Le Chèvrefeuille

世界は遊覧、思い出の場所であり、われらは去りゆく者

BORA ULTRA WTO 45

ようやく仕事関連の行事が一息ついたので、久しぶりにブログを更新。

以前C64のインプレッションを書いた。素晴らしくよく走る自転車だが、高速域で妙なスピードの頭打ちを感じる。フレームの実力からすると明らかにおかしい。どこかでパワーが吸われているはずだ。

ひょっとしてホイールではないか?

以前の記事にも書いたけど、レーゼロカーボン(前後公称値1440g、実際は1500gくらい)はフロントに不均等に配置された極太アルミスポークが21本ある。特にハンドリングの左右差をなくすためであろう、ブレーキローターがついていない側のスポークが厚くなっている。ひょっとしたらこのスポークパターンが高速域での空気抵抗を増しているのではないか…そう思った。

ディスクブレーキロードバイクのメリットとしてリムでブレーキをかけないため、カーボンホイールを普段履きすることができる、というのがある。そういうわけで、カーボンでのミドルハイトのリムで、重量が比較的軽そうなものに履きかえようということになった。

候補としては、

・BORA WTO 45(カタログ値前後1520g)

・BORA  ULTRA  WTO 45(カタログ値前後1425g)

・CADEXの各ハイトのチューブレスホイール(36 or 42)(前者でカタログ値1302g、リムテープ別)

CADEXはその高性能に定評があるが、やや細いカーボンスポークが使われており、輪行を頻繁に行うものとしてはやや扱いづらい(ひょっとしたら大丈夫なのかもしれないが…)せっかくなのでステンレススポークで安心感があり、重量が軽めのBORA ULTRA WTO 45をチョイスすることにした。やや値段は張るが、カンパニョーロのトップモデルには信頼性と安心感がある。

 

さて、ここからはインプレッション。

ローターとスプロケットを移植して走り出す。

一漕ぎ目からペダリングが軽い。軽すぎる。そして勝手にホイールが回っていき、スピードが上がっていく。時速35kmでも40kmでも抵抗を感じず、巡航の楽さが半端ではない。

なんだこれは…

今まで30kmを維持するために必死でペダルを踏みつけていたのが嘘のようだ。これはホイールの空力と、フレームとホイールの相性があるのだろうと思う。C64のフレームは芯が硬い。耐久性が高いので輪行する人としては有難いのだが、硬いホイールと合わせるとペダリングが軽くなりすぎてしまい、トルクがかけづらい。このボーラウルトラWTO45はややしなやかなホイールなので相性がいいのだろう。同じフレームでも、相性の悪いホイールで必死にガシガシ踏みつけるよりも、相性のいいホイールにするだけで巡航スピードが5km近く変わってくるなんて示唆に富む話ではある。

それにしてもこのボーラウルトラWTO45、一度トルクを与えるとそのトルクを吸収したかのようにバネのようにしなり、その後猛烈に吹き上がるかのようにスピードが上がる。フレームの性能をホイールが引き出しているのか、ホイールの特性なのか…でもこのホイールに換えた後のc64は、よりコルナゴのCシリーズに相当するような加速をするようになった気がするので、これが本来の実力なのだろう。

リムハイトから想像できないくらい横風に強いのも特筆すべき点。ローハイトのアルミリム程度にしかハンドルが取られる感じがせず驚きだ。まさにWind Tunnel Optimizedというわけだ。昔のボーラ50は結構横風にハンドルを取られていた気がするので、その技術の進歩にはびっくりだ。

最後に、このホイールは上り坂でも実力を発揮する。緩斜面くらいならばほとんど傾斜を感じることなく時速30kmで突破できてしまう。急斜面に差し掛かってもやや低めのケイデンスでトルクがかけやすい。唯一10%をこえる急斜面では、レーゼロカーボンの方がペダリングしやすい感があるけれども、ほとんどの部分でボーラウルトラWTOが上回っており、総合点では圧勝である。

時速30kmと35kmの違いは、体感的にはかなり大きい。自転車に乗ることの楽しさを改めて思い出したような気がして、ホイールを替えてから走行距離がぐんぐん伸びている。

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安房峠にて。ヒルクライムもさらに快適になった

 

発売から半年くらいROMっているが、BORA ULTRA WTOのインプレ記事を書いたブログはほとんど見当たらないので、参考にしていただければ幸いです。

 

 

 

شكر

つい先日、八ヶ岳に登ってきた。

八ヶ岳を訪れるのは3年ぶり。1年に1回は一緒に登山する仲の知人との登山である。

この知人は私が初期研修の頃に出会った某〇〇○科医で、人生の大先輩である。かつては登山の記録をいちいちつけていたけれども最近どうもめんどくさくなってきてしまったので、今回は登山の記録ではなく、この人について書こうと思う。これまた過去の記憶を辿る旅である。過去志向、いい加減よろしくないと思っているんだけど、未来のことばかり語っても詐欺師のようになってしまう。バランスが難しいところだな。

 

さてさて、時代は初期研修の頃に遡る。

大学医学部の授業やポリクリの内容が単調であったことから大体推測はついていたけれども、初期研修が始まってから、医者の世界というのは仕事のこと以外にはろくに趣味も教養もない人間が多いことを実感し辟易していた。(何回も同じようなこと書いて申し訳ない。)もっとも全員ではない。ちゃんとした自分の考え、趣味を持つ豊かな世界に生きる人もいるけれども、彼らが神に思えるほどに貧相な世界に生きている人が多かった。平均的なキンムイの娯楽といえば性的快楽に耽り、アルコールの悦楽に耽る程度。いくら忙しくても人生を豊かにする方法などいくらでもあるはずなのに、正直つまらんなこいつら、と思っていた。もっとも彼らは低俗な快楽以外の存在、そしてそれを大切にする人々は評価に値しないわけで、彼らにとって私は意味不明なことをぶつぶつ言っているのと変わりがないというわけである。そんな中、彼との出会いは麻○科ローテーション中のオペ室だった。

麻○科は私のもっとも苦手な科で、朝は無駄に早く夜型の自分には堪えるし、職場は日光が見えず陰気くさいし、センセイ方の気質は男性は陰気くさく女性はキレやすい(すみません例外はもちろんあります)。医療の苦痛な側面を集めたような科に感じられて大変陰鬱な1ヶ月であったが、そんな気分である日陰気なオペ室の扉を開けると、なんとパソコンの前でアルジャジーラの話をしている人々がいるではないか。面白そうな人々だな。そう思って話しかけてみた。自分がアラブの文化に興味を持ってアラビア語を勉強していることなど。そうすると彼らは目を輝かせて自分の話を聞いてくれた。仕事以外の知識に価値などないと言わんばかりの人々の中、彼らの存在は私にとっては太陽の如く輝いていた。ぜひこの人たちのもとで仕事をしてみたいと思い、数ヶ月先のローテーションを〇〇〇科に変更した。これが始まりだった。

楽しみにしていたローテーションでは、仕事だけでなく彼らが部活動の如く自主的に取り組んでいた仕事後のランニングなどの運動にも参加した。無価値だと思わされていた自分の話をきいてくれることが本当に嬉しかった。彼らには自分という人間のことを夢中で話した。今までやってきたこと。受験がうまくいかず悔しかったこと。それがきっかけで語学を始めたこと。大学時代夢中になった登山について。きっと迷惑であったに違いないが、彼らは私の話を否定することなく耳を傾けてくれた。ここに自分の居場所を感じた。彼らのうち一人が登山をするということで、夏になったら登山をしようと約束をした。彼もおそらく最初は口約束程度のものと考えていたらしいが、なぜか木曽駒ヶ岳への登山が実現することになる。2017年9月初旬のことだった。

その後どういうわけか彼との登山が1年に1回のイヤリーイベントになった。それは1年に1回の、とても奇妙で、最高に楽しく、そして嬉しいイベントだった。車の中で彼と色々な話をした。

「〇〇はエッジが効いていていいよねえ。この前東大出身の〇〇科(自分の科の)志望の研修医が回ってきたんだけどさ、どこにでもいるような感じでサ。〇〇の方が全然面白い奴だと思うよ」

「〇〇はさあ、やっぱり外国人と結婚するのがいいんじゃない?日本人はやっぱり合わないと思うなあ。」

「自分に息子がいたら〇〇にぜひ子供を任せてさ、色々教えて欲しいね。」

尖っている人間を排除せずに面白いと思って受け入れる彼の懐の深さには本当に尊敬すべきものに感じられた。そういう私は自身の棘で他人を刺し、傷つけ、排除してきたのである。そう思うと情けなくなるばかりである。彼の車の運転の仕方は穏やかで抑制が効いていて、彼の人間性そのものだなあなどと思った。

年に一度のイベントだから、良いことがあった時はその報告を、悪い時があった時は彼に人生相談をした。人生経験が豊富な大先輩からのアドバイスは老成していながら若者の視点を理解した的確なもので、染み入るような優しさと不思議な重みがあった。

彼の言葉にどれほど自分は助けられただろうか。

 

さて、今年の登山イベントはコロナ禍と悪天候で決行できず、2年ぶりになった。今回は前回ことごとく悪天候で流れた反省を生かして、2週連続で予定日を空けておき、天候に恵まれたどちらかの日程で決行することにした。彼も多忙の中わざわざ2回連続で週末を空けてくださった。感謝しかない。

用意した週末のうち1週目は曇天の予報であったためパスし、次の週の天気予報に賭けた。結果は素晴らしい晴天。北アルプスの白馬岳から富士山までくっきり見える澄んだ晴天だった。

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今回、車の中で話したのはこんなことだった。自分が嘲笑い見下したつもりになっていた人々にも素晴らしい世界があるということ。自分は周りの人に助けられて生きていることに今更ながら気づいたこと。周囲を変えていくためには自分自身を変えていかなければならないということ。(なぜこんなことを思うようになったかというのは、機が熟したらそのうちまた別の項でちゃんと書こうと思う。もっとも早くて数年後になると思う。)

「(この2年のうちに)〇〇はずいぶん丸くなったな。削れたエッジの分で凹みを埋めている感じがする」

「〇〇が人間にそこまで関心を持つとはびっくりだよ。そこまで到達するのにあと10年はかかると思ってたからさあ」

最近はわざわざ自分に会いにきてくれる友人も昔より増えた。彼らにはもちろん心から感謝しているが、(こういう言い方はあまり謙虚ではないのかもしれないが)誰も相手にしないような存在であった自分を暗闇から拾い上げ、光を当ててくださったのは間違いなく彼であった。他人を受け入れる懐の広さ、仕事も趣味も真摯に打ち込む誠実さと世界の広さ、そういうものに心を動かされ、自分もそのようにありたいと思えたのは、彼の存在があってこそである。彼は自分を成長したなどというけれども、ここまで私が成長できたのは、自分という未完成の極みであった人間を受け入れ、偏狭な話に耳を傾け、常に目標を提示してくれた彼がいたからであり、彼の存在なくてはここまで来れなかった。きっと刺々しさに加齢に伴う頑迷さが加わってろくでもない人になっていただろう。そしてそのような彼に出会ったのは、奇妙な運命の連鎖であった。ジョジョではないが人の出会いは「重力」であり、出会うべくして出会うものなのかもしれない。そしてもし神様というものがいるならば、神様にも大いに感謝しなければいけない。

 

最近は感謝というものの大切さについて妙に考えさせられる。自分もそろそろ死期が近いのかもしれない。しかしそれなら尚更、今までお世話になった人には積極的に感謝の意を示していかなければなあ、と思っている。感謝を表明することは、感謝することと同じくらいきっと大切なはずである。まあ、まだあくまで発展途上の身でありやり残したことは沢山あるので、彼に恥じないような人間になるべく日々精進したい。そして来年もこのイベントを楽しみにしている。

なお表題のشكرはアラビア語で感謝の意である。

 

 

八丈島・青ヶ島(4) 朝焼け

〇〇〇〇/7/19

青ヶ島観光

9:45 東邦航空12便 青ヶ島八丈島

14:00 ANA1894便 八丈島羽田空港

14:55 羽田空港

 

この日は青ヶ島滞在の最終日だが、昨日一昨日と曇天で、まだ晴れたカルデラの美しい景色を拝めていない。この日は夜型の自分にしては珍しく4:30に目覚ましを合わせた。大凸部に足を運び朝の日差しに染まるカルデラの景色を見に行こうというわけだ。

もう何度か歩いたしっとりした道を大凸部へ。道から眺める大凸部は雲に覆われていない。これはいけるか…と思いつつ、山頂へ向かう。

山頂は少しばかり雲に覆われているものの、カルデラの全景を拝むことができた。3日足を運んでようやくのことである。オレンジ色の日差しに染まる山肌が素晴らしいが、まだカルデラ内には日差しが当たらず黒々とした景色だ。

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30分ほど山頂で日が昇るのを待つ。朝早すぎるのか、ブンブンうるさいカナブンの音もまだしない。私の方が早起きだったな。ようやくカルデラ内に日差しが差し込む様になり、美しい景色が目の前に現れた。靄のかかったカルデラ内には光芒が見え、神々しささえ感じる。

 

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4年前、この島に来た時は快晴だった。快晴の景色は遮るものがなく美しかった。しかし雲ひとつない、遮ることのない景色にはどこか味気なさを感じることもある。雲の存在は山肌の美しさを引き立て、景色に遠近感を生み出し、晴れて美しい景色が望めることのありがたさを教えてくれる。

写真を撮りまくっていると、だいぶ日が昇ってきて、日差しの色も白っぽくなってきた。

ついでに尾山展望公園の方にも向かってみることにした。道端にはたくさんのカタツムリ。君たちはどうやってこの絶海の孤島にやってきたの?

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どこからやってきたのだろう

こちらも晴れたカルデラの景色を望むことができた。

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最後の朝食をいただき、島唯一の商店、十一屋酒店へ。お土産として島ダレを買うことにした。味噌に唐辛子などを入れたタレで、刺身をいただくときに醤油に混ぜると美味しい。初日にはなんだかよそよそしかった店主のおばさんも、顔を覚えてくれていた。店に住み着いている2匹の猫にも別れを告げ、宿に戻って荷物をまとめる。

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十一屋酒店の猫

出発時間になったので、女将さんにも別れを告げる。部屋で寝ているのか朝ごはんを食べに起きてこない宿泊者を心配していた。ぶっきらぼうな感じの人だったけど、本当は優しい人なんだろうな、この人。

ヘリポートに向かい、改装された木造の待合室でヘリの手続きを行う。

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ヘリポートから市街を振り返る

待合室には村長さんをはじめとして島の方が多くいらっしゃった。このような島で肉体労働に従事して生きている人々には、やはり自然の中で生きてきた人々特有のすごみがある。冷房の効いたオフィスの中心でキーボードを叩いて大金を動かしているだけの人々は社会で偉そうに生きているけれども、彼らには決して到達できない境地であるように思われる。

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待合室の雰囲気。これは仮設だそうだ

ヘリコプターに乗り込む。

3日過ごした島が、ふわりと足元から離れ、小さくなっていく。

初めて来た時も、今回も、この不思議な絶海の孤島はその圧倒的な自然で私に感動を与えてくれた。さようなら、また会う日まで。

 

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30分ほどで八丈島空港に到着である。

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海が青い

飛行機の出発までにはまだ随分と時間があるので、近所の寿司屋で昼飯とすることに。日差しが暑い。30分ほど歩くと、三根集落にあるあそこ寿司に至る。3日前に電話をかけたが営業していなかった。なんとしても地元の寿司屋で寿司を食べたかったというわけである。

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あそこ寿司

今回も島寿司を注文。寿司がウニのように5放射相称に美しく並べられている。寿司ネタも新鮮で美味しい。生き返りますな。客層は地元のおばあさんからチャラそうなカップルまでさまざまで、チャラいカップルがこのローカルな風土を楽しんでいるというのは、少しシュールな感じがする。

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近くには八丈民芸やましたという民芸店もある。こちらでお土産を買い足すことにした。店の中には機織り機があり、こちらで機織り体験もできるらしい。

空港に向かう前に、交差点のところにある神社、天照大神宮に参拝することにした。こぢんまりとした神社で、境内にはオオタニワタリが多くみられる。

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気温が非常に高く、風もほとんどない。空港まで歩くのが辛くなってきたので、近くのタクシー会社のオフィスに向かう。オフィスでは先客のおばあさんも冷房が効いた部屋で涼んでいた。こんなに風がない日は八丈島では滅多にないそうだ。

タクシーで空港へ。そしてパッションフルーツを買って帰路についたのだった。帰りの飛行機ではうたた寝をしながら、島での美しい自然と素晴らしい体験を思い出していた。

 

 

八丈島・青ヶ島(5) エピローグ

Вчера было холодно. Сегодня прохладно. Но завтра будет тепло. Это как жизнь.

(昨日は寒かった。今日は肌寒い。でも明日は暖かくなる。人生みたいだね。)

 

(0)で引用したまいにちロシア語の文章には、実は続きがある。

最初の引用は、主人公のТокиваは人生がうまくいかなかった時のメール。

数年後、彼女は人生の苦難から抜け出し、かつてロシア留学時代の友人であったНикитаにメールを送る。その返答の一部がこれである。

 

どれほど苦しい時期も、耐えれば少しずつ状況が改善していくかもしれないし、新しい景色が見えてくるかもしれない。まあ、耐えるのは言うのは簡単だけど実際に困難な状況を耐え抜くのは難しいし、耐えている間に心を病んだり屈折してしまったりする人も多いだろう。それでも、困難に自分の力で耐えて、足掻くことで本当に大切なものが見えてくる気がする。それはまるで雲があるからこそ景色が美しく見えるのと同じようなことだ。

 

濃い緑の香り。高い湿度。強い風。そして、道路のはるか下に広がる青い海。

4年前に青ヶ島を訪れ、その体験をきっかけに様々な島を旅したけれども、結局は地形、自然、文化の特異さにおいてこの島を上回る場所を、私は日本国内に見つけることができなかった。そして結局この島に戻ってきた。この不思議な火山島は、かつてと変わらないような驚きと感動をもたらしてくれた。この風土は心身に良い。そして以前は1日のみの滞在であまり深い観光ができなかったが、焼酎作りやこの島に常について回る港湾問題などについても、以前より深く知ることができたと思う。先の見えない苦難に沈んでいた自分自身の問題も、島の四方に広がる大海原に比べれば大変ちっぽけなものに思え、なんだかどうでも良くなってきた。そんな力が、この島にはある。

 

所詮私は大海原に浮かぶ小さな藻屑である。流れに抗って底に杭を打ち、その杭が朽ち果てるまで動かないように生きるのが私の人生などとかつては豪語していたけれども、そんなこだわりもただの若気の至りにすぎず、もはやどうでも良いものなのかもしれない。本当に大切なものは砂金のように、流れに流された結果残るものなのだろうと最近は思っている。

 

青ヶ島にはまたいつか必ず訪れる気がする。

そしてその時は今よりも一回り、人として成長していることを願いたい。そのためにも前を向いて進もうと思う。「倒れるなら、手をつくなら、前だって決めたんだ」とね。

八丈島・青ヶ島(3) 崩壊の爪痕と青酎

○○〇〇/7/18

終日青ヶ島観光

 

本日は終日青ヶ島観光に充てる日だ。

特に、この日は以前訪れることのできなかった三宝港へのアプローチ道、そして大千代港の現在の様子を観に行く。世の中には物好きな人がいるもので、大千代港などと検索するとわざわざ危険を冒して大千代港の港湾施設にたどり着いたという妙にテンションの高いブログが行き当たるが、とても推奨されたものではないのでそういうのは一部の人に任せて、安全な範囲内での観察を行おうと思う。そしてせっかく時間があるので、この日は余った時間でのんびりすることにした。

 

まず最初は大凸部に向かうことにする。大凸部へ向かう道はあおがしま屋の奥の道を行く。コンクリートで固められた道は途中で終わり、簡単な階段が付けられた苔むした道を行く。

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大凸部への道

大凸部は青ヶ島の最高地点。山頂は開けているが、この日の午前中は曇っており、なかなか霧が晴れない。あたりには鶯の鳴き声が響き渡り、流れていく霧が美しい。海側には尾根のはるか下のヤバい場所に付けられた道が見える。あれはかつて三宝港へのアプローチとして使われていた道だ。

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雲が厚くなかなか晴れない。眼下にはすさまじい法面が

景色を目的としないのであればなかなかの雰囲気だが、残念ながらカルデラの景色をカメラに収めに来たので拍子抜けである。30分ほど待つが、一向に晴れず。残念ながら引き返すことにした。

次は集落から直接三宝港へ向かうアプローチへ。一応都道236号線ということになっているが、地震で崩落し現在は工事中だそうである。集落の左手に続く道を歩いていくと、次第に道のつけられた斜面の傾斜がキツくなってくる。小さなアップダウンを繰り返しつつ、斜面はすでに傾斜45度をはるかに越えている。なかなか恐ろしいところに道を作ったものだ。ガードレールの向こうは海であり、ハンドル操作を間違えると海まで真っ逆さまという具合だ。それに昨日述べたような地質ではこのような道を作ればそれ自体が崩落の引き金となりそうだ。事実法面は一部で数百メートルの高さまで固められており、以前は島の生命線であったこの道路を守ろうという執念が感じられる。

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眼下には海が青い。

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次第に道は下り傾斜になる。おそらくそのうち行き止まりだろう。工事の様子も観察したいが、降った後には必ず登らなければならずだるいので、ここで引き返すことにした。

しかしながら本当に凄まじいところに道をつけたものだ…

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斜度がすごい。道端に小さな祠があった

この後尾山展望公園にも行ってみたものの、霧の中で何も見えなかったので結局引き返す。

本日は宿でお昼ご飯を食べることになっているので、冷房の効いた自室で少し休むことにする。青ヶ島は先述の通り大変湿度が高い風土なので、夏は本当に蒸し暑い。冷房がある部屋が天国のようだ。お昼も冷房の効いた食堂で美味しくいただいた。

 

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昼食

午後は大千代港に向かう道端にある佐々木次郎大夫の家跡を観光し、いよいよ大千代港の視察(?それほど勿体ぶった言い方をすべきではないかもしれないが)である。その前に、なぜ大千代港が気になるのかを述べておく必要があるだろう。大千代港はオンライン上で一番上?にヒットするこの画像で右手前に写っている。

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この写真では地滑りによって大千代港へのアプローチ道路が寸断したことがわかる。一体なぜなのか。大千代港造成の工事と何か関係があるのか。非常に気になった。そしてこの地滑り。まるで山に乗っかった溶岩の皮を一枚ベロリと剥がしたように綺麗に層をなして地滑りが起きている。これは青ヶ島の地質と何か関係があるのか。その辺りを知りたくなったわけである。まあ、昨日宿前の広場の露頭を観察した結果ある程度推測はついているわけだが…

途中まではカルデラに向かう道と同じだ。佐々木次郎大夫の家跡は途中の道を海側に降ったところにある。オオタニワタリの生えたコンクリートの階段を下っていくと左手に祠があり、正面には青ヶ島には珍しい玉石垣がある。右手は民家と通じているが、これは佐々木次郎大夫の御子孫が住んでらっしゃるのだろうか?

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玉石垣とオオタニワタリ

玉石垣の道を進むと、おそらくかつて家が建っていたであろう広場に出る。すさまじい角度に屈曲して生えた大ソテツがあり、青ヶ島還住の歴史が偲ばれる。

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青ヶ島天明の大噴火で島民は八丈島への避難を余儀なくされた。彼らは八丈島で差別的な扱いを受けていたという。その元島民の帰還事業を推進したのが、名主の佐々木次郎大夫だったそうだ。全島民が青ヶ島への帰還を果たしたことを還住という。この還住という単語はかつての八丈島との連絡船の名前「還住丸」にも見ることができる。

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元来た道を戻り、カルデラのへりで大千代港への分岐に至る。ここを左、すなわち絶壁沿いに行く。いよいよという感じであるが、途中までは今までとあまり変わらないような、左手に緑豊かな急斜面を見るゆるい下り道で、むしろ牧歌的な趣である。しばらく行くと、左手に石碑が現れる。

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この先に大崩壊が待ち受けているとはあまり思えない牧歌的な道。行き止まり近くに石碑がある

この石碑は、大千代港へのアプローチ道の崩壊に気づかずに車で転落し、命を落としてしまった3名の方への慰霊碑のようだ。調べてみるとオンライン上で都の作成した資料に行きあたる。この崩壊はどうやら1994年すなわち平成6年に起きたようだ。しかしながら、この石碑からは崩壊地はあまり良く見えない。錆び切ってあまりその役目を果たしていない通行止めの鉄パイプを乗り越え、生い茂った雑草の中を進むと、眼下に深さ10メートルはあろうという大崩壊が目の前に現れた。あまり地質はよく見えないが、スコリア面で滑って崩れたというよりは溶岩ごとずるりと割れるように崩れた印象を受ける。

大崩壊の対岸には青々と生い茂った笹で覆われた手付かずの斜面が見え、道路という切れ込みが入れられる前の自然な青ヶ島の姿が偲ばれる。

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すさまじい崩壊跡


 

この崩壊により大千代港の整備は実質的に放棄されたというが、ここに道路を無理やり作ってもまた崩壊してしまうだろう。法面なんてこんな深い崩壊に比べたら料理の入った皿にかけられたサランラップ程度のものだ。これでは致し方あるまい。崩壊の目の前で道はヘアピンカーブを描いて左に折れるが、一応舗装されたこの道も途中で途切れ、途中から鉄パイプで足場が組まれている。一体どうやってこんなにアプローチ困難な道路を実用に供する予定だったのか?非常に気になるところだ。

 

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大千代港への貧弱なアプローチ道路

眼下のはるか下には、整備途中で放棄された大千代港が小さく見える。

 

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小さな大千代港

石碑に手を合わせたのち、大千代港を後にして集落に戻った。

朝よりは雲が薄くなり、大凸部の山頂が見え隠れする様になったので、再び大凸部や展望公園方面に向かってみる。再び1時間ほど粘ったが、雲は切れそうで切れない。仕方がないので諦めて下ることにした。

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1時間粘った成果(笑)

たまたま一緒に景色を粘っていた人が声をかけてくださり、青酎の試飲会に誘ってくださるという。青酎というのは青ヶ島特産の焼酎。お土産にひとつ買おうとは思っていたが、どんな風味かはわからないのでどうしたものかと思っていたのだった。試飲会についてはインターネットでその存在は知っていたが、まさかそれにこんな形で参加できるとは思っていなかった。予定外であったが、ぜひお願いしますと頭を下げる。あおがしま屋に宿泊していらっしゃるそうで、その前に17:50集合ということになった。夕食の時間に遅れそうなので、夕食の支度をしていた女将さんに試飲会に行くと声をかけておいた。

いざ試飲会へ。酒造所はあおがしま屋から集落中心へ向かう道の左手に分かれた道を下っていく。トマトなどの畑が並んだ緑濃い道を歩くと、突如青ヶ島酒造所と書かれた立派な建物が現れた。

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立派な酒造所

本日案内してくださるのは奥山さん。体格の良い中高年の男性である。

目の前にズラリと青酎の瓶が並ぶが、まずは冊子を手渡され、青酎に関するレクチャーから始まる。青ヶ島は特産のさつまいもを生かして古くから焼酎の生産が行われていたこと、かつては各家庭で焼酎の生産を行っていたため未だに多くの杜氏がおり各々によって全く味が違うこと、青酎は精製された麹ではなく土着の麹を使うため強い個性を持った味わいで品質は安定せず年によって味が全く違うこと、国税局の職員すら立ち入れない場所であったため家庭での酒造が近年まで黙認されていたことなど。このレクチャーをしてくださった奥山さんも杜氏の一人でいらっしゃるそうだ。なんと杜氏の他に畑仕事や牛の飼育、土木建築にも関わっていらっしゃるというマルチな方だが、村の人は皆そのように多くの仕事をこなしているのだという。金を貰って決まった労働をする都会の人とは違い、生きるために必要な活動を行っているという様子で、本来はこれが人間のあるべき姿なのだろう。

一通りレクチャーを受けたのち、いよいよ試飲へ。通常の白麹を使って作った青酎はいわゆる普通の「焼酎」の味がするのに対し、土着の麹を使った伝統の青酎は香りが尖っていて、強烈な味わい。干し草の香り、シナモンの香り、かび臭い香り…これは強烈だ。私は死因の結果香ばしい麦の香りが特徴の麦焼酎「恋ヶ奥」、シナモンのような香り高い三年古酒「あおちゅう 菊池正三年」を買うことにした。

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あおちゅうの解説をされる奥山さん

夕食に到着したのは、結局19時すぎになってしまった。女将さん「あまりにも遅いから、東京に帰っちゃったのかと思ったよ。」

小並感ある感想だが、この島では自然という力の凄まじさ、それを利用して生きている小さな存在にすぎない人間というものを強く意識させられる。都会では寄せ集まって技術とやらを駆使して強くなった気になり傲慢に生きている人間も、自然が圧倒的に強い環境の下では、その顔色を伺って謙虚に生きていかなければならない。そして人間というのは本来そういう存在であったはずだ。

 

八丈島・青ヶ島(2) 断崖絶壁の島

〇〇〇〇/7/17

7:30 あしたば荘出発

8:20 東邦航空チェックイン

9:20 八丈島空港→ヘリで青ヶ島

9:40 青ヶ島到着

本日はいよいよ青ヶ島へ。

ヘリコプターの予約をしておきながら、当日の様子を見てヘリをキャンセルしあおがしま丸(船)でアプローチしようと考えていたが、ヘリコプターのキャンセル料が改定され、当日のキャンセルは5000円ほどかかるという。これならヘリをキャンセルして船を使う意味がない。大人しくヘリコプターに乗ることにした。

今日はよく晴れており、昨日は曇天で今ひとつであった横間ヶ浦の景色も素晴らしく見える。曇っているとわからないが日光が出ると緑の鮮やかさが素晴らしい、まさにこの季節ならでは。

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素晴らしい景色

原付を飛ばしてレンタカーへ。こちらで原付を返却し、例の黄色いハイエースで空港まで送迎してもらう。空港では30分ほど待ち時間があるので、お土産物屋で帰りの時に買う土産の目処をつけておくことにする。パッションフルーツとか美味しそうだ。

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仕事とプライベートは完全に切り離しているので、仕事で遠出をしない限り職場にお土産を買ったりはしないのだけど、家族や近しい人に喜んでもらえるようなプレゼントを考えるのは面倒くさくも楽しい作業だ。良心というか愛想の容量が少なめに生まれてきてしまったので、心を込めて接することのできる人数には限界がある。申し訳ないのだが職場の人にまで愛想を振り撒くほどの余裕はないし、なんなら旅行中に仕事のことなんて一ミリも考えたくないし、そもそもこの旅行中に仕事のことはほとんど全く考えていなかった。ごめんなさーい。

8時20分になると八丈島空港の一角にある東方航空のカウンターが開く。5kgを超える荷物は超過料金が取られる。自分の荷物は11キロで1200円の超過料金だった。時間になるとヘリに乗る人のために空港の手荷物検査が行われ、待合室へ。窓からは空港の滑走路に運ばれてきたヘリコプターが見える。

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空港に運び込まれたヘリ


以前乗ったことがあるので初めての体験というわけではないはずなのだが、ちょっとワクワクする。やはり普通の生活をしていて乗ることができるのは飛行機ばかりであって、ヘリコプターに乗る機会はまずない。4年も経つと過去の記憶は朧げとなり断片化が進んで、パズルのピースのように元の場所に戻そうとしても、完全に復元することはできない。だからこそ過去の記憶に縋るのではなく、今を最大限楽しむことが大事なわけである。

ただ、以前は折角窓側に座ったのにポジショニングが悪く、その上写真を撮ることに集中していなかったためにヘリからの景色を綺麗に撮ることができなかったのでその反省を生かし、左前方の席を狙ってヘリの待機列では先頭に並ぶことにした。そして携帯は常にカメラをオンにしてスタンバイ。

ヘリコプターの乗務員は二人おり、最後の乗務員が乗り込むとドアが閉められ、ヘリの翼が回転し始める。いよいよだ。滑走路を滑るように移動し、止まったと思ったら翼がバラバラと大きな音を立て始め、ふわりと宙に浮く。不思議な感覚だ。この瞬間、過去に初めてヘリコプターに乗った時の感動が一気に蘇ってきて、思わず涙してしまった。

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市街が小さくなっていく

八丈島の市街が次第に小さくなっていく。眼下にキラキラと輝く海が見える。黒潮の流れるこの海域は海の青が驚くほどに鮮やかで、まるで小学生がクレヨンで描く海の絵のようだ。

 

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こんなにキラキラ輝く青い星の下で、我々は生きているんだなあ。

 

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そう思った時、心の中を占拠し自分を束縛していた重たく暗い何かが、音を立てて砕けていくような感触があった。それは感動という、懐かしくてあたたかな、そしてここしばらく忘れていた感触だった。 

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左:まるでクレヨンで描いたような青い海 右:青ヶ島が見えてきた。ピントが合ってない

 

前方には朧げながら青い塊のような島が見えてきた。あれが青ヶ島。島の上には大きな雲の塊があり、何だか迫力のある様相だ。温かく湿った空気が島の急斜面にぶつかって、雲を形成するのだろう。次第に島が緑みを増して、大きくなってくる。私は携帯のカメラで、夢中で写真や動画を撮る。以前は感動のあまり写真を撮ることを忘れていたのだった。

 

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青ヶ島に近づいてくると、上空の雲にかかって少し周囲の景色が暗くなってくる。刻一刻と形を変える青ヶ島の写真をカメラに収めようとするが、焦点が合わなかったり景色が変わってしまったりして、なかなか良い写真が撮れない。というわけでこれが限界でした。急な海食崖が大きく見えてくると、程なく青ヶ島ヘリポートに到着である。

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ヘリコプターから降りるが、ヘリの翼が生み出す強い風に煽られる。青ヶ島からヘリに乗り込む人々と荷物を乗せると、程なく八丈島にトンボ帰りしていき、島には再び静寂が訪れる。

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風が強く、湿度が非常に高い。まるでサウナの中にでもいるようだ。緑の香りが非常に濃い。八丈島とは比べ物にならないような濃密な風土に、懐かしさと喜びが募る。

今回は青ヶ島に2泊して、島を満喫する計画。今回はかいゆう丸という、最近オープンした新しい民宿に宿泊することにした。電話でヘリポートから近いと伺っていたので、徒歩で民宿に向かう。相変わらずアップダウンの多い土地柄である、だがそれが良い。

民宿は発電所の横の路地を入ったところにある。入り口では男性何人かがタバコを吸っている。ドアを開けてお邪魔すると、女将さんと思われるおばさんが台所で仕事をしている。

「こんにちはー」

「… あ、こんにちは。〇〇さんね。部屋は右の〇番目の部屋です。今回は仕事?観光?」

(お昼はどうするんだろうか…青ヶ島にはレストランがないので、1泊3食付きである。)

「観光です。」

「ひんぎゃの方に行こうと思ってるんですが…」

「大体みんな二日目にひんぎゃの方に行くんだけどね。わかりました、ひんぎゃ弁当ね」

こんな感じのノリである。親切丁寧に宿泊案内などを期待してはいけない。おもてなしモード全開とは対照的で、何だか申し訳なくなってしまうが、ここの島にくる人は多くが土建関係の人々で、観光客は少ない。最近こそ「死ぬまでに見るべき絶景」に選ばれて知名度が少し上がっているようであるが、それでもあくまでマイナーだし、本土との交通の便が著しく悪く、半自給自足的な生活を送っているこの島では、あくまで観光客としてもてなされることを当然と思うのではなく、島の生活にお邪魔させていただくという謙虚な姿勢で過ごすことが大切だと思う。

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民宿「かいゆう丸」

 


荷物を置いてカルデラの中にある「ふれあいサウナ」に入るための装備を準備し、その後徒歩で三宝港へ徒歩で向かうことにする。 少し距離がありアップダウンもきついが、往復10キロにも満たず、距離だけなら大したことはない。

集落を出て道なりに歩くと、次第に斜面の傾斜が増していき、左手は断崖絶壁になっていく。道路からはありえないような急角度で海に落ち込んでいく緑色の斜面と真っ青な海、そして海岸に打ち寄せる波が砕ける音が遠くに聞こえるが、海と陸地の境界は集落や道からはほとんど見えない。海は常に近くにあるはずなのに、その海は人々の生活の場からは隔絶されているという、不思議な感覚。

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海ははるか下に

青ヶ島の集落は標高200ー300mのところにあり、島の周囲は断崖絶壁という、かなり特異な地形になっている。そして島の中央部には巨大なカルデラ。この普通ではない地理的特徴こそがこの島の最大の見どころである。斜面の緑の濃さ、そして風の香り。時折響き渡るウグイスの鳴き声。この島の道を歩いて大自然を満喫することが最大の贅沢である。

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カルデラ全景。天気はすっきりしない

 カルデラ内は風が通らないので、周囲と比べてもさらに気温も湿度も高い。まるで植物園の温室のようだ。この季節なのに鳴いている蝉はツクツクボウシばかり。たまにニイニイゼミが鳴いているが、ミンミンゼミやアブラゼミは全くいない。これもまた不思議だ。カルデラへ降りていく道を下っていく。緑が濃い。ジャングルのようだ。

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緑濃いカルデラ

 

カルデラ内ではたくさんのオオタニワタリが見られる。月桃も生い茂っている。とにかく植物の元気が良い。これだけの温度と湿度があればね。カルデラ内にはたくさんの畑があり、水蒸気を上げる噴気孔もある。この地熱がサウナやひんぎゃとして使われるわけである。本日はあおがしま丸の着岸日ということでひんぎゃ方面に向かうのは後にして、まずは三宝港に向かうことにした。

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火口へ降っていく。オオタニワタリがたくさん見られる

三宝港へは青宝トンネルというこの小さな島にはまったくもって似つかわしくない長大なトンネルを抜けていく。かつては三宝港に向かう道は山肌につけられていたが、地震により斜面が崩落してしまった。このトンネルは村の生命線である三宝港への安定したアプローチのために必須であったわけである。

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青宝トンネルへの道

青宝トンネルを抜けると、すでにあおがしま丸が接岸しており、タラップが降りて乗客の乗降が始まっていた。昨日は聖火リレーをこの島でやったそうで、その関係者と思しき人々があおがしま丸に列をなして乗り込んでいく。程なくして貨物が降ろされ始める。これが青ヶ島の生命線である。見上げてみると、三宝港の斜面はコンクリートによって数百メートルの高さまでガチガチに固められている。崖に囲まれ、崩落の絶えないこの青ヶ島で、島の生命線をなんとしても守り抜くという鉄の意志(コンクリートだが…)を感じる。まるで要塞のようだ。貨物の上げ下ろしの様子はなかなか興味深く、場所を変えつつ30分ほど眺めていた。

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あおがしま丸が接岸していた。港の斜面は数百メートルにわたってガチガチに固められている
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激しく波が打ち寄せる三宝港。漁船は釣り上げられ、崖上に収納される

飽きもせず港を眺めたのちに登り坂をひたすら歩いて、ひんぎゃの方に戻る。雲が晴れると日差しが強く体力を消耗する。ひんぎゃに着くと、先客が調理をしていた。干物の匂いが強烈だ、これがくさやという奴だろうか。どうもこの匂いはあまり好きになれない。ジャガイモとサツマイモ、そして干物とソーセージを投入。この金属の網にもなんだかカビみたいなのが付いてるが大丈夫なのだろうか?30分ほど待つが、サツマイモはまだジャリジャリだったので他のものを食べながらさらに20分ほど待ち、ようやく完成。何故か箸がついておらず食べるのに苦労するが、芋に齧り付くのは素朴な感覚だ。

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ひんぎゃ近くの東屋。すでに先客は撤収している

干物に差し掛かると、魚臭いにおいを嗅ぎつけて二匹の猫がやってくる。どうやらおこぼれを虎視眈々と狙っているようだ。放っておくと椅子を駆け上がって干物にかじりつこうとするのでしっかり追い払ったが、それでも遠巻きにこちらを狙っているのは見え見えである。鳴き声をあげれば餌をもらえるとでも思っているのか?甘いな。甘すぎる。

既にかなり汗をかいていたし、食事で手が汚れて耐え難いので、ふれあいサウナに入ることに。入り口に300円置いてタオルを受け取り、中に入る。サウナは地下にあるが、この時点で既に地熱で床が暑い。サウナに至ってはあまりにも暑くてかなり厳しいものがあった。1分ほど入ってからシャワーを浴びるが、地熱でシャワーの水がお湯になっていて、なんの足しにもならない。体を拭いて冷房の効いた休憩室に入ると、ようやく生きた心地がした。

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ふれあいサウナ。休憩室以外は熱地獄だ

サウナを出たのち、御富士様のお鉢巡りをすることに。眺望ポイントを除けば景色は良くない。蚊が沢山いて、案の定被害に遭った。

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御富士様からの眺望

本日の行動はここまで。お鉢巡りののちに宿に戻る。サツマイモやトマト、きゅうりなどの畑があり、農作業に勤しまれる島民の方がたくさんいた。冬も暖かいこのカルデラ内は農作業に格好の場所というわけだ。集落に戻る坂道はかなりこたえる。宿に戻って冷房の効いた部屋で休憩。まさに文明の利器だ。

夕食は地元産の刺身やあしたばをふんだんに取り入れた料理で大変おいしい。

宿の女将さんには、以前から気になっていた大千代港(翌日の記事で詳しく書きます。)について訊いてみた。

「もう随分前の話だよ。ある朝大千代港に車で向かった郵便局の職員が、崩落に気づかずに転落して亡くなってしまったんですよ。音がすれば島民も気づいていたんだろうけど、なんの音もせずに夜が明けたら地滑りが起きてた。」

「もともと一島二港という政策を東京都が推し進めてたわけだけど、あまりにも地滑りがひどかったものだからどうしようもなくて、今は誰も使ってないよ。昔は貝を取りに行くためにそのあたりで船を下ろしてもらってたけど、今ではめっきり行かなくなったね。」

とのことである。大千代港については明日、立ち入れる範囲内で様子を見に行ってみようと思う。なお、この島は地滑りが絶えないが、同じように断崖絶壁に囲まれた御蔵島では地滑りの話をほとんど聞かない。その理由は地質学的な部分にあるのではないか…と思い民宿の庭先に出てみたところ、そこに答えがあった。下の写真を見て欲しい。茶色いところは溶岩の層。墨色のところはスコリア(玄武岩でできた火山砕屑物)からできている。スコリアは非常に接着性が低く脆い。手で触るとボロボロ崩れ、既に上の層と下の層に比べると大きく凹んでいる。

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茶色いのが溶岩、墨色の部分がスコリア。手で触るとスコリアがボロボロ崩れた

つまりこの島の地層は柔らかく脆いスコリアの層を外側から溶岩で固めたものが積み重なっている。スコリアの部分は脆いから、いくら溶岩が硬くても海食や人の手による破壊によりスコリアが露出すると、その切れ込みをきっかけにしてまるでバウムクーヘンの層を剥がすように上の溶岩ごとズルリと剥けてしまうということのように思われる。こんな脆い大地の上で、青ヶ島の島民は生活を営んでいらっしゃるわけだ。まさに崩れゆく大地との戦いである。

夜は星空を見に外にでてみたが、霧に覆われており星など見えるはずもない。町あかりが霧に反射してこれはこれで幻想的かもしれない。

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明日は島の外側から三宝港へ向かう道路、そして無理のない限りで大千代港への散策を行う。かねてより興味のあったところだ。歩き疲れたのでこの日はぐっすり寝た。

 

 

 

 

 

 

八丈島・青ヶ島(1)竹芝出発、八丈島観光

〇〇〇〇/7/15

22:30 竹芝桟橋出発

〇〇〇〇/7/16

6:00頃 御蔵島通過

8:50 八丈島底土港

レンタバイクを借りて八丈島観光

あしたば荘泊

 

※本記事の内容は架空のものであり、実際に起きたこととは一切関係ありません。

 

出発の日である。

浜松町から竹芝桟橋に向かう道は、4年前は古い建物が散在していてやや場末感があったものの、今ではずいぶん立派な建物となり、ソフトバンクやら何やら日本の有名IT企業が入居している。たった4年でここまで変わるのかと思うと色々感慨深いものがある。この間自分は何か成せたことといえば、三歩進んで二歩下がる状態である。

竹芝桟橋最寄りのコンビニは大変広い。品揃えも豊富…のはずだが夜遅いこともあり、商品は売り切れが多い気がする。パンと飲み物、そして幾らかのお菓子を買って桟橋、都会の真ん中にある異郷への扉へ。

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この日は八丈島方面に向かう橘丸のほか、伊豆大島へ向かうさるびあ丸も出発するようで、コロナ禍だからさぞ客も少ないだろうと思っていたが全くそんなことはなく賑わっている。受付で予約した切符を発券してもらい、船を待つ。釣りに行く人、マリンスポーツ好きと思われる色黒の兄貴、初々しいカップル… 皆さま楽しそうだ。

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時間があるので桟橋の建物の上の階へ。皆がベンチに座って橘丸の黄色と緑の船体を眺めている。彼らもこの船に乗っていくのだろう。良い旅を。

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ここ1年ほどメディアはコロナの話題で持ちきりであり、毎日のように何の意味があるかもわからない感染者数の報告を継続している。もはや人々は自粛が我慢の限界であることは明白であるのに、「専門家」は毎日のように第何波だの山場だの聞き飽きたセリフをオオカミ少年の如く連発し、日本政府は「専門家」のいうことを鵜呑みにするばかりで、対応は遅く場当たり的で全く現実が見えていない。

イギリスは毎日数万人も感染者がいるがコロナとの共存を目指し、ジョンソン首相は他の感染症と違った扱いはもうしないという。これが一番現実的な考えの様に思われるがどうだろう。メディアも恐怖を煽りすぎな感じがある。医療関係者の皆様はコロナの危険性についてSNSやメディアを通じてご高説を垂れているが、残念ながら彼らの常で、医療という側面は世界の一側面にすぎないということを見落としている。コロナで命を落とさなかったとしても、お金がなくなって生きるのが苦しかったり、生き甲斐を奪われて生きる屍の様になったりしても誰も責任を取らないことは明白で、もう好きなことをやって自分の健康を維持した方が良いだろうという考えに至るのは当然のことである。そもそもこのコロナ禍における緊急事態宣言で、通い詰め親しんだ飲食店が一つまた一つと店を畳んでいく様子を目にしてきた我々にとっては全ての行為が「必要かつ急」であることが明らかとなってしまった以上、不要不急などというおまじないはもう決して通用することはない。苦しい時や疲れた時は趣味で気分をリフレッシュすることが要かつ急である。

 

さて、出航20分前になった。夜になってあかりの消えたお土産店の横にある桟橋への出口への待機列に。今回も4年前と同様、特一等を予約した。前回より心なしか値段が上がっている気がするが、細かいことはどうでも良い。タラップを上り船内へ。

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特一等室のカードキーを受け取る。部屋は広く清潔で、四人分のベッド、机と椅子、トイレとシャワールームがある。受付の際に相部屋となる可能性を指摘されたが、幸い部屋は私一人で、のんびりと寛ぐことができそうだゼ。荷物を整理していると、程なく出航である。名物の東京湾夜景を見に、甲板へ向かう。すでに先客がたくさんいて、夜景を楽しんでいた。夜の東京湾を吹き抜ける空気が爽やかで、かつてと同じように、これからの旅に心が躍る。

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かつてはやらなかった船内の施設めぐりをしてみることに。

特一等のある部屋は第5甲板にある。さらに等級が上の特等席は、第6甲板。逆に特二等や二等客室は第4甲板やそれより下である。一番下の二等は雑魚寝部屋になっているが窓がなく、人は一人もいなかった。

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左:船内の案内図 右:第2甲板の二等船室は誰もいなかった


そうこうしているともう11時半ごろになったので、就寝。御蔵島到着が6時頃なので、目覚ましをその少し前の時間に合わせておいた。以前船に乗った際は気づかずに損をしたのだが、ベッドについている照明の下にコンセントがあり、これで携帯の充電ができる。

***

目覚ましで起きると、すでに外は薄明るい。三宅島に到着した頃で、島のなだらかな稜線が見える。三宅島と御蔵島の間はあまり距離がなく、数十分で到着。せっかく起きたので、甲板で御蔵島を眺めることにした。

三宅島も御蔵島も火山であるが、三宅島は比較的新しい火山で近年も活発な火山活動が見られるのに対し、御蔵島は数千年前に活動を停止した古い火山で、島の周囲は数百メートルの断崖絶壁に囲まれている。御蔵島の特徴的なシルエットには自然の厳しさを感じさせるすごみがあり、その姿は独特で、何度見ても飽きない。特に断崖を流れ落ちる滝は見事なものだ。

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御蔵島港へ到着する。御蔵島は島の海岸線と垂直に突堤が作られており、集落へ向かう道は島の斜面が削り取られて作られている。沢をコンクリートで固めた滝のような構造物も印象的だ。集落は一段高い海食崖の上に形成されている。朝日に照らされる集落が美しい。

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御蔵島周囲の海は黒々としており、島の周囲の海の深さが窺われる。降りる人はイルカウォッチングを楽しむ人だろうか、心なしかスポーティな女性が多い気がする。しばらくして御蔵島を離れるあたりで自分も船室に戻り、八丈島が見えてくるまで二度寝することにした。

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8時ごろ再び起床。

甲板に出ると、右手の海上にぼんやり浮かぶ3つの山が見える。これが八丈島八丈小島である。

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空が曇っており、海の色もその影響でややくすんでいる。波はこの海域としては穏やかで、船の揺れもあまりない。かつておがさわら丸に乗った時のような激しい揺れを期待して、酔い止めまで持ってきたのに拍子抜けである。青く霞んで見えた八丈島のシルエットも次第にはっきりして緑色を帯びてきて、程なく底土港に到着である。特一等室のカードキーは記念ということでいただいた。

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底土港近くの駐車場では大学生のサークルと思われる若者がたむろしており、何かを待っているようだ。私も大学生になったばかりの頃は何でもできるような気がしていたけど、今考えてみれば所詮はただの世間知らずのクソガキだったなあなどと思わざるを得ない。彼らもまだ若いしこれからだろう。しかしサークルとは羨ましい。私の入った学部は他の学部と隔離されており、「〇学部における上意下達」を身につけるためにほとんど体育会系の部活しかなかったのでサークルに入って楽しく大学生活などという選択肢は最初からなかった。ぜひ頭がアホになるくらい遊び呆けて、大学生活を満喫してほしいもんだね、彼らには。私はあらかじめレンタバイクを予約していたモービルレンタカーに電話をして、港まで迎えにきてもらう。黄色いハイエースだ。

モービルレンタカーはガソリンスタンドと直結している。レンタバイクの旨を伝えると、建物裏の倉庫に行って自分で好きなバイクを選んで持ってくるように言われた。青、銀、黒、ピンク、オレンジ。当然のごとく太陽のように明るく楽しそうなオレンジカラーで決まりである。昔は紫色以外の色はあまり受け付けなかったが、今は黄色以外に特に苦手は色はない。黄色だって使い所が正しければ綺麗に決まる。例えば橘丸の黄色と緑のカラー、一見すると激しくセンスが悪く感じるものの、八丈島近海の鮮やかな青い海にはこの黄色がよく映える。結局色というのは使い所なのだよワトソン君。

 

さて、レンタバイクを借りたので、八丈島周回の計画を考えてみる。まずは右側から八丈富士を一周。大賀郷に戻り昼食。そして昇竜峠を越えて、末吉を経由して中之郷にある民宿、あしたば荘へ向かう。それが良さそうだ。

今回は八丈島随一の寿司処である銀八と、4年前に来た際に気に入ったカフェである空間舎に目星をつけたものの、残念ながら前者はコロナ禍休業中で電話が繋がらず、後者はおそらく以前訪れた時にお話をしてくださった店主のおばさんが電話に出てくださったものの、「例年だったら夏は金曜も営業するんですが、今年の夏休みはコロナということもあるから無理しないで行こうと思ってるんです」とおっしゃっていた。うーんそうか。別の店を探さねばな。そういうわけで、お昼は島の南側の樫立集落にある「いそざきえん」が営業することを確認し、そちらに向かうことにした。

まずは八丈富士の周回である。この道は左手に海を間近に望み、右手にはシダ植物などの緑が鮮やかで、開放的な素晴らしい道のりである。湿度が高い八丈島の空気は緑の香りが濃く、鶯の鳴き声が心地よい。八丈富士の右半分を回り込むと、八丈小島の均整の取れた山体が見えてくる。

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八丈小島は1万年程度前までに活動を停止したという比較的古い火山であるそうだが、八丈島との間には海流があり便は悪く、その地質学的研究はあまり進んでいないらしい。かつては八丈小島にも人が住んでいた。そこではマレー糸状虫症が蔓延しており、住民はこの風土病に大いに苦しめられていたという。近代になってこれは駆逐されることになるが、この狭い島では水も食料も十分に取ることはできない、そして十分な教育も子孫に与えることができないと考えた住民は集団離島したそうである。1969年のことであったそうだ。あんな小さな島にも様々な歴史があるということである。

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大賀郷に向かう道の右手には「南原千畳敷(現地案内図には千畳岩と書いてある)」はかつて八丈富士の噴火の際、溶岩が海に流れ込んだ地形である。黒い玄武岩の表面には流紋が見られ、かつての噴火の様子を想像できるダイナミックな地形になっている。

f:id:le_muguet:20210722103215j:plainこのあたりには空間舎の案内板がある。かつてレンタサイクルを借りて島を半周した際には空間舎にお世話になったものだが、懐かしい。昔お世話になった時の写真を載せておきましょうかね。あしたばチーズケーキとカフェオレが絶品だったな。

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四年前に空間舎を訪れた時のもの。素敵な空間でした

大賀郷から樫立に向かう道には「大里の玉石垣」という八丈島の名物的景観があるが、どうせまた後で末吉方面に向かう際に戻ってくるので、まずはお昼にありつくことを優先することにした。長い坂を越えトンネルを抜けると、樫立の集落に至る。坂の途中で振り返ると、八丈富士と八丈小島が綺麗に見える。残念ながら曇っているので、あまり綺麗な写真がこの時は撮れなかった。

いそざきえんは古民家風の食事処で、伝統的な島料理を提供している。お店の前の広場には大きなガジュマルの木があり、その木のそばには「燃料にも使えないし建築資材としては劣っているし云々だが、台風の風除けとしては役に立つ」などといううんちくが書かれている看板がある。

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左:古民家風のレストラン、いそざきえん 右:庭先にある大きなガジュマル

建物は古く味わいがあり、客は畳の上でご座の上に座り食事をすることになる。一番安いコース料理である黒潮料理を注文することにした。お値段1680円。料理はあしたばや麦といった伝統的な食材をふんだんに使用しており、独特の味わいだ。私は好き。というか最近好き嫌いがあまりなくなってしまったので、余程のゲテモノでもない限り嫌いとは感じなくなった。尤も納豆とくさやは無理であるが…

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左:黒潮料理とパッションフルーツジュースを注文 右:趣のあるいそざきえん店内の廊下

 いそざきえんからは元来た道を戻り、大里の玉石垣集落。かつて訪れた時はこの観光の目玉をスルーしてしまったので、今回はじっくり観察してみることにする。大里は江戸時代から八丈島の政治の中心で、海岸から罪人に玉石垣に最適な丸い石を拾って来させて作ったものだという。よくもこれほど大きさの揃った石を大量に…と感心する。インカの石垣とまではいかないかもしれないが、なかなかのものである。

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玉石垣の町並み。これが集落全体に広がっていて、壮観

 

大里からは三根にある定番のお土産屋、民芸あきへ。

黄八丈から食料品まで、お土産ならなんでも揃う。今回は以前買おうと思ったが高価すぎて買えなかった、黄八丈の巾着袋を買うことにした。これだけで小さいものでも6000円程度する。覚悟がなければこの小さい袋にそこまでのお金は出せないだろう。でもなんとも言えない黄金色の光沢のある生地、細かな紋様、見れば見るほど味わい深い織物で、その値段を出す価値は十分あると思う。かつては年貢として幕府に納めていたそうだから、その美しさは折り紙付きである。最近は後継者不足もあって値段が高騰しているそうだが、高価な巾着袋を複数個買うことにしたのは、黄八丈の未来に少しだけでも貢献したいという思いもあった。

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民芸あき。こちらでは巾着袋をいくつか購入。美しい風合い

 民芸あきからは、末吉集落に向かう九十九折の道を行く。原付の馬力がかなり低くスピードが出ない。法面には大きな葉を持つシダが生き生きと生い茂っており素晴らしいワインディングロードだ。降水量が多く気温も暖かな八丈島は、植物の生育にとっては絶好の環境なのだろう。昇龍峠からは八丈富士が美しく眺められる。天気も次第に晴れてきた。

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昇龍峠からの素晴らしい展望
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遠くに末吉の集落が見える。所々に大きなシダが茂る、素晴らしい道

さっきから素晴らしいばかり言っているが、本当に素晴らしい。この緑の生き生きとした感じ、植物のエネルギーのようなものは本土ではなかなか感じることができないもの。以前もこんな感動を味わっていたのだろうか。

ここ数年は都会歩きに楽しさを見出すことに慣れさせられていた感もあったが、そんなものでは本当は本質的な感動は味わえないんだろう。きっとどこか心の奥底で不満足が蓄積していたに違いない。自然が圧倒的に強く、その中で人々がつつましく伝統を受け継ぎながら暮らしているこの地では、その大きさを間近に感じることができる。そして火山島特有の地形の峻険さ、ダイナミックさ。素晴らしいねえ。

小さな末吉集落を通り過ぎて、民宿のある中之郷へ。途中には奈古の展望台があり、素晴らしい海が望める。この辺りは海食崖が発達している。島の南側を形成する三原山は3000年ほど前で活動を停止したいわゆる死火山であり、新しい火山である八丈富士と比べると侵食が進んでいる。特にこの洞輪沢付近は洞輪沢火山という三原山よりさらに年代の古い火山の残骸が残っているらしく、高度に発達した海食崖を見ることができる。

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奈古の展望台より

中之郷は三原山の南斜面に発達した、雰囲気の良い集落。

町は古い石垣で区画されており、時折玉石垣を見ることができる。オオタニワタリが所々に着生していて、この地の温暖さを物語っているようだ。本日の宿、あしたば荘は玉石垣の上にある鄙びた民宿で、こちらに荷物を置いて散歩に向かう。集落を吹き抜ける風が心地よい。地図を見ると中之郷古民家喫茶なるものがある。時間もちょうど良いのでお邪魔してみることにした。よく手入れされた庭の中に、年季の入った高床式の建物がある。蚊取り線香の香りが懐かしさをそそる。建物の梁は黒みがかっており、調度品も歴史を感じる。この建物の古さを物語っているようだ。

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古民家喫茶、中之郷

店主のおばさん(お姉さん?)に話を伺ってみる。建物の年季とは裏腹に大変気さくな方だ。祖母が維持管理していたこの建物をカフェとしてオープンしたのだという。江戸時代末期の建物で築160年ほど(!)これには驚いた。こんなに湿度が高く雨の多い地域なので、維持管理にはかなり手間がかかっているはずだ。緑鮮やかな苔に覆われた庭、自然な間隔で植えられた地元の植物、全てに美意識が感じられて素晴らしい空間になっている。歴史を重みという息苦しい感覚ではなく、美しさとして肌で感じられることが素敵だなあと思う。抹茶セットとあしたばシナモンロールを注文することにした。いずれもとても美味しい。

なんて贅沢な時間だろう。
 

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ゆっくり寛いだ後、向かったのは裏見ヶ滝温泉。野趣満点の温泉で、観光名所になっている。混浴なので水着で入ることになる。お湯はちょうど良い温度で、少し白く濁っている。沢の音を聞きながら入る温泉、これもまた贅沢なものだ。混浴ということで海が好きそうな女性も水着姿で来ていた。

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裏見ヶ滝温泉

この温泉の裏手には裏見ヶ滝という滝があるが、訪れた時間帯の問題もあってあまり綺麗な写真が撮れなかった。残念。近くの橋からはヘゴ(木生シダ)の群生を見ることができる。八丈島はヘゴ分布の北限とされているそうだ。

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沢筋に群生するヘゴ。真ん中に生える幹の白い木がちょっと芸術的な造形

藍ヶ江の集落を通って宿に戻る。青く鮮やかな海が間近だ。急斜面に張り付くような集落の光景が素晴らしい。

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藍ヶ江漁港と、藍ヶ江の集落

本日の夕食は島寿司。宿泊料金7500円とは思えない、ぜいたくな夕食だ。味もとてもおいしい。冷房は100円入れないと使えないし、建物もなんだか古びていてタオルも付いていないが、この食事の素晴らしさはそれを補ってあまりあるもの。おいしい食事に満足して寝ることにした。

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素敵な夕食

明日はいよいよ青ヶ島。この旅の目玉である。四年前の忘れ物は回収できるだろうか?楽しみだ。