Le Chèvrefeuille

世界は遊覧、思い出の場所であり、われらは去りゆく者

ウズベキスタン(6) 雪の峠道

11/4

8:30頃 ホテル・ビビハニムより、タクシーにて移動

10:00頃 シャフリサブズ着

シャフリサブズ観光

11:30頃 シャフリサブズ発

12:30頃 サマルカンド着、徒歩でウルグベク天文台

その後終日サマルカンド市街観光

 

長く更新が滞ってしまい申し訳ない。最近はなかなかゆっくりとパソコンに向かう時間もなく、ブログを書くのが億劫となってしまっていた。記事執筆の順番が前後していることは承知している。しかしながら記憶が消えないうちに、ウズベキスタン旅行の中で個人的にもっとも印象深かったこの日の記録をまとめておきたいと思った。

もっとも、この記事の公開が遅れたのはそれが唯一の理由ではない。あのウズベキスタンの旅から今まで、私もこの日と同じように、先の見えない雪嵐の峠道を彷徨い続けてきた。あれから3年して長い嵐は去り、空を覆っていた厚い雲は徐々に割れて鮮やかな青い空が広がり、太陽の輝きが差し込んできた。それはこの日の記憶を、記事として完成させ、公開するにふさわしい時機がようやく来たことを意味するのだろうと思う。

 

朝起きて自室の外へ出ると、ホテルの廊下や植物が雨で濡れている。昨日の暖かさとは打って変わり、空気が冷え切っていた。ネットで天気図を見ると寒気が入り込み、昨日からは大幅に気温が下がるという。昨日まで最高気温20度ほどであったのに、本日は最高気温が8度、最低気温は-3度である。ここまで気温が下がるとは正直予想していなかった。大陸の天気を舐めていた。防寒着はフリースとその上に羽織るスポーツウェアのようなカットソーしかなく、とても冬装備とは言えない。寒さで肌が痛い。

さて、ホテルのフロントのおじさん2人のうちノリが軽く優しそうなオッサンに話しかけて、シャフリサブズまでエクスカーションに行きたいので、タクシーを呼んでもらえないかを聞いてみる。近場に乗り合いタクシー発着所があるらしいが、乗り合いで他人と話すのがどうにも億劫だし、今日は静かに旅をしたい気持ちだ。

ホテルのおじさんが多くのタクシー会社に連絡してれたようだが、なかなか法外な値段を提示してくるようだ。寒い中ホテルのフロントの人が話すウズベク語がBGMのようだ。ようやく値段が決まり、6万スムを提示してきた。日本円で2000円弱。5万スム程度と本に書いてあったのでやや高い気はするが、まあいいだろう。

ブドウの枝が垂れ下がるホテルのフロントでしばらく待っていると、裏手の道に案内された。本日のお迎えのタクシーである。スキンヘッドで若干不良感があるが、人は良さそうだ。握手をしてタクシーに乗り込む。

タクシーの中は、大音量で音楽がかかっていた。洋楽やロシア語、ウズベク語などの曲がかかっている。これですよこれ。やっぱりタクシーで地元のドライバーがかける音楽をBGMに、過ぎ去る見慣れない景色を眺めるのは海外旅行の醍醐味のひとつである。

タクシーは次第にサマルカンドの市街地を離れ、景色はブドウ畑や紅葉の美しい谷間に変わっていく。時には牛を連れて歩いている遊牧民と思われる人々が道路を歩いていくのが見える。そんな人の気配も次第に疎らになり、左右に曲がりくねった山道となってくる。すでにタクシーは霧の中で、あたりはただ露出した岩肌が見えるだけの、荒涼とした世界である。峠は晴れた日には大変景色がよく、峠の茶屋(この言い方も幾分日本的だが)でいただくシャシリクが名物であるらしいが、この天気ではそんなものは見る影もない。

 

タクシーは荒れた道をただただ突き進んでいく。次第に積雪が現れ、道はすでに真っ白である。昨日通過した寒気で、標高が高い峠は雪になっていたのか。車内はすでにかなり冷えており、とても寒い。タクシードライバーがかける音楽は重低音とトライアングルの硬質な金属音が無機質に規則的なビートを奏で、冷えた私の心を無感情に鞭打ちつづける。呻き声のように呟かれる歌詞は、私の魂の叫びのようにも感じられた。シャーベット状になった道の雪に脇目を振ることもなく、霧に包まれた参道をひたすらに突き進んでいく様子は、まるでその後自分を数年にわたって苦しめることになる困難を、予見させるかのようであった。

 

峠を越え、山道がゆっくりと穏やかになっていくと、次第に緑が増えてくる。シャフリサブズ、ペルシャ語で緑の都の意味である。にぎやかになってきた市街地には大きな城壁があり、ここの付近でタクシーが止まった。アクサライ宮殿や、モスクなどの建造物群を案内してくれるのだという。

アクサライ宮殿。白い宮殿の意



アクサライ宮殿は青いタイルで美しく装飾された廃墟である。なぜこんなものがこんなところにあるかを簡単に説明すると、シャフリサブズはティムールの故郷であり、故郷に壮麗な宮殿を建てたかったが、完成を見ることなく彼は亡くなってしまったようである。最終更新がだいぶ前になってしまったのですでにティムールについて詳しく書いたのかは忘れてしまったのだけど、とにかくこのウズベキスタンというのはかつてレーニンの像があったところはティムールの像で置き換えられていたりする。

かつては屋上プールなどもあるという壮大な建築であったようだが、その威容も後世のシャイバーニー朝時代に破壊されてしまい、その美しさは一部を残すのみとなってしまっている。広場には大きなティムールの像が安置されている。

この宮殿では結婚式の撮影をする多くの新郎新婦を見かける。美しい観光地で結婚式の撮影をするはシャフリサブズだけでなくウズベキスタン各地で見られる。

アクサライ宮殿のモザイクとティムール像

この宮殿跡からドルッサオダット建築群・ドルッティロバット建築群までは壮大な公園になっている。公園の横には人工的かつ無機質な建物の中にバザールが店を構えており、整然とはしているもののなんだか物寂しい。

地球の歩き方に載っていた地図とはずいぶんと区画が変わっているように見える。迷路のような入り組んだ道の見られるイスラーム特有の区画が地図に描かれており、町並み散策に期待したのだが… 伝統の息づく町並みを完膚なきまでに破壊して巨大な公園を作ってしまったことは他の方の旅行記やホームページ上でも指摘されており、一時期シャフリサブズは危機遺産となったという情報もある(かつての趣ある町並みはこちらを参照されたいhttps://yksilkroad.exblog.jp/24551502/)。一体何を期待してこんなものを作ったのか。時代錯誤的な箱モノを作って海外からの集客を期待したのか?残念ながらそんなものを追い求めている海外旅行客はウズベキスタンには来ないだろう。

左:地球の歩き方に載っていた地図、右:Google Mapに載っている地図。随分と区画が変わってしまっている

このウズベキスタンにはこの国の良さがあるはずだが、国民はその「よさ」に存外無自覚であるようだ。おそらくその背景には、この一世紀のロシア支配による、旧ソ連的な整然とした無機質なものが文明的で、ごちゃっとしたイスラーム建築は後進的である、という刷り込みがあることも想定される。伝統的な町並みを破壊して公園を作るような真似は心からやめてほしかったと思う。

日本でも最近は伝統と趣ある町並みを無造作に破壊し、再開発と称して人間の欲望丸出しのタワーマンションを建てまくることが流行っているが、それはまるで無秩序に高層ビルの建設される発展途上国の首都のようで、歴史と伝統ある日本という国には不釣り合いなほどに品性に欠ける。このウズベキスタン・シャフリサブズで起きたようなことは、すでに日本でも起きているのだと想定される。

閑話休題

近所には博物館があり、おそらく地図でアミール・ティムール博物館と言われるものだと思われる。こちらもタクシードライバーが案内してくれた。どうやら日本人女子旅組と思われる女二人組がちらちらとこちらを見ているが、旅行先で日本人と絡むのが好きでない性分なので、タクシードライバーと英語で話して中国人のふりをしてみる。こちらにはティムール朝ブハラ・ハン国時代のものと思われる展示物がいろいろと並べてあった。

ハズラティ・イマーム・モスクも程近くにあり、庭にある大木と木製の柱でできたファサードがよい味を出している。

左:ティムール博物館 右:ハズラティ・イマーム・モスク。写真を撮り忘れたが、とても趣のある場所であった

さらに広場を南進すると、ドルッティロバット建築群と呼ばれる廟の複合体に至る。こちらはウズベキスタンの象徴である青いタマネギ屋根が並んでいてかわいらしい。

入場料を払って建物の広場に入る。広場にはヒジキのようなものが干してあるが、正体は不明。こちらの広場でもしょっぱい土産物屋があるが、正直品ぞろえが悪い。廟複合体に上がらせていただき、グンバズィ・サイーダン廟へ。こちらには複数の墓石が安置されている。通路を通っていくと広い空間へ。こちらはモスクとなっている。ちょうど祈りの時間だったのか、こちらのモスクで件のタクシードライバーが祈りをささげていた。「ウズベキスタンでは、イスラームといえどもカジュアルで、人々は宗教を意識せずに暮らしている」的なふうなことがガイドブックに書いてあったけれども、それが真実なのかどうか疑わしい。むしろ表面には出ていないが、1世紀にわたるロシアの支配をへてもなお、人々はひっそりとイスラーム的な精神を守り続けているのだと思う。

天井を見上げてみると、やや劣化が進んではいるものの、水色系の色でまとめられたかわいらしい装飾が天井に施されていた。

ドルッティロバット建築群
ドルッティロバット建築群のひとつ、コク・グンバス・モスク
安置された墓石。見上げると天井の装飾が美しい。

さらに近傍にある別の建築群である、ドルッサオダット建築群に向かう。こちらも入場料を支払って入る。くすんだ色の崩れかけた建築で中の装飾も特段目立ったものはない。こちらの目玉は、シャフリサブズ出身であったティムールが「葬られるはずだった」地下の墓室である。墓石は用意されているものの、結局彼はサマルカンドに葬られたのだという。

ドルッサオダット建築群と、近くにあるティムールが「葬られるはずだった」墓室の

もと来た無機質な公園の道を戻り、壮大なアクサライ宮殿跡を背景に記念撮影をする結婚式のカップルをあとにタクシーに乗り込み、帰途に就く。

結婚式の撮影所としても人気なアクサライ宮殿跡。その壮大さがわかる

相変わらず寒いが、峠をこえたあたりで突如として霧が晴れ、青空がのぞきはじめた。相も変わらずカーブの多い道をかっ飛ばしていくが、山頂の禿げた岩山の景色、あたりの林の紅葉が美しい。遊牧民なのだろうか、家畜を連れて道を歩いていく人もいたりして、なかなか趣深い。

どれほど冷たい雪の嵐でも、心を殺してただただ前に進めばいつかは雪もやみ、霧も晴れて美しい景色が望めるものだが、冷気や雪は次第に活力や判断力を奪っていき、嵐から抜け出す前に心が折れてしまうこともある。

あの時私には何となくわかっていた。この道を選べば必ず氷雪の嵐の道を突き進むことになると。だから過去は振り返りたくなかった。自分が正しいと思いたかった。しかしながらそう思い続けるには、嵐はあまりにも長く、辛辣であった。この茨の道を選んでいなかったら、あのまま生暖かい日々を送っていたら。雪の嵐の中でそう、何度悔やんだことだろう。

嵐を耐えて見た先の青空は澄んでいた。先の見えない氷雪の先にはどこまでも透明な青い空が待っていた。嵐が去ったあとの空気はひんやりとしていて、爽快感の中にもどこか静謐さと深みを湛えているように思われた。

結局嵐を耐え忍び、その先の景色を見ることができるかは自分次第、そして運次第であった。人生というのはそういうことの繰り返しなのだろう。大切なのは謙虚であること、過去から目を背けないこと、痛みと失敗・そしてそれから得たものを決して忘れないことなのだろうと今になって思う。

雲が晴れて、美しい景色が広がった

次第に山道を抜け、緑色の畑が広がってくるとほどなくして、サマルカンド市街に到達する。タクシードライバーの方、本当にありがとうございました。

まだ昼前であるから、宿から数キロ離れた場所にあるウルグベク天文台跡に向かうことにする。人影のまばらなアフラシャブの丘(以前のブログで書いた通り、このアフラシャブはシャー・ナーメのアフロースィヤーブである)を突っ切ってひたすら歩いていくと、ようやく到達する。多くの人はタクシーや観光バスで来るようだ。入口にあるウルグベク像は地元の小学生が群がっていた。

しかしながら、空腹と寒さに耐えかね、ウルグベク天文台近くにあるレストラン、ユルドゥスで食事をすることにする。

ユルドゥスは、人はほとんどいないのだが一応開店はしているようだ。ボーイからメニューを渡されるが値段が書いておらず恐ろしいので、価格を聞きつつ温かいスープとナンを注文する。サマルカンドのナンは生地が厚くて硬く、まるでベーグルのようである。量が多かったので半分はテイクアウトさせてもらった。

ただ広いだけのアフラシャブの丘だが、チンギスハン襲来前は中心市街であったという。

ウルグベク天文台は、学問を愛したティムール朝3代目の君主、ウルグベクの治世において建設された天文台である。その観測精度は極めて高かったというが、後世にイスラム原理主義者によって破壊されてしまったとのことだ。長い間地中に埋まっていたのだが、旧ソ連の研究者によって建物の基礎と観測施設の肝となる巨大な六分儀が発見されたそうだ。現在は不思議な形をした逆アーチを有する建物の中から、その六分儀を間近に眺めることができる。

ウルグベク天文台の六分儀と、その復元模型。

天文台の広場はちょっとした高台となっており、午前中に越えてきた峠の山が、はるか遠くに望まれた。

ウルグベク天文台跡。高台からは先ほど越えてきた山並みが見える

ウルグベク像に群がる地元の子供

ウルグベク天文台をあとにし、来た道を少し戻る。

水量が多く流れのはやい川沿いに緑地があり、その近傍にダニエル廟という、ちょっとした廟がある。こちらはキリスト教の聖人ダニエルの遺骨であるようだが、100年ごとに伸びるという言い伝えがあるようだ。とても長い墓石である。

川沿いの緑地。ダニエル廟はこの近傍にある

疲れてきた足に鞭打ち、アフラシャブの丘を横切る道を戻って、ホテルに戻る。

しかし本当に冷える。ホテルは2階建ての一階の部屋であったがとても寒い。すかさず暖房をつけた。内装は木目調の天井におしゃれな装飾をほどこした壁、とてもかわいらしい。かわいいブティックホテルを探すのが、ウズベキスタン旅行の醍醐味でもあると思う。

サマルカンドの町並み。ホテル内部は落ち着いたかわいらしい色合い

もはやレストランを探す気力もないので、ホテルの食堂で夕食を注文する。食べてすこしゆっくりしたところで、夜の町並み散歩である。

この日はレギスタン広場へ。サマルカンドの象徴である。3つのモスクが隣り合い壮大な空間を形成しており、ライトアップが見事である。近くの大通りはこれぞイスラム教国という趣の電飾が施されており、とてもほっこりした。

夜のレギスタン広場