Le Chèvrefeuille

世界は遊覧、思い出の場所であり、われらは去りゆく者

パキスタン(5) カラコルムハイウェイ

4/30

朝よりカラコルムハイウェイへ移動

チラスを経由し、ベシャムへ

途中、チラスの岩絵などを見学

Besham Hilton Hotel

 

 

本日は朝6時半に出発し、カラコルムハイウェイをひたすら走ってベシャムへ向かう。距離的には9時間程度で到着しそうなものだが、実際そう簡単にはいかない困難な旅路が待っていた。

本日は朝早いため、朝食はいただかずにホテルを出発。

 

Old Hunza Inn。お世話になりました

昨日までとは天気が変わり、晴れ間がのぞいている。ホテルの窓からは写真で見たようなフンザの景色が広がっていた。ラカポシも頂上が覗いており、美しい。

 

日差しに新緑の輝く素晴らしい道を、ひたすら南下していく。

途中、先日も立ち寄ったラカポシの展望レストランにて朝食を摂る。相変わらずラカポシの頂上は見えないが、晴れ間がのぞく谷間の景色はとても新鮮だ。

… きょうも ラカポシ みえんのう…

2時間ほどしてギルギットに到達するが、今回は先を急ぐため通過し、さらに南下。時折素晴らしい景色が現れる。緑色の集落、灰色の岩肌、そして雪山。晴れると本当に美しい。

山に抱かれたギルギット市街

 

数日前も通過した3山脈の合流地点を通り過ぎると、正面には多量の雪をいただく大きな山が。これがナンガ・パルバット(8125m)である。現地後で「裸の山」の意味。周囲に高い山がないことからこのように呼ばれているらしい。残念ながら山頂部は雲の中で、全貌は見えなかったものの、その壮大な規模には圧倒された。夏にはトレッキングの名所となり景色が素晴らしいそうだが、残念ながら時折ベースキャンプが山賊に襲撃されたなんて話も聞き、なかなか穏やかではない。

ナンガ・パルバット(8125m。世界第9位の高峰)が現れた

ナンガ・パルバットの展望所には検問があり、ここからは警察車両に先導されて、他のトラックや観光バスとともにカラコルムハイウェイをゆく。団体ツアーはマレーシアやタイの人々が多いそうだ。

ナンガ・パルバットのみえる検問所にて

この検問所からはぐっと集落が少なくなり、ナンガ・パルバットにより雲が遮蔽されるということもあってか降水量が少なく、車は砂埃を巻き上げながら走っていく。道端に湧き出る温泉、タッタ・パーニを過ぎてしばらく荒れた道を走ると、車は止まった。

タッター・パーニ

このあたりは土砂崩れが多く、時折道路工事による通行止めがあり、数十分の停止を余儀なくされる。

デコトラ

車を降りてトラックの列を見てみると、パキスタン名物のデコトラがたくさん並んている様子を見ることができる。なかなかに凝った装飾である。これはかなり手間と時間がかかりそうだ。なぜパキスタンでだけこのような不思議なデコトラ文化が発達したのか、とても興味が湧いてくるが、まあどうせガイドに聞いても大した答えは返ってこなさそうなのでやめておいた。デコトラについて調べてみると、1920年代にカラチで発祥したとの説が有力で、派手なデザインで新たな顧客を獲得するために生まれたらしい。

https://gigazine.net/news/20071129_pakistan_decorate_vehicle/

しばらく荒れた道を先に進むと、チラスの岩絵がある場所に来た。

かつてのシルクロードは概ねインダス川に沿って付けられていた。ここチラスの岩絵があるところは、後方の3方を岩に囲まれ、前方は川。夜襲の危険が少ないため、宿場として使われていたらしい。岩絵は仏像や五重塔などが描かれており、なかなか壮観だ。

チラスの岩絵

なお、シルクロードはここチラスの岩絵の地点で対岸に渡り、山を越えていくので、完全にインダス川に沿っていたわけではない。チラスの岩絵から川を渡って数キロでシャティアールの岩絵という規模の大きな岩絵が残っているそうだ。

シルクロードはここで対岸へ渡ったそうだ

再び数十分走って、チラスへ至る。

チラスはカラコルムハイウェイのオアシスのような都市で、ベシャムとギルギットの間には大きな市街はここくらいしかない。6月から10月はベシャムを経由せず、アーボッターバードから直接峠越えをするショートカット道が使われる。その道とカラコルムハイウェイはこのチラスで合流する。チラスはハイウェイ沿いに古い家並みが並んでおり、くすんだ町並みが歴史を感じさせる。

チラスには古い家並みが残る

チラスを過ぎると、ダム工事の様子がはっきり現れるようになってきた。

高いところに新しい道が作られており、下の方の集落には新しい家が。これは新しい家を敢えて建てることにより、政府から立ち退き料を得るという手法らしい。1時間ほどチラスから走ったところで、車は止まった。ダム工事による通行止めで、いつ通行が再開するかがわからないらしい。ガイドから「情報を取られるので、外に出ないようにしてください」と言われるが、車の中で待つこと1時間、2時間、…さすがにトイレに行きたくなってきた。ガイドに話し、近くの軍施設でトイレを貸してもらうが、「Chinese?」と聞かれて「Japanese」と答えると、こちらでも歓迎された。実はここチラス付近では、旅行の2週間ほど前に中国人ダム技術者の車列を狙った爆破テロがあったばかり。なかなかきな臭い。

ここで数時間足止めを喰らった

ダム工事で待たされた地元の人々は、あまりの待ち時間の長さに堪忍袋の緒が切れたのか、演説(protest;日本語に訳しづらいが…)を始めた。私には現地語はわからないが、ガイド曰く「この地域に住む我々にはなんの還元もないのに、ダム工事による不便を強いられている。ふざけるな」という内容であるらしい。実際に、係争地となっているカシミール地方のギルギット・バルチスターン州の人々には選挙権がなく、自分たちの意見を政治に反映することができないという潜在的な不満があるのだろう。こういった感情が、先日の爆破テロにつながっている可能性は否定し難いと思う。

このprotestが始まると30分ほどで通行が許された。次第に日が傾き始めた道を、下流へ向かう。ダムの建設現場ではコンクリートの製造所や石積場などが設けられている。建設現場では中国人技師がダム建設を指導する姿が見られたが、撮影しないようにとガイドに言われた。

ダム工事現場。水平に岩を削ったところに新しい道を付け替えるそうだ

ダム建設現場を過ぎてすぐにチャイハネがあり、ここでお茶を飲んで休憩。夕刻のワインディングロードを下流へ向かう。時折現れる集落はどれもくすんでおり、古い建築であることが伝わってくる。チラスとダムの下流の集落はいずれもとても情緒あふれる趣。次第に山肌に緑が増えてくる。チラスはナンガ・パルバットに雲を遮られ乾燥した気候だが、ベシャムまで降りると降水量が豊富で、緑が多く涼しいのだという。

夕刻が迫る

さらにしばらく行くと、谷間のレストランに到着。チラスで昼食としなかったため時間が空いてしまい、ここで昼食兼夕食となってしまったが、海外旅行では往々にして一日2食にしていたので特段問題はない。レストランはとてもスモーキーで、小モスクも設置されており、沢の音とあいまってとてもいい雰囲気だ。

谷間のレストラン

食事を済ませ、さらに先に進む。もうあたりはほぼ真っ暗だが、時折道が荒れており、徐行を強いられる。再びダム建設現場が現れ、1時間強の足止めを喰らう。この国はすべてがまったく予想どおりに進まないということを次第に理解し始めた。だんだんうんざりしてきたが、ガイドやドライバーは尚更だろう。車の外に出て休息をとる。長時間のドライブでも音楽が流れておらず退屈なので、ガイドに「地元の音楽を聴くのが好きです。何か音楽は流さないのですか?」と聴くと、ウルドゥー語ヒンディー語とかなりの語彙が共通しているためインドの曲を聴くことが多いと言って、妖艶なお姉さんが露出度の高い服装でクネクネ踊っているインドのミュージックビデオを見せられた。まあいわゆる未婚の若年男性の趣味である。「イスラームでは、彼女はダメです」と言い聞かせるように何度も私にいっていた彼だが、これが本心だろう。コメントし難かったので、それっぽい雰囲気でミュージックビデオを眺めたのち、そっと彼にスマホを返却した。

再び足止め。夕闇にきらめくデコトラの電飾

再びのダム建設により荒れた道を徐行し、時折足止めされながらゆっくりと進む。すると道沿いに集落が現れた。夜の11時をまわっているというのに、バザールは開いておりいろいろなものを売っている。ガイドがジュースとバナナを買ってきてくれたが、バナナは当たっている部分が多く南インドのバナナよりおいしくなさそうで食欲がわかなかったし、ジュースは飲んでみたが人工的な味がしたので途中で飲むのをやめてしまった。残念ながらこういう量産系の食料は、この国ではカネを出してもまともなものが手に入らないのである。

夜中だというのににぎわいのあるバザール

車はさらに暗闇の中を行く。

時折七色に輝く電飾のデコトラが暗闇の道を派手に照らす。ガイドやドライバーには申し訳ないがさすがに疲労が濃く、寝ることにしたが、ドライバーの声の存在感がすごくて全く寝付けない。夜中の1時ごろに、チャイハネに到着。

ガイドはこういうところで問答無用にチャイを注文してくる。こんな夜中なのだからもう飲み物など飲みたくない、と乗客が考えることをなぜ想像できないのだろうか?直截的な物言いで読者には申し訳ないが、本当にいらいらさせられる。さすがに残すのも申し訳ないので飲んだが、案の定少し気持ち悪くなった。このチャイハネでは多くのデコトラが休息していた。チャイハネというのはパキスタンではホテルといい、実際にドライバーたちにとっての簡易宿泊所も兼ねているそうだ。本当は車の外に出て写真でも撮ろうかと思ったが疲労の極致で、そんなことはもはや不可能だった。

 

ここから10キロほどで最後の検問所に至る。検問所で20分ほど待たされたため、車の外に出た。

それほど遠くない距離に、輝く集落が見える。ベシャムの集落が見える。ああ、やっとここまで来たか。

ベシャムの夜景。すでに夜中の1時を回っていた

すでに時刻は1時を回っている。坂道を下りきり、ホテルに滑り込んだのは夜中の2時半だった。ガイドからは明日の朝は5時半に出発であることを告げられる。まるで旅行ではなくサバイバルゲームだな。しかし、あまりにも過酷すぎやしないか。

ベシャム・ヒルトンホテル

ナンガ・パルバットの展望所にいたマレーシア人団体観光客も同じタイミングでホテルに入ったためドアの外がうるさいが、さっさとシャワーを浴びて貴重な2時間の睡眠時間を身体の回復に費やすことにした。