Le Chèvrefeuille

世界は遊覧、思い出の場所であり、われらは去りゆく者

マダガスカル(5) アンダヴァドアカと不思議なバオバブ

7/1

朝7時ごろ出発

マンジャ

アンドンビリー村のバオバブ(空洞のバオバブ、妊婦のバオバブ、聖なるバオバブなど)

ムルンベにて昼食

ムルンベ→アンダヴァドアカ

バオバブ群生地で夕日

Laguna Blue泊

 

 

本日は朝少し早く起床し、ムルンベを経由してアンダヴァドアカへ向かう。

ムルンベ周辺の地域は石灰岩質の土壌。バオバブ並木で有名なレニアラ(グランディディエリ)であるが、このバオバブは水はけが良い塩基性の土壌では幹が顕著に肥大し、まるで樽のような特徴的な形になる。これを一部の旅行会社では「太っちょバオバブ」などと表現している。本日は聖なるバオバブや妊婦のバオバブなどで有名なアンドンビリー村を経由し、小さな港町ムルンベにて昼食。その後アンダヴァドアカに向かい、太いバオバブの立ち並ぶ夕景を堪能するというプランである。

6時半に朝食。朝食は昨日の夕食と同様、そっけない見た目のパンとスクランブルエッグである。朝食をとり、朝のまだ暖色の日差しの中7時にはKanto Hotelを出発した。

朝のマンジャ市街

マンジャの町からしばらくは舗装された快走路をゆく。ちょっとした高台にあるマンジャから緩やかな下り坂を下っていく。バオバブの散在する落葉樹林に、薪集めなど日々の生活をを営む住人の景色が見える。

 

特に変わり映えのしない景色を1時間ほど走ると、大きな川のほとりについた。ここでしばらく待機。川のほとりは砂浜になっており、少年くらいの年齢の住民がたくさんいる。ガイドはこの若者たちと何か話をしている。ここは本来フェリーで川を渡るが、フェリーの時間がちょうど微妙であるらしく、住人たちの営業する筏で川を渡るために、価格交渉をしているそうだ。

川のほとりについた

川辺には多くの人がいる。カヌーの船頭か?

筏といっても木製のカヌーを6隻程度横並びにしてつなげたものの上に木製の板を貼った簡素なものだ。これで川を渡るのかと思うと、少しソワソワする。

車は木製の筏に乗り、川を渡る

地元の青年の先導のもと、車はゆっくりと筏に乗り込んだ。船を漕ぐ多くの地元の青年に囲まれ、私たち一行は車の中から景色を眺める。ガイドはいう。

「最初は40万アリアリとかなりの値段をふっかけて来ました。価格交渉をして結局10万アリアリになりましたが。」

「この辺りの住人は皆アフリカ系でしょう。我々はインドネシア系です。この国にはインドネシア系とアフリカ系の間で問題(軋轢)があります。そういうこともあって(筏の)値段をふっかけて来たのでしょう」

マダガスカルは紀元前後(諸説がある)にインドネシア系の人が最初に上陸し、その後アフリカ系、アラブ系の人々が移民して、現在の形になったと言われている。インドネシア系のメリナ王国がマダガスカルを統一し、フランスに植民地化されてその後独立し現在に至るわけだが、メリナ王国のマガダスカル統一という経緯もあって国の中枢はインドネシア系の人々が占めてきた。したがってアフリカ系とインドネシア系の間には見えない摩擦が存在するそうだ。ガイドは「マダガスカルには主に十八の部族が存在する」といっていたが、このような問題に目を向けることもまた、旅行する重要な意義の一つだと思う。

川の水深はそこまで深くなく流れも穏やかで、舟漕ぎが時折川底を突いて筏を操作しながら、10分程度で川を渡り終えた。ガイドはカヌーの運航会社と思しき人の連絡先を訊いたのち、川辺を離れる。川を渡ったところには運河と小さな集落があり、バオバブが花をつけていた。

運河と集落

ここで舗装道路から分かれ、ムルンベへ向かう未舗装道路に入る。

この道路は先ほどの運河とほぼ並行している。次第に植生が変わってきて、時折棒状の長い枝とたくさんの鋭い棘を持つ植物が現れた。これはカナボウノキ(ガイドはタコノキと言っていたがタコノキは小笠原諸島に自生する植物なので勘違いだろう。棘を取り除いて建築材料として使うそうだ)Didierea madagascariensisであり、マダガスカルの固有種だそう。ムルンベからトゥリアラにかけて、降水量の少ないステップ地帯に自生する。

未舗装路へ入る

運河に沿って畑が広がっており、畑の向こうには高い密度で自生するバオバブの林が見え、壮観だ。

畑の向こうに広がるバオバブ

畑地帯が終わると次第に落葉樹林の中を走るようになる。幹の極端に太くなったバオバブも見られるようになってきた。メイン道路から外れ、アンドンビリー村へ向かう。もはやどれがどこへ向かう道なのかよくわからない未舗装の轍を車は走っていく。まずは中が空洞になったバオバブに到着した。

空洞のバオバブ。なんだか秘密基地のようだ

このバオバブは中が腐ってしまい空洞になったものだが、バオバブ自体は生きている。表面の四角い傷跡はかつて近隣住民が樹皮を建築材料に使ったため。最近はバオバブを建築材料として使うのは禁止されているらしい。中は人が十人程度は入れそうな空洞があり、雨季は雨宿りの場所としても使われているらしい。

さらにカナボウノキが優占する見慣れぬ景色が広がる林の中、交錯する轍の中を進む。3兄弟のバオバブや、フラミンゴの休憩する湿地帯など、みていて飽きない。

カナボウノキの森と沼地のフラミンゴ

少しひらけた白砂の広場を進むと、妊婦のバオバブが現れた。まるで妊婦のような、太ったお腹のような幹が印象的なバオバブだが太い。

こちらは妊婦のバオバブ

車は近隣にあるアンドンビリー村に向かい、村の住人を車に乗せて案内を頼んだ。この辺りは道が交錯しておりわかりにくいらしい。アンドンビリー村にはかつて聖なるバオバブという巨大なバオバブがあったが、落雷により枯死。その後バオバブの探索が続けられ、森の中に大きなバオバブが見つけられた。今はそのバオバブが聖なるバオバブとして崇められているらしい(この辺りの経緯は他のいくつかのブログにも記載されている。参照されたし)。

森の中をしばらく進むと、直径10mはあろうかという巨大なバオバブが現れた。

村の住民は、ガイドの持ってきたウイスキーやタバコなどの供え物を木の下に安置し、何か祈りを捧げている。私はあまりの巨大さに圧倒されながら、日差しが強いのでバオバブの木陰に移動しつつ、写真を撮っていた。

こちらは「聖なるバオバブ」。人の大きさと比べてみて

再び交錯する道を時折迷いながら、元来た道を少し戻る。

ここからムルンベまでは明るい感じのする林の中をいく。しばらくすると開放的で広い通りを持つ、ゆったりとした雰囲気のムルンベの町に至る。ここで本日の昼食。地域の大衆食堂的なところで、ガイド・ドライバーと共に昼食をいただく。

ムルンベは明るくのんびりした雰囲気の町
ローカルフードを食する

食事はご飯に豆のスープ、そして手羽先。手羽先の味付けはとてもよかったのだが、可食部がとても少ない。4500アリアリと、今まで食べた昼食の中では群を抜いて安い。本来地元民の食べるご飯の値段はこの程度なのだろう。風通しのいい店内からは、時折飼育しているアヒルの鳴き声が聞こえる。

ぶっきらぼうな店番のおばさんに会計をしてもらい店を出た。

レストラン

ここからは明るい感じの林が続く。時折林が途切れ、大きな干潟や飛行場などが現れる。干潟では漁や建築材料となるガマの刈り入れなどを行う、人々の暮らしが垣間見える。

時折ガマやマングローブの茂る湿地帯が現れる

アンダヴァドアカに近づいてくると、湿地の向こうに不思議な格好をしたバオバブがたくさん現れた。

 

このバオバブ密生地で夕陽を眺めるそうだが、一旦アンダヴァドアカの村に向かい、再び地元の人を乗せて、近くのバオバブの林に向かう。村では元気な少女たちが手を振ってきた。服はぼろだけど表情は明るく楽しそうだ。この辺りの集落の家々は泥や日干しレンガがあまり使われておらず、木の枝と豊富に取れるガマを利用して建てられた簡素な家が並ぶ。くすんだ褐色の家々が並ぶさまは大変可愛らしい。

集落で出会った子供たち

村人の案内で、今は使われていない飛行場などがあるなだらかな起伏の荒地の中につけられた未舗装路をいく。以前あった道が通行止めになったりしており、地元の人ですら何度か道を迷っていた。コブウシの群れを横目に見つつ薄い踏み跡のある荒れた湿地帯を進み、ようやくバオバブの林に到達。

道なき道を彷徨う

この辺りのバオバブは冒頭で紹介した通り石灰岩質の土壌による太短い姿が印象的だ。コロナ前には盛んにツアーが訪れていたらしいが最近はツアーがほとんど来ないため、木々を散策する歩道は踏み跡が消え、灌木が生い茂っていた。この林の中には“縞模様のバオバブ”もあったそうだが、残念ながら到達できず。

バオバブ林にあった遊歩道は荒れてしまっており、あまり近づけない

車は元来た道を戻り、湿地帯のほとりにあるバオバブの密生地に戻ってきた。日差しは少しずつ傾いてきているが、ムルンダバのバオバブ並木と違ってツアーの車は我々と、我々が到着してから10分ほど後にやってきたヨーロッパの観光客のみ。合わせて十人程度しかいなかった。湿地帯には厚岸草が生い茂っている。バオバブの林に少し入ってみると、まるで砂漠の中のオブジェのような不思議な形の巨大な木々が並ぶ、シュールな景色が広がる。

まるでオブジェのような不思議な形の木々が並ぶ

フランス人の真似をして雷に打たれて燃えてしまった柔らかいバオバブの木の上に登ると、ふと短い格好をしたバオバブの群生に沈む夕陽が素晴らしい。調子に乗っていると携帯がポケットからこぼれ落ちて灰の中に埋もれてしまった。慌てて取り出したところ携帯はすっかり灰色になってしまったが、灰を拭うと携帯自体は壊れておらず、ほっとした。

フランス人は既存の道から外れて林の奥深くまで散歩していて自由な感じだが、バオバブの幹に文字を刻みつけているのはマナーが悪いなあ、という感じだった。一部のバオバブには完全ではないが縞模様が見られる。これは見た目は美しいが、樹皮の病気らしい。

不思議な形のバオバブ林の中に日が没していく

しばらく日が没する光景を楽しんだのち、本日のホテル、Laguna Blueへ向かう。

Laguna Blueは海のほど近くにある小綺麗なコテージ風の宿。食堂のある母屋に入ると、窓の向こうに紫色に染まる美しい夕陽が見え、とても感動的だった。振り返るとマダガスカルで一番心に残った景色は、このLaguna Blueにチェックインしたときに目にした、赤紫色に染まった水平線といっても過言ではない。

宿の調度品の美しさとあいまって、赤紫に染まる水平線が印象的だった

オーナーのおばさんはイタリア人で、英語とイタリア語訛りのフランス語が話せる。ウェルカムドリンクはオレンジジュース。疲れた体にフレッシュな甘みが最高に美味しい。チェックインし、自分のコテージへ。しばし休憩し、夕食。

日が沈んでいく

本日の夕食は、ガイドとともにいただく。イカや魚のグリルといった海鮮が中心だ。スタイルのいい現地人スタッフが美味しい料理を持ってきてくれた。せっかくなのでマダガスカルのローカルビールTHBを注文し、ガイドと共に乾杯。

夕食は海の幸がメインでおいしい

ガイドからはどのように日本語を勉強したのかなど、さまざまな話題について話した。ここのLaguna Blueは日本人の団体観光客がよく利用するらしい。コロナ前はアンダヴァドアカのバオバブやサザンクロス街道を組み合わせた日本人ツアーもあったようだが、最近は減っているそうだ。あまりプライベートについて根掘り葉掘り聞いてくる感じがなく、好感の持てるおじさんである。

部屋に戻る時に空を見上げると、南十字星を抱いた美しい天の川が見えた。

ああ自分は今、南半球にいるんだな。

天の川がくっきりみえた

天の川といえば太陽系の属する銀河として有名だが、この天の川銀河はただの渦巻銀河ではなく棒渦巻銀河だそうだ。天の川の淡い光を覆うように雲状の暗黒星雲が見える。南十字星の近くにある顕著な暗い領域は石炭袋とよばれる暗黒星雲である。たくさん写真を撮ったが、後から見返すと10秒露光の写真ではどうしても手ブレが出てしまう。それでも最近のiphoneではずいぶん美しく星空が撮れるものだと感動した。

思えば地球という惑星は私がそのすべてを知るにはあまりにも大きすぎ、しかしその私にとって大きすぎる地球というのは銀河のシミのような存在にすぎない。そんな小さなシミについた小さなゴミが、直径10万光年という壮大な銀河の遠景を今、ぼんやりと眺めているのである。そしてその銀河もまた、宇宙のスケールからすればシミのような存在にすぎない。

自分っていったい何なんだろう。そして人というのはいったい何なんだろう。自然の壮大さというのは、そのような「存在への問い」を否応なく提起してくる。言葉ではなく、壮大な銀河という存在そのものが発する、小さな存在への無言の問いである。そしてその無言の問いに対して、私はこうしてブログに書いているように饒舌な答えを用意するしかないのだけど、どれほど饒舌な答えを用意しても、私の力ではこの世界の片鱗すら言い表すことはできないのである。

自然は人間社会の喧騒の中ではその存在感をひそめているが、人々の存在がまばらになった時、静かに自然はその美しくも恐ろしい存在感を表してくる。むしろ、人間は壮大な自然の景色が否応なく問うてくる「存在への問い」の恐ろしさから目を背けるために町を作って集まり生活しているのではないか、とも思えてきて、そう考えると人間というのも愛しい存在だなあと思うところもある。しかし私は自然の訴えてくる「存在への問い」に向き合うのがむしろ好きで、大学生の頃はヒトの疎らな山の中を毎週のように歩き回っていたこと、そしてその中で自分自身のアイデンティティを確立させていったことを、久しぶりにはっきりと思い出した。自然は私の生みの親であり、育ての親でもある。

 

部屋に戻ってシャワーを浴びるが、シャワーやトイレは屋外になっている。残念ながら近くにアリの巣があるらしく、アリの通り道になっており大量のアリが沸いていた。これもまあ、自然が近いということではあるのだが、遠いマダガスカルの地で蟻に噛まれて謎の病気になってもかなわんので、持ってきたおすだけベープを床付近に1吹き撒いておいたところ、数時間後には蟻の亡骸の山になっていた。ピレスロイド系殺虫剤の威力と残留性には驚かされた。