Le Chèvrefeuille

世界は遊覧、思い出の場所であり、われらは去りゆく者

パキスタン(4) 曇天のフンザ

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バルティットフォート

セガワメモリアルスクール見学

フンザのゴジャール地方見学(アッターバード湖など)

カリマバード着、カリマバード観光

Old Hunza Inn泊

 

本日はまずハセガワメモリアルスクールとバルティットフォートを見学。その後、上フンザ地方を訪問。午後にはカリマバードに戻り、市街を散策するという日程である。

朝起きると、あいにくの曇天。空気は冷たく、時折雨が降っている。

まずは集落の上部にあるハセガワメモリアルスクールへ向かう。

 

セガワメモリアルスクールは、この地域で精力的に登山を行い、残念ながら43歳の若さで遭難死した登山家の長谷川恒男さんの奥さんが中心となってお金を集め、この地域に学校を寄付したもの。日本人がこの地に来ると大抵ツアーに組み込まれるようだが、外国人、たとえば欧米人はここに来るのか?と聞くと、ほとんど来ないらしい。旅行会社と計画を立てる際に、こちらの見学を半ば一方的に組み込まれた。正直私は長谷川恒男さんの偉業はそれほど知らないし、こんなところに来て学校を見学するというのもあまり興味が湧かないのだが、特に見学を断る理由もなかったので承認ことにした。

登校風景

まずは校長室に案内され、校長の女性からいろいろと話を聞かされた後で、教室を案内された。

セガワメモリアルスクールは幼稚園や母親教育を行う施設と一体になって運営されている教育施設。この地域には2つの学校があるが、こちらの学校の方がレベルの高い教育がなされているらしい。まずは幼児教育施設を見学し、次に小中学校を見学。パキスタンの公教育は小学校が5年、中学校が7年(前期〜後期に分かれる)だそうである。小学校ではクルアーンの朗読なども行われていた。確かに今まで数十程度の国を旅行はしたが、その国でどのような教育が行われているか、目撃する機会は少なかった。パキスタンではどのような教育が行われているのか知ることができ、確かに興味深い。

幼稚園や小学校の授業風景

最後に校長室に再び案内され、校長に加えて数人の男が来た。茶を出される。要は寄付をくれということらしい。結局これが目的か。だから日本人はツアーに組み込まれるわけだ。ある意味カモにされているようであまり嬉しくないが、まあタダで見学して去るというのもそれはそれで不可思議な態度ではある。寄付の無心への疑問の感情を込めて、日本円で1000円を渡した。そう、価値の下がり続けている日本円である。きっと私の心が狭いのが全ていけないのだろうが、それでも数人の現地人に囲まれ、寄付を要求されるよう圧力をかけられるのはあまり好きではない。そう思うのは今日本がものすごい勢いで凋落への道を直走っているから?貧しくなって余裕がなくなってきたから?ああ悲しいことだ。でもまあ、人々から吸い上げた金をゼネコンや派遣会社にばら撒いてばかりの政府に金をやるくらいなら、パキスタンの未来ある少年少女の教育のために寄付した方が、世界は良くなるかもしれない。

そもそもこのハセガワメモリアルスクールに来てこんなことをゴチャゴチャ考えるのは私くらいのものだろう。いいかげんこの屈折した根性をなんとかしなければならない。私には素直さ、従順さ、無邪気さが足りない。

セガワメモリアルスクールを出て、バルティットフォートへ向かう。個人的には歩ける範囲の市街観光は全て個人で行いたいのだが、残念ながらというか、全てガイドの案内のもと行動することになっており、あまり自由が効かない。

バルティットフォートはカリマバード市街の最上部に位置する。このフォートは最も古い部分で13世紀のものが残っており、700年の歴史をもつ。辺りはガニッシュ村と同様の旧市街が少しだけ残っており、古い水路や水車がしっとりした趣を醸し出していた。

フォート周囲にはしっとりした美しい家並みが残る

フォートの敷地に入る。フォートの大部分は15世紀にチベット出身の職人たちによって作られたことから、チベットの影響が見られ、少しポタラ宮にも似ている。

バルティットフォート

急な階段を登って、さまざまな部屋を見学。王族が食事をする際に使用した土器や壺などが展示された部屋、歴代ミールが着ていた衣服などの展示された部屋などがある。

 

最上階のテラスは雨が降っており、雲も濃く、あまり美しいフンザの景色を見渡すことはできなかった。最上階には応接室や音楽室なども残っている。歴代王の絵画や家系図なども残っていた。フンザ藩王国の宗教はシーア派の一派であるイスマーイール派であり、藩王イマームを名乗って統治していた。そのほかもいろいろ解説されたが建築美に目が行っていたので、あまり覚えていない。一つだけ印象に残っているのは、現在の藩王は冬はヨーロッパに住んでいて、夏のみ戻ってくるらしいということ。王妃だけが通年こちらに残っているとか。パキスタンは厳しい経済状況にあることが肌で伝わってくる国だが、ごく一部の上澄だけは海外で安穏と暮らしていることを考えると首を傾げたくなる部分もある。

 

車は上部フンザへ向かった。標高が高く、荒涼とした景色の中を行くが、それでも扇状地となったところには緑が繁り、人々の生活がある。雲が切れることはなく、時折雨足が強くなり、不快な天気だ。ガイドから聞いたのだが、この地域は冬になると作物も作れない過酷な地域であるため、住民には国から補助金が出るのだという。しばらく走ると左手に翡翠色の湖が現れ、そうしたかと思うと長大なトンネルに入った。これは中国の資金援助により作られたものだという。

アッタ―バード湖

アッターバード湖は2010年、山崩れによってフンザ川が堰き止められてできた新しい湖である。これによって閉村になった村もあるとか。カラコルムハイウェイは付け替えを余儀なくされ、長大なトンネルが掘られた。

なるほどねえ

長いトンネルを抜けると、そこには建設途中のホテルや建物が並び、ボート乗り場なども整備されている。最近現地人向けの観光開発が行われているようだ。

車はさらに北方へ進み、パスーへ到達。パスー氷河の辺縁に到達した。ここも晴れていれば絶景が広がるようだが、残念ながら曇天で時折雨が舞い、見通しは悪い。もはや何のためにここまで来たのかわからない感は否めない。

パス―は荒涼とした地域だ

元来た道を戻り、アッターバード湖の辺りのレストランで昼食。このレストランは夏季のみ開業しており、本日営業が始まったばかりだそうだ。料理が出てくるまで30分くらいかかったが、手作り感があって美味しかった。

レストランで食事。レストランからは湖が美しく見える

元来た道を戻り、カリマバードへ戻る。

途中に岩絵が残る場所もある

 

カリマバードでは時間が余ったので散策することにした。と言っても何故か知らないがガイドがついてくることになった。なんというかこのガイド、私と年齢が近い(私より若い)からなのかよくわからないが距離感が近く、親切でやっているのだろうから怒りを表明するようなことはしないようにしたが、パーソナルスペースが非常に広い私にとってはやや鬱陶しく居心地が悪い。お土産品のバザールや農道などを散歩した。

天気もだいぶ良くなってきて、晴れ間も覗くようになった。ああ、この時間にバルティットフォートに行っていれば、素晴らしいフンザの景色を一望できたのに。誠に遺憾である。それでも大きな岩山の下に立つバルティットフォートの景色は、下から見上げるだけでも壮観だった。沢の対岸を見下ろすと、手前には工事中の大きなホテルが。パキスタンの高級ホテル、セレナホテル系のホテルを作っているらしいが、さすがに大きすぎないか。アッターバード湖のほとり然り、フンザ地方では最近観光開発が進んでいるが、景色の美しさという最大の魅力が破壊されないか心配である。

カリマバード市街。日差しが出てきて木々の緑が輝いた

本日はホテルの食堂にて夕食。

今回パキスタン北部を案内してくれるドライバーは職歴40年の大ベテランで、数十年ぶりのカリマバード訪問らしい。同じくここで40年以上前から宿を営む主人から、この地方特有の帽子をプレゼントされていた。ドライバーの彼曰く、「昔のフンザの方が綺麗だった」と。最近はホテルが非常に増えており、昔のような良さはなくなってしまったということのようだ。これも仕方ない時代の流れなのか。

この日はガイドが現地料理を何個か注文してくれていたが、今までで最も量に無理があり、絶対に食べきれない量であった。いくら美味しい料理でも、量が多すぎると楽しむどころではない。相変わらずわんこそばしてくるのでもうやめてくださいと言って止めたが、相変わらず怪訝な顔をしていた。そんなフンザの最後の夜であった。

どちらもフンザ地方の郷土料理だ

相変わらず寒い。

明日はカリマバードからベシャムへ。長いカラコルムハイウェイをたどって行くが、これが凄まじく過酷な道のりとなるとは、この時想像だにしていなかった。