Le Chèvrefeuille

世界は遊覧、思い出の場所であり、われらは去りゆく者

ペルー・ボリビア(0) プロローグ

 

インカ帝国、クスコ、マチュピチュ、ラパス、チチカカ湖

海外旅行が好きな人なら、これらのキーワードに反応する人は多いだろう。ペルーやボリビアは必ず訪れてみたいと思うはずの場所である。そういう私も、険しくも美しい山岳地帯とそれに抱かれた人々の生活が調和するインカの地を訪れることには強い憧憬の念を抱いており、何年も前からペルーやボリビアを訪れる旅を計画してきた。

昨年2月にペルー・ボリビアを訪れる計画を立てていたのだが、残念かつ不幸であることに、計画の目玉となるはずであったチチカカ湖周辺においてデモが暴徒化し治安が悪化したため、代替としてメキシコを訪れることになってしまい、訪れることはできなかった。もちろんメキシコ旅行自体は素晴らしい訪問となり、収穫も多かったが、どうしても本命でない感が自分の中で否めなかったのも事実である。今回は捲土重来を期し、前回の12日の計画には入っていなかったアレキパの訪問を追加して、14日の日程とした。

大まかな旅行計画は以下の通りである。

 

1日目 成田発

2日目 米国経由

3日目 リマ→アレキパアレキパ

4日目 アレキパ

5日目 アレキパ→クスコ→オリャンタイタンボ→マチュピチュ

6日目 マチュピチュ観光、クスコ泊

7日目 クスコ泊

8日目 クスコ→プーノ、プーノ泊

9日目 ウロス島観光、ウロス島

10日目 プーノ泊

11日目 プーノ→コパカバーナ→ラパス泊

12日目 AMティワナク遺跡観光、ラパス泊

13日目 AMラパス観光、PMラパス→リマ→

14日目 米国経由

15日目 成田着

 

かつて「海外旅行に関するメモ」で書いたように、ペルーの観光の目玉は主にクスコやプーノなどの南部地帯、リマやイカ、ナスカを中心とする南部海岸地帯、そしてカハマルカ、チャチャポヤスを中心とする北部地帯に分かれるが、ペルーは見どころが多すぎて15日の日程ですら観光地を全て網羅するのは不可能であるため、優先度のより高いペルー南部〜ボリビアに計画を絞った。アタワルパ終焉の地カハマルカやチャチャポヤス、そして車窓がダイナミックで美しいと評判のカハマルカ〜チャチャポヤスをバスで結ぶ路線もぜひ訪れてみたい素晴らしいものだが、これはエクアドルと組み合わせていつか再訪したいと思っている。

アレキパを2泊としたのは、もちろん白い岩でできた美しい街並みを堪能することも目的だが、標高2000メートル程度の都市に2泊することで、少しずつ標高を上げ、高地に順応することが目的でもある。マチュピチュやクスコについては、概ね旅行会社の提示したモデルプランに従っているが、9月はギリギリ乾季ということもあり、オリャンタイタンボからマチュピチュへの移動の際に、白く美しい景観で有名なマラスの塩田に訪れる、などのアレンジも加えている。アレキパやクスコで半日ツアーに参加するか、1日のんびり市街観光を楽しむかはまだ未定で、そこは敢えて現地での偶然との邂逅を楽しむのもアリだと思っている。最後の2日は世界最高の標高を有する(実質的な)首都ラパスで、イリマニ山を背後にすり鉢状の盆地に煉瓦色の家々が織りなす素晴らしい景色は、今回の旅行のフィナーレにふさわしいと考えている。

 

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今回の旅行にあたって、スペイン人宣教師でありながら先住民の権利保護のために奔走したラス・カサスの「インディアスの破壊に関する簡潔な報告」、そしてインカ皇帝の末裔が高い倫理観を持った父親であるインカ皇帝のマンコ・インカが狡猾なスペイン人によって追い詰められ最後を迎えるまでが描かれたものとして貴重な史料、ティトゥ・クシ・ユパンギの「インカの反乱」、そしてかつてペルーを訪れた知人から借り受けたサディ・マリア・ネグロン・ロメロ氏の「ペルーとマチュピチュへの誘い」を読み、現地で対峙した歴史的建造物や遺跡などからより多くの情報を得られるよう予習に努めた。メキシコ旅行で設定したテーマにも通底するものがあるが(下記記事参照)、インカ帝国とその滅亡そしてその後のスペイン人支配の歴史は、人類の業の深さと愚かしさ、強者により繰り返される弱者の搾取、倫理が低いものほど得をする社会、といった、さまざまなテーマについて深く考えさせられる、示唆に富んだものである。かつてインカ帝国であったペルー・ボリビアを訪れ、今なお暮らす現地人の生活や精神に触れること、そしてスペイン人が彼らに何をもたらし、何を奪ったのかを実際に自分の目で確かめることが、今回の旅行の最大のテーマである。

 

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この2年間ほど、ようやくコロナも終わり、自分に合わない業務から解放され、比較的充実した時間を送ることができた。以前から私が憧れていた国のうち多くに訪れることもできた。これは本当に運が良かったことだと思うが、その一方で、このために今まで苦い思いをして、時に涙し、時に歯を食いしばって生きてきたのだと思っているし、これが身の丈に合わない幸せだとは、決して思っていない。

この旅行を以て、私に与えられた短い人生のモラトリアムもいよいよ一つの区切りとなる。

海外にただ憧れる大学生のような無知に由来する無邪気さではなく、「世界史や地理、地学や生物などの知識を生きたものとして実感する大人のフィールドワークこそが海外旅行の醍醐味」とかつて自身で述べた(残念ながら自分で忘れてしまっていたが。記録に残すことの重要さを感じる)コンセプトに立脚した旅行を実現できるように、それなりに力を尽くし、日々少しずつではあるが学びを続けてきたつもりである。それに相応しい旅行となるだろうか。

アンデスの自然とそこに生きる人々から、何か大切なものを学び取ってこれるように、全力を尽くしたい。