Le Chèvrefeuille

世界は遊覧、思い出の場所であり、われらは去りゆく者

オマーン(1) 巨大航空機でオマーンへ

2020/2/21

21:00 成田

23:00 EK319 成田発

2/22

6:00 ドバイ

8:20 EK862 ドバイ発

9:35 マスカット着

  アルホータ洞窟、アルハムラ、ミスファート・アル・アブリーン

  ニズワへ antique inn 泊

 

 どれほど次の旅行への期間が短くても、やはり海外旅行というのはわくわくするものだ。いったことのない異国の地の香り、気温、人々の雰囲気、建築。そういったものに思いをはせる。もちろん行ったことのない土地。当然緊張はあるものの、その緊張というのはたいてい心地よいものである。

さて、本日はエミレーツ航空の代名詞、エアバスA380に乗る。これは有名であるが載ったことがない人も多いかと思われる。総二階建ての巨大航空機である。

私が子供だった頃に一度だけ、いわゆるジャンボジェット、ボーイング747に乗ったことがあるが、今はもう90年代ではない。かつてのどこか古めかしく、しかしながら血の通った暖かさのあったあの時代ではない。ITは人々を便利にはしたが、そのシステムを維持するために人々は目を三角にして生きている。日本はこの30年で産業構造の転換に失敗し、衰退が決定的となり、人々の心はすさみ、しかしながら現実から目を背けるために必死である。もちろんそれに乗じて一部の人だけが栄えている。そういう時代である。沈みかかった大船を誰も立て直そうとはせず、自分たちだけ助かろうという人間味あふれる既得権益層と、かつての日本の栄華で心を紛らわそうとする悲しき人々だけがいる。どうしてこうなってしまったのか。

初めて乗り込む総二階建て機ということでテンションが上がるが、残念ながら私は1階のエコノミークラスである。笑。

夜の空港に浮かび上がる白いエアバスA380

エミレーツ航空は初めてであるが、エコノミークラスでもやや余裕のあるシートピッチである。窓側の席であるが、断面積に余裕があるからか、窓と席のスペースが異様に開いている。隣にいた大学生と思しき女子2人が旅行の話をしているので、外国のノリでどちらに旅行に行くのか尋ねてみたら、眉をひそめて「モロッコです」と答えた。ああ出たよこの日本人の他人に対して露骨にアンウェルカムな感じ。外国を知る前は、これが当たり前だと思っていたなあ。はいはい私が悪うございました。彼らにしてみれば自分はただの不審な人であったに違いないから、心を取り直して耳をイヤホンでふさぐことにする。

機内食など特記すべきことはない。ゲームも目が疲れるしとくにめぼしいものはない。そういうわけで機内ではひたすら寝た。

ドバイの空港に着く。さすがはエミレーツ航空ハブ空港。空港は多種多様な人々でごった返している。ターミナル間をつなぐ電車で移動し、マスカット行きの飛行機を待つ。

ドバイの空港の案内板。これを眺めるのが好き

マスカット行きの飛行機は、ドバイを発つと一時間ほどで、ほどなくしてマスカット空港に到着した。入国審査に加えて新型コロナウイルス関連のチェックリストを提出し、いざオマーンに入国する。

空港では本日ニズワまで案内してくださる、サーリム氏が出迎えてくれた。肌がやや黒く、髭をたくわえてオマーン風の帽子とディシュダーシャを着ており、足にはサンダル。民族衣装は非常に趣がある。両替とomantelのSIMカードを手に入れたのち、サーリム氏の立派な車に乗り込む。

オマーンでは車は大体トヨタなんだ。ヨーロッパの車は砂漠で砂を吸ったり、エンジンがオーバーヒートしたりしてすぐ壊れてしまう。日本車は最高だね。」

確かに日本のものづくりは素晴らしいのだろう。とことんまで精度を追求した日本の機械の出来は素晴らしい。私もそれを誇りに思う。しかしながら日本人は制度設計やデザイン、マーケティングといった分野、そして将来を見通すビジョンが弱く、これが最近日本が諸外国に劣後する大きな原因となっているようにも思う。局所的には有能なのに、包括的な視点が欠けがちで、そのため本来の力が発揮できない、もしくは評価されない。それは非常にもったいないことだと思う。最近はMRJの撤退というニュースが飛び込んできて大変残念な気持ちであるが、その原因を分析した記事を読むと大体上記のような理由が書いてある。だったらなぜ改革を実行に移せないのか。改革実行役の不在、憎まれ役を買ってでも正義を貫くだけの意志の強い人間がいないこと、そしてそのような挑戦をした人を嘲笑い既存のシステムの下で成果を上げた人を重用する風土もまた、日本の問題の一つなのだろう。

車はほどなくして市街を出て、谷あいのワジ沿いを進む。左手には次第に巨大な山塊があらわれる。ハジャル山地である。ここの最高峰は3075mと、まずまずの標高を誇る。岩肌がむき出しの大地は荒々しく、高原状となったイランともまた違う趣がある。

高速道路を走る。左手に山脈。窓が汚れているが、ガラスに衝突した虫の亡骸である

まずは本日の昼食。サーリム氏がアルホータ洞窟近くのトルコ料理レストランへ案内してくれた。彼のおごり(もちろん、旅費として事前に払ったものの中に含まれている)で、ライスとサラダを食べる。大変辛く、なぜかその点をサーリム氏に謝罪された。笑。

トルコ料理店で昼食

アルホータ・ケーブへ向かう。観光客は多くが地元のオマーン人である。受付から短い鉄道の線路を歩いていく。この線路、本来は乗客を洞窟へ導くためのものらしいが、残念ながらこの日は運休であった。

博物館の職員の案内を受け、洞窟内を回る。洞窟内は写真撮影禁止。洞窟内の蝙蝠などの生物を保護するためのものらしい。ここでサーリム氏に単語を教わる。蝙蝠(خفاش, خفافيش)。無知を恥じるときに一番単語を覚える。不思議なものである。洞窟は斜めに細長く伸びており、大変広い。入口の小さな博物館にはこのハジャル山地の成因の説明などがあった。

洞窟の入口。案内人に導かれ、洞窟へ向かう。大きく映るのがサーリム氏

博物館の入口からは、不思議な形をした山々が大きく見える

洞窟の次にはミスファート・アル・アブリーンというジャバル・シャムスの大きな斜面のふもとにある小さな村に向かう。砂漠に点在するオアシスの道を行き、山道を登ると突然、岩の上に建物が立ち並ぶ奇妙な景色が広がる。これがミスファート・アル・アブリーン。

ミスファート・アル・アブリーンの風景

ミスファート・アル・アブリーンは傾斜を利用して作られた村で、沢から流れ出る水を村全体に引き、斜面の上の方には家々を、下の方にはナツメヤシやマンゴー、バナナなどの植物を植え、自給自足の生活ができるようになっている。「ナツメヤシとマンゴー、それとバナナ。これが大事。」サーリム氏は言う。家々は最近の観光客の増加を受けて補修されたものもあるが、古い石積みからなる家も大変多く、砂漠とは思えない緑の多い風景に、ほどよく風化した家並みが美しい。看板には「住民がいるから騒がぬように云々」などと書かれており、今もここが生きた生活の場であることがわかる。

サーリム氏は祈りの時間だからと言って自分を置いてモスクへ向かった。彼は大変敬虔なイスラーム教徒である。30分程度自分で家並みを回ってみることにした。

土色の美しい町並み。サーリム氏がいい味を出している。
沢の水を使った水道システム。緑豊かなナツメヤシとマンゴーの畑が美しい

ヨーロッパ人の観光客をよく目にした

なお後から知ったのだが、この町にはちょっとした宿泊施設もあるようだ。こんな美しい村、一度は宿泊して村を散歩し、ぜいたくな時間を過ごしてみたい。

最後に村の全景が眺められるスポットに案内してもらい、写真をたくさん撮った。大きな山脈の岩肌にへばりつくように小さな集落があり、その下に緑が生い茂る町並みは独特のものだ。

ミスファート・アル・アブリーン全景

ミスファート・アル・アブリーンを離れ、次はアルハムラという村に向かう。こちらは山のふもとの平原に広がる町並みである。土で固められた家並みは風化が進んでおり、人々は近くの新市街に移り住み始めているという。ここに住む人たちは定期的に住処を替えるのだろうか。

アルハムラ

本日の宿泊先であるニズワに向かう。

ニズワは古代にオマーンの首都があった、歴史ある都市である。こじんまりとしたが趣のあるスーク、土色で味わいのある家並み、規模の大きなニズワフォートが有名である。また、素焼きや銀細工が盛んな街でもあり、買い物が楽しい。

本日は朝から行動してだいぶ疲れてしまったが、少しだけ街を散歩してみることにした。町の入口のラウンドアバウトには中心にハンジャルのオブジェがあり、この町がハンジャルで有名であることがわかる。

本日はアンティーク・インという宿泊施設に泊まる。ここは昔からの邸宅をリストアした宿泊施設で、土色の壁、迷路のような内部構造には大変味わいがある。本日案内してくれたサーリム氏とフロント近くの部屋で地べたに座ってカルダモンの香りが強いアラビアコーヒーとデーツをいただいたのち、サーリム氏と分かれた。数日後、ワディ・バニ・ハーリドへのドライブも彼が案内してくれるという。

ホテルのロビー近くの一室にてくつろぐサーリム氏
大変雰囲気と趣のある土色のホテル

 

本日の宿。大変雰囲気がいい

ホテルは大変趣がある伝統建築といった感じだった。残念ながら自分の部屋は狭かったし、シャワールームは水の出が悪かったが、まあここは砂漠都市であり仕方がない。夕食は、タンザニアから来ているという肌の黒く人のよさそうな青年に近所のレストランに案内してもらった。プロローグで触れたとおり、タンザニア、とくにザンジバルオマーンと関係が深い。自分の定席はこのレストランの奥の方にある落ち着いた席で、ビュッフェ形式でジュースも出る。大変おいしいレストランで満足であった。

宿の中の雰囲気

夕食をいただく