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カルガの磨崖仏を観光後、カリマバードへ移動
途中、ラカポシの展望所にてランチ
ナガル渓谷、ホッパー氷河を観光
カリマバード到着
Old Hunza Inn泊
本日はパキスタン・カシミール地方の観光の拠点である、カリマバードへ移動する。
7時ごろ朝食を取る。食事にはガイドだけでなく、一昨日イスラマバードで出会ったドライバーも来ていた。彼はなんとイスラマバードから陸路でここまで来て、昨日夜9時に到着したらしい。朝は晴れ間が覗き、美しい青空と緑のコントラストが素晴らしい。
朝食の後、ギルギット近郊のカルガの磨崖仏へ向かう。
段々畑の広がる、未舗装の整備されていない道を抜け、1時間ほどで磨崖仏へ到着。今はこの磨崖仏の近くまで民家があるが、昔はこのあたりに人は住んでいなかったらしい。
車が停車する。磨崖仏は深い沢の対岸の岩壁の、かなり高いところに刻まれた大きな仏像である。もちろんこれはかつてのクシャーナ朝の後、7-8世紀ごろに作られた仏像と推定されているが、詳細はわかっていないらしい。平面的な顔の仏像で、ガンダーラ様式とは趣が異なっており和風な感じだ。
カルガの磨崖仏を見学したのち、市街まで戻り、カラコルムハイウェイを北上しカリマバードへ向かう。
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朝は晴れていたのに次第に雲に覆われ残念な天気。昨日のスカルドゥからの道と比較すると谷は広く、雄大な景色が広がっているので晴れていればなお美しいのだろう。
カラコルムハイウェイの工事での犠牲者の記念碑や、大陸衝突地点の断層などを見学。
このブログを読むような人はご存知かと思うが、かつてはここは海の底であり、猛烈な勢いで北上したインド亜大陸がユーラシア大陸に衝突し、その結果この巨大山脈、ヒマラヤ山脈が生まれた。今でもヒマラヤ山脈の山は年間一センチ近く隆起しており、そのスピードは日本の比ではない(日本で最速で隆起していると言われる赤石山脈でも年間4mm程度である)。この断層はプレートテクトニクスを目撃することができる貴重なスポットである…が、正直私の目には2つのプレートの境界がわからなかった。目が節穴か。
インド・オーストラリアプレートからユーラシアプレートに入り、北上を続ける。
しばらく険しい道を行くと、ラカポシの展望スポットだというレストランに到着。こちらで昼食だ。残念ながら本日は曇り時々雨で、気温はこの時期としてはかなり低い。当然ラカポシなど見えるはずもない。残念だが寒いので、レストランの屋外ではなく室内に入り、ぬくぬくと食事をすることにする(と言っても暖房は効いてはおらず寒かった。)なお、ラカポシとは7788mの、この地域の象徴のような山である。
レストランのシェフはガイドやドライバーとの知り合いだそうで、とても気さくな人だが、言葉を話すことができない。言葉を話すことのできない人は基本的には結婚できないそうだが、彼はここで長い間働き、シェフとして腕を磨き、今では結婚し子供もいるそうだ。料理は美味しいのだが、相変わらず山盛りで注文された。まあしばらくはドライバーとガイドと私の3人分なので彼らが食べるだろうと思いきや、ガイドは相変わらず以下略…
ラカポシの展望台からは1時間弱でアリー・アバードという市街に到着。こちらは最近土産物屋ばかりになってしまったカリマバードのバザールと対照的に、地元民向けのバザールが並ぶ。トイレ&ガソリン補給休憩ののち、10分ほどでカリマバードの一角へ。ここから少しカリマバードを過ぎて、ホッパー氷河の方へ向かう。
舗装の不十分な谷間の坂道を1時間ほど登っていく。こんなところどうやって住むの?と思うようなところにも集落があり、人々の生命力に驚く。さらに坂を登っていくと、次第に木々の緑は薄くなり、花の残る杏の木も増えてきた。
突然景色が開け、畑と黄緑色の若葉が芽吹くポプラ、そして桃色の杏の花がたくさん咲く盆地状の場所に出た。杏の花が満開のシーズンは3月下旬から4月初旬で、この景色を見ることができると思っていなかったので驚いた。ここもかつては人が住んでいなかったらしいが、今は畑が広がり、人々の生活がある。本当にこの地域の厳しい自然の中で暮らす、人々の力強さには感嘆する。
盆地の頂部にあるホッパー氷河の展望台からは、岩と氷が混じり合い青灰色となった氷河の氷が見えた。気温が低く寒いが、杏が咲き乱れる風景は本当に素晴らしい。フンザというのは桃源郷とか、ナウシカの聖地とか言われて、日本人観光客には以前から密かな人気を誇る場所らしいが、確かにこの景色は素晴らしい。しかし桃源郷という言葉がこの村を形容するのに簡単に使われるが、一体桃源郷とはなんだろうか。ユートピア?理想郷?
晴れ切らない霞んだ空、そして背後の雪を戴いた山々が、日本にはない情緒を醸し出す。ガイドに頼み、少しだけ村を散歩し、写真を撮らせてもらった。
もと来た道を戻り、本日最後はカリマバードの一角、ガニッシュ村の観光に訪れることになった。
ガニッシュ村は1000年ほど前から続くカリマバードの古い家並みが残る一角で、いまだに人々が暮らす。洪水で多くの部分が被害を受け、今残っているのは被害を免れた部分のみである。村のおじさんが英語で案内してくれた。
この村にはため池や水車、水車の力を利用して粉を挽く設備などがある。古い家並みが並ぶが、この家にはいまだに生きた人々の生活が感じられる。
小さな子供が走り回っており、家の扉や窓からベールを被った女性や子供がひょっこりとこちらをのぞいている。そちらの方を見てみると、女性が小声で「Hello!」と声をかけてきた。少しシャイだが外国人には興味があるらしい。
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この地域の伝統的な建築は、保温のため岩を積み重ねて作り、家の扉はかなり低い。これはもちろんかつてこの地域では食料が豊富でなかったため栄養状態が悪く、住人の背が低かったこともあるがそれだけではなく、冬の寒さをしのぐためにこのような小さい扉を設けているそうだ。
旧市街の道は鍵曲がりのように入り組み、見張り台の建物にもまたとても小さな扉が設置されていた。これは敵が侵入してきた際にここで首を切るためのものだそうだ。見張り台のある小道を通り抜けると、小さなモスクの立ち並ぶ広場に出た。村のお爺さんガイド曰く、イオニア様式を模した柱もあるようで、こんなところにアレキサンダー大王のもたらしたヘレニズム文化の残香が残っていることに、多くの文化的影響を受けてきたこの地域の歴史の重層性を感じた。旧市街と新しい建物が立ち並ぶ区域の境界ははっきりしており、おじいさんが「旧市街がラーワルピンディとすれば、こっちはイスラマバードですね」と言っていたのが面白かった。
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ガニッシュ村観光後、ホテルOld Hunza Innへ。
木を基調としたとてもいい感じのロビーで、少し日本語を話せる主人が迎えてくれた。父親の代から、ここでホテルを営んでいるのだという。1970年代のヒッピーがこの辺りを訪れた頃からサインや落書きの残る机なども置かれており、フンザの歴史を感じた。
夕食は近くのRainbow restaurantで。例のご一行様で食事である。何種類かのカレーと野菜が注文された。チャパティでいただく。本日夜は少し量が少なめということもあり、普通に食べられた。本来生野菜というのはこういう地域では避けるものだが、新鮮そうに見えたのでいただいてしまった。まあ問題はなかった。
ホテルに戻る。本日は非常に冷え込みが強い。断熱などの工夫のされていない宿は寒さがそのまま伝わってきて、部屋も寒い。シャワーは夜7時より可能だということだが、お湯の温度はそこまで高くなく、さらに頻繁に停電するので携帯電話のライトを常備してシャワーに臨む。フンザでの滞在は、まるで山小屋で過ごすかのようだ。
窓の外を眺めると、フンザ地方の夜景が暗闇の中に輝いて見えた。