Le Chèvrefeuille

世界は遊覧、思い出の場所であり、われらは去りゆく者

メキシコ(0) プロローグ

コンキスタドールと聞いて、どのような人物を思い浮かべるだろうか。未開拓の大陸を文明化した英雄を思い浮かべ、大航海時代のロマンに思いを馳せる人は、きっととても多いに違いない。

コルテスとピサロ

初めて世界史を学んだ時から、スペインをはじめとしたヨーロッパ諸国が南北アメリカ大陸を征服していく歴史には強い違和感があった。

先住民たちを巧妙に騙し、金(gold)を差し出させるために帝国の王を捕らえ、拷問を仕掛けた。彼らを歓迎した先住民もいたが、約束を守ることなく彼らを無惨に殺した。先住民たちが元来持っていた彼らの信仰という心のよりどころを破壊し、自らが正しいと信じて疑わないキリスト教という怪しげな信仰を平気で先住民に押し付けていった。

初めてこの史実を知った時、私は憤慨した。

異文化に敬意を払わず、金(gold)を手に入れるためなら手段を選ばない醜悪なほどの強欲さ、自分たちの論理を平気で他民族に押し付ける傲慢な思い上がり、彼らを奴隷のように使役し自分の私服を肥え太らせる倫理観の欠如、そしてキリスト教という宗教のもとに自分たちの悪行を正当化しようとする独善性は、まるで人間の悪い性質の煮凝りのようで、あまりの醜悪さに呆れ果て、激烈な怒りで夜も眠れなかったことを覚えている。

特にコルテスとピサロが、アステカ王国インカ帝国を征服していく歴史がまるでスペインの栄光時代の証のように語られていることが奇妙で仕方なかった。先住民の国、文化的基盤に対して、一切の敬意を払うことなく、無惨に破壊し、歴史の闇に葬り去っていったコンキスタドールが、果たして崇敬を集めるべき人間であるのか強い疑問を覚えた。

弱肉強食という「自然の摂理」

悪貨は良貨を駆逐する。善良な人間はより知恵のある者により一掃される。コンキスタドールによるアメリカ先住民の征服は弱肉強食とか適者生存という言葉で切り捨てられる類のものなのかもしれないが、その言葉は同時に、弱者への心あるまなざしの欠如でもあるように見える。

弱肉強食とか適者生存はこの世の定めだから、強いものは征服し、弱く頭の悪い人々が滅びゆくのは当然である。そう鼻息荒く捲し立てるのは大抵、強い立場の人間である。そしてたいていの場合彼らは、強い立場になる土壌を周囲に用意してもらい、運よく強い立場に上る機会を得ただけにも関わらず、弱いものを無価値なものとして見下し、鼻で笑う。その思想の貧困さには呆れざるを得ない。そもそも人間自体が弱い生物で、一人では生きていけないから社会という人工的極まりない相互扶助組織を作ったわけで、その人工的組織の中で自然の摂理を偉そうに云々すること自体論理的整合性がないという点も含めると彼らの知性の程度が知れ、二重に目も当てられない。ただ自分の立場を正当化し、弱者を見下し足蹴にすることを理論で補強するだけの人間に、私はなりたくないと願う。

私自身それほど体が丈夫なわけでもないし、どちらかというと人に守られて生きてきた弱い人間なので、できることは少ないかもしれないが、先住民の現状を知り、文章にすることで少しでも彼らの助けになればと思って、この文章を書いている。そういう側面もあるかもしれない。

太陽と月

ペルーやボリビア、メキシコは先住民の人口比率が多いことで有名である。先住民とはまさに、インカ帝国アステカ王国、マヤの諸王国の栄華を築いた人々の末裔である。

アステカ王国インカ帝国は、車輪、鉄の製造技術を持たない国々であったという。(アステカやインカは文字を持たなかったが、マヤ文明には文字があった。現在はほぼ解読されており、マヤの歴史が少しずつ明らかになってきているという。)彼らはおそらく自分の与えられた天分に背くことなく、ある民族は生贄となり、ある民族は農耕を行い、慎ましく生きてきたのだろう。彼らは良い意味で善良であったのだと思われる。そんな彼らの文明は、征服者によってあっという間に破壊されてしまい、今や被征服民として長らく長い辛苦の時代を生き続けている。

「原始、先住民は太陽であった。真正の人であった。今、先住民は月である」

平塚らいてうではないけれども、この言葉が非常にしっくりくる。今や月とされてしまった先住民の方々がどのように今を生きているのか、それが私は知りたかった。せめて、彼らがかつて栄華を誇った時代のように生き生きと、他人の後塵を拝し、卑しい地位に身を窶すことなく胸を張って生きていてほしい。それはつまらないわがままかもしれないが、私の願いというか、願望に近いものだった。

ペルーのデモ激化

そういうわけで、先住民が現在どのように暮らしているのか。どのような哲学を持っているのか。それを高校生の頃から、どうしても知りたかった。そこで、中南米でも最も先住民の比率が高いと言われるペルーやボリビアを12日間で横断し、なるべく陸路で移動する計画とし、チチカカ湖周辺など先住民色の強い地域の滞在を長くすることを心がけた。ペルーを目指す多数の人とはおそらく違うモチベーションではあるが、南米は以前からの憧れでありこの旅行を心待ちにしていた。

ようやくコロナ禍も終わり、待ちに待った旅行の2ヶ月前ほどになって、雲行きが怪しくなってきた。急進左派の大統領カスティージョ氏が大統領を罷免・拘束され、それに対するデモが過熱し、各地で激しいデモが止まらないという。道路や、マチュピチュを含む観光地の封鎖まで起きる始末で、さらに自分が観光の中心に据えたチチカカ湖周辺のフリアカやプーノ周囲で、最も激しいデモが行われているとのことだった。

いざメキシコへ

1ヶ月ほど様子を見たが、全く状況が改善する様子もない。無理をして帰って来れなくなっても問題なので、正直当初はペルー・ボリビアほどモチベーションが湧かなかった、メキシコに急遽計画を振り替えた。マイルが異常に溜まっており、消化したかったというのもある。しかしながら、ここ数ヶ月でメキシコについて詳細に調べるうちに、その文化や歴史、地理に関する知見を得ており、メキシコは知られざる観光資源とポテンシャルを有する国であることがわかってきた。したがって、メキシコに計画を振り替えた時にはすでにメキシコは自分の中でペルーやボリビアに劣後する存在ではなくなっていた。

 

旅程は、タラベラ焼きや美食で知られるプエブラを拠点に2日間、トトナカ族の伝統が色濃く残る美しい町(一説にはナワ族とも。どちらが正しいのか?)クエツァランを観光したのち、メキシコシティに戻る。メキシコシティは大きな都市で、見どころが散らばって一人では効率的ではないため、見どころを個人ガイドにて回り、メリダへ。メリダを拠点にチチェン・イッツァウシュマル、カバーといったマヤの遺跡を巡る、8泊10日の日程である。

 

コロナ禍の前、最後に海外に行った時から、すでに3年近くの日時が経過している。その間、自分を取り巻く環境は大きく変化した。再び開かれた世界は、いったいどのような表情を見せてくれるだろうか。