Le Chèvrefeuille

世界は遊覧、思い出の場所であり、われらは去りゆく者

メキシコ(6) 神秘の町から喧騒の都へ

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1120 クエツァラン発 AUのバスにてメキシコシティ

1730 TAPO(メキシコシティのバスターミナル)着

タクシーにてホテルへ

 

Hotel Zocalo Central泊

 

朝起きると、すでに夜が明けていた。朝焼けを望もうと思ったが寝坊してしまった。

景色の良い宿の上の階に向かうと、今日はどういうわけか、屋上への階段が開いている。行ってみることにした。たった1階分の差であるはずだが、1つ下の階から望むのとは全く高度感が違い、手前に屋根瓦の街並みが広がり、カテドラルの向こうに海に没していく大きな山の斜面や、ベラクルス方面の平原が美しく広がっている様子は、息を呑むほど。おそらくメキシコ湾も見えているのだろう。陰影の強い朝の日差しと相まって、大変立体的な風景が展開されていた。この景色をみるために、メキシコに来たのだろうか。「クエルナバカ+タスコ」にしようか散々迷ったけれども、結果的にこちらにしたことには、なんの後悔もなかった。この世界には、こんなにも素晴らしい景色がまだまだあったのだと、ただただ感銘を受けるばかりであった。生きていてよかった、と実感することも最近はめっきり減ってしまったけれども、この景色には久しぶりに魂を揺さぶられるような、そんな感覚を覚えた。

Posada la Plazuelaの屋上からの景色は雄大だった

 

本日も店を探すのが面倒なので、朝食はYoloxochitlへ。昨日と同じ女の子が店の掃除をしていた。昨日よりちょっとおしゃれな服を着ている。本日は広場に面した椅子に座ることにした。この日はこのレストランのスペシャリテ(85ペソ)とオレンジジュース(35ペソ)を注文。

広場に面したところに座っているからか、15分くらいおきに物乞いがやってきた。「シナモンはいらないかい?」などというお婆さん、挙動不審の爺さん、そして幼女。幼女氏に於かれましては物乞いなんてしてないでちゃんと学校で勉強してまともな人生を送っていただきたい。クエツァランに関する数少ない日本語ページに「カフェに座っていると5分おきに物乞いがやってきてうんざりした」と書いてあったが、まあ15分おきということで、現実は少しはマシであったことをここに記しておく。

Yoloxochitlからの風景

さて、店番の女の子にはちゃんとチップを払いお店を後にした。宿に戻り、10時半ごろ遅めにチェックアウトして、宿をあとにする。到着時にいらっしゃったお姉さんが今日も番をしていた。色々とお世話になった。最初はこちらと接する態度に戸惑いが見えたが、今ではすっかり馴染みになった。彼女と一緒に記念撮影をして厚くお礼を伝え、宿を後にした。

バスターミナルは石畳の急な道を10分ほどだが、スーツケースの車輪が全く役に立たないのは相変わらずである。振り返るといつもの美しいカテドラルと、山の斜面が見える。この景色ももう、見納めである。少し名残惜しい。

この景色も見納め

民族衣装を着た方々が道端でおしゃべりしている風景をよく見た

バスターミナルで30分ほどゆっくりしていると、AUのバスが来たという案内。このバスは、1ヶ月ほど前にClickBusで予約したのだが、ネットで得られる時刻表とは少し違っていて、本当にこのバスがちゃんとくるのか、少し不安だったがちゃんと来た。よかったよかった。

メキシコシティ行きAUのバスに乗り込む

スーツケースを預けてバスに乗り込む。ADOのように運転手と客室のような仕切りは完全ではないが、プエブラから来る時に使ったVIAのバスよりは高級感があり、ちょうど中間的な存在だろうか。

11時20分になると、バスはゆっくりターミナルを出て、シダ植物の多く見られる山の斜面をゆっくりと登っていく。昨日Xoxoctic植物園で展示されていた着生植物たちが木の幹にしっかり確認できた。

緑濃い山並みもいずれ見納めとなる

あたりの景色から徐々にシダ植物が消え、山肌も濃い緑色から少しずつ色がくすんでくる。サカポアストラに着くと、あの緑豊かなクエツァランの風景の名残は大分消えていた。サラゴサまで戻ると、すでにありはもうメキシコ中央高原そのものの景色である。私は、夢を見ていたのだろうか?まるで神隠しに遭ったかのような、そんなところだった。

クエツァランという町は、日本人にはほとんど知られていない。観光地としてすら認識されておらず、知名度はほぼゼロである。しかしながら、美しい自然に抱かれた白い壁と屋根瓦の町並み、そしてその周辺に広がる遺跡や滝、植物園などの見どころは、それぞれがまるでキラキラ輝く星のように、大変魅力的だった。遠くから見たら小さい星でも、近くから見るとその本当の美しさ、価値、そういうものが見えてくる。多くの観光地に手垢が付き、価値を正しく理解しない大勢の人によって踏みにじられていく中、このクエツァランという町は大勢の人の目に着くことなくひっそりと山間に佇み、未だ民族衣装を着た人が昔ながらの生活様式を守り、日々を生きている。こんな場所がまだ世界にあったのだということが、純粋な驚きと感動だった。別れを告げるのが惜しいが、これからもこの町の良さが永遠に受け継がれていくことを祈りたい。

 

マリンチェ山が見えてくると、ようやくメキシコシティが近づいてきたことを思い知らされる。バスの停車駅では5分ほど休憩が入り、ちょっとした軽食を売りに来る。隣に座っていたクエツァランから乗っているおばさんが、私にCamotesというプエブラの銘菓をおすそ分けしてくれた。味わいはサツマイモをペースト状にしたような風味で悪くない。ありがとうと伝えるともう一本くれた。なんだか申し訳ない。

イスタシワトルの峠

雄大なワインディングロードだが、メキシコシティの盆地に入り空気が濁ってきた

イスタシワトルの近くにつけられた3000m程度の峠をこえるともう例の汚らしいメキシコシティの町並みが。ああ戻ってきたよ。数十分ほどで、バスターミナルTAPOに到着。

このバスターミナルはプエブラのそれと比較するとかなり清潔で、怪しげな人も少ない。前払いのタクシーオフィスでZocalo Central Hotelまでの料金を払う。119ペソ。やはり認可タクシーは値段が高い。タクシー乗り場は行列ができていた。

 

ようやくの思いでタクシーに乗り込み、Zocalo Central Hotelまで行くように伝えるが、ドライバーは場所がわからないという。謎のスペイン語を何回も言ってくるが正直よくわからない。彼は一旦タクシーを止め、助手席に来るよう指示された。何か同じことを言っており、多少イラついているようだが全くわからず、彼の発した単語をそのまま音声翻訳にぶち込むと、「どのストリートか?」ということだった。ホテルの住所を見せ、ようやく場所がわかったようである。

このドライバー、「このデッキブラシはワシが貸したんじゃぞ!」とでも言いそうな、いかにも知識が錆びついたという風情の爺さんで、話は通じないし、それ以前にZocalo Central Hotelというある程度タクシードライバーをやっていれば知っているであろうホテルの名前すら知らないというのには閉口した。スペイン語が通じないのはいいが、翻訳アプリなどで意思疎通を図ろうという姿勢もなく、いかにも老害といった感じである。日本でも自身の知識を更新することをやめ、日々同じことだけをして生きている老人どもが高い給料を得て若者から税金を搾り取っているので、どこの国でも構図は同じかもしれないが、メキシコは若者が多く、勢いがあるだけマシである。

 

タクシーはごちゃごちゃして雰囲気の悪い界隈を通っていく。こういうのがあるから、都会は嫌いなんだ。特に外国の都会は。この界隈を抜け、大通りをこえると急に建物や街の雰囲気が落ち着いた格調あるものに変わり、ソカロセントラルホテルに到着した。ようやくこのあまり愉快ではない爺さんのタクシーとはおさらばである。彼の長生きを祈ることができないのが残念でならない。

ソカロセントラルホテルはそれなりに高級感があるが、ロビーには不思議な格好をした中国系アメリカ人などの謎の外国人でごった返し、ワサワサしていた。ホテルの格調の割にフロントの人々は大変親切で、日本から来たというと歓迎してくれた。

雰囲気のあるホテルの吹き抜け

ホテルの室内は広く、部屋は大変清潔だ。やや暗色で統一された部屋はタラベラ焼きの調度品が置かれ、おしゃれな雰囲気である。Posada la Plazuelaとは対照的な都会的さがある。窓からは夕闇のソカロ広場とカテドラルが見える。都会で夕食を食べに行く気力もなく、5時間のバス乗車にも疲労してしまったので、持ってきていたバランス栄養食を夕食代わりにして、早めに就寝することにした。

ホテルの客室は広く、落ち着いた雰囲気