2025年も残すところあと数日となった。
子育てというものはもちろん充実感もあるけれども、私からすっかり趣味と時間を奪い、思索を形にするエネルギーを奪ってしまった側面がある。よく通俗的には「置かれた場所で咲きなさい」だの「政治などの抽象的なことを考えるよりも、目の前のことに集中しろ」だの言われるけれども(そしてそういうナラティブは私はあまり好きではない)、それこそ子育ては「目の前のことに目を向け」させ、大きなことについて思考する余裕を奪う方向に作用することは偽り難い事実である。それでも依然として自分を自分らしくあらせようという意志のみは、捨てないでいるつもりである。ああ、もう最後に海外を訪れた日から、10ヶ月近く経ったんだな。
聞くところによると戦後80年だそうであるから、今回は「目の前のこと」ではなく、「もっと大きなこと」について、真剣な?物書きをしようと思う。
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かつて知人と政治について話していて、こんなセリフを聞いたことがある。
「デモやストライキを推奨するなんて危険な思想だ、やめた方がいい」
「政治家というのはみんな頑張っているのだから、彼らの言動を責めるべきではないと思う」
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首相が変わってからというもの、日々の悪い意味での目まぐるしさに生きた心地がしないのだが、謎に高支持率を維持しているらしく、多くの人の目にはどういうふうに映っているのか、全く想像がつかない。支持率の数字を見ても、全く実感がわかない。周囲に支持している人が全く見当たらないからだ。
官僚の書いた答弁書から自ら逸脱して地雷を踏み、その尻拭いを周囲の官僚や財界の人間にさせておきながら謝罪の言葉は一切なく、「自分の命は自分で守れ」などと自己責任論を吹聴する自己矛盾・自己欺瞞には心底驚嘆させられる。こんな人が自分の上司だったら、と想像するだけでただただ恐ろしい。そして今度は「核兵器を持つべき」などとの発言が飛び出した。保守を自称する人々が平和主義国家としての信頼を積み上げてきた先人の努力を灰燼に帰す発言の数々に、心底落胆させられる。
日本では自己責任論というのがとにかく叫ばれがちであるが、人々が自己の責任を自覚して行動するならまだしも、国民から頂いた税金で生きている政治家が、自己責任論を振り翳すのは筋が通らないと思う。自己責任というならばそもそも税金を取るべきではないし、ご自身の舌禍によってもたらされた経済的外交的損失は自分の財産と地を這うような謝罪で埋め合わせるべきである。最近の政治家はまるで自分のケツは自分で拭け、そして政治家のケツもお前らが拭けと言わんばかりの品位に欠ける物言いが目立つ。自分たちを選んだのは国民だからと居丈高に開き直るのだろうか?随分な他責思考で、見下げたものである。
国民を豊かにするための国の舵取りという、一番重要であるはずの国としての責任を放棄し、自己責任論を盾に国民に罪だけをなすりつけ、補助金ばかりがばら撒かれ、政府の補助金に集る怪しげな企業が蛆虫のように税金に群がり、怪しげなコンサルが跋扈する。現場で手を動かすことが忌避され、努力が嘲笑され、実直さが軽視され、システムをいかにしてハックするか、いかにして楽をしてゼニを増やすかばかりが注目される時代である。エアコンの効いた部屋で端末を操作するだけで利鞘が財布に転がり込む仕組みが国を挙げて推奨され、人々はその旨みに味を占め、誠実さを失いつつあるように見える。私の身の回りでも最近、ある日を境に突然仕事に対する誠実さを失い、不労所得の話を、キラキラした怪しげな目つきで嬉々として開帳し始める人が決して少なくなく、大変暗澹たる気持ちにさせられる。
始めた街中を歩けば古き良き街並みは根こそぎ破壊され、一部の巨大企業の手により、どこにでもあるようなつまらない高層建築が後先考えず雨後の筍のように林立し、それに補助金という形で血税が注ぎ込まれる。そしてその注ぎ込まれた血税で建てられた物件をダシに、人々は利鞘を求めて狂奔する。街中を歩けば戦前日本を礼賛する反動主義勢力や差別主義者が街中を跋扈する。政治は信者から強引な手法で献金を巻き上げ社会問題となってきたカルト宗教や、怪しげな反動主義勢力との関係を隠そうともせず、隣国では確実に刑事罰を免れないような汚職行為を暴露されても反省のそぶりすら見せずに開き直り、まるで腹話術人形のようにカルト宗教に似た怪しげな主張を復唱し、もはやかつての先進国であった日本は見る影もない。
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日本の歴史は80年おきに興亡を繰り返してきたという通称「80年史観」が半藤一利氏により提唱されているそうだ。世代が一巡することで、成功や失敗の記憶が世代から消えていき、同じことを繰り返すという仮説である。この国は逆境に置かれた時には集団で力を発揮し、困難に打ち勝とうとするけれども、その困難を打開し、うまく行き始めた途端に自己陶酔に陥り、過去に成功したスキームに拘泥し、反省もアップデートもせずに墜落への道を突き進む。これは「失敗の本質」でも繰り返し指摘されてきたことである。今はちょうど戦後80年。衰退に歯止めがかからない現在の状況は、まさにドンピシャというわけである。そして、その80年仮説においてちょうど折り返し地点となったのが、「バブル景気」なのではないか言われているし、私もそう思っている。
私が生まれた頃はすでにバブルが弾けていて、その残り香としてのバブルっぽい雰囲気だけが街を漂っていた。当時を生きていたわけではないのでその空気感は想像しかねる部分があるが、文献を紐解くに人々はマネーゲームに狂奔し、円高による購買力の上昇から不動産を買い漁っていたという。街ではディスコが流行り、怪しげなオカルトが流行った。そこにはただただ金銭的豊かさによる退廃だけがあり、知性に裏打ちされた慎重さというものは何も感じられないように思う。その時政治が何をしていたかと言えば中曽根政権がその国粋主義的な思想に基づいて国鉄労組解体に奔走し、それは偉大な見せしめとして労働組合を萎縮させ、労使協調という名の経営陣に対する労働組合の傀儡化が進み、人々はストライキを自主的に控えるようになり、自ら労働条件を改善する手段を放棄してしまった。その後日本は長い停滞に陥り、派遣という名の人の下に人を作るシステムで人々の生活はさらに切り詰められ、ITバブルの時も結局マネーゲーム以上のものは産まれることがなく、金融緩和という日本の再起のチャンスであったはずの政策は富裕層の所得を水増しするだけに終わり、何の技術革新ももたらさなかった。
浮ついたバブル時代の空気の中で、なぜ当時の人間が「通貨安で輸出し外貨を稼ぐ発展モデル」から「通貨高のもとで世界から信頼される様々な部門のセンターを作り、その手数料や権威の授与によって自らの価値を再生産する発展維持モデル(これはまさに米国が今やっているように、手数料を世界から巻き上げ、留学を通して自らの国のプラグマティックな思想を拡大輸出している)」にシフトできなかったのか、というのは、バブル時代の人々に対する私の最大の謎である。昭和天皇、本来この御方もなぜ戦争責任から免責されたのかというのはまた「無責任の体系」の象徴のようなところがあるけれども、彼が「通貨の価値が高くなるというのは、いいことではないのですか」と仰っていた言葉を正面から捉えることすら、当時の人々にはできなかったのである。高度経済成長とバブルの成功体験に味を占めた日本は産業構造を維持することに拘泥し、何度も通貨安の再来を試みたが、それはすでに他国が競争力を増す中で敢えて自国の価値をかつて発展途上国であった国々に並べるだけの愚策であった。もちろん、その産業構造の維持には利権がまるでゴルディアスの結び目のように絡みついていて、それとズブズブの自民党にはそれを解体再構築することなどできるはずはないのである。「一見ゴルディアスの結び目を切ったように見せかけて快哉を叫ぶ」政治家は過去にもいたが(それこそ郵政民営化の某首相)、その後日本に何をもたらしたかを考えると目も当てられない。
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さて、ここで冒頭の知人のセリフに戻る。
これらのセリフは近年のこの国に山積するまさに上記のような諸問題について話していた時に飛び出したものである。皆様はどう思われるだろうか。むしろその通りだと思う人も多いのだろうか?
私はまるでお上の言うことに楯突いてはいけない、権力構造の上位者ほどあらゆる責任から免れると言わんばかりのこれらの言説にも驚いたが、さらに唖然とするのは、これは世間的に見ればエリート階層の人間の言葉だということである。ならば、もし政治が誤った道を歩むことになった時、どうやって人々はその間違いを政治に訴えるのか?「正しいプロセスに従って」というが、そもそもその正しいプロセスを定義するのは権力の側ではないか?上位者ほど免責されるのであれば、誰がこの社会の行方に責任を取るのか?命令に従う側の人間ならともかく、人々を導く側の人間がこのような意識でいいのだろうか?
上記の2つのセリフは私の心に楔となって深く打ち込まれ、ただ強い違和感と論駁の必要性を感じただけでなく、なぜこのような思想が生まれるのかを探究する必要性を真剣に感じるようになった。折しも、怪しげな陰謀論や排外主義や歴史修正をカジュアルに繰り返す政党の躍進が目立つ時勢であった。危機感を持ち、あまり好きでなかった日本史や、日本文化論に関する本を紐解くことが多くなった。
個人の空虚さ、すなわち自分なりの行動原理や倫理規範を持たず、他者の行動や他者からの目に依存して自分の行動を決定するこの国の人々の性質は、多くの思想家や学者によって、たびたび指摘されてきたもののようである。まさにこれは河合隼雄の指摘した「中空構造」のことであろうか。
この中空構造は個々人の精神の構造だけでなく、この国の社会構造にまで及んでいるように見える。丸山眞男が「日本の思想」で提唱した、「無責任の体系」である。上位に位置するものほど責任が問われず、「抑圧の移譲」によって辺縁のものばかりが行動を求められ、責任を追及される。ここでは上位を政治家、下位のものを(特に政治とのコネクションもない)国民と考えるとわかりやすい。この際にナラティブとして多用されるのは、内田樹のいう、「『強いものは正しいから強いのだ、弱いものは間違っているから弱くなったのだ』という倒錯したトートロジー」である。
そしてさらに学びを進めていくうちに、このトートロジーは、深く日本人の通俗道徳に根ざすものであって、江戸期や明治期にはすでにその形を捉えることができるらしいというところまで至った。例えば安丸良夫「日本の近代化と民衆思想」によれば、石田梅岩の石門心学や、二宮金次郎として有名な二宮尊徳の報徳思想は、人々の貧しさの原因を人心の荒廃に求め、正しい行いをしていれば金銭的に豊かになることができるという思想が見て取れるということのようだ。
「あなたが誠実で勤勉であれば豊かさを手に入れ、あなたが放縦で自堕落な生活を送っていれば貧しくなる」。人々の精神が個人の地位や金銭的豊かさを保証するという、一見もっともらしくこの国では違和感なく受け入れられてしまいそうなこういった唯心論は、社会の構造や外的要因に目を向ければ無理筋で非論理的なものであることがすぐにわかるはずだが、社会システムについて大局的に考えるという視点がない市井の人々にとってはそれは難しかったのだろうか。通俗道徳に接続された思想であり、かつ正しい行いをさせて人々を既存の権力構造に取り込むという点で大変便利なものであったため、山縣有朋をはじめとする政治家によってある種のプロパガンダとして利用されたという。それは二宮金次郎像が小学校においていまだに残存していることからも、見ることができると思う。(私の育った小学校にも当然二宮金次郎像があった。報徳思想とそれが日本社会にもたらした悪影響に思い至った時、まるで二宮金次郎像がレーニン像や南米におけるコロンブス像のようにもみえ、こんなものさっさと壊してしまえばいいのにとすら思ったものだ。なおこの二宮金次郎像、最近は取り壊しや置き換えの風潮があるようだが、それは報徳思想の否定とは全く関係なく、本を読みながら歩くという「勤勉性の象徴」的な行為が「ながらスマホを助長する」かららしい。思想もクソもない実に現代的な理由で笑ってしまった)。そしてこの思想は人々の心の中で因果が逆転し、「地位が高いものは正しい精神を持っており、貧しいもの、地位の低いものは間違っているのだ」という言説を必然的に産むことになる。これが内田樹氏の指摘したトートロジーの正体である。
私の記憶によれば、2010年くらいまでは政治家はスキャンダルが露見するとその責任をとって辞めるのが普通であったように記憶しているのだが、かつてこの無責任の体系とか内田樹氏の指摘するトートロジー的な日本人の精神構造を悪用し、居直りに成功した宰相があった。マスコミで何を指摘されても無視し、国会での非難を逆に嘲笑し、自ら品性のないヤジで国会を愚弄した。その姿を長年見せつけられているうちに、人々は「偉い人は何をやっても許されるのだ」と思ったことだろう。高い地位にあるものはそれを濫用しようと思ったはずだし、抑圧されて生きてきた人は失意に打ちひしがれたはずである。そうやってトップが腐れば辺縁は腐っていく。根腐りした植物が全て枯れてしまうのと、全く同じことである。今や誰が見てもその根腐れが明らかな今の日本に、威勢の良い言葉と裏腹に空疎な価値しか持たないものが居座るのは、もはや時代の必然と言えるのかもしれない。
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マッカーサーは民主主義の発達段階において日本人を12歳の少年にたとえたという。日本を占領し指導にあたったマッカーサーは一時期「マッカーサー神社」や「マッカーサーの銅像」を作る運動が起こるほどにもてはやされたが、日本人はこの言葉で一気に熱が冷めたというのが半藤氏の話である。まあ、為政者に対して常に暴走しないよう監視するという民主主義における国民の役割を放棄して、頂点に立ったものを崇拝するということしかできない幼稚性は、残念ながら12歳の少年以外の何者でもなかったのだということになる。
近年は歴史修正主義者や排外主義者が跳梁跋扈し、国の凋落から目を背け、日本すごいポルノで感動に耽り、自分たちの作り出した自分たちに都合の良い神話の紛い物を崇め奉ってオナニーする連中が幅を効かせている。現在の日本社会の何が問題なのかということを真剣に考えることが、この国が経済的に復興するための鍵であるはずなのに、愛国者を自称する連中に限って、解決すべき諸問題には決して目を向けようとしない。
我が家に生息する一歳半の嬰児は親に怒られても笑って誤魔化したり目を逸らしたりする有様でなかなか大変であるが、最近のこの国の人々の有様を見ていると、彼らはもはや大人になるためにもがく12歳の少年ですらなく、一歳半の嬰児という喩えの方が適切なのではないかとすら思えてくる。
マッカーサーよ、あなたの見立ては甘く、この国を高く見積りすぎていたのだった。そこには知日派としてこの国に対するあまりに温情的な評価があったのだろうと思う。それはある意味ありがたかったけれども、この国の宿痾や構造が温存され、結局同じ失敗を繰り返そうとしていることにもつながっている気がする。
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そもそも55年体制以降、ほとんど同一の政党ばかりが政権を担ってきたという現象からして明らかに何かがおかしいのであって、諸悪の根源はそこにあると言わざるを得ないのではないか。固着した結び目は、異なる理念体系を持つ政党にしか解き、もしくは切断し得ない。
しかし残念ながら近年人気を博するのは自民党の主張を一部取り出したり煮詰めたりしたものばかりで、そこにはオリジナリティなど微塵も感じられず、それ以前にオリジナリティを出そうとか理念からして1から考えようという気概自体が感じられない。それを対決より解決などと言い訳して、骨子の部分は与党に考えてもらって僅かにもたらした微修正をまるで針小棒大に自分たちの偉大な成果のように誇るさまは滑稽というほかない。
為政者に矛を向けることのできない臆病さを自分よりも弱いターゲットを見つけて袋叩きにすることで憂さ晴らしする卑屈さ、強いものを無批判に崇拝する幼稚さ、自分なりの信念体系を持ちそれを彫琢しようとすらしない臆病さ。こういった我々の欠点は先述のとおり、(それこそ保守を自称するならば知っていて当然のような)思想家によって度重なる指摘がされてきたものである。こういったものに向き合わないまま過去へのノスタルジーというリフレイン(コードギアスのアレ)を打ち続けたところで、いつまでたっても封建制の奴隷のままであり、決して民主主義の担い手にはなれないし、このスランプを乗り越えることもできないだろう。日本という「樹」が根腐れを起こしたのは当然かつてトップを務めた人間にも原因はあるが、それを生み出したのは国民であり、日本という「土壌」である。根腐れの治療や寄生虫の除去は当然必要であるが、「土壌」を改良しなければ根本的な原因は解決しない。そしてその土壌というのは我々に通底する通俗道徳であるはずである。我々は自らの奥底に流れる通俗道徳を反省し、悪いところは改め、廃棄していかなければならない。
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戦後80年の今年は、日本にとってまさに歴史のサイクルの一つの節目となりうる年だったのかもしれない。後から振り返れば今年の出来事のどこかにその「節目」が潜んでいるかもしれない。
冒頭の彼らのセリフを聞いたのがちょうど一年前くらいだったか。一方はSNSで、一方は飲み会で遭遇したので、当然対応も違った。前者は理論武装の希薄な拙い言葉で私の考えを投稿したが、後者ではあまりの自分の思想との懸隔に絶句し、何も答えられなかった。それから1年経ち、私なりに日本の通俗道徳や政治史について勉強し、これらの問題について一定の回答を得るに至ったつもりである。
最近この国が破滅に向かって突き進んでいる様、そしてこの状況で敢えて破滅に向かいますと叫んでいるも同然の宰相に熱狂する(?)国民を見ていると、いっそのことあの先の大戦のように、もう一度破滅に突き進むしかないのかとも思う。
人権は剥奪され、少数派は蹂躙され、愚かな人間の愚かな言動への服従を強要され、盲目的な集団の狂気に身を任せる、それが人々の望みであるならば、もはやもう一度破滅するしかない。しかしながら今度破滅した時に、マッカーサーという良心的な人がやってきて、それなりに良心的な統治をしてくれる保証はどこにもない。良心を持たない国において更なる収奪的な統治が行われる可能性も当然考えなければいけない。しかしそういう時にも多分この国の人は簡単にやってきた占領者を両手をあげて崇めるのだろうか?それこそ、戦前の愛国おじさんや国防婦人会おばさんが敗戦した途端に自由と民主主義を説くようになったように。これもまた丸山眞男が指摘していたことで、それをわかりやすく書いたのがはだしのゲンというだけのことである。本当に救いがない。
焼け野原の中傷だらけで立ち上がった先人たちの強靭な精神とかつて経済2位の大国にまで押し上げたその偉業に想いを馳せながら、そして彼らの置き土産の処理も怠ることなく、せめて80年前と同じ失敗を繰り返さないように、つまらない自己陶酔に逃避して解決すべき真の問題から目を背けることなく、人々が前に進んでいってほしいと思う今日この頃である。






































































































