Le Chèvrefeuille

世界は遊覧、思い出の場所であり、われらは去りゆく者

アゾレス諸島とリスボン(11) エピローグ

久しぶりのヨーロッパ

ヨーロッパというと自分が幼少の頃は海外というだけで日本との違いに圧倒されていたものの、最近はヨーロッパ文化があまりに日本に馴染みがあるものであるため、また家族や伴侶を連れて行きやすい地域であるため今わざわざ訪れる意味を感じず、最近はあまり訪れていなかった。しかしヨーロッパといっても離島であれば話は別である。カナリア諸島マデイラ島なら日本語のガイドブックにもそれなりに情報はあるが、アゾレス諸島世界遺産が2つもあるにもかかわらずほとんど知られておらず、文化も自然も大変に興味深い地域だと思った。やはりある程度馴染みがない地域じゃないと新鮮味がない。

アゾレス諸島の旅行の計画は、コロナ禍の3年間のうちに温めていた計画のうちの一つである。あの3年間はひたすら鬱屈した日々を過ごしたが、その間少しでも希望を見出そうとガイドブックをたくさん買い、多くの旅行の計画を立てた。いまだに未実行のまま眠っている計画は数多く、その中には政情不安で断念したペルー・ボリビア12日間、今や内戦の影響でいつ訪れられるかもわからないダナキル砂漠やシミエン国立公園トレッキングを含むエチオピア2週間、そして高校生の頃から夢見ていたパタゴニア旅行などがある。マダガスカルも最近その独特な歴史や自然から興味を持っている。グルジアアルメニアアゼルバイジャン3カ国をめぐる旅や、セルジューク朝の遺産が色濃く残り重層的な歴史を感じるトルコ東部も訪れてみたい。こういった計画の中でアゾレス諸島は比較的地味な計画ではあったかもしれないが、比較的文明度が高く交通網も発達しているヨーロッパだからこそ比較的自由度の高い計画を立て、アゾレス諸島を満喫できた。

 

5つの島

今回はアゾレス諸島の9つの島のうち5つを訪れた。それぞれの島にそれぞれの個性があり、とても面白かった。メキシコやイラン、モロッコのような圧倒的異文化体験という感じではなかったものの、地質や自然、ポルトガル人入植から500年の間に育まれた文化は独特のものがあり、非常に興味深かった。

それぞれの島の詳細は旅行記の方に譲るが、天気に恵まれた島とそうでない島があり、残念ながら一部の島はあまり天気に恵まれなかった。また短い期間で多くの島をめぐったため、一つ一つの島の観光はやや薄味になってしまった部分もあるし、ここをもう少し深掘りして見たかったとか、この島にもう少し長く滞在したかったというポイントもある。それぞれの島についても大変感動したものから再訪するほどではないかな?と思うものまで様々であった。次回もし訪れる機会があれば、湾岸タワマンを除けば大変美しいポンタ・デルガダや多様な観光資源を擁するサンミゲル島、ワイン畑の印象的だったピコ島、そして今回天気にあまり恵まれなかったが自然の圧倒的な美しさを誇るフローレス島を訪れてみたい。フローレス島はまるで青ヶ島のような大きなカルデラを擁するコルヴォ島とともに訪れてみたいものだ。

 

ポルトガルと日本の未来

幾らかの記事で軽く触れたように、ポルトガル大航海時代からの短い期間ではあるが香辛料貿易や植民地からの莫大な利益で大いに繁栄した海洋国家であった。日本でもポルトガルといえばフランシスコ・ザビエルの名前やカステラなどのお菓子をはじめ、比較的日本文化にも影響を与えている国である。しかしながら現在そのポルトガルではかつての繁栄は見る影もなく、修道院などの宗教施設にその栄華の残香を感じることができる程度である。

ポルトガルがその繁栄を長い間維持できなかった理由として挙げられるのは、こちらも(9)で触れたように、莫大な富は宮殿や宗教施設の建設に浪費され、国民に投資されることがなかったこと、さらに元々人口のそれほど多くないポルトガルが植民地への移民で人手不足に陥ったこと。それよって繁栄を維持する人材が不足し、結局国は衰退してしまったということらしい。

この話にはどこか既視感を覚える。

日本に目を向ければ、現在は衰退の一途をたどっており、国民の間ではこれはもはや既定路線・逃れられない運命であるという諦観が広がっている。この国にはまだ可能性があると自分は思っているけど、人々(特に既得権益層)は沈みゆく船の沈没を止めルために努力する気などさらさらなく、崩れゆく足元の中でいかに今のシステムを維持して自身の権益を確保するかばかり考えていて、この国の将来はどうあるべきか、どのようにシステムを変えれば国を良くすることができるのかには全く興味がないように見える。

バブル崩壊のどさくさの中で改革を自称し、もはや理論的誤りが明らかな新自由主義を推し進め、無能な経営者を据え置いたまま有能な労働者をこき使い、日本経済の衰退を決定的にしてしまった。教育レベルは下がる一方で、少子化対策も最近になって追い込まれてからようやく重い腰を上げたという体たらくである。利率は異常なほどに低く据え置かれ、収益性の低い事業への無駄な投資が流行り、不動産価格は高騰し、その中でマネーゲームに興じる一部の人を除く大多数の国民の暮らしは困窮しているが、中央銀行や政府は見て見ぬふりである。

 

ポルトガルの現在は、日本の未来そのものなのではないか。

少なくともこのまま国とその周囲の利権が複雑に絡まり、動かしようのないほどに硬直化している現状を根本的に打開しなければ、そのような道を辿ることは必定なのではないか。そのように思わされる。

尤もポルトガルにはリスボン地震で崩壊した国の現状を冷静に見つめ、その復興に尽力した強力な宰相ボンバル侯爵のような人物がいた(かつての繁栄を取り戻すことはできなかったにせよ)。彼はもちろん賛否両論はあるが、既得権益層の貴族やイエズス会を追放し、理性的に国を建て直そうとした姿勢は評価できる。果たして日本にそのような強力なリーダーシップと理想を持つ指導者は現れるだろうか。カルト宗教と結託して権力基盤を維持し、既存の利権構造に金をばら撒いて統計を捏造し経済政策を成功に見せかけ、挙げ句の果てに銃殺されてしまった彼(もちろんあのような事件は決して起こってはならないということは当然の前提である)が未だに崇められる現状を見ていると未来を悲観せずにはいられないが、我々のすべきことは悲観することではなく、行動し新たな未来を創造していくことである。

ポルトガルの人々の明るくて優しく、そして素朴で気取らない人間性に触れると、国の栄華よりも大切なものなどいくらでもあると思うし、それを決して見失ってはならないと思う。しかしながらその一方で、そんなことを考えさせられた10日間でもあった。