Le Chèvrefeuille

世界は遊覧、思い出の場所であり、われらは去りゆく者

ウズベキスタン(4) 宗教都市ブハラ

11/2

終日ブハラ観光

Emir 泊

 

本日は終日ブハラ観光の日である。

古い街並みや城塞、バザール、そしてチンギスハン襲来以前の建築もいくらか残されたイスラム色の濃い宗教都市を散歩する。元々ブハラというのはサンスクリット語で「僧院」を意味し、イスラームの影響を受ける前はインド文明の影響下にあった地域である。

朝はホテルの地下室にある食堂でゆっくりとビュッフェ。朝食のクオリティはなかなかだ。体格の良いロシア人の団体客が来ている。話を聞いてみると昔はテニス選手だったのだという。しかしまあ、随分と横に太い(笑)

朝8時半ごろから散策開始である。今日もどんよりとした曇り。リャビ・ハウズを通りすぎ、モスクやバザールのある西の方に向かう。まだバザールが開いておらず、人通りもそれほど多くない。おや?市役所の建物の近くでおそらく遠足か何かだろう、地元の子どもたちの集団に遭遇。子供たちの顔も目鼻立ちのはっきりしたコーカソイド系の顔、モンゴロイド系、明らかにロシア系と多種多様。皆異国からきた人に興味津々だ。学校の先生と思しき人からは

「どこから来たの?」

ウズベキスタンはどう?」

などと色々質問攻めに遭う。どういうわけか記念写真を撮ってもらった。

イランの時にも書いた気がするが、異国の人に対してどこかよそよそしい態度を取る日本人と比べるとフレンドリーさが顕著である。他者に対してもっと興味関心を持って積極的に接した方が、接する側も接される側も楽しいと思うが、そういう心がけは意味のないことだろうか。少なくとも自分はこういう異国の地で歓迎されたら嬉しく思うけどな。

この辺りには地中から掘り出されたモスクであるマコギ・アッタリ・モスクがある。その歴史は6世紀に建てられた仏教寺院に遡るというが、デザイン的にはかなり地味なモスクだ。周囲には謎の遺跡の遺構があるが、その由緒が書かれた看板は適当に見ていたため記憶に残っていない。

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マコギ・アッタリ・モスクと何かの遺跡

この辺りの通りは北西の角にあるタキに一旦収束し、1本の通りにつながっている。木彫り細工や真鍮細工、そしてスザニの並んだ美しいバザールを横目に見ながら、この通りを北に向かうと別のタキに出る。ここのタキでは美しい青色をしたブハラ絨毯や、ツイッターで目撃した陶器のクリスマス飾り(おそらくロシア支配の影響だろう。しかし模様にはイスラム風の趣が感じられて面白い)などが売っている。ブハラ絨毯は2x1メートル程度で600ドル程度。誠実な感じの男性店員の話を聞くと、ブハラ絨毯はイランのそれに比べると「目」が荒いため値段が安いそうだ。鮮やかで落ち着いた青の色調には惹きつけられるものがあったが、残念ながら持って帰る手段がない。ちょうど良い大きさでそこそこ芸の細かい絨毯をと探したが、結局手頃なものは見つからなかった。

さて、この絨毯屋のあるタキはタキ・ザルカロンというらしい。ネットには手前にタキ、遠くにカラーン・ミナレットが聳えるブハラの風景を写した写真が転がっているが、実際なかなか見事なもの。この付近は15世紀の創建であるウルグベク・マドラサと、その向かいにあるアブドゥルアジズ・マドラサが並んでおり、荘厳な町並みを作り出している。これらのマドラサの中を覗いてみると、中は寂れたバザールとなっている。(のちに観光することになるサマルカンドの有名なレギスタン広場と比べても明らかに)修復されずに朽ちるに任せられた装飾は少し物寂しいものがあるが、かえって歴史を感じられるという説もある。

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遠くにカラーン・ミナレット

ウルグベク・マドラサはブハラで最初に建設されたマドラサ。装飾には乏しく質実剛健ティムール朝時代の建築である。向かいにあるアブドゥルアジズ・マドラサはウルグベク・マドラサ建設の200年後に建てられたそうだが、エイヴァーンに見事なムカルナスの装飾が施されている。修復されず大分色褪せてしまっているが、時の流れとイスラーム建築美術の変遷を垣間見ることができる。

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土色の町並みと、ウルグベク・マドラサ

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ムカルナスの装飾が施されたアブドゥルアジズ・マドラサのエイヴァーン

ここから少しで昨日の夜にも散歩した、カラーン・ミナレットのある広場に出る。まだ朝早く人はまばら。さらに西に進みアルク城の横を通り抜け、歩くこと数キロ。緑多い公園の道を歩いていくと、ブハラ観光の目玉の一つである、イスマーイール・サーマーニー廟に至る。

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アルク城の脇を通って、廟のある公園へ

このイスマーイール・サーマーニー廟は、アッバース朝の地方政権から生まれたサーマーン朝時代の名君イスマーイール・サーマーニーの廟とされている建築である。ほぼ立方体の建物の上に小ぶりのドームが乗っている。特にタイルの装飾もなされていないため一見地味だが、よく見るとレンガの並べ方で細かい装飾が形作られており極めて精巧だ。この建築はチンギス・ハン襲来時には砂に埋もれており、破壊を免れた。旧ソ連の時代に掘り出されたのだという。目の前にある立派な建築物も数奇な運命の末に目の前に立っているというわけである。

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イスマーイール・サーマーニー廟

 中に入ると、一面土色の壁の中に1つ、棺のような構造物が作られている。天井のドームは特に装飾はされておらず質素な雰囲気だ。外から見るよりも中から見る方がずいぶん立派である。

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廟の内装は質素だが美しい

さて、廟から出て公園に戻る。この辺りはブハラの街のはずれであり見所は多くないが、北の方にチャシマ・アイユブ(ヨブの泉)なる建築があるという。ガイドブックに取り上げられないような町中の細い通りを歩いていくと、道端のおじいさんに「どこから来たの?ようこそ!」などと話しかけられた。こういう邂逅はやっぱり楽しいよね。他人との接触を極力避けるよそよそしい国日本では決してできないような体験だ。おもてなしなどという言葉が空虚に思えてならない。

ここから程なくチャシマ・アイユブである。この建物内には湧水があって、ここの水は眼病に効くのだという。中には井戸があるが、そのほかには取り立ててみるべきもののない博物館のようになっている。普段は閉鎖されているらしい奥の棺が置かれたドームの部分にたまたま立ち入ることができたが、団体客のために解放したものらしく程なくして追い出されてしまった。

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チェシマ・アイユブと、中にある井戸

民族衣装を着たおばさんが柘榴などの農作物を売るバザールの横を通り過ぎると、ボラハウズ・モスクである。このモスクの前にあるボラハウズという池は工事中のようで、残念ながら水が抜かれて干上がっていた。全く絵にはならないが。

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彫刻されたクルミの細長い柱が何本も立つ入り口がとても特徴的だが、よくみるとこの柱、少し曲がっていたり傾いていたりして味わいがある。中に入ると白と濃い青を基調とした空間で、青い光で照らされ、美しいシャンデリアが吊り下がっている。見事なものだ。

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ボラハウズ・モスク

通りを挟んで向かい側にはアルク城がある。城と言ってもヨーロッパのそれのような装飾的な感じではなく城塞のような趣。正面入り口から入ると中は博物館のようになっており、ウズベキスタンの歴史を知ることができたが、こういう博物館系は何となく通り過ぎてしまうタイプの人間なので、あまり記憶に残っていない。

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アルク

もと来た道を戻り、再びカラーン・ミナレットのある広場へ。昨日は入らなかったカラーン・モスクを見学する。モスクの内部は大きな広場になっており、正面のエイヴァーンは壮大だがムカルナスの装飾はほとんどなく、質実剛健な趣だ。ここでヒヴァで出会った日本人カップルに再会。彼らは電車に乗ってきたそうだ。裏手のトイレを拝借したが有料であった。

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カラーンモスク
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カラーンモスク

 

午前中に近辺を散策したウルグベク・マドラサとアブドゥルアジズ・マドラサの扉が開いていたので、内部を見学する。まずはウルグベク・マドラサ。ブハラでもっとも歴史のあるマドラサであるというがとても小ぶりなマドラサである。修復があまりされていないのか、多くのタイルが落ちてしまっている。アブドゥルアジズ・マドラサも同様、装飾タイルや彩色が落ちてしまっており、礼拝所と思われるホールの壁は一部にひび割れが見られて少し痛ましい。ここで店をやっている謎の地元のおばさんによくわからない説明をされて時間が過ぎてしまったが、こういう時間もまあ良いものである。

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ウルグベク・マドラサとアブドゥルアジズ・マドラサ

バザールでは何点か買い物をした。一つは陶器のクリスマス飾り。これはTwitterで流れてきた写真を見て知っていたので、一つは買おうと思っていた。ぶっきらぼうなおっさんと値段の交渉をする、25ドルだというがもう少し安くならないかと訊くと、「君の値段を言え!」という。そういうことで、20ドルでお買い上げ。次は大きなスザニ。日本語も話せるという女性店員が営む、地球の歩き方にも紹介されたお店だが商売っ気が強くなかなか負けてくれない。気に入った白地に青い柄のものは200ドルで購入した。描かれている柘榴は豊穣の象徴らしい。自分は愚直すぎてどうもこういう駆け引きはあまり得意ではない、絶対にもっと上手い人がいるはずだ。

バザールのある通りのカフェでカプチーノとケーキを食べて休憩をしたのち、リャビ・ハウズを挟んで反対側にあるチョル・ミノルに向かう。このカフェはタキを改装したもので、イスラーム建築を楽しみながらゆっくり時間を過ごすことができた。

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バザールで売っているおみやげと、カフェの内部

朝は曇っていた空も次第に晴れてきて、澄んだ青空が美しい。土色の煉瓦と青緑色の尖塔が空の青に映える。

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空の青い光に照らされて色鮮やかになったナディール・ディヴァンベギ・マドラサの偶像装飾の門を入ると、比較的活気のあるバザールになっている。اللهやمحمدといった文字が刻まれた真鍮細工や銅細工、スザにのお店、木彫りの皿…実に多種多様なものが売っておりとても楽しい。木彫りの皿の模様が美しいと思い店番をしている少年に色々と話をする。70ドルと言っていたお皿だが、店の奥に潜むマスターと相談の上、60ドルにまで負けてくれた。なぜウズベキスタンに?と聞かれたので、イスラム文化に興味を持ったこと、アラビア語を勉強していることなどを話すと、彼は右手を胸に当てて敬意を示してくれた。自分のやっていることがそこまで尊敬されることなのかはわからないが、まだ少年なのに自分たちの文化を理解しようとする人間に敬意を示そうとするその姿勢には大変心を打たれるものがあった。

確かにイスラームというだけで過激思想だとレッテルを貼ったり、外国をアミューズメントパークか何かと勘違いしてうかれ騒いで帰っていくだけの人々も多いのだろう。そこには自分達の属する社会とは違う文化、宗教を持つ人々がいるということから目を背けている。それはとても悲しく、貧しい楽しみ方だと思う。

旧市街の少しゴミゴミしたところを歩いていくと突然チョル・ミノルのある広場に出る。これはトルクメン人の商人が建てたものだというが、なかなかに個性的な建築だ。

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チョル・ミノル

かなり歩いたので、ホテルに一旦戻る。中庭で休憩していると、気前の良いマスターがお茶と茶菓子を持ってきてくれた。ここのホテルはbooking.comでも大変評判が良かったが、その理由がわかる気がする。ゆっくりしていると、「もう一杯要りますか?」と。いや、もう大丈夫です。本当にありがとう。

 

夜は近くのレストラン、チャイハナ・チナルへ。プロフを注文した。米、人参、肉、ウズラの卵…乗っている具材が明らかに新鮮で調理も素晴らしく、とても美味しい。この旅行では結局何度かプロフを食べたものの、値段と味を考えるとこのお店が一番良かった。近くに座った日本人夫婦の観光客が「お釣りはもらえないんだねー」と言っていたが、外国ではお釣りをくれと言わないとお釣りは出てこない。暗黙の了解というのは海外では通用しないので、そういうのは全て言葉に出さないといけない。コミュニケーションの手間を惜しむと損をすることになる。

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今回の旅行で一番のお店、チャイハナ👌・チナル

少し休憩して、夜散歩へ。「イスマーイール・サーマーニー廟は夜に見るのが美しい」などとガイドブックに書いてあるものだから、2キロほど離れた廟までまた歩いて行ってみることにした。途中で少年に話しかけられるが、ハガキ売りの少年だった。暗い公園の道を歩いていくと、ライトアップされた廟。夜にわざわざ見に来るほど美しいかどうかは微妙だが、まあ良い体験になった。アルク城にはラクダの装飾が浮かび上がっている。

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夜のイスマーイール・サーマーニー廟と、アルク

ホテルに帰ってバザールの戦利品の写真をとって満足し、この日は寝ることにした。

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2021

さて、今年ももう終わりということなので、特にそこまで大きな感慨もないのだが備忘録的な感じで一応振り返るだけ振り返っておこうと思う。

今年の前半はただただ不毛な日々を過ごした。自らの過ちに気づいた頃には時はすでに去り、もはや後戻りはできない。当たり前のことだが時の流れの早さに愕然とする。気分転換に旅行に行ったりもしたがいまひとつ身が入らず、常に後悔の念に苛まれ、日常的に胃痛に悩まされていたように思う。色々ともがいてみたが今一つうまくいかず、当事者は自分の弱点を正確に撃ち抜くがごとく無視を決め込み、これも精神状態のさらなる悪化に拍車をかけた(まあ向こうには向こうなりの言い分があるだろう)。その中で何かにしがみつこうと始めたのがこのブログだった。

このブログを始めたのはイラン旅行のエピローグの記事を書くためだった。あとはすべておまけのようなものだ。(だから記事の更新に身が入らず、ウズベキスタン旅行記は更新が滞り、オマーン旅行記にまで到達しそうも無い。笑。)しかしなぜこれを書きたかったかというと、これがやはり今の自分の原点だったからだ。如何なる状況でもこれだけは見失いたくなかった。精神の健康を売っても魂だけは売ることができなかった。もちろんこの記事が当事者に届けばという目論見もあるにはあったが、そんなものはとうに外れていることは明白であるから、もはやあまり気にしていない。

 

とまあ、色々ありましたが、暗い話はここでおしまい。悪い流れというのもいつかは必ず終焉が訪れる。そういうわけで本題に入る。2021前半の陰鬱な空気を吹き飛ばし、その後半を良きものにした、素晴らしいもの・コトとの出会いを並べていきたい。

 

Colnago C64 disk BDBL(アズーロ)、BORA ULTRA WTO 45

ロードバイクにいくらかけてるんだよという揶揄が飛んできそうだが、今年5月ごろに我が家にやってきた大切な相棒。これが昔のC59に優しさを足したような素晴らしい乗り味で面白いくらいに走る。

最初はフルクラムのレーシングゼロ カーボンDBを履かせていたがどうも高速域の加速に頭打ちを感じたため導入したのがBORA〜。こちらもホイールにいくら投入したんだと言われると答えに窮するが、これがまた大正解。時速が5キロほど向上するほどの圧倒的な性能で、ロードバイクに乗るのはこれほど楽しかったのかと感動し、今まで避けていた標高差のある峠に積極的に出かけるようになった。気がつけば半年で2000キロを超える走行距離。毎日走る人にとっては大したことないかもしれないが、今までの自転車の乗り方を考えるとこの距離は驚異的である。

運動習慣は身体の健康だけでなく精神の健康ももたらした。冬が深まり寒い時期であってもメンタルは健康そのもので、全くdepressしている感じがしない。精神というのは行動によって完全にコントロールすることができるのかもしれない。高い買い物をしたが、この半年で身体と精神の健全を圧倒的に保てていることを考えれば、1000kを超える投資など安いものだ。

Ata Ana - Arzigul Tursun

トルコ系の音楽をネットで漁っていたら発見した曲。ウイグルの女性アーティストがカシュガルの寺院の前で歌っている謎のPVが印象的。日本人が逆立ちしても思い付かないような不思議な旋律は、どこか高い山の上から世界を見下ろしているような浮遊感がある。これも2021年の素晴らしい出会いの一つ。あまりにも気に入ったので、峠のダウンヒル中にiphoneから大音量で流していた。なお、Ata Anaウイグル語で「両親」、の意味である。残念なことに、この曲は11月末にyoutubeから永遠に削除されてしまった。オフライン保存しておけばよかったと後悔している。まあ、誰かがまたアップロードしてくれるのを気長に待ちますよ。

青ヶ島八丈島

これは今年で一番行ってよかった場所。大海原に浮かぶ小さな島。鮮やかで濃い緑。独特の風土… ここまで来ればまるで地平線の彼方に現れる黒雲のように横たわる本土の黒い影も見えない。私を追うものはもう何もない。そういう圧倒的な解放感と隔絶感が味わえる。ここの素晴らしい風土は、今年の前半自分の中にのしかかっていた重い空気を粉々に破壊しどこかに吹き飛ばしてしまった。やっぱり八丈島は橘丸で訪れてこそ。夜行の船旅は素晴らしい趣。いつかまた再訪したい。その時にはこの素晴らしさを共有できるような人と訪れたいものだね。

◆バガヴァッド・ギーター

以前読もうとしたがさっぱり意味の分からなかったこのインド哲学の金字塔のような本。改めて読むと大変に味わい深い。この本はあまりにも深すぎるが故に一部の人の手によって「わかりやすく」書き換えられ、浅はかで安っぽい言葉に置き換えられて理解されてしまうことが多いのだが、そういう安易な解釈に頼らずに、この古典を少しずつ反芻するように読むと、次第にその全貌が見えてくる。

行為の放擲。行為の結果を目的とせず、祭祀として自分の義務を果たし、その結果を(ヒンドゥー教でいう)神に委ねるということらしい。信仰がない人にとっては神を運命と書き換えれば良いだろうか(安易な書き換えは誤った解釈を生むので良くないのかもしれないが)。その一節を引用したい。

「彼は苦楽を平等に見て、自己に依拠し、土塊や石や黄金を等しいものと見て、好ましいものと好ましくないものを同一視し、冷静であり、非難と称賛を同一視する。

彼は尊敬と軽蔑を同一視し、味方と敵とを同一視し、一切の企図を捨てる。このような人が、要素を超越した人と言われる。」(第14章24-25)

うーむ、素晴らしいではないか。最近世の中では何でもかんでも物事を序列化し、値踏みし、金銭的な価値を創出すること、そして結果にこだわり目的を蔑ろにすることが流行っているが、実に狭隘なつまらないやり方である。この本を読むと実に胸がすくような思いがする。

西洋的なものの考え方は「論理的」だというが、人間が議論の際に作り出す論理には必ず破綻がある。それに論理によって相手を論破したところで、勝ち負けを決することはできても、相手の考えを変えることはできない。その点において論理というのは圧倒的な脆弱さを抱えているというわけです。あまり論理とか理屈というのに拘らず、もっと大局的に物事を見た方が良いのかもしれないと思う日々である。

 

とりあえずこのくらいだろうか。今年が終わるまでに思いついたら何かを追加しよう。

最後に、仕事においても一応2つの専門イ試験に無事合格することができた。まあ合格が困難な試験というわけではないが、今年の自分がこのように何とかやれているのは懇意にしている友人から糸魚川で話し相手をしてくれた寿司屋の板前さんまで、ひとえに支えてくださった周囲の人間、そして素晴らしきものとの出会いのお陰である。そして素晴らしいものの素晴らしさがわかるのは暗黒の時期を経験したからであり、自らを驕らず謙虚に生きることの大切さを痛感させられる。これからも初心を忘れることなく、かといって初心に拘泥しすぎることもなく、思想的な軸を持ちつつもその思考を状況に応じて変化させる柔軟さを織り交ぜ、しなやかだが決して折れない柳の枝のように生きていく所存。そうすれば未だ光の見えない物事についても、自ずと正解に辿り着くはずである。

 

ウズベキスタン(3)長い移動の日

11/1

8:00 ヒヴァ

14:30 ブハラ

Emir 泊

 

この日はキジル・クム砂漠を高速道路をひたすら車で走ること6時間。ブハラのブティックホテルであるEmirに宿泊するだけの日程である。

朝は少し早起きしてヒヴァの街を回ってみることにした。朝焼けに輝く砂糖菓子のような街並みが美しい。可能ならばもう1日滞在したかったところ。

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朝焼けに染まるヒヴァ

 

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朝焼けのパフラヴァン・マフムド廟



この日送迎してくれるのは、昨日ヒヴァの空港から市内まで送迎してくれたのと同じ運転手であった。朝8時頃に城壁の外で待ち合わせ、彼の車に乗る。UcellのSIMカードを購入したメリットを最大限に活かし、Google Mapと睨めっこしながら外の景色と照らし合わせる。

ヒヴァ周辺の延々と広がる綿花の畑もやがて終わりを迎える。ホラズム地方には何個か小さな都市があり、そこではモスクや道端で瓜の類を売る光景が見られる。とてもローカルな光景だ。トゥルトクリという名前の都市を過ぎると風景は一気に砂漠になる。

 

単調な景色で、ブハラについた後はまたウルゲンチまで戻るというドライバーが哀れである。トルクメニスタンとの国境地帯は多くの場所で写真撮影禁止だが、一部でアムダリヤ川が望めるところがあり、ここで写真を撮ってもらった。

このアムダリヤ川は何度か流れが変わり、それに伴ってウルゲンチの町も移動したのだという。過去のアムダリヤ川の流れの近くに沿って作られた都市がトルクメニスタン世界遺産になっている、クフナ・ウルゲンチである。

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アムダリヤ川の流れ

この撮影ポイントを過ぎてしばらく行くとドライブインに至る。ここでは高速バスが何台も止まって団体旅行客が休んでいる。私はガイドに連れられ、シャシリクとスープを注文した。なかなか美味。残念ながら自分の注文分は自分で払わされたが、彼の帰りのドライブを考えると仕方がない、ここは我慢することにした。

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ドライブインで食事。スープもシャシリクも美味

しばらく単調な砂漠を行く。

本当に単調かつ広大な砂漠である。一部に未舗装路もあり路面状況は良くない。ようやく道が舗装されてきて2車線になり、次第に緑が増えてくる。心なしか雲も増えてきたようだ。ようやく人々の生活の香りがしてきて、ヒヴァの市街に至る。

ヒヴァはロシア人が旧市街を破壊することなく、その外側に新市街を形成したため、中心部の旧市街がきれいに形を留めている。数多くのモスクやマドラサもそのままの形で残っている。市街の隅のユダヤ人街もきれいに残っており、2日間お世話になるEmirもこのユダヤ人街の中にあって、かつてのユダヤ商人の屋敷を改装したものだという。このブティックホテル、元々は一階の部屋が予約されていたが、無理言って二階の部屋にしてもらった。中庭と建物の装飾がおしゃれだ。少し休憩したあと、夕食をとりがてら夕方の街を散歩してみることにした。

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ブティックホテルEmir。白を基調とした、おしゃれでかわいい内装

ブハラの町はイスラーム圏の街の構造としては典型的な感じもするが、〇〇ハウズ(リャビ・ハウズやボラ・ハウズ)という池が作られており、市民の憩いの場となっているのが特徴だ。

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ナディール・ディヴァンベギ・マドラサとリャビ・ハウズ。とても雰囲気の良いところ。

このナディール・ディヴァンベギ・マドラサというのがブハラのの名物的建築のひとつである。モスクのエイヴァーンには人の顔と、二羽の大きな鳥が描かれている。本来イスラームでは偶像崇拝はタブーであるはずだが、これは本来ナディールがキャラバンサライとして建て始めたのをハンが「素晴らしいメドレセ」と称賛したため急遽マドラサにした名残らしい。この顔はハンの威光を示すらしいが…なんだか極めてモンゴロイド的な顔貌で笑ってしまう。まあ自分もモンゴロイドだが。笑。

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ナディール・ディヴァンベギ・マドラサ

このマドラサは現在はバザールになっており、市民の憩いの場となっているほか、この建物をバックに記念撮影する新郎新婦が多く見られる。個人的にブハラ観光の目玉だと思っていたこの世界遺産級の建築が、あまりにも市街のど真ん中にある上に人々の生活に馴染んで親しまれていることに少し感動した。このマドラサマドラサとしては死んでいるが、建築としてはまさに「生きている」わけである。ただの観光地と化した世界遺産もある一方で、こういう人々の生活に馴染んで未だその役割を果たしている世界遺産を見るとなんだか嬉しくなる。

夕食はリャビ・ハウズ近くの同名のレストランで。雨が少ないからだろう、屋外に机が並べられている。麺入りの肉のスープを注文。夕食には少し少ないかもしれないが、昼間に十分食べたのでこれで大丈夫。

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夕食

食事後はブハラの街散歩。とても活気があり、歩くのが楽しい。スザニや金属加工品、木彫りなどの手工芸品を売る店が立ち並ぶさまは整然としていてとても美しい。こんな時間であるが町の治安はよく、ヨーロッパの街にありがちな(以下略。

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夜のバザールの様子と、ライトアップされるカラーン・ミナレット

少し足を伸ばしてカラーンミナレットやモスクの立ち並ぶ界隈へ行く。 夜も観光客が街を歩いており、治安の良さが窺われる。カラーンミナレットはチンギスハンの襲来時にも破壊されなかった数少ない建築物の一つ。レンガの凹凸で美しさを表現しており立派な建築だ。カラーン・モスクは夕暮れ時の紫色と照明の緑色が混じり合い、独特の雰囲気を呈している。向かい側にあるミリ・アラブ・マドラサは現役のマドラサで、観光客の立ち入りはできない。

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黄昏時のカラーンモスクとミリ・アラブ・マドラサ


この辺りで夜散歩は切り上げ、ホテルに戻る。ホテルの内装はローカルでとてもおしゃれな雰囲気。こういうところに宿泊するのはとても贅沢だと思うし、宿泊というのは滞在の中で最も長い時間を占めるもの。時間をかけて下調べし、自分の良いと思ったところに泊まるのが一番である。

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Emirの客室の装飾。とてもおしゃれ

 

BORA ULTRA WTO 45

ようやく仕事関連の行事が一息ついたので、久しぶりにブログを更新。

以前C64のインプレッションを書いた。素晴らしくよく走る自転車だが、高速域で妙なスピードの頭打ちを感じる。フレームの実力からすると明らかにおかしい。どこかでパワーが吸われているはずだ。

ひょっとしてホイールではないか?

以前の記事にも書いたけど、レーゼロカーボン(前後公称値1440g、実際は1500gくらい)はフロントに不均等に配置された極太アルミスポークが21本ある。特にハンドリングの左右差をなくすためであろう、ブレーキローターがついていない側のスポークが厚くなっている。ひょっとしたらこのスポークパターンが高速域での空気抵抗を増しているのではないか…そう思った。

ディスクブレーキロードバイクのメリットとしてリムでブレーキをかけないため、カーボンホイールを普段履きすることができる、というのがある。そういうわけで、カーボンでのミドルハイトのリムで、重量が比較的軽そうなものに履きかえようということになった。

候補としては、

・BORA WTO 45(カタログ値前後1520g)

・BORA  ULTRA  WTO 45(カタログ値前後1425g)

・CADEXの各ハイトのチューブレスホイール(36 or 42)(前者でカタログ値1302g、リムテープ別)

CADEXはその高性能に定評があるが、やや細いカーボンスポークが使われており、輪行を頻繁に行うものとしてはやや扱いづらい(ひょっとしたら大丈夫なのかもしれないが…)せっかくなのでステンレススポークで安心感があり、重量が軽めのBORA ULTRA WTO 45をチョイスすることにした。やや値段は張るが、カンパニョーロのトップモデルには信頼性と安心感がある。

 

さて、ここからはインプレッション。

ローターとスプロケットを移植して走り出す。

一漕ぎ目からペダリングが軽い。軽すぎる。そして勝手にホイールが回っていき、スピードが上がっていく。時速35kmでも40kmでも抵抗を感じず、巡航の楽さが半端ではない。

なんだこれは…

今まで30kmを維持するために必死でペダルを踏みつけていたのが嘘のようだ。これはホイールの空力と、フレームとホイールの相性があるのだろうと思う。C64のフレームは芯が硬い。耐久性が高いので輪行する人としては有難いのだが、硬いホイールと合わせるとペダリングが軽くなりすぎてしまい、トルクがかけづらい。このボーラウルトラWTO45はややしなやかなホイールなので相性がいいのだろう。同じフレームでも、相性の悪いホイールで必死にガシガシ踏みつけるよりも、相性のいいホイールにするだけで巡航スピードが5km近く変わってくるなんて示唆に富む話ではある。

それにしてもこのボーラウルトラWTO45、一度トルクを与えるとそのトルクを吸収したかのようにバネのようにしなり、その後猛烈に吹き上がるかのようにスピードが上がる。フレームの性能をホイールが引き出しているのか、ホイールの特性なのか…でもこのホイールに換えた後のc64は、よりコルナゴのCシリーズに相当するような加速をするようになった気がするので、これが本来の実力なのだろう。

リムハイトから想像できないくらい横風に強いのも特筆すべき点。ローハイトのアルミリム程度にしかハンドルが取られる感じがせず驚きだ。まさにWind Tunnel Optimizedというわけだ。昔のボーラ50は結構横風にハンドルを取られていた気がするので、その技術の進歩にはびっくりだ。

最後に、このホイールは上り坂でも実力を発揮する。緩斜面くらいならばほとんど傾斜を感じることなく時速30kmで突破できてしまう。急斜面に差し掛かってもやや低めのケイデンスでトルクがかけやすい。唯一10%をこえる急斜面では、レーゼロカーボンの方がペダリングしやすい感があるけれども、ほとんどの部分でボーラウルトラWTOが上回っており、総合点では圧勝である。

時速30kmと35kmの違いは、体感的にはかなり大きい。自転車に乗ることの楽しさを改めて思い出したような気がして、ホイールを替えてから走行距離がぐんぐん伸びている。

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安房峠にて。ヒルクライムもさらに快適になった

 

発売から半年くらいROMっているが、BORA ULTRA WTOのインプレ記事を書いたブログはほとんど見当たらないので、参考にしていただければ幸いです。

 

 

 

شكر

つい先日、八ヶ岳に登ってきた。

八ヶ岳を訪れるのは3年ぶり。1年に1回は一緒に登山する仲の知人との登山である。

この知人は私が初期研修の頃に出会った某〇〇○科医で、人生の大先輩である。かつては登山の記録をいちいちつけていたけれども最近どうもめんどくさくなってきてしまったので、今回は登山の記録ではなく、この人について書こうと思う。これまた過去の記憶を辿る旅である。過去志向、いい加減よろしくないと思っているんだけど、未来のことばかり語っても詐欺師のようになってしまう。バランスが難しいところだな。

 

さてさて、時代は初期研修の頃に遡る。

大学医学部の授業やポリクリの内容が単調であったことから大体推測はついていたけれども、初期研修が始まってから、医者の世界というのは仕事のこと以外にはろくに趣味も教養もない人間が多いことを実感し辟易していた。(何回も同じようなこと書いて申し訳ない。)もっとも全員ではない。ちゃんとした自分の考え、趣味を持つ豊かな世界に生きる人もいるけれども、彼らが神に思えるほどに貧相な世界に生きている人が多かった。平均的なキンムイの娯楽といえば性的快楽に耽り、アルコールの悦楽に耽る程度。いくら忙しくても人生を豊かにする方法などいくらでもあるはずなのに、正直つまらんなこいつら、と思っていた。もっとも彼らは低俗な快楽以外の存在、そしてそれを大切にする人々は評価に値しないわけで、彼らにとって私は意味不明なことをぶつぶつ言っているのと変わりがないというわけである。そんな中、彼との出会いは麻○科ローテーション中のオペ室だった。

麻○科は私のもっとも苦手な科で、朝は無駄に早く夜型の自分には堪えるし、職場は日光が見えず陰気くさいし、センセイ方の気質は男性は陰気くさく女性はキレやすい(すみません例外はもちろんあります)。医療の苦痛な側面を集めたような科に感じられて大変陰鬱な1ヶ月であったが、そんな気分である日陰気なオペ室の扉を開けると、なんとパソコンの前でアルジャジーラの話をしている人々がいるではないか。面白そうな人々だな。そう思って話しかけてみた。自分がアラブの文化に興味を持ってアラビア語を勉強していることなど。そうすると彼らは目を輝かせて自分の話を聞いてくれた。仕事以外の知識に価値などないと言わんばかりの人々の中、彼らの存在は私にとっては太陽の如く輝いていた。ぜひこの人たちのもとで仕事をしてみたいと思い、数ヶ月先のローテーションを〇〇〇科に変更した。これが始まりだった。

楽しみにしていたローテーションでは、仕事だけでなく彼らが部活動の如く自主的に取り組んでいた仕事後のランニングなどの運動にも参加した。無価値だと思わされていた自分の話をきいてくれることが本当に嬉しかった。彼らには自分という人間のことを夢中で話した。今までやってきたこと。受験がうまくいかず悔しかったこと。それがきっかけで語学を始めたこと。大学時代夢中になった登山について。きっと迷惑であったに違いないが、彼らは私の話を否定することなく耳を傾けてくれた。ここに自分の居場所を感じた。彼らのうち一人が登山をするということで、夏になったら登山をしようと約束をした。彼もおそらく最初は口約束程度のものと考えていたらしいが、なぜか木曽駒ヶ岳への登山が実現することになる。2017年9月初旬のことだった。

その後どういうわけか彼との登山が1年に1回のイヤリーイベントになった。それは1年に1回の、とても奇妙で、最高に楽しく、そして嬉しいイベントだった。車の中で彼と色々な話をした。

「〇〇はエッジが効いていていいよねえ。この前東大出身の〇〇科(自分の科の)志望の研修医が回ってきたんだけどさ、どこにでもいるような感じでサ。〇〇の方が全然面白い奴だと思うよ」

「〇〇はさあ、やっぱり外国人と結婚するのがいいんじゃない?日本人はやっぱり合わないと思うなあ。」

「自分に息子がいたら〇〇にぜひ子供を任せてさ、色々教えて欲しいね。」

尖っている人間を排除せずに面白いと思って受け入れる彼の懐の深さには本当に尊敬すべきものに感じられた。そういう私は自身の棘で他人を刺し、傷つけ、排除してきたのである。そう思うと情けなくなるばかりである。彼の車の運転の仕方は穏やかで抑制が効いていて、彼の人間性そのものだなあなどと思った。

年に一度のイベントだから、良いことがあった時はその報告を、悪い時があった時は彼に人生相談をした。人生経験が豊富な大先輩からのアドバイスは老成していながら若者の視点を理解した的確なもので、染み入るような優しさと不思議な重みがあった。

彼の言葉にどれほど自分は助けられただろうか。

 

さて、今年の登山イベントはコロナ禍と悪天候で決行できず、2年ぶりになった。今回は前回ことごとく悪天候で流れた反省を生かして、2週連続で予定日を空けておき、天候に恵まれたどちらかの日程で決行することにした。彼も多忙の中わざわざ2回連続で週末を空けてくださった。感謝しかない。

用意した週末のうち1週目は曇天の予報であったためパスし、次の週の天気予報に賭けた。結果は素晴らしい晴天。北アルプスの白馬岳から富士山までくっきり見える澄んだ晴天だった。

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今回、車の中で話したのはこんなことだった。自分が嘲笑い見下したつもりになっていた人々にも素晴らしい世界があるということ。自分は周りの人に助けられて生きていることに今更ながら気づいたこと。周囲を変えていくためには自分自身を変えていかなければならないということ。(なぜこんなことを思うようになったかというのは、機が熟したらそのうちまた別の項でちゃんと書こうと思う。もっとも早くて数年後になると思う。)

「(この2年のうちに)〇〇はずいぶん丸くなったな。削れたエッジの分で凹みを埋めている感じがする」

「〇〇が人間にそこまで関心を持つとはびっくりだよ。そこまで到達するのにあと10年はかかると思ってたからさあ」

最近はわざわざ自分に会いにきてくれる友人も昔より増えた。彼らにはもちろん心から感謝しているが、(こういう言い方はあまり謙虚ではないのかもしれないが)誰も相手にしないような存在であった自分を暗闇から拾い上げ、光を当ててくださったのは間違いなく彼であった。他人を受け入れる懐の広さ、仕事も趣味も真摯に打ち込む誠実さと世界の広さ、そういうものに心を動かされ、自分もそのようにありたいと思えたのは、彼の存在があってこそである。彼は自分を成長したなどというけれども、ここまで私が成長できたのは、自分という未完成の極みであった人間を受け入れ、偏狭な話に耳を傾け、常に目標を提示してくれた彼がいたからであり、彼の存在なくてはここまで来れなかった。きっと刺々しさに加齢に伴う頑迷さが加わってろくでもない人になっていただろう。そしてそのような彼に出会ったのは、奇妙な運命の連鎖であった。ジョジョではないが人の出会いは「重力」であり、出会うべくして出会うものなのかもしれない。そしてもし神様というものがいるならば、神様にも大いに感謝しなければいけない。

 

最近は感謝というものの大切さについて妙に考えさせられる。自分もそろそろ死期が近いのかもしれない。しかしそれなら尚更、今までお世話になった人には積極的に感謝の意を示していかなければなあ、と思っている。感謝を表明することは、感謝することと同じくらいきっと大切なはずである。まあ、まだあくまで発展途上の身でありやり残したことは沢山あるので、彼に恥じないような人間になるべく日々精進したい。そして来年もこのイベントを楽しみにしている。

なお表題のشكرはアラビア語で感謝の意である。

 

 

八丈島・青ヶ島(4) 朝焼け

〇〇〇〇/7/19

青ヶ島観光

9:45 東邦航空12便 青ヶ島八丈島

14:00 ANA1894便 八丈島羽田空港

14:55 羽田空港

 

この日は青ヶ島滞在の最終日だが、昨日一昨日と曇天で、まだ晴れたカルデラの美しい景色を拝めていない。この日は夜型の自分にしては珍しく4:30に目覚ましを合わせた。大凸部に足を運び朝の日差しに染まるカルデラの景色を見に行こうというわけだ。

もう何度か歩いたしっとりした道を大凸部へ。道から眺める大凸部は雲に覆われていない。これはいけるか…と思いつつ、山頂へ向かう。

山頂は少しばかり雲に覆われているものの、カルデラの全景を拝むことができた。3日足を運んでようやくのことである。オレンジ色の日差しに染まる山肌が素晴らしいが、まだカルデラ内には日差しが当たらず黒々とした景色だ。

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30分ほど山頂で日が昇るのを待つ。朝早すぎるのか、ブンブンうるさいカナブンの音もまだしない。私の方が早起きだったな。ようやくカルデラ内に日差しが差し込む様になり、美しい景色が目の前に現れた。靄のかかったカルデラ内には光芒が見え、神々しささえ感じる。

 

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4年前、この島に来た時は快晴だった。快晴の景色は遮るものがなく美しかった。しかし雲ひとつない、遮ることのない景色にはどこか味気なさを感じることもある。雲の存在は山肌の美しさを引き立て、景色に遠近感を生み出し、晴れて美しい景色が望めることのありがたさを教えてくれる。

写真を撮りまくっていると、だいぶ日が昇ってきて、日差しの色も白っぽくなってきた。

ついでに尾山展望公園の方にも向かってみることにした。道端にはたくさんのカタツムリ。君たちはどうやってこの絶海の孤島にやってきたの?

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どこからやってきたのだろう

こちらも晴れたカルデラの景色を望むことができた。

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最後の朝食をいただき、島唯一の商店、十一屋酒店へ。お土産として島ダレを買うことにした。味噌に唐辛子などを入れたタレで、刺身をいただくときに醤油に混ぜると美味しい。初日にはなんだかよそよそしかった店主のおばさんも、顔を覚えてくれていた。店に住み着いている2匹の猫にも別れを告げ、宿に戻って荷物をまとめる。

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十一屋酒店の猫

出発時間になったので、女将さんにも別れを告げる。部屋で寝ているのか朝ごはんを食べに起きてこない宿泊者を心配していた。ぶっきらぼうな感じの人だったけど、本当は優しい人なんだろうな、この人。

ヘリポートに向かい、改装された木造の待合室でヘリの手続きを行う。

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ヘリポートから市街を振り返る

待合室には村長さんをはじめとして島の方が多くいらっしゃった。このような島で肉体労働に従事して生きている人々には、やはり自然の中で生きてきた人々特有のすごみがある。冷房の効いたオフィスの中心でキーボードを叩いて大金を動かしているだけの人々は社会で偉そうに生きているけれども、彼らには決して到達できない境地であるように思われる。

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待合室の雰囲気。これは仮設だそうだ

ヘリコプターに乗り込む。

3日過ごした島が、ふわりと足元から離れ、小さくなっていく。

初めて来た時も、今回も、この不思議な絶海の孤島はその圧倒的な自然で私に感動を与えてくれた。さようなら、また会う日まで。

 

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30分ほどで八丈島空港に到着である。

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海が青い

飛行機の出発までにはまだ随分と時間があるので、近所の寿司屋で昼飯とすることに。日差しが暑い。30分ほど歩くと、三根集落にあるあそこ寿司に至る。3日前に電話をかけたが営業していなかった。なんとしても地元の寿司屋で寿司を食べたかったというわけである。

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あそこ寿司

今回も島寿司を注文。寿司がウニのように5放射相称に美しく並べられている。寿司ネタも新鮮で美味しい。生き返りますな。客層は地元のおばあさんからチャラそうなカップルまでさまざまで、チャラいカップルがこのローカルな風土を楽しんでいるというのは、少しシュールな感じがする。

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近くには八丈民芸やましたという民芸店もある。こちらでお土産を買い足すことにした。店の中には機織り機があり、こちらで機織り体験もできるらしい。

空港に向かう前に、交差点のところにある神社、天照大神宮に参拝することにした。こぢんまりとした神社で、境内にはオオタニワタリが多くみられる。

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気温が非常に高く、風もほとんどない。空港まで歩くのが辛くなってきたので、近くのタクシー会社のオフィスに向かう。オフィスでは先客のおばあさんも冷房が効いた部屋で涼んでいた。こんなに風がない日は八丈島では滅多にないそうだ。

タクシーで空港へ。そしてパッションフルーツを買って帰路についたのだった。帰りの飛行機ではうたた寝をしながら、島での美しい自然と素晴らしい体験を思い出していた。

 

 

八丈島・青ヶ島(5) エピローグ

Вчера было холодно. Сегодня прохладно. Но завтра будет тепло. Это как жизнь.

(昨日は寒かった。今日は肌寒い。でも明日は暖かくなる。人生みたいだね。)

 

(0)で引用したまいにちロシア語の文章には、実は続きがある。

最初の引用は、主人公のТокиваは人生がうまくいかなかった時のメール。

数年後、彼女は人生の苦難から抜け出し、かつてロシア留学時代の友人であったНикитаにメールを送る。その返答の一部がこれである。

 

どれほど苦しい時期も、耐えれば少しずつ状況が改善していくかもしれないし、新しい景色が見えてくるかもしれない。まあ、耐えるのは言うのは簡単だけど実際に困難な状況を耐え抜くのは難しいし、耐えている間に心を病んだり屈折してしまったりする人も多いだろう。それでも、困難に自分の力で耐えて、足掻くことで本当に大切なものが見えてくる気がする。それはまるで雲があるからこそ景色が美しく見えるのと同じようなことだ。

 

濃い緑の香り。高い湿度。強い風。そして、道路のはるか下に広がる青い海。

4年前に青ヶ島を訪れ、その体験をきっかけに様々な島を旅したけれども、結局は地形、自然、文化の特異さにおいてこの島を上回る場所を、私は日本国内に見つけることができなかった。そして結局この島に戻ってきた。この不思議な火山島は、かつてと変わらないような驚きと感動をもたらしてくれた。この風土は心身に良い。そして以前は1日のみの滞在であまり深い観光ができなかったが、焼酎作りやこの島に常について回る港湾問題などについても、以前より深く知ることができたと思う。先の見えない苦難に沈んでいた自分自身の問題も、島の四方に広がる大海原に比べれば大変ちっぽけなものに思え、なんだかどうでも良くなってきた。そんな力が、この島にはある。

 

所詮私は大海原に浮かぶ小さな藻屑である。流れに抗って底に杭を打ち、その杭が朽ち果てるまで動かないように生きるのが私の人生などとかつては豪語していたけれども、そんなこだわりもただの若気の至りにすぎず、もはやどうでも良いものなのかもしれない。本当に大切なものは砂金のように、流れに流された結果残るものなのだろうと最近は思っている。

 

青ヶ島にはまたいつか必ず訪れる気がする。

そしてその時は今よりも一回り、人として成長していることを願いたい。そのためにも前を向いて進もうと思う。「倒れるなら、手をつくなら、前だって決めたんだ」とね。