Le Chèvrefeuille

世界は遊覧、思い出の場所であり、われらは去りゆく者

パタゴニア(8) エル・カラファテへ

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AM

ウシュアイア市街観光

PM

AR1865

1515 ウシュアイア空港

1635 エルカラファテ空港、ホテルへ送迎

Hosteria Miazato Inn泊

 

本日は午前中ウシュアイア市街を散歩したのち、午後の便でエルカラファテに移動する。

ウシュアイアの自然は昨日堪能したが、ウシュアイアの歴史的側面についてはあまり昨日スポットライトを当てた観光をしていなかった。尤も、昨日までの記事を読めばところどころに囚人とかいう単語が散見されることからすでに理解の及んでいる読者もいるかと思うが、ウシュアイアは地理的に隔絶された場所にあることから、監獄の町として発達した経緯がある。本日は監獄博物館(正確には元監獄と船舶博物館)に赴き、ウシュアイアを監獄都市としての側面から見てみたい。

本日は昨日のピースボート日本人団体ご一行様もいないので、ゆっくり朝食を食べる。

ホテルのチェックアウトは10時とやや早いので荷物をまとめ、チェックアウトし荷物を預けた。ホテルから徒歩10分程度で監獄博物館に至る。開館は10時なので10分ほど前に行ったのだがすでに行列ができていた。監獄なんてそれほど美しいものでもないだろうになぜこれほど人気があるのかはわからないが、どうやら団体ツアーの観光コースに入っているということらしい。入場料は19000ARPと、日本円にして2500円程度するだろうか、かなり高い。正直自分の持ち金を考えて入場を躊躇したが、南米最南端まで来て観光をケチるのもどうかと思い、入ってみることにした。

監獄博物館

この監獄博物館(元監獄と船舶博物館)は実際監獄として使われていた建物を博物館にしたもの。ここには政治犯や凶悪犯罪の犯人などが幽閉されていたという。

構造はベンサムの提唱したパノプティコンをそのまま形にしたような放射状である。中心部に体育館のようなホールが設けられ、ここから放射状に伸びる建物に均一な大きさの部屋が並んでおり、この部屋の大部分が展示室になっているが、じっくり展示を見ていると日が暮れそうなほどなので、巻き気味に見ていく。

放射状に伸びる建物ごとにテーマが異なり、航海の歴史や船舶の進歩などをまとめた棟や、囚人の生活をまとめた棟、そしてウシュアイアに暮らした人々の調度品を集めた棟などがある。

1つの棟はほぼ監獄として使われていた当時のまま残されており、塗装は冷たい青灰色で、禿げた塗装や壁の汚れも当時のままと思われ、陰鬱で息苦しい空気が漂っていた。

 

お土産ショップは博物館内に2ヶ所あり、1ヶ所で"Ushuaia"とペンギンのイラストが手描きされたマグネットを購入した。

Nintendoのキャラが手描きされた謎の家

博物館を出て、昼食に向かう。ホテルに13時に迎えが来ると思って12時ごろにランチの店に入ってお通しのパンが出てきたところで、WhatsAppに連絡が来た。「我々はホテルで待っています。今どこにいますか?」1時間早くないか?と思いながらお通しを出してくれた店員に謝り、店を出た。ホテルは店から数分のところにあり、ホテルのロビーに戻るとドライバーが待っていた。

ホテルからウシュアイアの空港は車で15分ほど。ドライバーと女性のスタッフが乗っており、これから空港に到着する観光客の迎えを兼ねている様子であった。程なくして木をふんだんに利用したウシュアイアの空港に到着。

ウシュアイアの空港に到着

早く迎えに来たのはよいが、到着が早すぎたのでやることがなく、ひたすら携帯をいじって時間を過ごす。

ようやく飛行機がやってきて、機体に乗り込む。アルゼンチンなのでさぞかし飛行機も遅れるのだろうと思ったが定刻通りに案内された。

 

飛行機が飛び立つ。次第に山々に抱かれたウシュアイアの市街が小さくなっていく。

次第に雲が増えてきて、ウシュアイアの市街も雲の中に消えていった。

さようなら、美しき町ウシュアイア

ウシュアイアはプンタアレーナスとともに物心ついた頃からその名前に憧れていた都市である。かつての自分は南米最南端という言葉に対して、灰色の空、強く吹き付ける風、そしてどこか伏目がちに歩く心を閉ざした人々…といったイメージを描いていたが、それは結局高校生の頃の自分の乏しい見聞を元にした想像の産物であった。当時の自分は自然に対する感度は大変鋭かった一方で、人間とは人との関わりの中で生きていくものだという視点が決定的に欠けていた。確かに灰色の空、強く吹き付ける風までは合っていたが、そんな大地の日々音楽を楽しみながら明るく、そしてたくましく暮らす人々の姿は全く想像と違うものだった(これはプンタアレーナス訪問時の記事にも書いたことであるが)。

南米最南端の大地は私が思っていたよりもはるかに美しく、上品で、心温まるような明るさと輝きに満ちていた。そして、ウシュアイアは厳しい自然の中で身を寄せ合って生きる人々の小ささと力強さを感じさせる町だった。ある程度観光地化されてはいるものの地元の人の生活感が濃厚に感じられ、市街を取り巻く自然の素晴らしさと共に、非常に印象に残る訪問になったと思う。

さて、1時間ほどのフライトで、次第に飛行機は高度を下げていく。大地は乾いており木々はまばらで、遠くに綺麗な水色の湖から流れ出る川が見える。エルカラファテはもうすぐである。

エメラルドグリーンの湖が見える。エルカラファテはすぐ

空港に到着し、荷物を回収して外に出ると、名札を書いた送迎の人が待っていた。

多くの乗客を乗せて、送迎車はエルカラファテ市街へ出発。

市街に至ると、人々を少しずつドロップしていき、最後の方になって本日の宿、ミヤザトインの前で降ろされた。ミヤザトインには今日から3泊し、ここを拠点にペリトモレノ氷河やパイネ国立公園へ向かうツアーに参加する。

本日から3泊するミヤザトイン

このミヤザトインはレンガと木を基調とした温かみのある建築。先日の記事で触れたように、オーナーは日本語が話せる女性の方である。クレジットカードが使えなくなったため別の支払い手段を使えないかと聞いたところ、PayPalも使うことができるから心配しないで!とのお言葉をいただいた。日本語が使えない環境には慣れているし英語でもそれほど不自由はしないはずだが、やはり日本語が通じるというのはありがたい。オーナーのElizabethさんは一通り宿と市街について案内してくれた。荷物を置いて、ベッドで一休み。ちょうど旅行会社から、プエルトイグアスとブエノスアイレスのホテル手配が完了した旨の連絡が来た。ここ数日旅行が続行できるかどうかで心の底からは落ち着くことのできない日々を過ごしていただけに、ようやく旅行が安心して続行できると、心からホッとした。

少し休んだのち、市街に買い物と夕食に出る。

ミヤザトインは市街中心部から少し離れた落ち着いた一角にあり、静かな滞在が楽しめる場所だが、エルカラファテの中心市街はガヤガヤしており、カジノなどもあって退廃的な雰囲気が漂っている。純粋に氷河観光の拠点として発達した街だからなのだろうか、ウシュアイアのように地元の人々が厳しい自然環境の中で生きているという雰囲気は薄く、あまり好感が持てなかった。スーパーでは2Lの水を1000ペソとちょっとで購入。その後直接本日の夕食をいただく予定のレストランへ向かった。

本日向かったのはMi Ranchoというレストラン。

中心市街とミヤザトインのちょうど中間地点あたりにあり、比較的落ち着いたエリアに位置している。ウシュアイアの素晴らしいレストランSalitreと比べるとやや高いが、パスタを中心として色々なメニューがそこそこリーズナブルに揃っている。

本日はカニのパスタを注文。カニのパスタというので、カニの具の入った麺パスタを想像していたが全く異なり、カニフレークの入った餃子状のパスタにクリームソースがかけられ、色とりどりの花で装飾されている。予想とは違ったがとても美味しく、お腹がいっぱいになった。

Mi Ranchoは雰囲気の良いレストラン。カニのパスタもおいしい

さて、明日はペリトモレノ氷河の観光に向かう。アルゼンチン側パタゴニアの観光地としてはあまりに有名であるが、実際のところどんな感じだろうか。