Le Chèvrefeuille

世界は遊覧、思い出の場所であり、われらは去りゆく者

اختيار

前回の記事更新からだいぶ経ってしまった。

 

コロナ禍という状況、かつ日本政府のワクチン周りの動きが異様に遅いせいで身動きが取れず、趣味であった海外旅行も封じられ、あまり生き甲斐という生き甲斐が見出せずにいる。

 

思えばかつての自分というのは自分の世界で完結していたので、あまり他者というものを必要としていなかった。おそらく大部分は自分のせいなのだろうが、小学校、中学校、高校とあまり常に行動を共にする友人やよき理解者はいなかった。思春期特有の自意識過剰さもあるのだろう、同級生たちはどこか私を斜めな目で見ているように思えてならなかった。しかし人間というのは孤独に次第に適応していくもので、なるべく他者とは関わらずに、人と関わらずに楽しみや生きがいを得る方法を身につけていったように思う。他者との交流の窓口を閉ざし、自分の心を閉ざす。そして安泰だが閉鎖的な心の空間が出来上がる。そうやって私という人間はできていった。それにとどめを刺したのは大学受験だっただろうか。あまり振り返りたくもないが、2度の人生の失敗は人生に対する絶望感を与え、その後数年間、やる気が出なかった。絶望の味というのはそれを味わったものにしかわからない、屈辱的な味がする。周りの人々は恋愛だ学生生活だなどと楽しんでいる中、私は絶海の孤島のように取り残されていた。そんな自分を、生々しい人との関わりの中で生きていく、本来の人間的な生き方をしていく世界に再び引き込んだのは、やっぱりイランへの旅行という選択だった。大袈裟ではなく間違いなく人生の転機であったように思う。あの国に行くことを選択していなければ、おそらく自分の人生は違うものになっていた。

 

さて、表題のاختيارとはアラビア語で選択の意である。

アラビア語にしたのは単なる気分で、それ以上の意味はない。

選択。

 

思えば自分の選択というのは常に迷いに満ちていた。正しいと思った選択や、熟慮の上決断したと思えることでも、数ヶ月や数年のうちに自分の間違いが露呈して、やるせなくなるということは幾度となく経験された。そのたびに自分が選ばなかった方の選択は美しく、輝いているように思われる。他人の判断に従った結果の失敗であれば他人のせいにしたくなるし、他人の判断に逆らって決断し失敗した暁には、「それ見たことか」という周囲の声が聞こえてくるような感じがして居た堪れなくなる。「決断力」のある人はいったいどのようにして生きているのか。迷いはないのか。たまにそういう人と話をすることがあるが、彼らは常に自信に満ちているように見える。そういう彼らは私にとってうらやましくもあるが、どうやったら彼らのようになれるのか?全く想像はつかない。

 

思えば人生の中で一番決定的だった選択は進路、職業選択だろうか。

大学受験から10年以上経った今思うのは、本当に自分の選択が正しかったのかよくわからないということ。資格があれば人生が安泰だとか、そういう周囲の言説に騙され、受験業界の巧言に騙されて某学部に入ったけれども、本当にそれが正しかったのかはわからない。もしかしたらもっと良い選択肢があったのかもしれない。しかし今考えてもそれはよくわからない。なりたいものとかやりたいことというのはすぐに移り変わっていくものだし、自分のやりたいことに対して才能に恵まれている保証もない。それだったら結局一応資格を持っておくというのも間違ってはいないのかもしれない。結局自分の中に確固たる信念を持っていない人間は、周囲の言説に振り回されて生きるしかないのだ。数学が得意でありながら裁判官になりたいと言って文系に進んだ同期や、圧倒的な優秀さで今や准教授の地位についているという噂の同期を横目に、いったい自分は何をしているんだろうと思わずにはいられない。しかし他に何をやるというのか?従順なサラリーマン?意識の高い起業家?朝から晩まで読書に耽る文学者?戦地に赴くジャーナリスト?自分は一体何に適性があるというのか。まあ、こうやって他者と比較する癖がついていること自体がよくないことなのかもしれない。それに、そもそもこのようなことで悩まなければならないのは日本という国が職業を変えることに対して極めて非寛容な社会システムを持っているからで、別の国に生まれたらこんなことで悩むこともないのかもしれないし、それこそサルトルの言うように我々は自由の刑に処せられている"L'homme est condamné à être libre"ので、あるいは選択の自由なんて最初からない方が楽なのかもしれぬ。

 

自分の答えは、外界からの雑音をシャットアウトし、自分の心の発する僅かな叫びに耳を傾けることでしか見つけられないのだろうか?そんなことは可能だろうか?何かを目指す圧倒的なモチベーションはそもそも自分の中にあるのだろうか?

今の自分に必要なのは、他者の推奨する選択ではなく他者の反対を押し切って何かを成し遂げるという強い意志であり、如何なる時も自分の選択を疑わないという強固なメンタルであり、その選択をして実際に成功を掴み取るという経験なのかもしれない。