Le Chèvrefeuille

世界は遊覧、思い出の場所であり、われらは去りゆく者

ペルー・ボリビア(3) 聖なる谷をめぐる

9/21

LA2324 0800AQP 0905CUZ

ホテル(Costa del Sol Ramada)に荷物をドロップし、聖なる谷を観光しつつオリャンタイタンボ駅へ

途中チンチェーロ、モライ、マラスの塩田、オリャンタイタンボ遺跡観光

オリャンタイタンボ駅へ

EXP-75(エクスペディション)

1904オリャンタイタンボ駅

2045マチュピチュ

Inti Punku Machupichu泊

 

早朝、まだ薄暗い中荷物を整理し、ホテルをチェックアウト。まだ空気は冷たい。ホテルの受付にて本日のボックスブレックファストを受け取った。

6時ごろにガイドとドライバーが現れ、ホテルをあとにする。空港へは20分ほどだ。ガイドに紹介された観光スポットやレストラン「Victoria」に訪れたこと、レストランの料理がとてもおいしかったことを伝えると、片言の日本語であるが「うれしい!」と言っていた。アレキパという日本人観光客は見向きもしなさそうな都市に日本語を話せるガイドがいたことにそもそも驚かされるが、とてもいい人でよかった。私自身チップは米国が世界にばらまいた悪癖だと思っているので基本的にはけちるタイプの人だし、空港を往復するだけで実働時間は1時間未満だったけれども、この方にはしっかりチップを渡しておいた。

空港は比較的人が多くにぎわっている。多くの飛行機は行き先がリマ行きである。

アレキパ空港は人でにぎわっている

実はインカ帝国の遺跡が散在するクスコ~プーノのメインルートから外れた中途半端な位置にあるアレキパは、当初の旅行計画(2023年初め時点のもの)では綺麗なルートを計画することができずに訪問先から外してしまっていた。今回は適当にGoogleフライトを検索していたところ、たまたまアレキパ~クスコには直行便が存在することを突き止めた。アレキパをペルーにおける最初の訪問先に選んだのは、ほかの諸都市と比較して標高が低いというのはもちろんあるがそれだけではなく、この直行便の存在を知ったことによって綺麗な計画が実現できたからでもある。

朝の澄んだ空気に、美しい山並み。今日はこの山の向こうへ行く

アレキパからクスコへ向かうフライトは、外国人観光客はどちらかというと少なく、地元ペルーの人が多い印象。相変わらず通路側の席で外の様子が全く分からないのが大変遺憾だが、1時間ほどで、いよいよクスコの空港へ飛行機が滑り込んだ。標高3000mをこえる都市を訪問するのは初めて。インカ帝国の首都であったという歴史だけではなく地理的にも稀有な存在であり、期待が膨らむ。

クスコに到着

クスコの空港はやや古く、内壁の一部がインカの石積み風になっていたり、太陽神殿の黄金の太陽の顔が張ってあったりしてなかなか風情がある。荷物を回収して空港出口へ。本日のガイドが出迎えてくれた。クスコは細長い擂鉢状の盆地に発達した都市で、あたりを見回すと山々に張り付いたように家並みが見える。今まで体験したことのないような空気の薄さに、すぐ息が上がり軽く頭痛がする。高山の洗礼といったところだ。

クスコの空港

本日のガイドもまた日本語が話せるらしく、旅程を説明してくれた。

まずは2日後宿泊する予定のホテルにて荷物をドロップ。モライやオリャンタイタンボのチケットはクスコ近郊の遺跡で共通の入場券があり、ガイドが購入する(が入場券自体は自腹)とのこと。ただし、マラスの塩田は別の入場券が必要で、自腹で買うようにとのこと(20ソル)。その後ガイドは降車し、ドライバーが各遺跡や昼食に連れて行ってくれる。最後にオリャンタイタンボ駅で降車して、電車に乗る。

正直この日の日程はかなり詰め込まれている上に、今まで「宿泊日(チェックインとチェックアウト日を含む)以外の日にホテルが荷物を預かってくれる」ということを知らなかったので、本当に荷物を預かってくれるのか、こんなに詰め込んだ計画をどうやって実現するのか、食事はどうするのか、など旅行会社の計画を見て、担当の人に質問しても今一つイメージがわかなかったものの、現地で説明を受けてようやく理解した。

空港から10分ほどでインカの石積みの上にスペイン風の建築様式の建物が乗っかった独特の雰囲気を持つ町並みが現れる。ここがかつてのインカ帝国の首都であったところ。

クスコ市街。ホテルにスーツケースを預け、聖なる谷へ

実に感慨深い。まずはガイドが70ソルの「クスコ北西部遺跡の共通入場チケット」を代わりに買ってきた(ちゃんと調べていなかったので後日知って後悔したのだが、サクサイワマンや南東部の遺跡など、広範囲の遺跡において10日間使える共通入場券130ソルというものがあったようだ。知らなかったせいで、サクサイワマンやケンコー遺跡に入るためにさらに70ソルのチケットを買うことになり完全に損をした。ガイドがこちらを教えてくれれば絶対こっちを買ったのだが…いや調査不足の自分が悪いのか。)

ホテルは市のほぼ中心部にあり、外壁には例のインカの石積みが残っている。伝統的なコロニアル様式のパティオをもっておりかなり綺麗そうな雰囲気であるが、本日はここに荷物を預けるのみ。そそくさとホテルを出て小柄ではにかみ屋な雰囲気のインディヘナ風顔貌ドライバーが待つ車に乗り込み、チンチェーロへ続く裏手の山を車で登っていく。

次第に家並みはアドべ(日干し煉瓦)にトタン屋根の簡素な家が並ぶ町並みに変わっていき、家もまばらになっていく。山を登り切り、開けた高原状の台地をしばらく走ると、チンチェーロ遺跡の駐車場に到着した。

チンチェーロへの風景

ドライバーはスペイン語で、ここで待っている、という。古く趣のある家並みが残る村の小径を通り抜け、遺跡の入口へ向かう。

チンチェーロ村は家並みが美しい

チンチェーロ遺跡は、巨石で築かれてた建物の遺構の上に建てられたスペイン時代の教会と、特有の鋭角的な段々畑の残る典型的なインカ帝国の遺跡であるが、その説明というのは案外ネットやガイドブックをみても充実したものがない。考えるな感じろ、ということだろうか。深い谷の向こうに美しい稜線が見えている。

 

スペイン時代に築かれた教会の前には市が立っており服やお土産品などを売っている。教会に足を踏み入れてみると、キリスト教教会とだけ説明するにはあまりにもスモーキーで呪術的な雰囲気が漂っており、ここはキリスト教と土着の信仰が習合した場なのだろうと理解した。

教会内は呪術的な雰囲気で、キリスト教っぽさは薄い

美しい石垣とくすんだベージュ色の壁、そして赤茶色の瓦の家並みがかわいく、美しい。この家々も多くがお土産品屋を営んでおり、特に乾燥させた瓜に細かい絵を刻んだもの(名前はわからない…)を売っている店舗は、旅程の中ではいわゆるお土産ショップ以外ではここでしか見つけられないものだった。

遺跡をあとにする

チンチェーロ遺跡を発ち、次はマラスの塩田へ。

塩田へはしばらく高原地帯を走る。畑が広がっており、時折湖が見える。

塩田への車窓

チケットブースにてチケットを購入。その後、谷間を下っていく。下っていく道からは景色がすばらしく、展望台からは白く輝く塩田、そして駐車場手前の道路にはツアーバスが列をなしているのが見える。ここから少し走ると、塩田の入口に到着した。

展望台より

塩田入口に到着

マラスの塩田はインカ帝国時代から使用されており、いまだに現役の塩田である。塩の結晶で白く輝く塩田の景色を見ることができるのは乾季のみ。今回訪問した9月下旬は乾季の終わりであったが、太陽の日差しに照らされて美しく輝く塩田、そしてそこでおそらくかつてインカ帝国時代からそれほど大きく変わらないであろう、人々が塩を採取する姿が見える。

 

この塩田をよく観察するとすべての区画に均等に塩を含んだ水が行きわたるように岩に溝が刻まれている。インカ帝国時代の精密な治水技術の賜物は、500年以上の時を経ていまだに人々の生活を支えている。その技術的基盤に対してスペイン人は敬意を払うことなく、ほぼ根こそぎ破壊してしまった。この素晴らしい治水技術は永遠に失われ、決して復活することはない。彼らスペイン人の強欲さ、浅はかさに対して嘆きの気持ちをおさえずにはいられなかった。いったいどれほどの観光客がこのようなことを考えながら遺跡を眺めているのだろうかと、自撮りにいそしむ観光客を見ながら首をかしげてしまった。

白く輝く塩田は乾季のみみられる

お土産ショップの並ぶ順路を通って駐車場へ。

次はモライへ向かう。ところどころにかわいらしい家並みをもつ小さな村が点在していた。

モライへの車窓

モライは融合した円形状の不思議な段々畑である。ここは高低差を利用してかつてさまざまな作物を効率的に育てる研究をするための農業試験場であったと言われている。30分ほど時間を与えられたので、遺跡の周囲につけられた周遊コースを一周し、このミステリーサークルのような遺跡を周遊してみた。

モライ

本日の昼食はビュッフェタイプのレストランらしい。ドリンクは別会計だと、ドライバーがスペイン語で説明してくれた(旅行会話程度なら喋れないが理解はできる)。モライから聖なる谷へ九十九折の道を下り、谷を下りきるころにレストランに到着。

道中の展望台より。谷の景観が美しい

レストランはいかにも団体ツアーが好んで利用しそうな壮大な空間を持っているが、料理は決して手抜きではなく、なかなかおいしい。のどが渇いていたのでパッションフルーツジュースを注文した。

昼食

車に再び戻るが、ドライバーがいない。どうやら彼もこのレストランでこっそり(?)食事を摂っていたらしい。ドライバーが戻ると車は出発し、聖なる谷を川沿いに下流へ進んでいく。屏風のようにそびえる山々が素晴らしい。30分ほどで、本日訪問する最後の遺跡、オリャンタイタンボに到着した。

オリャンタイタンボへの車窓

オリャンタイタンボは山の斜面に設けられた段々畑、段々畑の頂上に設けられた太陽神殿やモノリス、そして見張り小屋や水利施設など、インカ帝国の遺跡としてはかなり規模が大きく、保存状態も良い。そしてその規模のわりにマチュピチュほど知名度がなく、(その時は混んでいるなあと思ったが、あとからマチュピチュと比較して考えてみると)比較的ゆっくり観光を楽しめる。

オリャンタイタンボに到着すると、ドライバーは町の中心部の広場で私を降ろし、1時間半ほどでこの広場に戻ってくるようにと伝えた。お土産屋やレストランの並ぶ、オリャンタイタンボの村を通り抜け、お土産バザールを通り抜けて、遺跡入口へ到着した。

綺麗な町並みのオリャンタイタンボ

遺跡の入口

遺跡に入ると山の裾野が広場になっており、ここに水利施設がある。大きな岩を削って水の通り道を作り、水を分配しているのがわかる。これが鉄などの金属なしに行われたというのが驚きである。

巨石の置かれた広場。水利施設がある

岩を削って水道が作られている

巨石の配置された不思議な空間を歩いていき、段々畑のつけられた斜面を登っていくが流石に標高が高く息切れが激しい。ゆっくり登っていくと、次第に景色がひらけてきて、壮大な山の斜面に囲まれた、聖なる谷の美しい光景が望める。

 

斜面を登り切るとバンド状の道を進む。おそらくここが神殿だったのだろう、綺麗にカットされた石で作られた台形の窓が並んでいる。この道を進んで門を通り抜け、尾根を回り込むとモノリスを組み合わせて作られた不思議な構造物が現れた。

モノリス

この岩はガイドブック等で写真で見て知ってはいたのだが、インカらしい鋭角的な岩を組み合わせて作られており、隙間には細く加工された石がぴったりはまっている。実はもう少し大きいと思っていたが構造物として完成度が高く、拍子抜けということは全くなかった。

日も少しずつ傾いてきた。素晴らしい谷の景色を眺めながら斜面をくだっていき、遺跡を後にする。

素晴らしい景色
遺跡周辺のお土産屋など

先ほどの広場へ戻るとまだ車はおらず、しばらく椅子に座って携帯をいじっていると10分ほどでドライバーがやってきた。とはいえ、ここからオリャンタイタンボ駅までは目と鼻の先。駅近くの駐車場で降ろしてもらったが、鉄道の出発まで2時間以上ある。近くのベンチで野良犬と共に寝っ転がって時間を潰した。

オリャンタイタンボ駅に到着。まだ出発まで2時間以上ある

どうやらここには3匹の野良犬がいるらしく、1匹の茶色い犬はマイペース、もう1匹の黒い犬は白い犬といつも戯れていて、(犬を飼ったことがないので知らなかったが)こんなに個性があるのかと興味深かった。

 

日もすっかり暮れ、ようやく18時を回ったので、鉄道駅に入る。

 

本日の列車はペルーレイルのうちエクスペディションという比較的ベーシックな車両。駅構内に入った後でも何往復か車両の出入りがあり、結構高頻度で運行しているようだ。しばらく駅で待っていると、青く塗装された車両が入ってきた。これに乗る。なお、ペルーレイルをはじめマチュピチュへ向かう鉄道に載せられる荷物には重量制限があるとのことだが、重量を量る様子もなく、外国人観光客の中には結構大きなスーツケースを持ち込んでる人もいて謎だった。

ペルーレイル、エクスペディションの車内

ほぼ満席の電車は暗闇の中をゆっくり走っていく。車内にはローカル音楽を観光風にアレンジしたような音楽が流されていた。深い渓谷の中を走っていくらしいが、全く景色が見えないので様子もわからない。次第に眠くなってしまい、21時半ごろ、予定時刻より大幅に遅れて、マチュピチュ駅に到着した。

マチュピチュ駅到着

夜のマチュピチュ村の様子

駅からホテルInti Punkuまでは徒歩5分ほどの距離。橋を渡り、人通りのまばらな夜のマチュピチュ市街を歩いていく。ほどなくしてホテルに到着。写真映えのまったくしない手狭なホテルだが、日本人ツアーではよく利用されるらしい。まあ、どうせ1泊しかしないので、別にいいだろう。

ホテルに到着

もう夕食を食べるために外を出歩く気力もないし、店も閉じているものが多いだろうから、朝食の残りと非常食で空腹を満たす。朝食の残りとして取っておいたのはりんごと、オレンジ色の謎のフルーツ。Granadillaというらしい。皮は硬いが、割ってみると案外薄く、アケビの果肉のような感じでタネのまわりに透明なゼリー状の果肉がついており、これを食べる。結構甘ったるい味がして酸味に乏しく、全部食べるのはきつかった。

本日の旅程はかなり詰まっていたため、あまりの中身の濃さに自分の頭が情報を処理しきれず飽和状態だ。さらに残りの日程も長いため、ゆっくり記憶を反芻する余裕もなかった。明日はいよいよインカ帝国の遺跡の代表的存在である、マチュピチュの観光である。