Le Chèvrefeuille

世界は遊覧、思い出の場所であり、われらは去りゆく者

パタゴニア(14) エピローグ

 

朝起きると、見慣れた天井が広がっている。ああ自分は日本にいるんだなあとしみじみ思うとともに、もうその大地を離れてから2週間以上経つ南米での記憶を、ぼんやりと思い出す。

 

今回の旅行は本当に大変だった。旅行が続行不可能なのではないかと思ったし、路頭に迷って餓死する可能性も頭をよぎったほどだった。しかし大変だったからこそ今回の訪問は間違いなく、唯一無二のものとなったと思う。現地の警察のお世話になり、辛い時に手を差し伸べてくれた人々の良心に触れ、大衆食堂で現地の人に混じってクンビアを聴きながら、ああ私はラテンアメリカにいるのだなあということをしみじみと感じた。

 

海外から帰ってくると日本という国についていつも考えさせられるのだが、今回感じたのは、日本という国は「他人は良き人間でなければならない」という通念が取り巻く社会なのではないかということだった。この哲学は人々の社会における行動を束縛し、鬱陶しいほどに細かく多岐にわたるマナーを守り、他人に望まれるべき人間であることを強要する。南米のような治安の心配は全くないが、南米のように他者に寛容でもないし、「他人」に対して手を差し伸べる心根の優しさよりも、どうしても他者との関わりを避けるよそよそしさが前景に立ってしまう。それを本当に「日本は世界で最も治安がよく、市街も綺麗で生活がしやすい素晴らしい国(残念ながらすでに経済大国ではない)」の言葉で片付けていいのだろうか。あまりに短絡的すぎやしないか。

 

そういえば、旅行に行く前にチリについてブログで調べていたときに、「チリの人は日本人に似て謙虚さが感じられルールにも従順で好ましい」という記述をいくつか見かけて首を傾げていたが、その違和感の正体の少なくとも一部は、上に述べたようなところにあるのではないかと思う。少なくとも南米という地域は日本と同じ尺度で人々が行動していない。日本にある良さがない代わりに、日本にない良さが溢れている。日本のテレビに限らず人間というのは殊更自分たちとの相対的な類似性に基づいて他者の価値を決めたがる傾向にあるが、これは世界を見る視野を狭めてしまう。大変にもったいないことであり、自分への戒めでもある。

 

思うに南米の人々の心の奥底にあるものは、人間は愚かである、否、「愚かなのが人間である」という哲学なのではないかと感じる。

他人が音楽を楽しみながら仕事をすることを許容し、社内で他人が電話することを許容し、困っている外国人に手を差し伸べる。そこには、人間というのは間違いを犯すことが当然で、日々を楽しみたいと願って生活することが当然で、外れ値を許容することが当然であるのだという独特の通念が感じられた。それはそれは日本社会でところどころに顔を出す「他人は良き人間でなければならない」という通念とは綺麗に対照をなしているように思われた。

確かにクレジットカードの不正利用(そしておそらくそれは組織的なものだ)を行ったのは南米の人間だったが、その詐欺被害に遭った時に嘲笑する素振りなど見せずに手を差し伸べることを厭わなかったのもまた、南米の人だった。それは全く関係のない2つの側面ではない。おそらく同じものを別の側面から見ただけにすぎない。そしてその2つの側面から見えた同じもの、それが南米の人々、もしくは南米の社会、南米の人々に通底する哲学のようなものだと思う。そして、このようなクレジットカード被害に遭っておきながら、未だにそんな南米の大地や空気感に魅せられてしまっている私もまた、立派なその愚かな人間の一員なのだろう。もっとスペイン語を学び、南米の人と不自由なく話せるようになりたい。彼らの思考回路、哲学、そして大切にしているものについてもっと知りたいと思う。残念ながら、この国で社会から要求されているような善き人間には、なれそうもない。

それでも私は、それでいいのだと思っている。やはり日々の生活を楽しみ、素朴さを持って人々に優しく接する人間でありたい。リズミカルな音楽を流し、家族や知人、そしてときには他人とのつながりを何よりも大切にしながら、常に楽しむことを、少なくとも心の奥底では忘れないような生き方を目指したい。社交性が低く他者との関わりが受動的になりがちな私にはそれを完全に自分のものとすることは難しいかもしれないが、それは必ずしも享楽的に生きることを意味しないと思うし、重苦しい不文律が支配するこの国での羅針盤となりうる物事の捉え方だと思う。

 

チロエ島、プンタアレーナス、ウシュアイア…、今回の訪れたさまざまな場所で得た経験は、かつての異国への訪問がそうであったように、自分の宝物である。人々との出会い、そして個人の力の限界、謙虚であることの大切さ、人々の優しさ、自分の目で確かめることの大切さ、そのほかたくさんのことを学び、思い知らされ、刻みつけられた。そして、この素晴らしい財産は、高校生の頃の自分からの贈り物でもあったのかもしれないな、などとも思っている。

 

かつてその名前に憧れていたプンタアレーナスは、窮地に追い込まれた自分を助けてくれた人々の優しさや人々の心に触れた、非常に印象的な滞在となった。カード不正利用に遭った自分に対し嘲笑もせず対応してくれたPDIのスタッフ、警察の車に自分を乗せて私を町外れのオフィスまで連れて行ってくれたCarabineirosの人々、そして食糧をたくさんくれたホテルのスタッフ。彼らとの触れ合いは、この旅行の価値を決定づけたものだった。そしてその名前を高校生の頃から心に留めていたウシュアイアは、ここ数年で色々なことを経験し人生が展開していく中で、すでに失われてしまったものだと思っていた、自然に美しさを見出し感動する心を蘇らせてくれた。フエゴ島国立公園の真夏でも雪をいただいた山々に囲まれた美しい森の中を歩いている時、かつての自分のように感動している自分がいることに気がついた。この2つの都市での滞在はこの旅行の中でも特に印象的なものであり、今から考えればかつての自分が将来の自分に残したタイムカプセルのようにすら思われる。狭い視野で地図と解像度の悪い写真だけからこの地に興味と憧れを抱いた高校生の頃の私はある意味慧眼の持ち主だったとも言えるわけで、運命とは不思議なものである。

 

今回の訪問はたったの2週間、それは長いようで短いものではあったけれども、得たものは自分の中にずっと残る。私はその経験をロケットペンダントのように身につけ、握りしめ、時折その中に折り畳まれた写真を心に描きながら生きていく。

 

 

さて、今回の旅行で悔やまれるのは、チリ南部の先住民族、マプーチェ族の歴史や文化について興味を持っていながら、彼らの生活について深めるような訪問が全くできなかったことだ。クレジットカードの件以上に、こちらの方が心残りである。なぜそれほど彼らに惹きつけられるのかわからないが、もしかするとインカやアステカという大帝国がスペイン軍になすすべなく敗れていった一方で、彼らの戦法を取り入れ先住民を糾合し、ペドロ・デ・バルディビアを破ったラウタロの勇敢さと賢さ、200年以上独立を守った誇り高さへの敬意、そして今置かれている彼らの不遇な地位に、どこか自分を重ね合わせているからかもしれない。アラウカニアの州都テムコや、彼らの自然信仰の中心であったアラウカリアの木々が美しい景観をなすコンギジオ国立公園には、必ず訪れたい。そしてマプーチェの生活がさらに色濃く残る地域がどこかに必ずあるはず。メキシコのクエツァランのように。

チリは将来必ず再訪するつもりでいる。そしてその時は今よりもう少し現地に対する理解を深め、マプーチェの人々の軌跡と現在について学びたい。そしてできれば今回早足での訪問となってしまったチロエ島にも数日間滞在したい。これは今の自分からの、将来の自分への宿題である。いつ再訪できるか全く予想がつかないが、その時にどういう人生を経ているだろうか。どういう世界を見ているだろうか。人間というのは人生の終わりまで変化し続けるもの。今よりさらに広く、そして素晴らしい世界を見れる人間になっていてほしいと思うし、そのように努力しつつ齢を重ねていきたい。