Le Chèvrefeuille

世界は遊覧、思い出の場所であり、われらは去りゆく者

パキスタン(8) ウチ・シャリフとムルターン

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サッカルのマスーム・シャーのミナレット訪問後、ウチュへ

ウチュ観光

ムルターン観光

(シャー・ユースフ・ガルディジーのダルガー、シャー・ルクネ・アーラム、バハー・ウル・ハックのダルガー、シャー・シャムス・タブレーズのダルガー、イドガーモスク、バザール)

Faletti's Grand Hotel

 

 

本日はマスーム・シャーのミナレットを観光したのちムルターンへ移動。道中、聖地ウチュを観光する。

発熱と咽頭痛の方は昨日に比べると落ち着いてきた。朝食はひとまずジュースと軽いパン、そしてパヤサン(インドやパキスタンで食べられる、砂糖を溶かした甘いミルクに透明な麺状のものを混ぜたデザート)のみを食べて、出発。まずは旧市街の真ん中にある、マスーム・シャーのミナレットに向かう。

マスームシャーのミナレット入口

マスーム・シャーのミナレットムガル帝国の統治時代、1607年に地元のナッワーブ(地方長官のようなものだろうか)によって建設されたものである。六角形のデザインと、その横に建てられた太短いミナレットが特徴である。このミナレットは遠くを眺めるために作られたと言われ、31メートルの高さがある。靴を脱いで、足裏の匂いを濃縮したようなあまり清潔でない匂いのする階段を登り、ミナレットの頂上へ。

ミナレットの頂上は狭いが、インダス川に沿って発達した、砂色のサッカルの町並みを一望できる。

サッカルの町が一望できる

ミナレットを降りて、モスクと思われるドーム、そして併設された墓地を通って車に戻った。

ドームの内側から

ウチュへ向かうが、途中で大きな橋を渡る。この橋はランスドーン橋といい、イギリス人技師によって作られたそうで、まるでスコットランドエディンバラにあるフォース橋のような印象的なデザインである。横には鉄道専用の別の橋が設置されている。

ランスドーン橋。鉄橋の存在感に圧倒される

柵の向こうには、川岸で水浴びをするたくさんの水牛の姿が見える。橋を渡ると対向車線は多くの水牛で埋め尽くされており、まるでインドのような光景だ。

柵の向こうに水浴びする水牛が見える

中国の援助によって完成した高速道路を2時間ほど走ると、ウチュに到着。

ウチュはこぢんまりとした町で、ウチ・シャリフとも呼ばれる。町の周囲にはたくさんのマンゴーが栽培されている。町をしばらく走ると、程なくして小高い丘の上に裏側の削り取られた霊廟が並ぶ場所に辿り着いた。これがウチュの霊廟群である。

裏側の削り取られたウチ・シャリフの霊廟群

霊廟の入り口にはお祈りグッズを売る店が並び、聖地を訪れる地元の人だけではなく、例によって乞食が集まっている。

霊廟入り口。周辺ではマンゴーが栽培されていた

ウチュやムルターンには、13世紀ごろから中央アジアイスラーム聖者が集まり活動していた。したがってパキスタンにおけるイスラームの聖地の一つに数えられているが、実はアレキサンダー大王の時代から存在した歴史ある都市と考えられている。ガイドが石垣を指差した。ここにはアレキサンダー大王の時代から積み重なる煉瓦が残っているそうだ。

古い時代の煉瓦の上に、現代の煉瓦が積み重なっている

まずは半分崩れた霊廟が集まる広場に出た。

ビービー・ジャヴィンディーのダルガー

これらの中で最も有名なのが、ビービー・ジャヴィンディーのダルガーである。ビービー・ジャヴィンディーは女性の聖者であるらしい。19世紀の洪水によって削られてしまったが、残った部分はこれ以上崩壊しないように修復されている。近くに寄ってみると、凹凸のある青いタイルが白を基調とした色に映え、大変美しい。それにしても白と青という色使いはムルターンとウチュ以外ではあまり目にしないが、これはムルターン様式と呼ばれているらしい。

ドームの内側は簡素だ

半分以上えぐれてしまったほかの2つの廟も、近くに寄ってみると美しい装飾で彩られていた。

 

近くにはドームを持たない霊廟とモスクが併設された建造物がある。こちらはジャラールッディーン・スルフ・ブハーリーの霊廟で、14世紀に建てられたもの。靴を脱いで中に入ると、多くの人が触れてツルツルになった柱が立ち並び、柱にキスする人もいた。空間にはインドのヒンドゥー教寺院のような香気が立ち込めており、墓石の安置された部分の装飾もド派手な緑と臙脂色。実にインド的であり、その建築の雰囲気は絢爛なイランのイスラーム建築とも、質実剛健で開放的な雰囲気を持つ中央アジアイスラーム建築とも明確に異なる。ひとくちにイスラームと言ってもやはりイスラーム化される前の基層文化というのは消し難いのだろう。

霊廟の中はヒンドゥー寺院のような香気と熱気に満ちている

併設されたモスクや綺麗に整備された中庭には多くの人々が集まっていた。

車に戻り、ムルターンへ。途中のドライブインでいつも通りカレーを食べる。ここは地べたに座って食事をいただくスタイル。そこそこおいしかったが、どうもこのあたりからお腹の調子が悪くなってきた。

昼食

高速道路を走り、さらに2時間ほど。車窓はマンゴー畑がひたすら続くが、ムルターンに近づくとおそらく煉瓦工場と思われる煙突が増えてきた。ムルターンの市街に入ると、まずはホテルにチェックインして少し休む…というわけでもなく、そのまま霊廟観光に向かう。

まずはシャー・ユースフ・ガルディジーのダルガーへ。このダルガーは旧市街の中にあり、周辺の小径はとてもいい雰囲気を醸し出していた。

旧市街の小径

こちらのダルガーはムルターンで最も古く、1150年ごろの建築と言われている。敷地に入ると、ジョニーデップ似の青年が案内してくれた。古い建築ということもあってドームなどはなく、四角柱のシンプルな建物だが、その装飾は繊細で大変美しい。霊廟の中は鏡のモザイクで装飾され、大変煌びやかだ。


ダルガーのある敷地内にある一室に案内された。ここでシャー・ユースフ・ガルディジーの子孫という方にお会いし、話を聞く。お茶も出されたものの、ガイドが先を急ぐということで、大変申し訳なかったがそそくさと部屋を出た。

部屋を出て敷地内を歩いていると、たくさんのハトが。よくわからないが、この地域ではハトに餌をやるのが善行らしく、ジョニーデップ似の青年から鳩の餌の乗った皿を渡された。これを撒いてみると、すぐに沢山の鳩が寄ってくる。チップを要求されたが鬱陶しいので、「I have no money」で逃げた。

小さいが、美しい霊廟

この霊廟は装飾が大変美しく、時間をかけて多く写真を撮りたかったが、先を急ぐガイド、そして盛んにチップを要求してくる謎のジョニーデップ似の青年に阻まれ、あまり思ったような写真を撮ることができなかった。他の人のブログを読んでもこの霊廟を訪問した記録は少ないが、ムルターンを訪れるなら有名どころのシャー・ルクネ・アーラムだけでなくこちらも訪れることをお勧めする。

 

次はシャー・ルクネ・アーラムの霊廟へ向かう。こちらは町の中心部にある小高い丘の上にある。霊廟の敷地は屋外であるが、この時点で靴を脱ぐことを要求される。今まで訪れた多くのイスラム教国ではモスクは室内のみ靴を脱ぐことになっていたが、パキスタンでは敷地に入る時点で靴を脱がなければならない。この地の霊廟は人々が餌をばら撒くためたくさん鳩がおり、鳩のフンなどがべったりついた汚い地面を歩いていかなければならない。まるでインドのヒンドゥー教寺院のようなしきたりだが、この清潔感のなさは結構耐え難い。

シャールクネアーラムの霊廟

さて、シャー・ルクネ・アーラムとは「世界の柱の王」を意味するペルシャ語である。この霊廟はムルターンの偉大なイスラーム聖者、シャー・ルクヌッディーンを祀る霊廟である。その規模は壮大で美しいドームを持ち、煉瓦を基調として白や青で装飾されている。

地面には青タイルが敷き詰められている。天井のドームには装飾はほとんどなく質素であるが、その壮大さに感嘆していると天井から鳩のフンが降ってきて、服にべったりついた。嗚呼。(まあ、海外旅行では登山用の化学繊維の服を着ているので基本的に汚れは落ちるから、別にいいんですけどね…気分は良くない。)

ドーム内部

近くの博物館の屋上からは、英国統治時代の時計塔や、煉瓦造りの古い街並みが残るムルターンの市街が一望のもとに見渡せた。

赤茶けた町並みのムルターン市街

次にバハー・ウル・ハックのダルガーへ向かう。こちらは同じ丘の上にある霊廟で、シャー・ルクヌッディーンの祖父バハー・ウル・ハックが祀られたもの。その規模はシャールクネアーラムのそれと比較すると少し小さく、装飾も地味だ。ドームの入り口には美しい青タイルで装飾された墓石が。

バハーウルハックの霊廟

この廟ではガイドが礼拝のための洗い場に私を案内し、ウドゥ(清め)の方法について解説してくれた。それはそれで有難いが、イスラームについては多少の知識はある。このような解説をする時間があるなら、先ほどの霊廟での滞在時間を延ばしてくれればいいのにと不満が募る。私はガイドが考える旅行パッケージを体験したいわけではない。写真を撮ることが私にとって重要であり時間をかけたいと彼に何度か話したはずだが、どうも私が旅行で大切にしていることと、彼がガイドとして見せたいものにかなりの相違があるらしい。自分の旅行スタイルを無視されるのは非常にストレスが溜まる。

 

次にシャー・シャムス・タブレーズの霊廟へ。

こちらはシーア派の聖者シャー・シャムス・タブレーズの霊廟である(実際は本人のものではないとの説もあるとか)。レンガ色の建築の上に載る緑色のドームが印象的。

シャーシャムスタブレーズの霊廟

こちらも他の多くの霊廟と同じく内部の装飾は外壁のそれに比べて質素だ。相変わらずハトがたくさんおり靴下の裏の状態が非常に気になる。なんだか後をつけてくる気持ちの悪い年寄りの男がおり気味が悪く、そそくさと霊廟を後にした。途中まで明らかに後をつけてきていたものの、警護の警察の人間を見るとどこかに消えていった。パキスタンは多くの人が善良であるが、中部から南部では一部にこういう明らかにヤバい人がおり、安心して旅行できる雰囲気からは程遠い。

霊廟の中へ

この霊廟の周囲に並ぶお店にはシーア派を意味する黒色の三角形の旗がたくさん掲げられており、ちょうどシーア派ウラマーが説教をしていたこともあり、少し物々しい雰囲気だった。

霊廟の前に並ぶお店にはシーア派の黒い旗が並ぶ

シーア派には怖いイメージがあるなどと一般にはいうが、シーア派イスラームが国教のイランでは全く怖さなど感じなかったし、むしろ好印象であった。しかしながら少なくともこの霊廟はムルターンの他の霊廟とは少し異なるピリピリした空気を感じた。シーア派にも色々宗派があるのか、スンニ派が主流の地域でのシーア派霊廟ということで何かしら対立があるのか、そのあたりはよくわからない。

 

次はイドガー・モスクへ向かう。

ドガーモスクは城郭の外、町のはずれにあり、その規模は壮大だ。白を基調として青いタイルで装飾され、大変美しい。モスクに入るとモスクのスタッフが快く迎えてくれ、モスクを案内してくれた。

「聖」の雰囲気が漂う清楚なイドガーモスク

ドガーモスクはマドラサの機能を兼ねている。その雰囲気は今までのダルガーのゴミゴミした、ある意味「俗」な雰囲気と好対照な「聖」の雰囲気が漂っており、大変落ち着いており好感が持てる。ちょうど金曜日であったが、モスクではウラマー(一人だったので単数形のアーリムが正確だが…)が人々にイスラームに関する質問に答えていた。ウラマーとお会いし、握手。

ウラマーが人々の質問に答えていた

このモスクは内装も大変美しく、ドームには白を基調として青や赤、緑で繊細な模様が描かれている。

内装は今までの霊廟と比較にならないくらい美しい

庭にはカーペットが敷き詰められ、本日は金曜日ということで金曜礼拝後に人が集まり、ウラマーの講義を受けていた。スタッフはライム風味の飲み物をくれた(お腹の調子が悪いと断っておけばよかった。無理に飲んでしまったことを後で後悔することになる)。

このモスクでは礼拝後に炊き出しが行われ、礼拝に参加した人には料理が無料で振る舞われるのだそうだ。子供達がたくさん集まっており、奇異の視線を向けられた。炊き出し所なども案内してくれた。

金曜礼拝後の炊き出しが行われていた

途中で先ほどのウラマーの息子が話しかけてきた。大変流暢な英語で、イスラームについてのお話をしてくれた。まあある程度知っていることなので内容について新鮮味はないものの、英語の流暢さ、そして少年ならではの一生懸命な感じに好感が持てた。彼自身アラビア語とペルシア語を話せるそうで、すでにウラマーとして崇敬を集めているそうである。優秀な若年者特有の少し鼻高々な感じと少年ならではのシャイな感じが共存しており絶妙にかわいらしい。彼の話を聞いているうちに、まわりに沢山の地元の少年たちが集まってきた。

ウラマーの少年。あどけなさがかわいい

近くにはウラマーの先祖が祀られた霊廟があり、人々がくつろいでいた。

 

ようやくホテルに帰れるかと思いきや、これからバザールを見に行くのだという。本来ムルターンの観光は今日と明日の2日に分かれていたはずである。ちょっと詰め込みすぎではないか。

バザールは上に布がかけられ、とても趣のある雰囲気であるが、途中でお腹がかなり痛くなって自制の範囲を超えてきた。トイレはないかと尋ねると小さなモスクに隣接されたあまり綺麗とは言えない地元民向けのトイレに案内された。しかもトイレの前でガイドが待っているという。「パキスタンのトイレを体験してください」だそうである。本当にデリカシーなど一ミリも感じられず、彼に対する苛立ちは頂点に達した。こんな状況で用など足せるはずもなく、「本当に無理なので、勘弁してください」と言ってトイレから出て、車に戻った。ホテルまでは5分足らずの距離である。

バザールは埃っぽくて趣がある。もっと時間をかけて歩きたかった

腹痛を耐えて、ホテルにようやくチェックイン。

Faletti‘s Grand Hotelは大変清潔で、良い雰囲気だが、今の体調の悪い自分には勿体無い。

ホテル室内

腹の調子が悪いということ、そしてホテルのレストランが満席だったらしく部屋食になったが、バザールの観光が途中で終わってしまったため、ムルターンの名産品であるハルワーも見てみたいし明日バザールに寄りたいと話すと、「ハルワーが欲しいならなぜさっき言わなかったのですか」と謎に責めるような口調で言われ、流石に意味がわからなかった。「明日も午前中は市街を観光するのではないのですか」と聞くと、「明日はそのままラホールへ向かいます」という。なんで勝手に予定を変更するんですか。

部屋食ではビリヤニとリンゴジュース、そしてスープを頼んだ。リンゴジュースは本当にリンゴをすりおろしたもので大変美味しかったが、あまりにも腹の調子が悪く、何かを口にするとすぐ腹が痛くなり、食べたものが出ていってしまう。結局1時間ほどかけて半分程度しか食べることができなかった。

 

やはり市街観光というのは歩いてこそだと思う。

車に乗ってスポット的な観光をしても、それは点の観光をしているだけだ。

確かに点は大事なのだが、特にこういう歴史ある場所の観光ではその点と点を結ぶ線、例えばさりげない風景、人々の表情、バサールの香り、そして一つ一つの観光スポットの間の距離感と、町の雰囲気の移り変わり。そういったものが旅行を豊かにし、その地域への理解を深めるものだと思っている。だからそういう「自分の大事にしているもの」をごっそり削ぎ落とされてしまったのは非常に不満だった。

尤も、ムルターンは非常に見どころの多い町なので、1泊で観光するのには多少の、いやかなりの無理があったのも事実で、できれば2泊して丸一日を市街観光に充てるべきだった。しかしそれは今回時間的制約がありできなかったので、せめて日程表通りに、ムルターンの観光を二日に分けてじっくり時間を作って欲しかった。

時間的制約を考えると彼にとって今日のような計画がベストだったのかもしれない。しかしこのガイドの時間配分の仕方は私が理想と考える時間配分の仕方とは根本的な部分で大きな懸隔があった。おそらく多くの観光客は点を眺めただけで満足するのだろうが、私はそうではないし、そのことは彼に何度か伝えたつもりだ。後日ラホールを訪問した際のブログにも書くように、詰め込むところで詰め込みすぎる割に重要でない部分で時間が大幅に余るなど時間の無駄も多く、首を傾げざるをえなかった。