Le Chèvrefeuille

世界は遊覧、思い出の場所であり、われらは去りゆく者

南インド(4) マドゥライ

11/27

天気:晴れ時々大雨

9:00 タンジャーヴールからマドゥライへ移動

12:00 マドゥライ到着、ホテルにチェックイン

 昼食、ガンディー博物館

14:00 ガイドと合流

 リキシャで旧市街めぐり

 王宮、ミーナークシ・アンマン寺院

Fortune Pandyan Hotel

 

本日はマドゥライへ移動し、王宮やミーナークシ・アンマン寺院といった主要なみどころを見学する。タンジャーヴールからマドゥライまでは3時間ほどのドライブ。マドゥライは紀元前後より栄えた古い宗教都市であり、ミーナークシ・アンマン寺院という寺院を中心に発達した、門前町という色彩が強い。ミーナークシーというのは南インドの土着の神であり、魚の目を持ち肌は緑色で描かれる。南インドへのヒンドゥー教の浸透によってパールヴァティと同一視され、シヴァ神の妻ということになっているが、南インド土着神として地元からは信仰が篤い。

さて、9時にドライバーと落ち合い、マドゥライへ向かうことになっているが、折角タンジャーヴールに来たことだし、少しだけブリハディーシュワラ寺院に寄ってもらうことにした。朝のブリハディーシュワラ寺院は赤茶けた色彩で、周囲の鮮やかな緑とのコントラストが見事だ。街の外れからも本殿の高い塔が目立ち、ランドマークとなっている。ちょっと写真を撮らせてもらい、タンジャーヴールを後にした。

マドゥライへの道は、昨日と同じように美しい田園地帯が広がっているが、昨日のような川は少なく、稲作よりはカシューナッツユーカリが盛んに栽培されているらしい。所々に素晴らしい並木や可愛らしい市街地が現れる。街路樹はインドセンダンやタマリンドなどが植えられている、とドライバーが教えてくれた。

緑の美しい田舎町

タマリンドの街路樹が美しい

平原を走っていると突如出現する岩山が次第に増えてくると、程なくしてゴミゴミした市街地に入っていき、マドゥライ市街へ至る。

「Elephant Rock」が見えてくると、マドゥライはすぐ

時刻は12時ごろ。ホテルに到着すると、旅行会社のスタッフが迎えてくれた。昼ご飯は何が食べたいかと聞かれたので、マドゥライの特産品は何かを聞くと、魚だという。そういうわけで、魚のカレーが食べたいと伝えた。いったんホテルへチェックインし、少し休息したのち、昼食に繰り出すことにした。連れて行かれたのはAmma Messというレストラン。

こちらは大きなバナナの葉を広げ、その上にご飯やカレー、付け合わせを盛って食べるというタイプのレストラン。魚のカレーに加えて魚のフライも食べることができた。大変美味で素晴らしい。ドライバーや近くのインド人家族は、当然右手でカレーを食べているのだが、私は手が汚れるのが御免なのでスプーンとフォークを拝借した。

小魚の入ったカレー。お分かりいただけただろうか

レストランを出ると、ドライバーがガンディー記念博物館に連れて行ってくれた。

こちらの建物は17世紀のナーヤカ朝の王妃の宮殿を利用したもので、建物それ自体もなかなか見事。インドの歴史やイギリスの侵略、そしてイギリスからの独立を獲得する過程が示されている。13時からの開館であったが、開館前にすでに少なからぬ人が門前で待機しており、ガンディーが国民からの崇敬を受けた人物であることが窺われた。ガンディーが実際に纏っていた布や、座っていた座敷なども展示されていた。ガンディーといえば非暴力・不服従の精神を貫き、イギリスからのインド独立を導いた人物。彼はインドが統一された状態での独立を目指したが、イギリスの巧みな分裂工作によりパキスタンが分離独立し、「ヒンドゥーイスラームの融合したインド」の構想を叶えることはできなかった。

近現代の世界史を学ぶ際に思い知らされるのは、イギリス人の底なしの悪辣さである。イギリスは支配を試みた地域で質の異なる集団の混在を鋭く感じ取り、それぞれの対立を煽り、分離工作を行うことで相手を弱らせ、自分たちの支配を確立していった。それはインド・パキスタンの分離独立だけではない。現代に至るまで暗い影を落としているイスラエルパレスチナ問題の元凶となった3枚舌外交もその好例である。イギリスといえばアヘンを売りつけ金を儲けつつ相手の国力を衰えさせるという恐ろしい悪行を働いた国であることは有名だが、近年の斜陽はその報いを受けているだけといえるだろう。思うに大英博物館というのも結局は侵略と略奪の歴史を、侵略者の視点から誇示しているだけに過ぎないのではないかと思わされる。云々。

さて、ガンディー記念博物館を出て、王宮へ向かう。王宮でガイドと合流した。

 

この王宮はティルマライ・ナーヤカ宮殿といい、ナーヤカ朝の王の一人によって建造されたもの。残念ながら多くは取り壊され、現在残っているのは宮殿全体の1/4程度だというが、それでも王冠の間、謁見の間は壮大である。インド・サラセン様式と本には書いてあるが、これがインド・イスラーム様式と同じものを指すのかはわからない。いずれにせよイスラームヒンドゥー教、そして微かにキリスト教を折衷させたような建築意匠である。

多数の柱が整然と立ち並ぶがらんとした謁見の間を通り、舞踏場へ。こちらも随分とがらんとしており、近郊で出土した神像が並べられている。規模の大きさから当時の強大さが偲ばれるが、もはや夢の跡である。

壮大な舞踏場

さて、王宮を出るとガイドはリキシャーに乗って町を一周することを提案した。200ルピーでリキシャーのドライバーと話をつけてくれるという。町を一周する時間がなかったのでこれはいい提案だと思い、乗ることにした。

王宮周辺の旧市街。古びた趣深い町並みが広がる

オートリキシャーではなく完全な人力車である。運転手の爺さんは貧しい身なりをしているが、性根が腐っている感じは全くせず、マドゥライの市場を案内してくれた。バナナ市場やタマネギの市場、野菜市場やプドゥ・マンダパムという寺院建築を利用したバザール(現在は改装工事中のようだったが)などをめぐってくれた。歴史ある雰囲気が漂うマドゥライの市街を道路の真ん中から眺めるという体験は、なかなか貴重であった。

 

さて、ミーナークシ・アンマン寺院へ向かうが、残念なことに携帯電話は持ち込み禁止とのことである。ガイドは事務所に携帯と履物を預けるといって私を事務所に連れて行ったが、これはどう見てもお土産屋である。またこのパターンか。携帯を預けるのが若干不安だが、鍵はガイドが持っているし、まあいいかと思った。

以下、携帯の持ち込みが禁止されているので、残念ながら内部の写真はない。

これはかつて電子機器の爆発によって寺院の一部が崩落し、その後手荷物の持ち込みが厳しく制限されたためとされている。実際2018年以前は携帯電話持ち込みOKだったらしく、ネットを探すと内部の写真がたくさん載った旅行ブログなどが出てくるので、そちらも併せて参照されたい。以下は寺院内部に入った時の自分の感想を記録するためのものである。

門から中の様子を覗き見た写真

ミーナークシ・アンマン寺院は青、緑、黄色、そしてピンク色で装飾された大きな塔門が四方向に配置されている。なかなか凄まじい密度の彫刻がなされているが、見方によってはかなり禍々しい。イスラーム建築に目が慣れているとぎょっとする。寺院に入る頃にはかなりの大雨が降ってきた。荷物検査場を通過し、寺院の内部へ。荷物検査場と塔門は繋がっているため、塔門の下で雨が上がるのを待つことにした。この塔門も下部は特に塗装されておらず、剥き出しの岩は年季が入っており、寺院の歴史を物語る。黒やオレンジの服で正装をした男の集団などもおり、ガイドによればカンナダ語を話しているとのことだった。インド各地から聖地巡礼にここを目指してやってくるらしい。

10分ほど雨が止むのを待っていたがあまり止む気配がないので、雨の中内部の寺院建築へ向かう。寺院に入るとそこは回廊となっており、雨をしのぐことができる。沐浴池を囲むように設置された回廊は比較的新しい時代の建築である。足元では沐浴池で産まれたと思われる小さなカエルが、ぴょんぴょんと飛び跳ねていた。

回廊を一周し、ミーナークシー・アンマン神殿の横にあるスンダレーシュワラ神殿に向かう。立ち並ぶ黒々とした石柱はどれも太く、素晴らしい彫刻がなされており、厳かな雰囲気が漂っている。ミーナークシ・アンマン神殿は内部を訪れるために壮大な行列ができており、観光客としてきた外様がとても入れるような状態ではない。この寺院には他に千柱堂という見どころがあるが、予習不足の上に案内されなかったので、訪れることはできなかった。まあ、訪れても写真撮影が禁止だから仕方がないのだが。神殿内部ではカーンチプラムのワラダラージャ・ペルマール寺院((2)カーンチプラムとマハーバリプラム を参照されたい)で聞いたものと同じような調子の音楽が演奏されていて、その様子を間近に見ることができた。木でできた細長いトランペットのような細長い楽器と打楽器で独特のリズムとメロディが奏でられる。携帯電話持ち込み禁止のはずなのだが、なぜか携帯電話を持っている人間が散見された。

 

さて、神殿を出て履物や携帯を預けた先ほどのショップに戻る。足を洗わせてもらい大変ありがたかったが、お茶はどうか?と言われたあたりからどうも怪しさを感じて断った。キツネ様顔貌の店員がどこからともなく現れて押し売りを始める。とりあえず陳列品を眺めていると「これは真鍮製の像だ。シヴァのものもあるし、ガネーシャのものもある」という。まとわりついてくるキツネ店主をよそに、他の店員は高みの見物を決め込み、ガイドの方を見るとガイドもチャイを啜りながらダンマリを決め込んでおり、雰囲気が悪い。なるほど、こういうことね。自分たちのオフィスなどと言いながらここは知り合いの土産屋で、携帯と腕時計という貴重品を人質にとって、土産品を押し売りしようというわけだ。考えたねえ。

キツネ店主が「ガネーシャとシヴァとどっちがいいんだ?」などと勝手にクローズドクエスチョンに切り替えてくるので、「難しいですねえ〜」とか言ってやり過ごしながら商品を裏返し、値札を確かめるが、小さいものでも2000ルピー以上する。相場感がわからないが、この店主の雰囲気からして相場より不当に高い値札が付いている可能性が高いように思った(実際この直感は当たっていた。空港では同様のものが1600ルピー程度の値札が付いていた)。高いですねーと言うと、「ディスカウントするから値札は気にするな」という。これはタチの悪い店の常套手段である。こういうことを言ってくる連中には慣れているので「買うかどうかはあなたが提示した値段による」と言ってのらりくらりかわす。知らぬ存ぜぬを決め込んでいるガイドに土産物を買う意思がないことを伝えると、貴重品が返還されようやく解放された。

ツネ様顔貌の人間にはイランやモロッコでも出会ったことがあるが、ろくな奴であったためしがない。例外なく誠実さに欠け、殊更に虚言や詭弁を弄して人を騙そうとする人間ばかりである。狡猾で卑怯な生き方や腐敗した本質が顔貌になって現れてしまうのだろうか。本当に顔というのは性格が如実に現れる。人は見た目が9割ではなく、見た目が10割である。そういう私もおそらく今までの人生が顔に刻まれているだろうから、気をつけなければいけないのだけれどもね。

それにしても寺院が携帯電話持ち込み禁止であることをいいことに貴重品を人質に取り、土産物を押し付けようとするとは随分とやり方が悪辣である。こっちはこういう売り方をする人間は慣れているので何とも思わないが、この押し売り行為の片棒をガイドが担いでいるというのは唖然とせざるを得ない。近くの店の屋上からはミーナークシー・アンマン寺院の全貌が見えるとガイドに言われたが、もうこのガイドは信用できなかったので結構ですと断った。後から振り返ってみたらミーナークシー・アンマン寺院の写真をほとんど撮れていなかったので、この提案は乗っても良かったのかもしれないが、その時はあまりにも腹が立っていたし、再び同じ境遇で同じ提案をされても、同じ判断をしていたと思う。

リキシャに乗って町をめぐるなどの提案をしてくれた当初は良いガイドだと思っていたがこのやり口に完全に失望し、別れ際にチップを払う気すら起きなかったが、ドライバーが「なぜチップを渡さないのか」と詰め寄ってきたので仕方なく500ルピーを渡すことにした。このドライバーの翌日の行為については次の記事に書こうと思うが、初日は色々な要望に応えてくれ、「写真を撮りたいところがあったらいつでも言ってくれ」と謙虚そうなことを言っていたが、次第に笑い方がいやらしくなってきたようにも見えた。最初は真面目なフリをしておいて慣れてくると卑しい本性を表す。あーそういえばこういうやつマッチングアプリでも会ったことがあるな。大抵人としては下の下である。

このドライバーの車に乗りホテルに帰ったが、ドライバーは別れ際に「フィードバック!」と盛んに言ってきた。カタコトの英語なので意味がわからないが、ショート動画を撮って自分に送れということを言っているらしい。旅行会社の名前、ドライバーである自分の名前、そして感想を動画にして送れと言っている。何でそんなことを要求してくるのかわからなかったが、とりあえず言われた通りにしてみたところ操作を間違えて動画が撮れていなかったので、結果的には良かった。

本日もまたホテルでの夕食である。

Fortune Pandyanのホテルは夕食が美味しく、特にマトンカレーや鶏の唐揚げの味付けが素晴らしかった。ホテル自体は年季が入っているが、部屋は広く設備は悪くない。しかしながら、タンジャーヴールでもそうだったがホテルが市街地から離れており団体客向けと思われ、滞在時間の短い個人客にとっては街歩きする時間が削られるので、こういう宿はあまり向いてない。後から考えればもっと中心の旧市街に近いホテルにアレンジしておけば良かったというのが反省点である。本当にホテル選びというのは旅行の質を左右する。海外旅行において一番考え抜いて選ばなければいけないものの一つが宿選びであると思う。

Fortune Pandyanホテル室内は広々としている




 

※なお、このガイドの貴重品を人質にとった押し売り行為については、このような体験をツアーに含めるのは不適切であると、後日現地手配先に抗議した。