Le Chèvrefeuille

世界は遊覧、思い出の場所であり、われらは去りゆく者

パタゴニアとイグアスの滝(0) プロローグ

新年の挨拶

明けましておめでとうございます。

そして当ブログを読んでくださりありがとうございます。

さて、1/27よりチリ・アルゼンチン(+ちょっとだけブラジル)の旅に出ます。そのプロローグをば。

 

パタゴニア

かつて無知で英語を話すことができず、海外旅行に一人て行くことなど考えられなかった高校生の頃の未熟かつ未完成な自分は、世界地図を眺めるのが趣味のようなものだった。

その時に地図でふと目が行ったのが、南米最南端のエリアである。また当時植物が好きだったので、高校の図書館で植物図鑑もしくは世界の絶景図鑑などを読み漁っているうちに、パタゴニアの荒々しい自然の写真に到達し、その荒涼とした景色に圧倒されたものと記憶している。インターネット黎明期の頃に他の方の書かれていたホームページでパタゴニアの自然や旅行記を読んだりして、遠く離れた異国、まるで想像もつかない隔絶の地に、憧れの気持ちが募るばかりであった。

プンタアレーナス、ウシュアイア… 調べてみると人の住みうる大地は南半球では南下するほど減っていき、南緯40度をこえるのは南米と南極以外にタスマニア島ニュージーランド、そしてケルゲレン諸島のみとなり、南緯50度をこえる大地は南米最南端のこのエリアと、他にはサウスサンドウィッチ諸島、そして南極大陸くらいしかない。この地域はまさに文字通り、「地の果て」である。

このように、パタゴニアというのは高校生の頃から、私にとって特別な思い入れがある場所であった。

 

人類の到達点

このパタゴニアという地域は、地理的な意味での地の果てというだけではなく、大航海時代以前に人類が到達した場所としては最も遠い場所という意味でも、特別感がある。

エチオピア周辺のアフリカ大陸の高原で生まれたと言われている人類は、その一部が氷河期に陸地となっていたベーリング海峡を渡り、北米からパナマ地峡を通って南米大陸に到達した。さらに一部の集団は南米大陸を南下し、南米最南端の地、Tierra del Fuegoに到達した(その末裔がヤーガン族である)。その旅路は数万キロメートルという途方もない距離である。この途方もない旅路の末に人類が見た景色を目にすることには、何か大きな意味があるような気がしていた。

 

困難と憧憬

この地の果ては日本からは最も遠い地域の一つであり、行くのには片道で30時間以上はかかり、長い休みを取らないと近づくことはできない。この地を踏むことはかつての自分にとって憧れであると同時に、実現不可能にも思われた夢だった。

それから何年も経ち、語学を身につけ、未知の国に足を運ぶうちに、興味関心の軸足はこの世界にどういう人々が暮らしているのか、どういう文化があるのか、自分が立っている人間世界はどのようにして現在に至っているのか、自分は人間についての何を知っていて何を知らないのか、そういうことに移っていった。それは、かつての思春期特有の閉鎖的で刺々しく、人との交流を恐れていた臆病な精神からの円熟という単純な解釈もできるのかもしれないが、大人ならではの社会性を身につけ、英語をはじめとした外国語を身につけたことによる、他人との交流に要するストレスもしくはコストの減少というものが、大きく影響しているのだろう。しかしその分かつての純粋さや青々しさは、幾分減じてしまったのかもしれない。それに応じて自然の美しさを純粋に追求するよりも文化や現地の人々の生活に対する理解を深めるような旅行を志向するようになり、最果ての地という響きに対する漠然とした憧憬は薄れていき、南米最南端の夢は頭の片隅に追いやられていった。

しかし、長いコロナ下での幽閉を経て、身の回りの環境も安定したので、ようやく長い休みを取って旅行に行くことができると思いふと世界地図を紐解いた時に、オタマジャクシの長い尾のようなパタゴニアの地形が目に入った。10年以上前に思い描いた旅が、ふと頭によぎった。2月に長い休みを取ることは困難だと思っていたが、今私はそれが可能な環境にいる。条件は整っている。いよいよこの地を踏む機が熟した、いや、「この地に行くべき時期を迎えた」のだと思う。

パタゴニアは観光できる季節が限られており、シーズン中は混雑が予想されることから、ちょうど半年ほど前となる8月ごろから手配を開始した。しかしながら旅行業界はコロナ明けで海外旅行に行きたい人で蠢いていたらしいことと関係があるのかは知らないが、何個か手配先に連絡を取ったものの動きが遅かったり条件が合わなかったりして時間がかかり、結局本格的に話が進んだのは10月中旬からになってしまった。特にチリ側の手配にあまりに時間がかかることに辟易したので、宿泊とチリの区間は自分で手配することとし、アルゼンチン側のみの手配を旅行会社にお願いした。

チリやアルゼンチンではそれなりにインターネット予約システムが発達しており、飛行機やホテルの手配にそれほど困ることはなかった。一番懸念されたプンタアレーナス→ウシュアイアのバスは、偶然にも自分が移動する日にインターネットで予約できるタイプのバス会社が運行していたため助かった。

 

気候と治安

観光に訪れるエリアが広大なため、一概には書けないものの、サンティアゴは地中海性気候(Csa)。気候を生かしたワインの生産が有名である。南下するにつれて気温が下がり、冬季の乾燥が和らいでくる。プエルトモント、プエルトバラスは西岸海洋性気候(Cfb)に相当する。

プンタアレーナスやウシュアイアは西岸海洋性気候ではあるものの、最高気温が10度を超える月がほとんどなく、Cfcというかなり特殊な気候区分に属する。これはアイスランドやアラスカの一部で見られるようなかなり珍しい気候で、ツンドラ気候に近い。

ブエノスアイレスは高校の世界地図でよく取り扱われるように、東京とほぼ真逆の温暖湿潤気候(Cfa)になる。イグアスの滝付近も同様にCfaに属するが、どちらかというと熱帯雨林気候に近く、黄熱病の発生地域でもある。今回は黄熱病ワクチンを接種し、万全を期した。

南米は基本的に治安にはそれほど期待しない方がいいと言われているが、チリは特に南米では治安が比較的良い地域として知られていた。しかし情報を集めてみると、2023年に首都サンティアゴでひったくりや集団での追い剥ぎにあったという情報が複数得られ、治安の悪化も懸念される。どの地域も全く油断はできない。気を引き締めて行くことが必要である。

 

旅程

今回の旅程は以下のようである。(2024/1/27-2/11)

1日目 成田発 ヒューストン乗り継ぎ

2日目 サンティアゴ観光、サンティアゴ

3日目 プエルトバラスへ移動、プエルトバラス泊

4日目 チロエ島観光ツアー、プエルトバラス泊

5日目 プンタアレーナス泊

6日目 プンタアレーナス泊(±ペンギン島ツアー)

7日目 バスでウシュアイア、ウシュアイア泊

8日目 世界の果て号・ビーグル水道クルーズ、ウシュアイア泊

9日目 飛行機でエルカラファテへ、エルカラファテ泊

10日目 ペリトモレノ氷河観光、エルカラファテ泊

11日目 エルカラファテ泊(±パイネ国立公園orフィッツロイ)

12日目 プエルトイグアスへ移動、プエルトイグアス泊

13日目 イグアスの滝観光、ブエノスアイレス

14日目 ブエノスアイレス夜発

15日目 ヒューストン乗り継ぎ

16日目 成田着

 

全体的に余裕ある日程とし、体力的にも無理のない旅程を組むことを心がけた。また、パタゴニアのメインとなるアルゼンチン側だけでなくチリ側にもかなりの日数を割き、この地域に対する理解を深めようと試みた。本当は先住民比率が高いテムコや、まるでバオバブのようなナンヨウスギの一種が生い茂るコンギジオ国立公園を擁するアラウカニア地方に行きたかったが、テムコには見どころが少なく、またコンギジオ国立公園行きの現地ツアーをほとんど見つけられなかったので諦めた。アラウカニアとこの地域に住むマプーチェ族はチリという国の歴史において重要な位置を占めるので、いずれ本編でも触れていこうと思う。

プンタアレナスのペンギン島ツアーは午前のみのツアーで、とりあえず申し込みはしてあるものの、疲労が溜まっているようであれば前日にキャンセルし、ホテルでゆっくりしようと思う。

本来はイグアスの滝に行くつもりはあまりなかったのだが、わざわざアルゼンチンに行ってイグアス滝に行かないのはただの損失であるような気がして、行くことにした。そして当初はアルゼンチン側のみの観光をするという旅程であったが、わざわざイグアスの滝に行ってアルゼンチン側のみの観光をするのもなんだか勿体無いと思い、既存の手配に含まれていたアルゼンチン側のみのツアーをキャンセルし(すでにキャンセル料は100%だったが)、個人手配でアルゼンチン側とブラジル側をどちらも観光する終日プライベートツアーを予約した。

イグアスの滝を訪れることにしたため、残念ながら最終日の夜ブエノスアイレスでタンゴショーを見ながらゆっくりすることはできなくなってしまったけど、それほど後悔はない。

旅程は今まで自分が計画したものの中では最も長い、13泊16日である。無限に時間のある学生やバックパッカーを除けば、現実的に取りうる休みの中では最も長い部類だと思う。

 

最南端の大地は、一体どのような姿を見せてくれるだろうか。今の自分は、おそらくかつての自分が見ている景色とは違うものを見ている。最果ての地は現在の自分にどのような感情を湧き起こすだろうか。何米最南端の地に憧れて半生、ようやく実現する計画に、身が引き締まる思いである。