Le Chèvrefeuille

世界は遊覧、思い出の場所であり、われらは去りゆく者

偽りの太陽

 

人々が

初めて天を仰いだ時

太陽はそこにあった

いつでも大いなる高さで天にあって

花々を、緑を、そして豊穣をもたらした

いつもそこにある太陽

しかしその光はあまりに眩しく

その存在はあまりに遠く

その貴さは、いつしか忘れ去れらた

 

偽りの太陽に人々は熱狂した

贋物の禍々しさに人々は乱舞した

もはや人々は盲目だった

その熱狂から皆が醒めた頃に

太陽はすげ替えられていた

その光は輝きをもたらさず

その温度は豊穣をもたらさず

その後ろで何者かがうごめいている

 

偽りの太陽の皮を食い破って

うごめくものが姿を現した時

力も理想も何もかも捨てて

穢れこそ清らかだと言って

紛い物を拝んでいた彼らは

酔いから醒めているだろうか

輝く太陽を

再び天に据えることができるだろうか

 

 

***

ブログで詩を書くという試みを初めてやってみた。

この詩の意味するところは、わかる人にとってはもはや自明だろうと思う。

明らかな偽物を自分たちの神と崇める様子は滑稽であるが、その偽りの神が何もかも破壊してから目覚めても遅いのである。人間の性質というのは見た目に必ず現れているものであり、見る人が見れば最初からこうなることはわかっていたはずである。

人々がより優れた洞察とより価値のある理想を我が物とすることを切に望む。

 

 

マグカップ選手権その2

さて、飽きもせずに後半のレビューを続けようと思う。

⑨白岩焼 渡邊葵 切立マグカップ

・情報

白岩焼は秋田県の窯元で、一度途絶えそうになった伝統が先代により復興されたという経緯がある。陶芸作家として活動される渡邊葵さんの作品は東北の風土を感じさせるような温かみと冬の厳しさを同時に彷彿させるような独特の表情がある。黒を背景に水色が霧のような模様を作る海鼠釉薬が特徴的。人気さから大変に入手困難だが、なんとか購入することができた。5500円。

奥ゆかしさと力強さが感じられるマグ

・ディテール

黒っぽい背景にまるで吹雪のように舞う水色の細かな模様が、まさに山深い秋田の山間の厳しい自然を映しているようだ。土台が広く胴の少し窄まった形状がシャープで美しい。生地の厚さ、容量、いずれも必要十分だ。取手は装飾的でかわいらしい。生地は彩度の低い褐色で、全体的に渋く引き締まった印象。

数ある海鼠釉のやきもの中でも特に美しい

・総評

海鼠釉は藁の灰を原料とする釉薬で、東北や日本海側のやきもので見かけることが多いが、白岩焼の海鼠釉薬はとても繊細な表情を持っており美しい。特徴的な形状も相まって、静かに個性を主張している。

 

⑩青木陶房 氷青磁マグカップ

・情報

青木陶房は有田の近くの山間部、大川内にある陶房。大川内はかつて佐賀藩の鍋島家の御用窯であり、技術の流出を警戒して人の出入りが厳しく制限されていたという。近くの山で取れる天然の青磁鉱石を利用した青磁の制作が盛ん。大秀窯や鍋島虎仙窯など、青磁を看板にした窯元がたくさんある。

青木陶房は虎仙窯から暖簾分けしてできた新しい窯元で、青磁に艶消しを加えたような「氷青磁」が印象的だ。しのぎなどの技法を使って青磁の美しさが端正に表現される。

なお、中国を起源とし紀元前からの歴史があると言われる青磁について語ると長くなるが、青磁の発色は鉄を発色剤として還元焼成することにより2価の鉄イオンによる青色の発色を得るもの(硫酸鉄(II)が緑色なのをご存知の方も多いだろう)。その焼成条件により色も水色から翡翠色、オリーブグリーンなど様々に変化する。歩合が低く(冷却時に割れてしまうことが多く)、どうしても高価になりがちだが、清潔感のある、わずかに緑色を帯びた水色には独特の魅力がある。

こちらのマグカップは4620円。窯元さんのアドレスに直接問い合わせて、購入することができた。

釉はロス・グラシアレス氷河から着想を得たものだという

・ディテール

青木陶房独特の氷青磁の釉薬。丁寧に削られたしのぎの模様が、青磁釉薬の厚さや透明感を浮かび上がらせており、清潔感と気品がある。ラッパ型のシャープな形状だが、容量は必要十分。なお、上からの写真ではやや楕円形に見えるが、焼成によりどうしてもたわみが出てしまうそうだ。

青磁ならではの気品ある表情にはっとする。裏面にはM.Aokiの文字が

・総評

青磁は個人的に好きな釉薬で様々なものを見てきたけど、こちらの青磁はマットな質感、水色に限りなく近い青磁色、いずれも最も美しい部類に属すると思う。机に置くだけでまわりのものの雰囲気すら違って見える、机の上の一輪の花。

 

11. 作山窯 sand マグカップ ブルー

・情報

作山窯は美濃焼の窯元のうちの一つで、色や模様、質感など独特で個性のあるうつわを作る。こちらのsandシリーズは鉄によるブチ模様が印象的。色はブルーとベージュがあるが、ブルーのまるでチョコミントのような雰囲気に惹かれて購入。2420円。

形は作山窯のものとしては典型的だ

・ディテール

背の高いマグカップ。素材は磁器のようだが、高台の近くを眺めると、どうやらまず鉄粉を塗したのちに釉薬がかけられ焼成されることにより、この模様が表現されているようだ。チョコミントのような模様がとてもかわいらしく、コーヒーまでもがポップな印象になる。

これをチョコミントと言わずしてなんというのか

・総評

チョコミント模様が個性的なかわいいマグカップ。形も量もオーソドックスで使いやすく、日常生活によくなじむ。

 

12. tokinoha 灰釉 マグカップ

・情報

tokinohaは京都の清水焼を扱う陶芸ブランド。現在はオンラインストアを大幅に縮小してしまったようだ(オンラインストアにはその事情が書かれている)が、かつてはさまざまな種類のアイテムを扱っており、全体としては質感を重視した素朴なものが多かった。

今回俎上に載せる灰釉のマグカップだが、灰釉とは草木の灰を用いた古典的な釉であり、くすんだ青緑を背景に白い不透明な細かい模様の入ったガラス質の釉薬となる。2025年、オンラインストアで購入。4620円。

灰釉ならではの、ナチュラルな佇まい

・ディテール

形状は素朴な筒状のもので、小さ目の取っ手が上の方につけられており、素朴な印象だ。鉄分を多く含む赤土を素地に灰釉がかけられており、素地に含まれる鉄分が反転模様として釉薬に浮き出ており、豊かな表情を作り出している。くすんだ緑色に浮き出る白い細かな模様は味わいがあり、飽きがこない。

くすんだ緑色に浮き出る白い模様、浮き出る鉄、貫入模様、釉薬のタレ…
どこか懐かしい表情が詰まっている

・総評

灰釉のマグカップは多くあるが、その中でもオーガニック感と端正さを兼ね備えている。普段の生活になじむナチュラルさがあり、使いこむほど味わいが出そうだ。

 

13.  山本一仁 艶消し織部 丸マグカップ

・情報

山本一仁さんは埼玉県を拠点に活動する陶芸作家だそう。織部や瑠璃、黒釉などを使い、厚みのある力強い印象のうつわを作られている。

こちらは山本さんの得意とする釉薬の一つ、艶消し織部の丸マグカップ。マットな濃い青緑の釉薬と、コロンとしたフォルムが印象的だ。2420円。

コロンとしたフォルムがかわいい

・ディテール

コロンとしたかわいいフォルムに、まるで緑青のようなアンティークな雰囲気の釉薬がかかっている。裏面を眺めてみると釉薬が底までしっかりかかっており無骨な印象だ。底面が完全に平ではないようで若干カタつくが、実用上問題にはならない。

マットな深緑が森の中のような雰囲気を醸す

・総評

かわいらしいフォルムとマットな深緑の釉薬に特徴がある。裏面の無骨さには作家性が感じられ好印象だ。

 

14. 南窯 手づくりマグ 織部

・情報

南窯は工藤工さんによって営まれる美濃の工房。古典的な釉薬を用いながらも現代性を兼ね備え、地に足のついた雰囲気のうつわを作られている。

織部というのは銅を発色剤に使った釉薬で、銅以外の不純物の影響もあり基本的には濃い緑色に発色する。この色は磁器のようなつるんとした生地ではのっぺりして朴訥とした印象になるのでざらっとした陶器の方が相性がいいのだが、かといってざらっとしすぎると無骨すぎて洗練にかけた、粗野な印象になる。つまりトラディショナルな釉薬だが案外美しく見せるのは難しいと個人的には思う。

このマグカップは織部をテーマに長い期間探し回り、ようやく行き着いたもの。3300円。

表情豊かで、手作り感がある

・ディテール

やや径が大きく背が低い円筒状の形状。持ち手は手作り感に溢れるカーブを描いている。側面には何箇所か斜めのしのぎが施され、手づくり感が演出される。生地は白っぽいがキメはかなり荒く、重みがある。

この形状や土の性質とともすれば年寄り臭い印象すら与えがちな織部の釉薬との相性は抜群で、少し茶色っぽい縁の色も相まって深緑の濃淡が豊かに表現され、まるで苔むした岩のような、奥行きのあるテクスチャの表現に成功している。

まるで庭園のような雰囲気が閉じ込められている

・総評

織部の釉薬表現の極致と言っても過言ではないほどに、織部のもつ粗さ、風合いが最大限美しく表現されている。織部に対していい印象がなかった私だが、このマグカップとの出会いにいたく感動し、その悪印象を改めた。

 

15. 北側雄一 窯変蕎麦釉 マグカップ

・情報

北側雄一さんは京都を拠点に作陶される陶芸作家さん。シンプルな形で丁寧な作陶を心がけていらっしゃるとのことである。今回は窯変蕎麦釉という独特の釉薬を使ったマグカップを取り上げる。4400円。

ディテールにこだわりを感じる形状

・ディテール

窯変蕎麦釉はシンプルながらかなり特徴的な雰囲気の釉であり、釉薬が薄くかかった縁の部分は赤〜オレンジ色に、厚くかかった部分では緑のニュアンスがある茶色に発色し、その色合いは光のあたり具合で変化する。この色合いは決して派手ではないがとても存在感がある。まるで秋の季節を映し取ったようだ。取手の形状など、細かいところに一手間かけられているのを感じる。

光の当たり方によって、茶色にも緑色にも見える不思議な釉

・総評

あまりほかには見ない雰囲気の独特な色合いを持つマグカップ。地味ながら存在感があり、暖かな赤褐色はコーヒータイムにゆとりを添える。

 

16. 木村年克 黒流銀彩 マグカップ

・情報

木村年克さんは琵琶湖を望むアトリエで作陶されているという作家さんで、独自の手法で鉄を銀化(どうやって?という感じだが)させる、銀化鉄釉を得意とされている。化学的にどういうことなのかはよくわからないが、藁を原料としてメタリックな表現をする釉薬もあるそうだし、そのあたりにヒントがあるのかもしれない。こちらは銀化鉄釉を背景に黒い化粧土でダイナミックな模様が施されている。3960円。

銀色の珍しいマグカップ

・ディテール

背が低く径も小さく見えるので容量が少なそうだが、上に行くにつれて大きくなる形状により、思ったよりも容量がある印象だ。メタリックな質感が新鮮。黒の化粧土により全体の印象が引き締まり、シックな雰囲気を纏っている。

少し錆びたような銀色がシックだ




・総評

やきものとしては不思議なメタリックな銀の釉薬。大きさも手頃で、案外使いやすく生活になじむ印象だ。

 

【表彰式】

論評の時点で順位が漏れ出ている感も否めないが、独断と偏見のみをもとに表彰を行う。

どれもレベルが高く本来は順位をつける性質のものではないと思うのだが、そこはご容赦いただきたい。

・優勝:南窯 手づくりマグ 織部

織部の表現の奥行きに感動させられたマグカップ。まるで苔むした岩のような奥深い質感は、織部を使ったうつわを制作される多くの方が目指したけれど結局到達できなかった点なのではないかと思わせるほどで、芸術品としての美しさと日用品としての自然な佇まいを兼ね備えた、稀有な存在。釉薬と土の総合表現であるうつわとしての奥深さに唸らされた。

・準優勝:MUWHAT 信楽焼 マグカップ

山本一仁さんの艶消し織部マグカップと大いに迷ったが、ここは釉薬の中でも特に珍しい、「表情のあるオレンジ色」を表現されたことに敬意を表したい。信楽焼ならではの重い質感には、やはり他にはない魅力がある。

・特別賞:真右ェ門窯 耀変辰砂 マグカップ

有田焼らしい繊細な磁器の素地に色鮮やかに映える辰砂釉の臙脂色。ただ鮮やかなだけでなく深みと落ち着きを兼ね備えており、眺めていても飽きない。お値段は高かったが、その価値はあったと思う。

・青磁賞:青木陶房 氷青磁マグカップ 

青磁は量産品から作家ものまでさまざまだが、私の中では今まで出会った政治の中では青木陶房さんの氷青磁が一番美しいと思っている。中国や朝鮮から伝わったという伝統ある釉に敬意を評しつつ、ここに特別枠として表彰したい。

 

【さいごに】

ここでは日本にあるあまたの焼き物のうちのごく一部しか扱えていない。現時点では出会えていないだけで見たこともない表現に感動させられるうつわに、当然今後も出会うことなるだろうと思っているし、その出会いを楽しみにしたい。

 

 

 

マグカップ選手権その1

最近は外に出ることもろくにできないし、海外旅行なんて行く時間があるはずもないので、趣味で食器を集めている。

その中でもマグカップは様々な意匠や釉、素材からなるものがあり、その上お値段も手頃でそれほどスペースを取らないので、気がついたらかなりの数のマグカップが自分の周りに集まっていた。

せっかくなので、今回は自分の買ったマグカップの中で特に気に入ったものを選ぶという謎企画を自己満足のためにやってみようと思う。

選択基準は「①美しいこと。そのため基準に満たないものは最初からエントリーしていない②容量が多過ぎず少な過ぎず使いやすいこと③窯元はなるべく同じものをエントリーしないこと」。その中でなるべく作家もの、窯元のものを選択してみた。飲みやすさ、持ちやすさなどはよほど気にならない限り考慮していない。写真は子供がボコボコにした安物の机の上で行っており、背景が汚いのはご勘弁いただきたい。

さて、数多くあるマグカップの中で予選を潜り抜け、今回エントリーするマグカップは以下の通り16個。まずは前半8個を紹介します。

 

①POTPURRI Glanta マグカップ イエロー

・情報

POTPURRIは東京を本拠とした作家集団だそうだ。個性豊かな様々な食器をプロデュースしているが、特にこのGlantaシリーズは北欧風の食器をめざし、釉薬もオリジナルの調合がなされているという。購入時価格は3300円。

コロンとした形状も相まって、レモンのよう

・ディテール

黄色のマグカップといえばよくいえばパキッとした、悪くいえば味気のないものが多いが、こちらはまるでレモンのようなコロンとしたフォルムに、サラッとした質感のある黄色い釉薬がかけられている。

さらっとしており、イエローの明るさとバランスの取れた、落ち着いた表情

・総評

釉薬は表情豊かというわけではないが、サラッとしたマットな雰囲気と僅かに感じられる色のゆらぎがやさしさを演出している。可愛い形と相まって、机に置くだけでほっこりするマグカップだけど、欲を言えばもう少し黄色が鮮やかな方が好きなのと、釉薬に表情が欲しいかな。

 

②長谷川哲也 マグカップ 芥子

・情報

長谷川哲也氏は白馬を拠点に作陶活動をされているそうだ。「山小屋のうつわ」をテーマに、豊かな自然の表情や質感を映し出したうつわの制作を心がけていらっしゃるそう。黄色系のマグカップはほとんど持っていないので画像検索を駆使して購入。4290円。

ストレートで落ち着いた表情のマグカップで、どこか安心感がある

・ディテール

Glantaと同様、イエロー系のマグカップは表情に乏しいものが多いが、イエロー系のマグカップの中ではかなりテクスチャ感に溢れた雰囲気。赤土をベースに、ざらっとしたオリーブイエローの豊かな質感。形は端正ながらも、手作り感も備えている。形状はストレートなマグで、やや縦長。容量としては大き過ぎす小さ過ぎず、ちょうど良い。

ややざらっとした印象。赤土を使ってあたたかな印象

・総評

比較的オーソドックスな形状のマグカップだが、質感や表情が豊か。美しいというよりも素朴な印象で、確かに山小屋のうつわという表現がしっくりくる。作家の目指す世界観がよく表現されていると思う。

 

③MUWHAT 信楽焼マグカップ

・情報

MUWHATは東京の蔵前にあるコンセプトショップだそうだ。こちらのマグカップは信楽焼の窯元と共同で製作したものらしい。あまりマグカップでは見かけない鮮やかなオレンジ色に惹かれてネットで購入。3960円。

オレンジ色が印象的なマグカップ

・ディテール

まず取っ手に指をかけて伝わってくる重量。信楽焼で使われる陶土は重量があるので、手に取るとすぐにそれとわかる。かたちはスープカップのようだが、高さが抑えられているので普通のマグカップと同程度の容量だ。安物感のない細かな模様を形作るオレンジ色の釉薬が、おそらく飴釉であろう茶色の釉薬の上からかけられており、とても個性的なグラデーションを作っている。

信楽焼らしい重みのある質感。オレンジの釉薬の作る模様が個性的

・総評

形状がスープカップのようで個性的とまではいえないが、珍しいオレンジ色の釉薬が表情豊かに表現されている点はとても好印象。探してみるとお分かりだと思うが、手作りのうつわ界において特にオレンジ色は一番見かけない色と言っても過言ではない。コーヒーを淹れるととても映える。今回エントリーしたマグカップの中でも上位には入ると思う。

 

④ビレロイ&ボッホ パレモア コーラル マグカップ

・情報

ビレロイ&ボッホは当然日本の窯元であるはずもなく、1748年創業、歴史あるヨーロッパの食器メーカーである。洋食器らしく絵付けが多い印象だが、窯変釉を用いたシリーズも展開しており、今回はパレモアシリーズのコーラルを俎上に載せてみた。4400円。

洋マグらしく大ぶりだが、かわいらしい形状

・ディテール

手に持って感じるのは洋食器マグならではの大きさと、ストーンウェアならではの重さ。ただ、ストーンウェアの大皿を持った時のあの重過ぎて使いたくなくなる感じはない。コロンとした可愛い形状だが、容量はそれなりに大きく、たっぷり入る。オレンジとピンクの中間の(まさにコーラル)色に一筋の紫色のラインが入ったデザインがおしゃれだ。

紫色の一筋がコーラルカラーを引き立てる

・総評

洋食器ストーンウェアの常でやや重量を感じなくはないが、煩わしいと思うほどではない。明るいコーラルカラーはコーヒーの色によく映え、洋食器に感じがちな違和感はほとんどない。

 

⑤真右ェ門窯 耀変辰砂 マグカップ

・情報

真右ェ門窯は有田焼界隈では名の通った窯元らしく、最近では窯変釉薬を使用したカラフルな食器を作っている。現在の主人は化学メーカーの出身らしいので、その知識を存分に活かされた制作をされているのだと推察。木箱入りで送料込み8800円。高いが、赤系の釉薬は種類が少なく、その中で美しいと思えるものはさらに限られる。以前から気になっており、買ってみることにした。

シャープな形状が美しい磁器のマグ

・ディテール

有田の磁器らしく薄造りのシャープな形状は、③の信楽焼とは好対照を成している。辰砂の釉薬は銅を用いて還元焼成(酸素の少ない条件下で焼く)ことにより酸化銅(I)による赤系の発色を得るものだ(本来の辰砂とは硫化水銀(HgS)であり、それとは異なる)そうだが、鮮紅色というよりは臙脂色のような深みのある赤紫という印象。カップの内側は2価の銅イオンに由来すると思われる青色が残り、底の青色から縁の赤い色まで、美しいグラデーションを作っている。

縁の白から臙脂色、紫色から青色へと移り変わるグラデーション

・総評

辰砂釉薬は陶器のものが多いが、磁器の上での辰砂釉薬は縁の白も相まって、思った以上に凛とした印象を与える。辰砂釉薬の赤もネット上の写真で見るような派手なものでも単調なものでもなく、表情が豊かでありながらも磁器ならではのシャープさとの釣り合いを失わない。辰砂釉を用いたマグカップの白眉だと思う。

 

⑥MERU シクラメンテ ホリデイローズ マグカップ

・情報

MERUとは数多の窯元や食器関連商社がキラ星のようにひしめき合う美濃の地において、食器商社を営むマルクニイトーがプロデュースする食器。美濃焼は食器の一大産地だからか少し事情が特殊で、作り手が直接モノを売るのではなく、窯元とデザインを指示する商社が完全に分離しており、窯元は個人客からの注文は受けていないスタイルが多い印象。窯元は不明だが、その雰囲気や同シリーズのクープなどの形状を見るに、東峰窯なのではないかと推察する。シクラメンテシリーズではピンクのホリデイローズの他に、オリーブグリーンのバンブー、明るい緑色のパリスグリーンがある。4200円。

かわいらしい鮮やかなピンクのマグカップ

・ディテール

可愛らしく鮮やかなピンク色の釉薬。少しだけ艶消ししたような質感で、まるでローズのようなピンク色が細かな模様や豊かな質感を伴って表現されている。マグカップは磁器ながら厚みがあり、安心感という意味での重さを感じる。形はオーソドックスながら少しエッジが立ったシャープな印象で、柔らかな釉薬の表情とバランスが取れている。

釉薬の流れが表現されている。質感も高級感がある

・総評

窯元の作品というよりは手の込んだ工業製品という印象だが、表情豊かな釉薬が美しく、今回俎上にのせた。ピンク色の釉薬もまた珍しいものだが、コーヒーにはよく映える。過不足ない大きさ、端正な形も好印象だ。

 

⑦無名異焼 玉堂窯元 鈞窯マグカップ

・情報

無名異焼とは聞きなれない方も多いと思うが佐渡の鉄分に富む土を使って作られる焼き物であり、キメの細かい赤土を用いてまるで陶器とは思えないようなよく焼き締まった食器が作られる。玉堂窯元の細野さんはデパートの催事でお会いしたことがあるが、大柄でとても気さくな好人物でした。鈞窯のほかに緑、青、油滴天目や極光天目、金色などの個性豊かな釉薬を使われている。今回は世にも珍しい鮮やかな紫色のマグカップを取り上げる。購入時3850円だったが、今は少し値段が上がっているとか。

鮮やかな色が目を引く

・ディテール

鮮やかな赤紫。縁は青色に発色し、細かな模様を形成しながら、青と赤紫の綺麗なグラデーションとなっている。この鈞窯という釉薬は「藁の灰を多量に調合に利用し、酸素を極端に遮断した特殊な条件下で焼成」することによりできるそうだ。高台が少し高く、クラシカルな印象を与える。形、容量ともにクセがなく使いやすい。

色の印象が強いが、形はクラシック。案外コーヒーにも違和感のない色

・総評

なんと言っても鮮やかな紫が目を引く。形はあくまでオーソドックスなものだが、質感や大きさはほどよく、使いやすい。

 

⑧中村陶房 マグカップ

・情報

中村陶房は石川県を拠点に活動されている、夫婦経営の小さな陶房。鮮やかなコバルトブルーの結晶釉は他にはあまり見かけず、目を引く。4070円。

鮮やかなマットブルーとかわいいデザインが特徴

・ディテール

少し紫がかった鮮やかな群青色の結晶釉が目を引く。生地の色を利用して描かれた模様は船のマストのようで、おそらく青を海に見立てているのだろう。大変に繊細でかわいらしい。そのこだわりは裏側の釉のかかり方にまで発揮されている印象。可愛らしく個性的なデザインだが、持ち手は全体の雰囲気からすると少し大ぶりだ。

細かい手仕事を感じる。まるで船をテーマにした博物館に迷い込んでしまったかのよう

・総評

鮮やかな群青色で表現される中村陶房特有のの結晶釉、釉薬と生地を利用して描かれるかわいい絵。船をモチーフにしたのであろうデザインがとてもキュート。持ち手が可愛らしければさらにかわいらしいマグカップになると思う。

 

 

その2に続く。主に青、緑、そして銀色系を取り上げる。

 

平和と正義のツバメ

 

息子がノロウイルス系と思われる感染症にかかってひたすら下痢と嘔吐を繰り返し、翌日には私も職を休まざるを得なくなった。

 

少し体調の改善した息子と一緒に、ふとテレビをつけると素敵なメロディが流れている。朝10時くらいだったかな。これはYOASOBIの曲か。

通勤時間が長く、普段家に帰ってくると7時近くになる。夜の時間帯にもこの曲は毎日流れるが、サビの部分しか流れない。「♪僕らは色とりどりの 命とこの場所で 今も生きてる (中略。) いつか笑い合える日が来るから 僕には今何ができるかな」といった、こう言っては申し訳ないけどJPOPにありがちな、よく捉えれば前向きだが悪く捉えれば投げやりな歌詞と、YOASOBI特有のメランコリックでともすれば退廃的にすら感じる抑揚の強いメロディで、まあ日本の衰退という世相を反映した最近ありがちな曲だよねえ、などと斜に構えてみていた。

 

番組を見ていると、この曲の普段聞かないAメロBメロの部分が、心にすっと入ってくる。まるでガザ地区の分断を象徴するような、有刺鉄線のアニメ。戦争で破壊されたまちが、緑に蘇っていく姿。世界中の人々がこの曲に寄せて踊っている映像も流れてきた。マラウイ、キスギス、ペルー、世界各地の人々。私は気がついたら涙が止まらなくなっていた。息子の前でただただ涙している自分に気がついた。

 

某女宰相が解散総選挙で大勝してからというもの、日々散々である。チンピラ野党と組んで自分に都合の良いゲリマンダリングを進める。予算委員会では野党の話に耳を傾けず、民主主義のプロセスを軽視する。一番悲惨なのが外交である。自分が強いと思う国つまり米国には徹底的に媚を売る一方で、自分が重要視しない中東諸国の代表たちには仮病を使って合おうともしない。本来外交というのは相手が強大だとしても対等な相手としてバランス感覚を駆使して自分たちの立場を維持していく手腕であって、上下関係という土着的な物事の捉え方は、国際社会では通用しないはずである。こんな恥ずかしい宰相は生まれてこのかた見たことがない。サナエトークンだの裏帳簿だの、閣僚の破廉恥な不祥事だの、本来辞職ものの不祥事も枚挙にいとまがない。当時は酷いものだと思っていたが、長期政権を敷いた挙句射殺された彼の方が、まだ政治の体をなしていたように思う(もっとも権力者が一切法の裁きを受けない土壌を作った人間は彼であり、その汚れた土壌の上にこそ今の女宰相という毒草が生い茂っているのであるが)。

そして世界に目を向ければ、戦争。あまりこういうところで自分の立場を明確にしない方がいいという「忠告」を受けるかもしれないが、それにしても米国、そしてそれを唆して虐殺を続ける六芒星国家、本当に酷すぎる。ガザ問題はまさに現代のホロコーストであり、欧米を中心とした社会秩序の歪みの噴出であるが、これについて書き始めるとそれだけで一本の記事になりそうなのでやめておく。今回の記事で考えてみたいのは、我が国の女宰相や、米国の独裁者がなぜ生まれてしまったのかという点である。

 

私が生まれたころ、政治に携わる人々は本当はドロドロで薄汚いカネやスキャンダルに塗れていても、表面上は人々の代表者であろうとする姿勢を持っていたと思う。しかし、既存の政治が次第に既得権益者の方にばかり向き、社会の問題にきちんと向き合わないようになってきたのと同時に、「正しいことを言っている人は悪いこともする」が「正しいことを言って悪いことをするより悪いことを言って悪いことをした方がマシ」に変化し、さらに「正しいことを言って悪いことをするより悪いことを言って悪いことをした方がマシ」が「悪いことを言う人こそが正しい」になってしまった。

(論理においてAならばBの真性が保たれるのはその対偶(すなわちBでないならばAでない)だけであってAならばB→BならばAは決して成り立たないのであるが、平均的人間の知性ではそのようなことは決して理解されないから、逆は多くの場合真に変換され、原型を留めなくなっていく。)

そしてSNSのフィルターバブルによって常に自分達と同じような人間の言葉ばかり浴びるようになり、人々の意見は先鋭化され、視野は狭くなり、対話への関心は失われていく。多くの人の生活が苦しいのはそれこそ巨大IT企業の経営者層などの資本家や経営者、政治家などの既得権益層が原因であるのに彼らの存在は透明化され、少しカネのある中間層と貧困層の間での殴り合いに誘導されていく(それこそ富裕層の思う壺である)。「悪いことを言う人こそが正しい」という掛け声の下、権力を有する側の人間が好き放題悪いことをし、それに非権力者層が快哉を叫ぶという非対称性こそが現代社会の象徴である。これでは何も問題は解決しないのに、多くの非権力者層はそんなことにすら気づかないように誘導されているのである。三十年以上にわたって国民を追い込み続けてきた政党をいまだに支持する多くの人々の政治的リテラシーの低さ、主権者意識の低さ、幼稚さには心底失望させられる。

 

今の時代、正論は力を失い、SNSで正論を唱えようとする人は多くの人に嘲笑され、後ろ指を指される。「悪いことを言う人こそが正しい」社会では、「正しいことを言うのは間違い」なのである。元々正義が自分の心に内在する倫理ではなく他者との関係によって定義される土着的な通俗道徳がまかり通る日本の風土が、それを助長する。平和を希求する人は愚弄され、戦力を持つこと、他者を攻撃することこそが正義かつ現実的な選択であるという掛け声のもと、バブル絶頂の平和で豊かな時代に青春を過ごしたチャランポランな女によって我々が戦後守ってきた自由主義、民主主義、平和主義がいとも簡単に骨抜きにされようとしているのを、ただただ黙って指を咥えてみているしかない。世界に目を向ければ特定の国が他人の命などどうでもいいと言わんばかりに好き放題暴れ回り、もはや法に基づく秩序は風前の灯である。(なお、正しさとは何かという話になるとアリストテレスとかカントとかロールズの話になるが、ページの関係で深入りはしない。)

 

 

幼少時の私は、意外に思われる可能性もあると思うが、実を言うといわゆる「国際社会」的なものが嫌いであったから、このYOASOBIのツバメで流れるような動画は嫌悪していたように思う。当時はその理由が自分ではわからなかったが、そういう番組や英語の教科書から感じる、「君たちは外の世界を知らないんだ、俺たちが広い世界を教えてやろう」という啓蒙主義的なところが気に入らなかったのだと思う。それこそ私も所詮は反知性主義に堕していく人々と何の変わりもないメンタリティだった。

アフリカもインドも中央アジアも南米も訪れた今、彼らが元気に「ツバメ」の踊りを披露する姿に、自分が旅行で見てきた様々な光景、旅行で接したさまざまな人々との思い出が蘇ってきた。彼らの笑顔は全て私の中にある。私自身がツバメであり、異国の地で体験したことは私の血肉となっていた。その変化こそが私の人生であり、私の変化の象徴だった。

そして絶えない戦火に少なからずダメージを受けながら過ごす日々の中、戦後に焦土の中立ち上がってこの国を再建してきた人々がどのような思いであったのかを追体験せざるを得ない。正義や理想というのはあるものではなく追求するものであり、その天はるか高くにある光に手を伸ばすことそのものに人間の美しさと存在意義がある。我々を世界二位の大国に導いたのは自分の手で平和や民主主義を実現しようという崇高な理想主義ではなかったか。平和主義は単なるチンケな理想ではなく、戦争で深く傷ついた人間の切実な希求ではなかったのか。我々を長い衰退に追い込んだのは理想を嘲笑し、泡銭を稼いで溜飲を下げ、理想のもとで作られた概念や制度を切り売りする下世話な生活態度であり、そして平和主義を嘲笑する人々がもっとも平和ボケした人々に見える。そんなことを改めて考えさせるメロディと歌詞、そしてアニメーションであった。

「輝く宝石だとか 金箔ではないけれど こんなふうに世界中が ささやかな愛で溢れたなら 何かがきっと変わるはずさ 同じ空の下いつかきっと それが小さな僕の大きな夢」という歌詞は平和への切実な希求の叫びであり、戦後日本のガラス細工のような美しい理想の象徴であり、薄汚れた現代における輝きである。たとえ戦後民主主義が傷だらけの理想であったとしても、自分なりの理想を打ち立て、それに謙虚に向き合おうとしたことには意味があると思う。

NHKのジャーナリズムも安倍政権以降骨抜きにされたと言われて久しいが、教育テレビには少なくともそういった理想主義を子供に伝え、残していこうという気概を感じた。そして所詮は流行り物と言って大して理解しようともせずYOASOBIを斜めに見ていた私の不見識と傲慢さを恥じた。そしてかつてこのブログでも取り上げた、「小さい市場ほど、独占ではなく創造が求められる。音楽も利益の規模ではなく、多様性で生き残る産業なのでしょう。奪い合うものではなく、聞く人の人生にそっと忍び込む--その静かな力こそが本当の価値だと、音楽を愛するものとしてそう感じています」という匿名の呟きが、ふと思い出された。

 

一体今の私には何ができるのだろうか。

人生という螺旋を歩んできた今かつて見た景色は眼下はるか下にあるが、それでもさらに上には未知の世界が大きく広がっているように見える。挑戦こそが人生であり、挑戦しなければ腐っていくだけである。このような時勢で精神的には追い込まれがちだけれども、このような時勢だからこそ前を向かなければならない。追い込まれてもなお前を向いて歩くことこそが人間を人間たらしめる価値であるはずである。そして「悪こそ正義」の時代にどれほど嘲笑され、唾を吐きかけられても理想は理想であり、理想こそが人間の存在意義であり、そういうものこそが今の時代にこそ必要であり、衰退と無力感に打ちひしがれる人々の希望の光であると信じる。

 

そして最後に(こんな誰が見ているのかもわからないブログに書いても仕方ないのかもしれないが)敢えて皆様に声高に申し上げたいのは、「綺麗事を言う勇気を持て」ということである。絡み合った悪の大きさを目の前にして、多くの日本人は打ちひしがれ、打ちのめされ、「現実を見て」既存の権力構造に取り込まれることを選択しがちだし、そのような選択をしろという無言の圧力を特に日本社会は強く持っている。そして多くの人は「そんなの現実的じゃない」といって、いつの日か理想を掲げる人をめんどくさがり、後ろ指をさして嘲笑するようになる。しかしその中でも、誰もの目を眩しさで焼き尽くすほどの理想を掲げなければならない。たった一人の力は小さいようで大きく、一人一人を束ねていくことで大きな力を生み出すことができるし、それは世界史が証明してきた。人類の歩みは既存の権力への挑戦と多くの失敗、そしてわずかだが輝かしく画期的な成功の上にあり、彼らの死屍累々の山の上に乗って、我々は今の景色を見ている。我々は彼らが遺した偉大な財産を次世代に遺すための運び屋であることを忘れてはいけない。失敗することを恐れてはいけない。圧政に抵抗することを恐れてはならない。そして、理想を掲げる人に対して「そんなのは現実的ではない」といって後ろ指をさして嘲笑する彼らこそが現実を前にさまざまな挫折を強いられてきた犠牲者であり、彼らにこそ理想の輝きと導きが必要である、ということである。

 

 

2025

 

2025年も残すところあと数日となった。

子育てというものはもちろん充実感もあるけれども、私からすっかり趣味と時間を奪い、思索を形にするエネルギーを奪ってしまった側面がある。よく通俗的には「置かれた場所で咲きなさい」だの「政治などの抽象的なことを考えるよりも、目の前のことに集中しろ」だの言われるけれども(そしてそういうナラティブは私はあまり好きではない)、それこそ子育ては「目の前のことに目を向け」させ、大きなことについて思考する余裕を奪う方向に作用することは偽り難い事実である。それでも依然として自分を自分らしくあらせようという意志のみは、捨てないでいるつもりである。ああ、もう最後に海外を訪れた日から、10ヶ月近く経ったんだな。

聞くところによると戦後80年だそうであるから、今回は「目の前のこと」ではなく、「もっと大きなこと」について、真剣な?物書きをしようと思う。

 

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かつて知人と政治について話していて、こんなセリフを聞いたことがある。

「デモやストライキを推奨するなんて危険な思想だ、やめた方がいい」

「政治家というのはみんな頑張っているのだから、彼らの言動を責めるべきではないと思う」

 

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首相が変わってからというもの、日々の悪い意味での目まぐるしさに生きた心地がしないのだが、謎に高支持率を維持しているらしく、多くの人の目にはどういうふうに映っているのか、全く想像がつかない。支持率の数字を見ても、全く実感がわかない。周囲に支持している人が全く見当たらないからだ。

 

官僚の書いた答弁書から自ら逸脱して地雷を踏み、その尻拭いを周囲の官僚や財界の人間にさせておきながら謝罪の言葉は一切なく、「自分の命は自分で守れ」などと自己責任論を吹聴する自己矛盾・自己欺瞞には心底驚嘆させられる。こんな人が自分の上司だったら、と想像するだけでただただ恐ろしい。そして今度は「核兵器を持つべき」などとの発言が飛び出した。保守を自称する人々が平和主義国家としての信頼を積み上げてきた先人の努力を灰燼に帰す発言の数々に、心底落胆させられる。

 

日本では自己責任論というのがとにかく叫ばれがちであるが、人々が自己の責任を自覚して行動するならまだしも、国民から頂いた税金で生きている政治家が、自己責任論を振り翳すのは筋が通らないと思う。自己責任というならばそもそも税金を取るべきではないし、ご自身の舌禍によってもたらされた経済的外交的損失は自分の財産と地を這うような謝罪で埋め合わせるべきである。最近の政治家はまるで自分のケツは自分で拭け、そして政治家のケツもお前らが拭けと言わんばかりの品位に欠ける物言いが目立つ。自分たちを選んだのは国民だからと居丈高に開き直るのだろうか?随分な他責思考で、見下げたものである。

 

国民を豊かにするための国の舵取りという、一番重要であるはずの国としての責任を放棄し、自己責任論を盾に国民に罪だけをなすりつけ、補助金ばかりがばら撒かれ、政府の補助金に集る怪しげな企業が蛆虫のように税金に群がり、怪しげなコンサルが跋扈する。現場で手を動かすことが忌避され、努力が嘲笑され、実直さが軽視され、システムをいかにしてハックするか、いかにして楽をしてゼニを増やすかばかりが注目される時代である。エアコンの効いた部屋で端末を操作するだけで利鞘が財布に転がり込む仕組みが国を挙げて推奨され、人々はその旨みに味を占め、誠実さを失いつつあるように見える。私の身の回りでも最近、ある日を境に突然仕事に対する誠実さを失い、不労所得の話を、キラキラした怪しげな目つきで嬉々として開帳し始める人が決して少なくなく、大変暗澹たる気持ちにさせられる。

始めた街中を歩けば古き良き街並みは根こそぎ破壊され、一部の巨大企業の手により、どこにでもあるようなつまらない高層建築が後先考えず雨後の筍のように林立し、それに補助金という形で血税が注ぎ込まれる。そしてその注ぎ込まれた血税で建てられた物件をダシに、人々は利鞘を求めて狂奔する。街中を歩けば戦前日本を礼賛する反動主義勢力や差別主義者が街中を跋扈する。政治は信者から強引な手法で献金を巻き上げ社会問題となってきたカルト宗教や、怪しげな反動主義勢力との関係を隠そうともせず、隣国では確実に刑事罰を免れないような汚職行為を暴露されても反省のそぶりすら見せずに開き直り、まるで腹話術人形のようにカルト宗教に似た怪しげな主張を復唱し、もはやかつての先進国であった日本は見る影もない。

 

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日本の歴史は80年おきに興亡を繰り返してきたという通称「80年史観」が半藤一利氏により提唱されているそうだ。世代が一巡することで、成功や失敗の記憶が世代から消えていき、同じことを繰り返すという仮説である。この国は逆境に置かれた時には集団で力を発揮し、困難に打ち勝とうとするけれども、その困難を打開し、うまく行き始めた途端に自己陶酔に陥り、過去に成功したスキームに拘泥し、反省もアップデートもせずに墜落への道を突き進む。これは「失敗の本質」でも繰り返し指摘されてきたことである。今はちょうど戦後80年。衰退に歯止めがかからない現在の状況は、まさにドンピシャというわけである。そして、その80年仮説においてちょうど折り返し地点となったのが、「バブル景気」なのではないか言われているし、私もそう思っている。

私が生まれた頃はすでにバブルが弾けていて、その残り香としてのバブルっぽい雰囲気だけが街を漂っていた。当時を生きていたわけではないのでその空気感は想像しかねる部分があるが、文献を紐解くに人々はマネーゲームに狂奔し、円高による購買力の上昇から不動産を買い漁っていたという。街ではディスコが流行り、怪しげなオカルトが流行った。そこにはただただ金銭的豊かさによる退廃だけがあり、知性に裏打ちされた慎重さというものは何も感じられないように思う。その時政治が何をしていたかと言えば中曽根政権がその国粋主義的な思想に基づいて国鉄労組解体に奔走し、それは偉大な見せしめとして労働組合を萎縮させ、労使協調という名の経営陣に対する労働組合の傀儡化が進み、人々はストライキを自主的に控えるようになり、自ら労働条件を改善する手段を放棄してしまった。その後日本は長い停滞に陥り、派遣という名の人の下に人を作るシステムで人々の生活はさらに切り詰められ、ITバブルの時も結局マネーゲーム以上のものは産まれることがなく、金融緩和という日本の再起のチャンスであったはずの政策は富裕層の所得を水増しするだけに終わり、何の技術革新ももたらさなかった。

浮ついたバブル時代の空気の中で、なぜ当時の人間が「通貨安で輸出し外貨を稼ぐ発展モデル」から「通貨高のもとで世界から信頼される様々な部門のセンターを作り、その手数料や権威の授与によって自らの価値を再生産する発展維持モデル(これはまさに米国が今やっているように、手数料を世界から巻き上げ、留学を通して自らの国のプラグマティックな思想を拡大輸出している)」にシフトできなかったのか、というのは、バブル時代の人々に対する私の最大の謎である。昭和天皇、本来この御方もなぜ戦争責任から免責されたのかというのはまた「無責任の体系」の象徴のようなところがあるけれども、彼が「通貨の価値が高くなるというのは、いいことではないのですか」と仰っていた言葉を正面から捉えることすら、当時の人々にはできなかったのである。高度経済成長とバブルの成功体験に味を占めた日本は産業構造を維持することに拘泥し、何度も通貨安の再来を試みたが、それはすでに他国が競争力を増す中で敢えて自国の価値をかつて発展途上国であった国々に並べるだけの愚策であった。もちろん、その産業構造の維持には利権がまるでゴルディアスの結び目のように絡みついていて、それとズブズブの自民党にはそれを解体再構築することなどできるはずはないのである。「一見ゴルディアスの結び目を切ったように見せかけて快哉を叫ぶ」政治家は過去にもいたが(それこそ郵政民営化の某首相)、その後日本に何をもたらしたかを考えると目も当てられない。

 

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さて、ここで冒頭の知人のセリフに戻る。

これらのセリフは近年のこの国に山積するまさに上記のような諸問題について話していた時に飛び出したものである。皆様はどう思われるだろうか。むしろその通りだと思う人も多いのだろうか?

私はまるでお上の言うことに楯突いてはいけない、権力構造の上位者ほどあらゆる責任から免れると言わんばかりのこれらの言説にも驚いたが、さらに唖然とするのは、これは世間的に見ればエリート階層の人間の言葉だということである。ならば、もし政治が誤った道を歩むことになった時、どうやって人々はその間違いを政治に訴えるのか?「正しいプロセスに従って」というが、そもそもその正しいプロセスを定義するのは権力の側ではないか?上位者ほど免責されるのであれば、誰がこの社会の行方に責任を取るのか?命令に従う側の人間ならともかく、人々を導く側の人間がこのような意識でいいのだろうか?

上記の2つのセリフは私の心に楔となって深く打ち込まれ、ただ強い違和感と論駁の必要性を感じただけでなく、なぜこのような思想が生まれるのかを探究する必要性を真剣に感じるようになった。折しも、怪しげな陰謀論や排外主義や歴史修正をカジュアルに繰り返す政党の躍進が目立つ時勢であった。危機感を持ち、あまり好きでなかった日本史や、日本文化論に関する本を紐解くことが多くなった。

 

個人の空虚さ、すなわち自分なりの行動原理や倫理規範を持たず、他者の行動や他者からの目に依存して自分の行動を決定するこの国の人々の性質は、多くの思想家や学者によって、たびたび指摘されてきたもののようである。まさにこれは河合隼雄の指摘した「中空構造」のことであろうか。

この中空構造は個々人の精神の構造だけでなく、この国の社会構造にまで及んでいるように見える。丸山眞男が「日本の思想」で提唱した、「無責任の体系」である。上位に位置するものほど責任が問われず、「抑圧の移譲」によって辺縁のものばかりが行動を求められ、責任を追及される。ここでは上位を政治家、下位のものを(特に政治とのコネクションもない)国民と考えるとわかりやすい。この際にナラティブとして多用されるのは、内田樹のいう、「『強いものは正しいから強いのだ、弱いものは間違っているから弱くなったのだ』という倒錯したトートロジー」である。

そしてさらに学びを進めていくうちに、このトートロジーは、深く日本人の通俗道徳に根ざすものであって、江戸期や明治期にはすでにその形を捉えることができるらしいというところまで至った。例えば安丸良夫「日本の近代化と民衆思想」によれば、石田梅岩石門心学や、二宮金次郎として有名な二宮尊徳報徳思想は、人々の貧しさの原因を人心の荒廃に求め、正しい行いをしていれば金銭的に豊かになることができるという思想が見て取れるということのようだ。

「あなたが誠実で勤勉であれば豊かさを手に入れ、あなたが放縦で自堕落な生活を送っていれば貧しくなる」。人々の精神が個人の地位や金銭的豊かさを保証するという、一見もっともらしくこの国では違和感なく受け入れられてしまいそうなこういった唯心論は、社会の構造や外的要因に目を向ければ無理筋で非論理的なものであることがすぐにわかるはずだが、社会システムについて大局的に考えるという視点がない市井の人々にとってはそれは難しかったのだろうか。通俗道徳に接続された思想であり、かつ正しい行いをさせて人々を既存の権力構造に取り込むという点で大変便利なものであったため、山縣有朋をはじめとする政治家によってある種のプロパガンダとして利用されたという。それは二宮金次郎像が小学校においていまだに残存していることからも、見ることができると思う。(私の育った小学校にも当然二宮金次郎像があった。報徳思想とそれが日本社会にもたらした悪影響に思い至った時、まるで二宮金次郎像がレーニン像や南米におけるコロンブス像のようにもみえ、こんなものさっさと壊してしまえばいいのにとすら思ったものだ。なおこの二宮金次郎像、最近は取り壊しや置き換えの風潮があるようだが、それは報徳思想の否定とは全く関係なく、本を読みながら歩くという「勤勉性の象徴」的な行為が「ながらスマホを助長する」かららしい。思想もクソもない実に現代的な理由で笑ってしまった)。そしてこの思想は人々の心の中で因果が逆転し、「地位が高いものは正しい精神を持っており、貧しいもの、地位の低いものは間違っているのだ」という言説を必然的に産むことになる。これが内田樹氏の指摘したトートロジーの正体である。

 

私の記憶によれば、2010年くらいまでは政治家はスキャンダルが露見するとその責任をとって辞めるのが普通であったように記憶しているのだが、かつてこの無責任の体系とか内田樹氏の指摘するトートロジー的な日本人の精神構造を悪用し、居直りに成功した宰相があった。マスコミで何を指摘されても無視し、国会での非難を逆に嘲笑し、自ら品性のないヤジで国会を愚弄した。その姿を長年見せつけられているうちに、人々は「偉い人は何をやっても許されるのだ」と思ったことだろう。高い地位にあるものはそれを濫用しようと思ったはずだし、抑圧されて生きてきた人は失意に打ちひしがれたはずである。そうやってトップが腐れば辺縁は腐っていく。根腐りした植物が全て枯れてしまうのと、全く同じことである。今や誰が見てもその根腐れが明らかな今の日本に、威勢の良い言葉と裏腹に空疎な価値しか持たないものが居座るのは、もはや時代の必然と言えるのかもしれない。

 

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マッカーサーは民主主義の発達段階において日本人を12歳の少年にたとえたという。日本を占領し指導にあたったマッカーサーは一時期「マッカーサー神社」や「マッカーサー銅像」を作る運動が起こるほどにもてはやされたが、日本人はこの言葉で一気に熱が冷めたというのが半藤氏の話である。まあ、為政者に対して常に暴走しないよう監視するという民主主義における国民の役割を放棄して、頂点に立ったものを崇拝するということしかできない幼稚性は、残念ながら12歳の少年以外の何者でもなかったのだということになる。

 

近年は歴史修正主義者や排外主義者が跳梁跋扈し、国の凋落から目を背け、日本すごいポルノで感動に耽り、自分たちの作り出した自分たちに都合の良い神話の紛い物を崇め奉ってオナニーする連中が幅を効かせている。現在の日本社会の何が問題なのかということを真剣に考えることが、この国が経済的に復興するための鍵であるはずなのに、愛国者を自称する連中に限って、解決すべき諸問題には決して目を向けようとしない。

 

我が家に生息する一歳半の嬰児は親に怒られても笑って誤魔化したり目を逸らしたりする有様でなかなか大変であるが、最近のこの国の人々の有様を見ていると、彼らはもはや大人になるためにもがく12歳の少年ですらなく、一歳半の嬰児という喩えの方が適切なのではないかとすら思えてくる。

マッカーサーよ、あなたの見立ては甘く、この国を高く見積りすぎていたのだった。そこには知日派としてこの国に対するあまりに温情的な評価があったのだろうと思う。それはある意味ありがたかったけれども、この国の宿痾や構造が温存され、結局同じ失敗を繰り返そうとしていることにもつながっている気がする。

 

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そもそも55年体制以降、ほとんど同一の政党ばかりが政権を担ってきたという現象からして明らかに何かがおかしいのであって、諸悪の根源はそこにあると言わざるを得ないのではないか。固着した結び目は、異なる理念体系を持つ政党にしか解き、もしくは切断し得ない。

しかし残念ながら近年人気を博するのは自民党の主張を一部取り出したり煮詰めたりしたものばかりで、そこにはオリジナリティなど微塵も感じられず、それ以前にオリジナリティを出そうとか理念からして1から考えようという気概自体が感じられない。それを対決より解決などと言い訳して、骨子の部分は与党に考えてもらって僅かにもたらした微修正をまるで針小棒大に自分たちの偉大な成果のように誇るさまは滑稽というほかない。

 

為政者に矛を向けることのできない臆病さを自分よりも弱いターゲットを見つけて袋叩きにすることで憂さ晴らしする卑屈さ、強いものを無批判に崇拝する幼稚さ、自分なりの信念体系を持ちそれを彫琢しようとすらしない臆病さ。こういった我々の欠点は先述のとおり、(それこそ保守を自称するならば知っていて当然のような)思想家によって度重なる指摘がされてきたものである。こういったものに向き合わないまま過去へのノスタルジーというリフレイン(コードギアスのアレ)を打ち続けたところで、いつまでたっても封建制の奴隷のままであり、決して民主主義の担い手にはなれないし、このスランプを乗り越えることもできないだろう。日本という「樹」が根腐れを起こしたのは当然かつてトップを務めた人間にも原因はあるが、それを生み出したのは国民であり、日本という「土壌」である。根腐れの治療や寄生虫の除去は当然必要であるが、「土壌」を改良しなければ根本的な原因は解決しない。そしてその土壌というのは我々に通底する通俗道徳であるはずである。我々は自らの奥底に流れる通俗道徳を反省し、悪いところは改め、廃棄していかなければならない。

 

 

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戦後80年の今年は、日本にとってまさに歴史のサイクルの一つの節目となりうる年だったのかもしれない。後から振り返れば今年の出来事のどこかにその「節目」が潜んでいるかもしれない。

冒頭の彼らのセリフを聞いたのがちょうど一年前くらいだったか。一方はSNSで、一方は飲み会で遭遇したので、当然対応も違った。前者は理論武装の希薄な拙い言葉で私の考えを投稿したが、後者ではあまりの自分の思想との懸隔に絶句し、何も答えられなかった。それから1年経ち、私なりに日本の通俗道徳や政治史について勉強し、これらの問題について一定の回答を得るに至ったつもりである。

最近この国が破滅に向かって突き進んでいる様、そしてこの状況で敢えて破滅に向かいますと叫んでいるも同然の宰相に熱狂する(?)国民を見ていると、いっそのことあの先の大戦のように、もう一度破滅に突き進むしかないのかとも思う。

人権は剥奪され、少数派は蹂躙され、愚かな人間の愚かな言動への服従を強要され、盲目的な集団の狂気に身を任せる、それが人々の望みであるならば、もはやもう一度破滅するしかない。しかしながら今度破滅した時に、マッカーサーという良心的な人がやってきて、それなりに良心的な統治をしてくれる保証はどこにもない。良心を持たない国において更なる収奪的な統治が行われる可能性も当然考えなければいけない。しかしそういう時にも多分この国の人は簡単にやってきた占領者を両手をあげて崇めるのだろうか?それこそ、戦前の愛国おじさんや国防婦人会おばさんが敗戦した途端に自由と民主主義を説くようになったように。これもまた丸山眞男が指摘していたことで、それをわかりやすく書いたのがはだしのゲンというだけのことである。本当に救いがない。

 

焼け野原の中傷だらけで立ち上がった先人たちの強靭な精神とかつて経済2位の大国にまで押し上げたその偉業に想いを馳せながら、そして彼らの置き土産の処理も怠ることなく、せめて80年前と同じ失敗を繰り返さないように、つまらない自己陶酔に逃避して解決すべき真の問題から目を背けることなく、人々が前に進んでいってほしいと思う今日この頃である。

 

 

 

 

スリランカ(11) エピローグ

 

スリランカ(9)の記事を書いてからというもの、日々の忙しさに振り回され、次第にブログを更新するモチベーションも下がっていき、更新が半年ほど滞っていた。今回一念発起してようやく記事を更新するに至った。

 

スリランカ自体は小さな島に高密度に歴史的遺産が集まる特異な島で、熱帯雨林から冷涼な高原地帯まで自然も変化に富んでいる、唯一無二の島国である。その素晴らしさは間違いなく傑出している。

 

しかしながら、その傑出したすばらしさゆえにあまりに観光地としてメジャーになりすぎている。とくにヨーロッパ人による観光汚染が目立ち、残念ながら地元の人々の生活にお邪魔させていただくという趣のある旅行からは、程遠くなってしまったのも事実である。相対的に言えばアヌラーダプラやポロンナルワといった北部の平原地帯は比較的欧米人観光客が少なく、歴史的遺産を堪能できたが、これはヨーロッパ人が難解な仏教遺跡を避け、「わかりやすい」シーギリヤロックやエッラなどの高原地帯を好んで訪れるからだそうである。

 

結局のところ、その国の滞在が素晴らしかったと思えるかどうかは、実際に遺産が豊富であったかどうかよりも、心に響く体験がどれくらいできたかによって決まるところがある。スリランカという国自体は素晴らしかったが、私にスリランカという国が見せた表情はどこかよそ行きで、どこか納得がいかなかったような気がするのは事実である。

 

私はもはや数年はひとりで海外旅行など行くことはできないだろうが、必ず行くであろうエチオピア旅行のために、アムハラ語の勉強を開始した。エチオピアの実質的な共通語であるアムハラ語はアラビア語と同様のセム語に属するので、アラビア語と共通する語彙は少なくないし、動詞の活用においてキモとなる語根システムは共通であるため、アラビア語をかじった私は一からアムハラ語を学ぶよりもハードルが低く感じているはずである。

古代南アラビア文字に源を発するゲエズ文字に四苦八苦しながら、あまり日本では聞きなれない特徴的な「放出音(ጠ/ጨ/ፀ/ጸ/ጰ)」をはじめとした独特の粗野な響きのある言語を身に着けていくことは着実な喜びがある。アフリカの角の高原地帯を訪れるその日のために、そして再び海外の地を踏む日のために(それは一人でか、家族を連れてになるかはわからないが)、少しずつ準備をしていこうと思う。

 

 

 

 

 

 

 

スリランカ(10) コロンボへ、そして帰国

3/24

9時 ゴール出発

11時半ごろコロンボ

バワの事務所をリノベーションしたカフェ「パラダイスロード・ギャラリーカフェ」にて昼食

コロンボ観光、空港へ

UL454 2035COL

3/25

0810(+1)NRT 成田空港着

 

起床。

室外機が爆音で冷房をつけられずに寝たので肌がベタベタし気持ち悪い。

シャワーを浴びて、朝8時ごろ朝食。

昨日と同様、まあまあなスクランブルエッグだ。

朝食

ガイドは9時ごろ迎えに来るというので、朝のゴールを軽く散歩することにした。

柔らかい朝の日差しに照らされたかわいい町並みが、さわやかな海風とあいまって心地よい。

朝のゴール市街

ホテルに戻り、荷物をまとめてロビーでガイドを待つ。

9時になるとガイドが迎えに来た。ホテルの不愛想な主人には軽く挨拶して、宿を出た。主人はチップでも期待していたのだろうか、何か未練がましい顔をしていたが、残念ながら宿の中でも悪いほうの部屋をあてがわれ、夜も冷房をつけられず、あまりいい思いをできなかったのでチップを払う気が起きなかった。

海外旅行では宿はケチってはいけないという、以前あれほど苦い思いをして学んだはずの事実を再確認する羽目になってしまったのが残念である。

ガイドの車はゴールの町を出て高速道路へ入り、まっすぐコロンボに向かう。

コロンボ

過ぎ去っていく緑色の景色が旅の終わりを感じさせる。途中でサービスエリアにてトイレ休憩。このサービスエリアも先日の記事で触れた前大統領・ラジャパクサによって作られたそうである。

サービスエリアにはラジャパクサによって作られたと書かれた石碑が置かれていた

さらに1時間ほど走っていく。

しだいに都会の景色になっていき、ほどなくすると時折大きな建築が見えるコロンボの市街に入った。国際会議場、大きな仏像などが点在するが、基本的には土地を広く使った都市計画が印象的だ。スリランカはどこの都市もそうだが、水や緑の面積を大きく取ってゆったりとした雰囲気の都が好まれるという印象がある。

実質的な首都でありながら、緑の多い都市だ

ガジュマルの巨大な街路樹が並ぶ通りを抜けてしばらくすると、本日昼食をいただくレストラン、バワの建築を改築した「パラダイスロード・ギャラリーカフェ」の駐車場に到着した。

バワというのはコロンボ出身の建築家である。ヨーロッパ人とシンハラ人の血を引く彼は上流階級として生まれ、イギリスにわたりケンブリッジ大学で英文学を専攻し弁護士となった。その後スリランカに戻り、世界周遊の旅などで見識を深めたのち、再びイギリスにて建築を学ぶ。建築家としてのキャリアをスタートしたのは、38歳のことだったという。

彼の建築はスリランカの伝統的な建築様式や自然を生かしつつ、ヨーロッパ的なモダンさを加えてアレンジされた雰囲気のものが多い。簡単に言えばバエるのだけど、もう少し高尚な言い方をすれば、視覚的な端正さと幾何学的な美しさがある。今回利用するカフェも、入ってしばらく歩くと長方形の池があり、ここを通り抜けるとレストランに至るというおしゃれな演出がされていた。

昼食はエビのカレーを選択。盛り付けも綺麗で、なかなかおいしい。そしてバワの手によるおしゃれな空間がすばらしく、ゆっくりと食事を楽しめた。

エビのカレー。おいしかったです

食事ののち、ガイドの車に戻り何軒かバワの建築を回る。雑貨屋やカフェとして利用されている建築であるが、やはり池やメリハリのある空間の使い方が印象的だった。

こちらも別のバワによる建築だが、雰囲気が良い

次にはコロンボの中央部にあるふたつの寺院をめぐる。

まずは行ったのはガンガラーマ寺院。

ガンガラーマ寺院

こちらはコロンボの中で最も大きい寺院の一つである。入口に靴を預けて、中に入る。この寺院にはヒンドゥー寺院も併設されており、派手な極彩色に彩られたヒンドゥーの神々が印象的であった。

シヴァ神をまつるヒンドゥー寺院があった

肝心の仏教寺院のほうでは、こちらもインド的な色彩で彩られた立派な仏像が安置されていた。仏像やストゥーパ、立派な菩提樹の木などがみられる。寺院に併設されたホールは、日本の資金援助によりつくられたとのことである。

趣のある大きな菩提樹に、人々は手を合わせていた

次にシーマ・マラカヤ寺院を見学する。

こちらの寺院は人工的な池の上につくられたかわいらしい寺院であるが、これもまたバワによる設計で作られた寺院である。訪問時にはそれと知らなかったが、それくらい伝統的な建築としても違和感がなく、市街の雰囲気に溶け込んでいる。

靴を預けて寺院に入るが、太陽に熱された地面があまりに熱く、とても歩けたものではない。ようやく寺院に至るが、よく風の通る本堂、本堂を囲むように配置された仏像が印象的だ。

シーマ・マラカヤ寺院

背後には奇抜な造形の高層ビルが見えるが、日本のように乱立しているということはなく、周囲の景観とも調和がとれているように見える。経済的な豊かさはともかく、都市計画における独特の美意識を感じさせる国だ。

次に向かったのは、独立記念ホール。

このホールはキャンディ王国の終焉となった「キャンディ会議」が執り行われた、仏歯寺にある王族集会場を模して造られている。独立を記念するホールがシンハラ王国の終焉の象徴を模して造られているところに、「歴史の因果」、主権を取り戻すことに対するスリランカの人々の熱意を感じる。

独立記念ホール

インドの抗議によって当初の予定よりも高さが低く作られたというロータス・タワーを横目に、イギリス植民地時代の建築が立ち並ぶ、「フォート」へ向かう。ここでショッピングモールに案内され、飛行機の時間まで余裕があるから1時間くらい暇をつぶすようにと言われ、ガイドは駐車場に戻っていった。

フォートと呼ばれる旧市街。英国時代の建築はショッピングモールにもなっている

このカフェはDilmahという一部の日本人には有名なスリランカの紅茶ブランドのカフェらしい。私は知らなかったが、このカフェでゆっくりしていると聞きなれた言語を話すカップルが入ってきた。コロンボでは日本人の観光客を少なからず見かけ、案外スリランカが日本人に人気のある観光地であることをうかがわせた。しかしながらキャンディやヌワラエリヤではあまり見かけなかったように思うので、その訪問地には偏りがあるのかもしれない。

Dilmahのカフェではホワイトティーを注文。上品な味わい

暇をつぶしたのちガイドの車に戻る。

イギリス植民地時代の趣ある建物の間を通り、最後の目的地である空港に向かう。湖のそばを通り抜けると、ほどなくして空港に至った。

旧市街をぬけて、空港へ向かう

なんとなくおみやげ屋を回ってみるが、特に買うものもなさそうである。適当に紅茶を買って飛行機を待つことにした。あたりが暗くなってきたころ、飛行機に案内される。スリランカの地を去る瞬間であった。

機内食のカレーは美味だったが、モニターは行きと同様、調子が悪かった