Le Chèvrefeuille

世界は遊覧、思い出の場所であり、われらは去りゆく者

モロッコ(7/8) 古の文化の都

2023/3/17

終日フェズ観光

Riad Norma泊

 

2023/3/18

0830 フェズ

1330 カサブランカ空港

1530 TK618 カサブランカ→2210イスタンブール

2023/3/19

0250 TK198 イスタンブール→1945羽田

 

3日を1つ分の記事にまとめるのもどうかと思ったが、最後の2日はほぼ何もしていない移動の時間なのでまとめてしまうことにした。

さて、本日は本格的なフェズ観光である(といっても、金曜日であることを失念しており、あまり買い物ができなかったが)。怪しげな自称ガイドの合間をすり抜け、いくつかのマドラサやタンネリなどを見学する。

リヤド・ノルマで迎える快適な朝。本日は少し曇り気味であり、空気はかなりひんやりしている。朝食は広いパティオで。コセマという、もう閉鎖してしまった有名な陶器の工房が全ての食器に使われており、このリヤドがいかに細かいところに凝っているかがよくわかる。当然朝食もおいしかった。

コセマの皿が使われた朝食

朝食を食べたのち、町歩きへ。観光客の入れるマドラサは2つほどあるようだが、まずはカラウィーンモスクの近くにあるアッタリーン・マドラサに向かう。

朝はやはり素行の悪い連中が出ておらず、町は落ち着いた様子である。昨日のレストランに向かう道をそのまま行くと、程なくしてメインストリートの1つに出て、アッタリーン・マドラサへ。

入場料は20DHと、マラケシュと比較して安め。こちらのマドラサはあまり修復工事がされていないようで、マラケシュのそれと比較すると少し手狭だが、その分歴史を感じるマドラサである。意匠についてはマラケシュのそれとほとんど変わらない。

こちらのマドラサも2階に上がることができる。

2階はやはりフジュラとなっている。フジュラに囲まれた空間の柱は木でできていて、温かみのある雰囲気。ここの窓からは緑色の屋根が並んだカラウィーン・モスクの様子が少し望まれる。このモスクは異教徒入場禁止であるので、上から拝ませていただく。

カラウィーンモスクの横をかすめて、Googleマップを頼りに町の北側の展望台(メリニデスの墓)へ向かう。道は北側に向かうと坂になってきて、次第に空がひらけてくる。

相変わらず迷路のようだが、なんとか北側のメディナの門に到達。しかしながらここではカナリア文鳥、ハトなどを売る鳥の市が立っており、肝心の門は工事中で通り抜けできず。近くの門からメディナの外に出る。

メリニデスの墓がある丘は墓地になっており、謎の金銭徴収人がわいている入り口を避けて別の入り口から丘の上に向かった。一歩進むごとに眺望がひらけてくる。

死者は眺望の良い丘の上で眠ってほしいと願う人々の気持ちは、古今東西を問わず同じものなのかもしれない。

本当にこの道で正しいのかよくわからなかったが、なんとかしてフェズの街並みが一望できる場所に到達した。ゴミゴミした、しかしどこか整然さが感じられる街並み、モスクの緑色の屋根。これがモロッコの文化の都、フェズである。

フェズは町の外れにある川のほとりに、ムーレイ・イドリス1世が建設した町だそうである。町の中心部と川沿いの場所は低く、そこから辺縁に向かうにつれて標高が高くなる、すり鉢状の町になっている。その周囲は緑色の丘。本日は雲が多いが、それゆえにこの地域の湿潤さをより意識させられる。宗教建築などの意匠はマラケシュと類似しているはずだが、黄色味がかったベージュを基調としたくすんだ建物の色、マラケシュより高さのある建築、そして高低差のある街並みが、フェズという街により内省的な印象を与える。旧市街の向こうには墓地、そしてフランス支配の時代に発達した新市街が広がっている。

フェズを一望する。中央の緑色の屋根がカラウィーン・モスク

先ほど来た道を戻り、タンネリへ向かう。

タンネリというのはフランス語で、皮をなめし染色を行う工場である。10世紀ごろから同じ手法で染色を行っているという非常に歴史ある工場で、フェズ市街に2、3個ある。今回は川沿いにある有名なタンネリ・ショワラに行ってみることにした。

タンネリ周囲の町並み

ネットを調べてみるとわかることだが、このタンネリ見学、フェズ観光の目玉であると同時に、なかなかの曲者である。なぜならタンネリの周囲には「Tannerie?」などと話しかけくる自称ガイドがたくさんおり、どれが本物の工場の客引きなのか、区別がつきにくいからだ。Google mapでタンネリのほど近くまで到達すると、川の向こう側に入り口を持つ工場の近くで浮浪者のような風貌のお爺さんが話しかけてきた。こちらが後になってチップをせびってくるのを警戒し、「いくらで案内してくれるんだ?」と聞くと「基本的に無料、チップはあなた次第」という。ネットでの相場は一人10DHということで、一人10DHで案内をお願いした。見学が決まると、入り口でミントを渡される。これはタンネリの悪臭を紛らわすためのもの。階段を登るとテラスに出た。テラスには外国人の団体客がおり、どうやら正しい場所を選ぶことができたらしいということで安堵した。色とりどりの四角や丸が規則的に並ぶ風景は、まるでカラーパレットのよう。ここからはタンネリで作業する人の様子がよく見える。この屋上の檻の中には異常な吠え方をしている犬がおり、相方が狂犬病にかかってるんじゃないかなどと心配している。

渡されたミント。工房にはたくさんの革製品が並んでいた

浮浪者のような風貌のお爺さんにはチップを渡しているので、解説をお願いした。

このタンネリは先述のように10世紀ごろから変わらぬ皮なめしの手法を用いている。写真左の方にある四角が並ぶところは、染色の前処理、すなわち皮なめしの工程。アンモニアを含む鳩のフンを用いて処理することで、皮がよくなめされるのだという。このタンネリの周囲に漂う不快臭(悪臭、というほどではないのだが…)はここから発せられているものだという。なめした皮は、右の茶色っぽい丸い樋に入れられる。ここで染色が行われる。染料は全て天然由来だという。手前に黄色い皮が干されているのがミントの写真でわかると思うが、これは黄色の染料であるサフランが高価であるため樋の中に染料を入れておくことが難しいからだそうだ。

なお、このタンネリでの作業はかなり過酷であるため、最近は成り手が少なく大変だとか、本当かどうかは知らないがネットには書いてあった。まあ、多分そうだろうな。モザイクタイルもそうであるが、容易に自動化できてしまいそうな手工業の技術をあえてこの時代にも残す、しかもフランス支配時代を経てなお変わらず受け継がれているところには、ある種の誇り高さというか、頑迷さを感じずにはいられない。

近くにある金属加工のお店が集まる、セファリーン広場を通って一旦リヤドに帰り、しばし休憩することにした。フェズの真ん中を貫くメインストリートとは違い生活感が漂っており、しかしながらどこか整然としている。

少し休憩して、街歩きに再び繰り出すとともに、今日の夕食を食べるレストラン探し。

休憩して街歩きに繰り出すと、店が閉まり始めている。この時になって今日が金曜日であることに気づいた。町に繰り出す人々は皆モスクに入っていく。これは誤算だった。セファリーン広場の周辺にある金属加工のお店でお土産を買おうと思ったが、あいにくこの影響で(特にこのセファリーン広場周辺は)店がほとんど閉まってしまっており、何も買うことはできなかった。まあ、旅行で大切なのはお土産ではなく思い出である。セファリーン広場から北に向かうと、ムーレイ・イドリス2世廟の入り口が。こちらも異教徒入場不可となっているが、内部の装飾は大変美しとのことだ。この周辺にはBank of MarocのATMがあるが、周囲に怪しげな連中がたむろしており、全く現金を引き出す気になれなかった。

ムーレイ・イドリス2世廟。こちらも異教徒立ち入り不可

レストランは何個か目星をつけ、様子を見に歩いてみたが、Dar  Hatimというレストランがどうも見つからない。地図が指し示すあたりをうろついていると、地図に表記されていない通りを発見し、こちらを進んでみたところレストランに到達した。肝っ玉母ちゃん風の女店主の女性が店に招き入れてくれ、少しホッとする。17時ごろに夕食に来ますと言って、一旦もと来た道を戻ることにした。

Dar Hatimは極めてわかりにくいところにあるが、道標あり

メインストリートのタラア・カビーラ通りを西側にしばらく歩くと、我々にとって最後の観光スポット、ブー・イナニア・マドラサに至る。入場料40DH。

こちらのマドラサもアッタリーン・マドラサとほぼ同様の意匠であり、目が慣れてくるとあまり見どころはない。いや、初日にここに来ていたらその建築の荘厳さに驚いたんだろうが、慣れとは恐ろしいものよ。ドアの横から別の部屋に至る道を案内されたが、1階奥の祈りの空間につながる道であり、2階に上がることはできない。

さて、本日も行くべきところはもう行った感があるので、あとはレストランでゆっくり夕食を取るのみである。

Dar Hatimはまるでリヤドのような素敵な内装。夕食は3種類のコースのみ。店主のおばさんには一番下の羊肉を使った高いコースを「当店のspecialitéよ!」と勧められたが、「今日は鶏肉を食べたいんです」などと適当なことを言って一番上のコースを頼むことにした。

美味しいサラダが出た後のメイン料理は春巻きのような皮の中に鶏の挽肉やスパイスが練り込まれている。塩気を期待したが、むしろ少し甘味がある不思議な風味である。まあ、これはこれで美味しいと思う。デザートはフェズに売っているようなお菓子が出たが、こちらもやはり不思議な風味であった。たまにはこういう、クセの強い料理も良いかもしれない。最終日くらい自分の好みの味のものをたらふく食べたかった感はあるがまあ、こればかりはレストランのせいでは決してないだろうし、仕方ないだろう。

ロッコの料理というのは基本的に母から受け継がれていくものらしい。したがって、地域だけでなく、家庭によってかなり味付けに大きな違いがあるのかもしれない。

気前の良い店主のおばさん

レストランではアンダルス音楽がかかっており、店主のおばさんに曲の名前を聞いたところ、アーティストや曲のジャンルなどについて、いろいろ教えてくれた。アーティストの名前はSanaa Marahatiというらしい。この人の母親と思われるおばあさんも近くに座っていて、アラブ音楽に興味を示す自分を見て微笑んでいた。

ゆっくりとジュースを飲んでレストランを後に。戻ってくると、リヤドがやはりオアシスのように感じられた。モロッコで過ごす最後の夜。落ち着いた雰囲気のリヤドの美しさを、心ゆくまで堪能した。

 

 

 

 

最終日は朝8時半にドライバーが迎えに来るというので、少し早めの朝食。

大変素敵なリヤドであっただけにもう少し滞在したい気持ちもあるが、フェズという町に対する印象は良い部分も悪い部分も際立っており正直再訪したいかどうかは微妙なところでもある。リヤドを出て門の外に出ると、本日のドライバーが待っていた。ギラギラ感の強烈な一昨日までのドライバーと打って変わり、典型的なモロッコ人といった感じの風貌である。二人乗りには大きすぎるようなワゴン車に乗り込み、空港へ。本日はただひたすらカサブランカの空港を目指すだけの、単調な旅程である。

フェズよさらば。緑豊かなフェズの郊外が見えている城壁を去り、郊外へ車は走る。

陽気な感じのドライバーは、ラジオでアラブのポピュラーミュージックをかけてくれた。アムル・ディアブやアッサーラ・ナスリーなど、アラブポピュラーを知っていれば比較的耳にすることの多いアーティストの曲が多かったが、シャザームというサウンドハウンドの中東版のようなアプリで調べてみるとモロッコ出身のアーティストの曲なども織り交ぜられていた。彼曰く「結婚相手募集中!」だそうで、ぜひ独身の日本人女性を紹介してほしい!!だそうだ。ラインのQRコードを見せてもらい保存したが、彼と友達にはまだなっていない。笑。

車窓は穏やかな山並みとオリーブやアプリコット、菜の花の畑が広がる。何回かトイレ休憩を挟み、13時ごろにはカサブランカの空港に到着した。ターミナルを間違えて記憶しておりヒヤヒヤしたが、それほど広い空港ではなく問題なく別のターミナルへ移動できた。

チェックインカウンターに進むが、現地の人と思しき白装束の人々がカウンターの前を占拠しており、進みが異常に遅い。実はオンラインチェックインは済ませていたのだがチェックインがうまくいかず、チェックインがまだの方の列に並んでしまうというミスを犯した。うまく行ってはいないがチェックインはできているんじゃないかという結論に達し、チェックイン済みのカウンターに並ぶ。こちらのカウンターの方が明らかに進みが早い。トルコから来たと思しきおばさんがトルコ語で色々親切に話しかけてくれるのだが、数字しかわからなかった。

チェックイン作業に1時間ほどかかり、かなりイライラさせられたが無事チェックインを済ませ、荷物を預けて検査を受けたのち、空港内へ。

空港にはお土産屋もあり、そこそこの品揃え。とりあえずアラベスク模様のコースターとマラケシュの「ファーティマの手」のマグネットを購入した。

飛行機に乗り込んだのちも例の白装束の人々が色々トラブルを起こしていた。どうやら彼らはほぼ全員が飛行機に初めて乗るらしく、座席が指定制であることすら知らないらしい。ガイドと思しき人もいたのだが、説明が行き届いていないようだ。離陸間際にもトイレに行こうとしたり、ドアのいじってはいけない部分をいじってトイレのドアを外してしまったり、色々と非常識と言うか、全く文明化されていないレベルの人々で逆に驚嘆した。彼らのせいで飛行機が30分以上遅れることになり、乗り継ぎに関して気を揉んだのは言うまでもない。

帰りも相変わらずターキッシュエアラインの座席は狭く、窮屈さに悶絶しながら日本に帰国した。