Le Chèvrefeuille

世界は遊覧、思い出の場所であり、われらは去りゆく者

パタゴニア(6) 最果ての地へ

2/1

8:00 Bus-Surにてウシュアイアへ

チリ/アルゼンチンの国境越え

18:00頃 ウシュアイア到着

Hotel Albatros泊

 

ホテルの窓から朝焼け

本日はチリにおけるパタゴニアの中心的都市、プンタアレーナスから、アルゼンチン側におけるパタゴニアの中心都市、ウシュアイアへ移動する。

ご存知の通り、ウシュアイアは実質南米最南端の都市として知られている。ビーグル水道を挟んでウシュアイアの向かいにある集落・プエルトウイリアムズが南米最南端の都市という話もあるそうだが軍隊の人数が多く、人口数万人を有し一般人が住む普通の都市としてはやはりウシュアイアが最南端である。

私自身は、今まで見てきた写真集やネット上の記事の影響からか、南米最南端の都市といえばやはり強風で変形した樹木、彩度に乏しい荒涼とした大地、そして寒々しい都市の風景、そういうイメージが強い。実際のところどうなのだろうか。自分の目で見てみたい。さらに、飛行機移動が多い今回の旅行においてプンタアレーナスからウシュアイアへの移動は陸路としたのは、フエゴ島の大地についてより深く知ろうと思ったから、さらに南米最南端という場所に至るためにそれなりに困難なプロセスを踏んでこそ、その真価が理解できるのではないかと思ったからだ。

今回乗車するバスのルートはまずマゼラン海峡を渡り、フエゴ島を大きく南北に縦断。U字谷の発達するアンデス山脈の峠をこえ、そしてウシュアイアに至るという、地図から見てもなかなかにダイナミックなルートである。かつてマゼランが発見した時ヤーガン族が焚き火をしていたという大地。現在の姿はどのようなものだろうか。

本日はホテルの朝食にありつくことができた。

ダークブラウンとホワイトを基調とした内装で、とても格調高い雰囲気だ。食事自体はそれほど種類はなく、いわゆるおかず系のタンパク質が取れるものはそれほどなかった。

格調ある雰囲気の食堂

隣接されたシャクルトン・カフェ。本当はここで優雅にお茶でもしたかったものだが

荷物をまとめ、7時半ごろにホテルをあとにする。

昨晩と同じ朝番の男性が見送ってくれた。このホテルのスタッフには本当にお世話になった。こんな目に遭いたくはなかったが、クレジットカードの不正利用がなければ、このホテルのスタッフの優しさに触れることもできなかっただろう。海外で警察のお世話になるというのも、ある意味貴重な体験ではある。プンタアレーナスの滞在が忘れられないものになったのは、彼らの優しさがあったからと言っても過言ではない。寒々しい景色の都市だが、人々の心は暖かかった。ラテンの血が通っていた。確かにここは北欧、アイスランドニュージーランド、アラスカ南部と同じ気候帯に属する寒冷な地域だが、ここの人々は寒いながらもラテンアメリカ的な風情を失っていないという意味で、個性ある地域だと思う。

 

本日は曇り空で、外は昨日よりかなり冷え込んでいる。

朝の静かな町並みを、ホテルから数ブロックほどのBus-Surのバス停へ向かう。バス停奥の待合室にある受付でeチケットの写しとパスポートを提示する。15分ほど待つと、バスの方に案内された。しばらくしてバスは出発。

赤いほうのバスで出発

バスのシートピッチはやや狭く、その上前の席に座っていたフランス人少女二人組が座席を倒せるだけ倒してきたので、不快極まりなかった。さらに前にある運転席との間にある壁と窓の段差に足を投げ出して、行儀が悪いことこの上ない。元々自分の前の座席はいわゆる優先席的な扱いで予約はなるべく避けてくださいと書いてあったので、4ヶ月以上前で席が選び放題の状態であったにもかかわらず避けたのに、なんという連中だろう。さすが世界観が植民地時代で止まっているフラ公である。

バス停を出ると、窓の外には草がまばらに生えるだけの、単調な景色が続く。今日は外気温が非常に低く、バスの窓は常に結露しており、外の景色を綺麗に写真にするのが難しい。その上バスのドライバーは特に音楽を流すこともなく、かといってメキシコのバスのように映画を見るモニターがついているわけでもないので退屈だ。

荒涼とした景色が続く

1時間半から2時間ほどの乗車で、バスはフェリーに乗り込み、いよいよマゼラン海峡を渡る。

フェリーではしばし自由時間が与えられた。トイレを済ませ、フェリーを簡単に探検する。非常に冷たい風が、強く吹いている。小雨が混じっており、すっきりしない天気だ。

空には鉛色の雲が低く横たわっている。マゼラン海峡の海は空の色と似た、憂鬱なグレーを帯びた青灰色だ。

しばらくしてバスに戻り、バスはフェリーを出てフエゴ島の大地を駆け抜ける。

依然としてマゼラン海峡を渡る前のような単調な景色が続く。斜め前に座っている4歳くらいの女の子と、その親族であろうと思われるお婆さん2人は風貌からおそらく地元の人だと思うが、彼らが大音量で音楽を流していたため、良い気晴らしになった。やはり旅情には音楽が必要だ。尤も4歳の女の子がデスパシートの歌詞を口ずさんでいるのは、歌詞の内容的に大丈夫なのかわからないけど。4時間ほど走ったところで、チリの出入国審査ゲートが出現した。バスに乗っている全員の出国審査が終わるのを待って、バスは再び出発する。

10分ほど走ると、今度はアルゼンチンの出入国審査ゲートが出現した。木目調で少し余裕の感じられたチリのゲートと比較すると少し古びており、簡素な印象だ。

チリ側(左)とアルゼンチン側(右)のゲート

再び全員の入国審査が終わると、ここで初めて、サンドイッチとジュース、そして水が配られた。比較的鮮度の高いハムとしっとりしたパンで、なかなか悪くなかった。他の記事ではどこかのスーパーの近くで再び停車をすると書いてあったが、そのような停車はなく、一直線にウシュアイアへ向かっているようだ。

アルゼンチン側のゲートを過ぎて1−2時間ほど経過すると、まばらではあるが樹木が見られるようになってくる。いずれも強い風で変形しているが、南に向かうほど樹木の数が増えていき、Tolhuinという湖のほとりの集落に至る頃には森となっていた。

ナンキョクブナの森が広がる

本来眼前には森林限界を超えた山々や美しい湖が広がっているはずだが、山の上の方は霧に覆われており、窓ガラスは結露に覆われて、あまり外の様子がはっきりわからない。しかし時折窓ガラスの結露を手で拭うと、清潔感のある岩肌とまるで針葉樹のような樹形のナンキョクブナがとても美しい森林を形成していることがわかる。

峠を越える

U時谷の底となる湿地にはオレンジ色の植物のようなものが生えている。翌日のフエゴ島国立公園ツアーで知ったのだが、これは地衣類の一種であるそうだ。

谷底の湿地にオレンジ色が広がる

峠をこえると、ウシュアイアという名前の書かれた塔をすぎる。例の女の子が"llegamos, llegamos!"と何回も言っていて可愛らしかった。標高を次第に下げていき、市街に入っていくと、ようやく港のほど近くにあるバス停に到着した。

 

バス停ではしばらくして、WhatsAppで連絡を取っていたドライバーが現れた。

アルゼンチン側は一部のツアーを除いて、各種の送迎やツアーを概ね旅行会社に手配してもらっている。やや高くついたが、やはりタクシーを捕まえたりするのはそれなりに精神的負荷がかかる作業であり、こういう部分で手が抜けるのは地味にありがたい。と言っても今回のHotel Albatrosはバス停から歩いて数分のところにあり、すぐに到着した。ウシュアイアにおける各種送迎の日程表、明日のフエゴ島国立公園・ビーグル水道クルーズツアーのバウチャーを渡され、別れを告げる。

本日の宿泊は、Hotel Albatros。比較的名の通ったホテルである。ホテルのロビーでは日本人の団体観光客がおり、英語がそこそこな日本人が何やら交渉している。どうやらピースボートが来ているらしいが、なるべく日本人とバレないようにそそくさとチェックインを済ませ、自室へ。荷物を置き、ベッドに横たわった。

 

ここ数日、色々なことがあり過ぎた。長い間憧れていたプンタアレーナスの訪問も、クレカの件で心から楽しむ余裕などなく、当初の予想と違った訪問となってしまった。尤もある意味大変に印象深い訪問となったことは間違いがない。最南端の寒々しさではなく地元の人々の暖かさという、観光客であればともすれば通過してしまうかもしれない側面を理解できたのは、非常に良かったのかもしれない。しばし休憩し、「Fin del Mundo」と書かれた看板がある港へ向かう。ここはホテルから徒歩数分の距離だ。

信号をこえて少し歩くと、ビーグル水道に面して、Fin del Mundoの看板が現れた。

写真でこの看板を何度見たことだろうか。

ある時は個人のホームページで。

ある時はwikipediaで。

ある時は写真集で。

人生のうち半分以上、ずっと自分の心の中にあったあの看板が、今自分の目の前にある。長い道のりと人生の荒波を経て、私はようやくここへたどり着いたのである。

Fin del Mundo

しかしながら、やはり実際に訪問してみると、自分が想像していたのとはかなり違う趣を持った都市であることがわかる。

もう少し穏やかな地形を思い描いていたが、ここウシュアイアは山が海のほど近くまで迫る坂の町であり、町全体に立体感がある。そして、自分が思っていたよりも賑わいと広がりがある。そして、そもそも看板周囲に植樹されている木も、特段強風で変形しているわけではない。「かつて南米最南端に到達したとき自分が受けるだろうと予想していた感銘」と、「実際に受けた感銘」は無視しがたい隔たりがあるように感じた。

今回の旅行は、かつての憧れと現実の隙間を埋める作業なのかもしれない。

そしてその憧れと現実の差異こそが、かつての自分と現在の自分の差異であり、それこそが成長…とまではは言えなくても、人としての変化の象徴であるように思われた。

 

 

少し感慨に浸りながら、ホテルに戻る。

まだ旅行会社からは手配完了の連絡がないので、安心はできない。

どうせ節約しなければならないし、体を動かしておらずそれほどおなかも減っていないので、本日はホテルの自室で保存食を食べるのみにした。同じ価格帯のはずのプエルトバラスのホテルと比べると客室は手狭だし、壁が薄く、隣の部屋の話し声もよく聞こえた。町有数の四つ星ホテルのはずなのだが、ずいぶんお粗末だな。