Le Chèvrefeuille

世界は遊覧、思い出の場所であり、われらは去りゆく者

南インド(8) エピローグ

インドという空白地帯

今までの自分にとってインド文化圏は完全な空白地帯だった。インドといえばタージマハルと汚いガンジス川、ぼったくりや詐欺の横行する観光地、感染症、汚い市街地、その程度の印象しかなかったし、文化や歴史を学ぶほどの興味もなかったというのが、残念ながら正直なところである。

 

しかしながら、実際にインドに足を踏み入れてみると、人々は思った以上に親切で、町並みは思った通り雑然として汚かったが、それは町がスラム状態であることを全く意味せず、人々は社会規範を持って、平穏に暮らしていた。もちろんチップをせびられたり貴重品を取り上げたうえで押し売りを受けたりあまりよくない経験もあって未だに腹が立っていないわけでもないが、思っていた以上に人々は誇り高い生き方をしているな、という印象があった。もちろん今回は南インドの旅行ということで、北インドのような猥雑でぎすぎすした雰囲気はない、ということも、もちろんあるのかもしれないが。

 

ヒンドゥー教寺院の核心部に足を踏み入れたり、タミルの祭日にたまたま遭遇したりして、南インドの人々の精神性の奥にあるものに、少しだけ触れることができたのも非常に運が良かったと思う。ヒンドゥー教といえばインド人の民族宗教ね、フーン、程度にしか興味がなかったが、人々の生活は文字通り宗教と密着している様子がうかがわれ、インド神話やインドの歴史について、俄然興味がわいてきた。

 

マウリヤ朝クシャナ朝、奴隷王朝ムガル帝国といった、世界史で名の知れた帝国と比べると、南インドの歴史というのはほとんど教科書でも取り上げられていなかった印象があり、自分もヴィジャヤナガル王国くらいしか知らなかった。しかしながら興味を持って調べてみると、パッラヴァ朝時代からタンジャーヴールの素晴らしい寺院が建築されたチョーラ朝の時代にかけて東南アジアとの交易や交流があり、東南アジアに文化的影響を与えてきたということを知ることができた。東南アジア諸国の文字が古タミル文字(パッラヴァ文字)から作られていること、アンコールワットチョーラ朝時代にインドの建築文化的な影響を受けてヒンドゥー教寺院として作られたことは非常に興味深かった。

 

今回南インドを訪れたことにより、今まで未知かつ敢えて知ろうとする気もなく見落としてきたインドという空白地帯の解像度が一気に上がり、今まで局所的に、かつ断片的にしか理解していなかったインド南部や東南アジア各国の歴史が、互いの地域に影響を与え、もしくは受けて文明や文化を生成してきたダイナミズムとしてとらえられるようになった。世界史はまるで一連の大きな動きの中で生み出されるフラクタル図形のように見えてきて、非常に興味深いものになってくる。東南アジア諸国シンガポールを除いてほとんど行ったことはないが、なぜ元来南インドの文化的影響下にあってヒンドゥー教が信奉されていた地域に上座部仏教が根付いたのかにも興味が湧いてきた。

 

真ん中がインドのお土産。左はメキシコのバロネグロ、右はイランのミーナ・カーリー
反省点

今回の旅行の反省点としては、多少の準備不足、そして旅行期間がやや短すぎたことがあげられる。

 

ほぼ全日ガイドツアーだったため短時間で歴史的背景を深めるには非常に有意義であったが、やはり日程を詰めすぎて、ゆったりと流れる南インドならではの時間感覚に身をゆだねるということは、あまりできなかった。昼のタンジャーヴールをひとりで散歩してブリハディーシュワラ寺院を再び参拝したり、カニャークマリで日の出を眺めたりする時間の余裕があれば、もっとインドという国の空気感に対する理解が深まったと思う。また、ケーララ地方についてはタミルナードゥ地方と比較してやや調査不足が目立った感じがする。間に1日挟んでケーララの州都ティルバナンタプラムをゆっくり観光したり、コーチンブティックホテルに滞在してじっくりと旧市街を観光する時間が欲しかったように思う。結果的に宿題の多い旅行になってしまったのが最大の反省点である。

 

また、ホテルをほぼ旅行会社の提案するチョイスに任せてしまったが、旅行会社の提案するホテルはやや旧市街から離れたところが多く、バスツアーで移動する団体客向けという印象を受けた。もちろんホテル自体はよかったのだが、一人で街歩きに繰り出すには不便なところが多かった。宿選びは旅の質をあらゆる意味で決定づけるので、次回は宿泊先はすべて自分で決めていくのがよさそうだ。

 

もう一つの反省点としては、やはりチップのつり上げなど予想外の手口によるカネの詐取に対する対抗策が未熟であったことだが、これに対してもチップの受け渡しは別れる直前に行うことを徹底するとか、聞こえないふり/怒りの感情の駆使/などなど、もっと多様な手段を用いることに慣れていかなければと思う。私はまだまだ海外旅行半人前である。

 

大きなパズルのピース

今までやや避け気味であったインドを訪れたことで、世界史におけるインド、特に南インドの役割を目の当たりにすることになり、自分の世界に対する理解はまだまだ浅はかであることを思い知らされた一方で、世界史のおもしろさ、そして海外旅行のおもしろさを再確認した。現在進行形でインドの神話を勉強中である。インドは広く見どころの多い国なので、北部のタージマハルやベナレス、町並みのかわいいラジャスターン地方、エローラやアジャンタ、そしてチベット文化の濃い山岳地帯など、訪れるべきところはまだまだある。

 

「インドを訪れて世界が変わった」とまでは言えないと思うが、インドを訪れたことで世界を見る視点がまた一つ増えたことは間違いない。そしてそれはとても大きなパズルのピースである。今回の経験が今後のものの見方や今後の人生にどう影響するのかが、今から楽しみである。