が美しく見えるのと同じようなことだ。

 

濃い緑の香り。高い湿度。強い風。そして、道路のはるか下に広がる青い海。

4年前に青ヶ島を訪れ、その体験をきっかけに様々な島を旅したけれども、結局は地形、自然、文化の特異さにおいてこの島を上回る場所を、私は日本国内に見つけることができなかった。そして結局この島に戻ってきた。この不思議な火山島は、かつてと変わらないような驚きと感動をもたらしてくれた。この風土は心身に良い。そして以前は1日のみの滞在であまり深い観光ができなかったが、焼酎作りやこの島に常について回る港湾問題などについても、以前より深く知ることができたと思う。先の見えない苦難に沈んでいた自分自身の問題も、島の四方に広がる大海原に比べれば大変ちっぽけなものに思え、なんだかどうでも良くなってきた。そんな力が、この島にはある。

 

所詮私は大海原に浮かぶ小さな藻屑である。流れに抗って底に杭を打ち、その杭が朽ち果てるまで動かないように生きるのが私の人生などとかつては豪語していたけれども、そんなこだわりもただの若気の至りにすぎず、もはやどうでも良いものなのかもしれない。本当に大切なものは砂金のように、流れに流された結果残るものなのだろうと最近は思っている。

 

青ヶ島にはまたいつか必ず訪れる気がする。

そしてその時は今よりも一回り、人として成長していることを願いたい。そのためにも前を向いて進もうと思う。「倒れるなら、手をつくなら、前だって決めたんだ」とね。