Le Chèvrefeuille

世界は遊覧、思い出の場所であり、われらは去りゆく者

南インド(5) ケーララ建築とカニャークマリ

11/28

鉄道にて

0935 マドゥライ駅

1334 ナガルコイル駅

昼食、観光

パドマナーバプラム宮殿

タヌマラヤン寺院

カニャークマリにて日没

Hotel  Sea View泊

 

さて、本日はマドゥライから鉄道にてカニャークマリ、いわゆるコモリン岬へ向かう。インドといえば鉄道の旅だが、それにはある種の心理的ハードルも伴う。今回はそのハードルをなんの危機感もなく飛び越えてしまおうという魂胆である。コモリン岬付近のナガルコイル駅からは、ケーララ様式建築の白眉であるパドマナーバプラム宮殿と、ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァが結合した神を祀っている珍しい寺院、タヌマラヤン寺院を訪れる。日没までにはヒンドゥーの聖地として知られるカニャークマリを訪れ、日没を眺めながら時間を過ごす。宿泊は岬の最先端部に程近いHotel Sea Viewである。

 

朝の8時半には例のドライバーが出迎えに来た。

本日運転してくれたのはマドゥライ駅までという非常に短い距離であった。いただいた資料だとドライバーには1日300ルピーがチップの相場とのことだったが、それほどお金に余裕があるわけでもないし、英語が話せずコミュニケーションには苦労したので2日と少し分のチップとして500ルピーを渡す。すると大して英語が話せないのに「俺は3日分働いた!」などと言い張り始めた。確かに相場よりは多少低いかもしれないので、もう500ルピーを渡すが、「俺は3日分働いた!」と言い張る。大して英語も話せないくせに貰えるものだけもらおうという精神にだんだん腹が立ってきたが、めんどくさくなってさらに500ルピー、合計1500ルピーも渡した。

日本円だと3000円弱だが、おそらく現地通貨的には1万円程度の価値があるだろう。チップというのは米国では給料の1−2割と言われているから、彼はざっと3日間で多く見積もって10万円の仕事をしたこということになる。これは日本人のドライバーの給料よりはるかに高い。いくら2日と少しのドライブが重労働であったとしても、それに見合う仕事をしたとは思えないし、もしそれに見合う仕事をしていたとしても、チップというのはその態度や働きぶりに応じて客側の判断で支払うものであり、このように値段を釣り上げることには極めて強い憤りと疑問を覚えた。最後にチップをせびるために今までは善人のフリをしていたということか。思えば昨日すでにその兆候はあった。ガイドにチップを渡すことを渋る私に(なぜ渋ったかは昨日の記事を参照)チップを払うよう圧力をかけてきたり、謎の動画を送るように言ってきたりしていた。この日のチップをせびる態度にあまりにも腹が立ったので、「申し訳ないが動画は送らない。さようなら」と言って別れた。誰がお前なんかのために時間と労力を割いて個人情報満載の動画を送るというのか。ふざけるのもいい加減にしろ。

ぼったくりに対しては事前に値段を交渉して決めるという対策を徹底してきたし、押し売りに対しては相手に値段を言わせることを徹底することで買わされることを回避する術を身につけていたが、チップを釣り上げて来るという手法、しかもろくに英語が話せないくせにそういう英語だけは達者であるということを想定しておらず、私が甘かった。怒鳴りつけるか捲し立てるか、I have no moneyと言い張るか、はたまた都合の悪い言葉は聞き取らないフリをする技術が必要であった。

たかだか500ルピーなのだから払っても良い?そう思う読者もいるかもしれない。しかし、自主的に払ったチップならまだしも、こちらの相手に対する評価という側面を無視して欲しい値段になるまでチップを釣り上げるような程度の低い人間に対し500ルピーを払うことはあってはならないことだし、そして咄嗟の判断を誤り彼の悪事に結果的に加担した自分自身に対しても忸怩たる気分であった。このように後からゴチャゴチャ書き並べるのも負け惜しみのようで格好が悪いことは百も承知だが、最初の数日間南インドの人々の善良な側面に触れすぎていたからなのか、一部の人間の悪意に対する対策を怠って浮き足立ってしまっていたことは否めない。本当に油断も隙もないが、ここはあくまでインドということを忘れてはいけなかった。

くそっ やられた!

だだっ広いマドゥライ駅のホーム


あまりいい気分ではない中、旅行会社のエージェントに合流する。

このインドの現地手配先会社は、旅行会社のエージェントをところどころに配置して、交通機関の利用をアシストしつつ、旅行に必要な旅程表やチケットの受け渡しをするというスタイルであるらしい。インドの電車は遅れたり早く来たりするから早めにプラットホームに入っていた方がいいと言って、エージェントは私をプラットホームに案内した。インドの鉄道駅は出入り自由で、改札もない。たまにヒンディー語の自動放送が流れる程度で、結構不親切である。エージェントのアシストは助かった。なお現地の人々は「Where is my train?」というアプリを利用して、鉄道の運行状況を把握しているようだ。

待っていると黄土色に塗装された長大編成の列車がやってきた。20両はあるだろうか。

ドアは常時開け放されており、エアコンなし2等客車は人でごった返しており、電車が停車しないうちから乗り込むものまでいた。1等と2等はカースト制度による違いで、部屋の内容には特に違いはないと聞く。私は今回2等のエアコン付き指定席を利用する。

車内はこのような感じ。モケットは茶色で古びており、窓ガラスも汚れていて一部割れている。実にインドらしい。いいじゃないか。意外にも、と言っては失礼だが座席の座面は綺麗だし、車内の治安はよく、スリや置き引きをするような人間はそれほどいないようだ。ここがインドの面白さ。ぼったくりやチップの釣り上げ、押し売りなどは平気でしてくるが盗みはあまりやらない。実に興味深い文化である。

電車は客車列車特有のゆっくりとした加速でマドゥライ駅を発車する。

黄ばんでヒビの入った窓ガラスからは時折ヤシの木の混じった水田や畑が見え、美しく飽きがこない。乗務員がやってきてチケットをチェックし、去っていった。時折車内販売員が「チャイ!チャイ!」とか「ビリヤーニービリヤーニー!ビリヤーニー!」と言ってチャイやビリヤニを売りに来る風景は、とても風情がある。

ティルネルベリを過ぎると次第に山が近くに迫ってきて、立体感のある景色が広がってくる。

岩山と緑、そして湖。美しい景色

ほどなくして本日の降車駅、ナガルコイルに到着した。

ナガルコイル駅に到着

ナガルコイルでは本日のドライバーとガイドが待っていた。どちらもマドゥライのそれと比べると随分と人が良さそうだ。ドライバーもちゃんと英語を話せる。素晴らしい。油断は禁物だが、少なくとも先ほどのような極めて不愉快な思いはしなくて済むかもしれない。

まずはナガルコイル駅を出てランチのレストランへ車で向かう。

マドゥライやタンジャーヴール周辺の車窓とは異なり、時折岩肌の除く山々と密度高く生い茂るヤシの木、ところどころに現れる池沼が美しい。この周囲はまだタミルナードゥ州だが、かつてはケーララ藩王国の領地だったところであり、ケーララ、つまりヤシの地、という言葉通りの風光明媚な景色が広がる。

レストランは、マドゥライと同様バナナの葉の上にカレーとライスを乗せて食べるタイプのシンプルで美味しいカレーであった。

ランチが終わるとまずは、かつてのケーララ藩王国の宮殿、パドマナーバプラム宮殿に向かう。20分ほど車が走ると、小さな集落の奥に宮殿が現れた。

宮殿のまわりは集落が美しい

この宮殿は17世紀に建てられた木造と石造を組み合わせた宮殿である。まるで東南アジアの建築のような屋根瓦と木造を組み合わせた意匠であり、ケーララ様式というらしい。まずはガイドに導かれ靴を預け、赤い使い捨てのソックスを手に入れた。

宮殿の大きさは外から見るとそれほどでもないように感じられるが、足を踏み入れてみるとなかなかに壮大、かつあらゆる装飾が非常に手が込んでおり、その美しさにはハッとする。タミルナードゥ地方の木造寺院建築とは全く雰囲気の異なった独特の意匠は非常に印象的だ。欄間や屋根下の透かし彫り、一本の大きな木から削り出して細かい装飾を加えた支柱、風通しを良くするためスリット状の板を組み合わせた壁面構造、天然色素のみを使って仕上げた漆黒の床… どれも息を呑むような美しさだ。世界遺産と言われても納得の完成度であるが、こちらも日本での知名度は圧倒的に低い。ところどころにスタッフが配置されており、ガイドとともに建物の解説をしてくれる。

順路はまず王の謁見の間を通り、その後王妃や女性の部屋などの経由していく。

 

まずは謁見の間。王のベッドは一枚岩でできた立派なもの。天井は格子状に木が渡され、彫刻されたハスの模様は1個ずつ異なるという手の込みようである。

一つ一つ模様の異なる蓮の花の彫刻。みごと

間の左側にある急峻な階段を上る。敵の侵入を防ぐため、宮殿内部の階段は狭く、急峻に作られている。2階に上がると、大きな広間へ。墨色の床や焦茶色の木材が作り出す漆黒と、風通しの良いスリット状の壁から入ってくる外の光のコントラストが非常に印象的だ。

この横を抜けて渡り廊下を行くと、がらんと広い食糧庫に出た。ここは2階から回るが、1階と2階で別の食物が貯蔵されていたとか。食堂も兼ねている。天井の梁は木製だが、支柱は石でできており、耐久性を意識したものであることがわかる。建物の奥には一枚岩を削り出して作った水の貯蔵タンクや、漬物を貯めるための壺などが展示されていた。

 

順路は一旦貯蔵庫を出て庭を散策し、再び宮殿の中心となる建物に戻る。ここでは1本の木から非常に精巧に彫刻された支柱を見ることができる。まるで日本建築の一室のような、落ち着いた佇まいだ。天井に目を向けると、ここも格子状に木が渡され、格子の間には美しく繊細な彫刻が配置されている。すごい。

 

ケーララ建築では中央部がくぼみとなっており、ここに集められた雨水は排水管を通って外に排出される。順路に沿って忍者屋敷のような建物を登ったり下りたりしながら、様々なディテールやギミックに驚く。時折厠の跡なども残っていて面白い。

窓から宮殿の全体像が見えた

兵舎を通過すると、かつて旅人の寄宿所であったという建物に出た。ここは欧米人などの外国人が宿泊したところで、天井は高く柵の装飾も少しだけ欧米風な感じもするが、木造なのでやはり和の赴ある雰囲気を醸し出している。

宿泊所の階段は広く、敵の侵入を防ぐために工夫されたさきほどの王宮とは打って変わってなだらかだ。この階段を降りると、しっとりとした緑が美しい庭園に出た。

 

庭園を通って順路を行くと舞踏場に出る。全体的に木造の宮殿の中でここだけは石造で、異彩を放っている。床は王の間と同じ漆黒で塗られている。一部に細かい木の透かしがみられるが、これは王妃や女性たちがここから踊りをのぞき見するための部屋であったといわれる。細かい彫刻のなされた石柱は経年による変化が加わり、味わいがある。隣接した小さなヒンドゥー寺院は、既にその役目を終えていた。

日本ではほとんど知られていないパドマナーバプラム宮殿は、あらゆるところに繊細な意匠がこれでもかというほどにふんだんに凝らされ、別の部屋に出るたびに目の前に展開する装飾の密度感には圧倒させられた。これは間違いなくケーララ様式建築の白眉である。ケーララ地方にはほかにも屋根瓦や木材を用いた同様の様式の寺院や宮殿があることが知られているが、残念ながら私が訪れたのはこれだけ。しかしながら本当に素晴らしかった。

さて、次はタヌマラヤン寺院へ向かう。30分ほど走ると、白い大きな塔門が現れた。ここはシヴァ、ヴィシュヌ、そしてブラフマーが結合した神をまつる、ユニークな寺院。こちらも携帯持ち込み禁止とガイドに言われたが、写真撮影をしてはいけないのは本殿だけで、本殿を出た寺院の内部では写真を撮っている人がけっこういた。内部はほかのヒンドゥー寺院と同様、香気と熱気にあふれている。ガイドと共に本殿の奥にある神像に手を合わせる機会を得た。高さ6mのハヌマーン像は単石から削り出されたもので、なかなかみごとなものだった。

タヌマラヤン寺院

カニャークマリの日没スポットで夕日を眺めるため、少し急ぎ目にカニャークマリへ向かう。20分ほどで岬に到達。ここはガンジス川と並ぶヒンドゥー教の聖地で、ガンディーの遺灰もこの海に撒かれたというが、ガンジス川の喧騒(といってもこの執筆時点では行ったことがないのでわからないが)と比較すると穏やかな雰囲気の田舎町だという。西に向かって大きく円弧を描いた海岸と、岩に打ち寄せる大きな波が見える。海岸沿いには露店が並び、非常にいい雰囲気だ。

日の入りスポットでしばらく西の方角を眺めるが、残念なことに西方向は雲が多く、あまり綺麗な夕日を拝めなかったのが残念。ホテルやヴィヴェーカーナンダ岩、ティルヴァッルヴァル像のある方面へ徒歩で向かう。

ガンディー記念堂を過ぎたあたりですっかり日が暮れ、ライトアップされたヴィヴェーカーナンダ岩、ティルヴァッルヴァル像が美しく見える。イギリス英語を話すケーララ出身の女性とイギリス人の夫婦に出会った。彼らと私、ガイドで旅話がはずむ。岬に打ち寄せる波の音と、楽しそうな人々のにぎわいが聞こえ、あたたかな雰囲気だった。

本日のホテルはHotel Sea View。岬から数百メートルという好立地にあるホテルで、部屋の窓からはヴィヴェーカーナンダ岩、ティルヴァッルヴァル像が望めるという好立地。本当は日の出を望むのがベストなのだけど、残念ながら明日は早朝出発。明らかに予定を詰めすぎである。チェックイン時にはフロントのスタッフがパソコンではなく神の帳簿を取り出し、私に記載をするように言う。いまだにアナログ方式で宿泊を管理しているらしい。

部屋は一応スイートルームとなっていて広々としている。残念なポイントとしては完全に風呂場やトイレがインド人仕様であり、トイレにティッシュペーパーが備え付けられておらず、アメニティと一緒に置いてある。

本日も夕食はホテル。なんだかヤクザのアジトのような薄暗い空間が食堂になっており、ここで夕食をとる。食事の味自体はまずまずだった。味が同じであれば空間の美しさがものをいう。

時折カーテンをめくって目の前に見えるヴィヴェーカーナンダ岩、ティルヴァッルヴァル像を眺めながら、明日の早出のためにそそくさと就寝した。

 

※後日マドゥライでのドライバーのチップをせびる態度については現地代理店に報告した上で、この国の人々はチップをせびるのが当然の習慣なのか?と皮肉まじりに疑問を呈する抗議文を送ったところ、このドライバーの態度は不適切であり、このような行為がないように現地会社に通達するとのことだった。もちろん本当に通達してくれたのかはわからないが、昨日の携帯人質事件の件も含めて、現地代理店の対応は割と誠実だったと思う。インドだから仕方ないとはいえ、旅行会社に雇われた人間が自身の評価を下げるような真似をするのは、やめてほしいものだ…