Le Chèvrefeuille

世界は遊覧、思い出の場所であり、われらは去りゆく者

ドイツ人との対話

先日のパタゴニア旅行において、チロエ島ツアーでたまたま同席し、どういうわけか同じクレジットカード被害に遭い、謎に連帯を強化したドイツ人が現在日本に旅行に来ているというので、なんという偶然か東京で会うことになった。

 

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偶然WhatsAppを交換していたことで現地の警察にクレジットカード被害を届け出ることができ、奪われた金銭を回収する一助となったわけで、彼女は本当に私にとっては命の恩人である。カードの一件後、彼女とそれほど頻繁にコンタクトを取っているわけではなかったので、いつものパターンで関係がフェードアウトしていくのかと思ったが、どういうわけか今度は日本に来るということで、彼女に会うというある意味奇跡の再会が実現した。

 

彼女は千鳥ヶ淵で桜を見たのちに夕食を食べるということで、18時半に半蔵門駅で待ち合わせ。早速合流し、地下鉄で丸の内に向かい、丸ビルで適当な店を探して入ることにした。

結局お店は何回か入ったことのある酢重ダイニングにて。比較的奥の落ち着いた席に案内された。卵アレルギーが強いとのことで、卵が含まれていないメニューを選択し、注文。

今回彼女はチリを旅行したのちサンティアゴオークランドの長時間フライトを利用して直接ニュージーランドに飛び、北島と南島を旅行。ミルフォードサウンドを5日かけてトレッキングし、それは大変素晴らしかったらしい。日本旅行では広島の宮島、石見銀山、京都、城崎温泉を訪問し、本日城崎温泉から東京に来たとのこと。

彼女は弁護士の資格を持ち、法律関係の省庁に勤務しているそう。彼女の職場では年間30日の有給休暇を取得することができ、今回はサバティカル休暇ををフルに活かし、さまざまな国を旅行することにしたらしい。

 

食事をしながら、さまざまな話題で盛り上がった。

「今の日本はさまざまな問題を抱えていると思う。例えば窓の外に広がっている景色は一面高層ビルです。最近は古い街並みを破壊して高層ビルばかり建てることが流行っています。日本を伝統ある国だと思うなら、なぜ古い町並みを大事にしないのかと思います。ヨーロッパでは町並みが保存されているでしょう。なぜそのようにしないのか疑問です。」

「桜もそうだけれど、日本はとても美しい国だと思う。美しい国であるがゆえに、日本人はその美しさに無頓着なのではないかしら。」

今の日本にはさまざまな問題があると私は考えていて、政治参加に対する意識の低さ、民主主義に対する無理解、国民の内向き思考、外国人の排斥… 今や自民党(英語ではLDP)はフランスメディアでultra conservateur(超保守)と表現されるほどだが、日本人はそれにすらあまり関心がなさそうである。

「やはり日本は海に囲まれているというのが大きいと思う。ヨーロッパ、EU圏は常に人の出入りがある。EU圏ならどこにでも住むことができる。でも日本は海に囲まれているでしょう?英語ができないというのもあるし、外国と触れ合う機会がないから、どうしても外国人の本当の姿を知らない。それが排他性を増長させているのではないかしら」

「ドイツでも東ドイツと西ドイツで大きな違いがある。私が住んでいる西ドイツは比較的人々の往来があり自由な空気だけれども、東ドイツは閉鎖的で外国人を嫌がる雰囲気があるわ。もちろんそれは歴史的経緯によるものだと思う」

「排他的と言えば、旅行で出会うアメリカ人は皆民主党支持者なのよね。共和党支持者なんて出会ったこともない。(確かにアメリカは豊かな国だけど)あの国には多くの社会的問題があると思う。ドナルド・トランプを支持する人がいるなんて私には想像できない(けど、それを支持する人が実際かなりの数いるというのもまた事実である。昨年メキシコで出会ったアメリカ人やカナダ人がこれについて激論を交わしていた。下記記事を参照されたい。)」

 

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「私が驚いたのはチリの人々がベネズエラの難民についてよく思っていないということね。今ベネズエラは経済危機で難民が多く出ている。同じラテンアメリカなのに…」

彼女はアジア人にとって、アジア言語と全く異なる英語の習得は困難なはずだという。しかしながら、韓国人や中国人は英語を話すのに、日本人で英語を十分に話せる人は極めて稀だという。なぜ日本人は英語が話せないのか、疑問に思っているそうだ。

「やはり教育に問題があると思います。日本では英語を読むこと、書くこと、聞くことは学けど、スピーキングの練習はほとんどしない。この教育が英語を話せない日本人を産んでいるのではないでしょうか」

彼女に言い忘れたことだが、今から考えれば問題点はそれだけではなく、そもそも海に囲まれ外国人の少なかった日本人では、英語を話すことが人々にとって必要ではなかったというのも大きいと思う。

「英語に限らず、日本は自分の頭で考えるような教育をせず(そういう意味では教育の質が低く)、それが人々の視野を狭くさせ、(人々が学問に意味を見出さなくなるため)さらに教育の質が低くなっていくという悪循環に陥っているように見えます」

 

次にデモについて。最近の日本では規模の大きいデモが行われることは極めて稀だ。そのことについても意見を聞いてみた。

「私の住んでいる町ではパレスチナアフガニスタンの人がいて、パレスチナ支持のデモを当たり前のようにやっている。デモは民主主義の基本だし、デモが行われていることを通して為政者は国民の意見を知ることができる。自分の意見を表明すること、人と議論することは民主主義の基本だと思う」

「日本人は自分の意見を主張することを恐れているように見えます。そして地位が上の人を崇拝する傾向にあります(英語では説明しにくかったのだが、「目上」の立場の人間に文句を言ってはいけないと思い込まされている、と表現した。)」

「確かにそうかもしれない。日本人はおとなしくて従順と言うのもわかるわ。逆に、ドイツ人は口うるさすぎる、いつも文句ばかり言っているわね。日本の人々は笑顔に溢れている、良いところもたくさんある。でも、それ自体が欠点を生み出す土壌になっているというのもまた理解できるわ」

ドイツは多くの移民を受け入れているが、それについての考えも聞いてみた。

「移民自体を排斥する動きもあることは知っているけれども、私自身はEUには移民や難民を受け入れるだけの能力があると信じている。でも、そのために彼らは早くその国の言語を身につけ、社会の一員となる必要があると思うわ。ドイツに避難してくる人々が2年も3年も何の職にもつかずにいる状態は社会にとっても良くない」

そしてドイツ人の一人に一番聞いてみたかった問題について、質問をぶつけてみた。現在行われているガザにおける虐殺の問題である。ハマスに対するイスラエルの反撃はもはや反撃の度を超しており、少なくとも数万人と言われる無辜の市民を虐殺している。もし彼女がイスラエル支持であると話が大変ややこしくなるので少し勇気のいる質問ではあったがここはやはり聞かないわけにはいくまい。

「私はあれは不条理な虐殺だと思っている。イスラエルパレスチナに対して今までしてきたこと、そして今していること、あまりにもひどいと思う。だけど歴史的経緯から、すなわちドイツではホロコーストの歴史があるので、イスラエルを公に批判することは許されないのよ。(ネタニヤフはじめイスラエルが虐殺の批判をユダヤ人批判と敢えて混同させているのも)本当に卑怯だと思う。シオニズムユダヤ人は別のものだと思う」

 

さまざまな話題について話したが、最後に話したのは今まで訪れた国の話だった。

最も印象的だった国について尋ねてみると、

「それは決められないわね。どの国もそれぞれの良さがあった。例えば私はナミビアに(詳細は聞き取れなかったが、おそらく政府開発援助的な)仕事で訪れたんだけど、皆ごく僅かなお金で生活していることが伝わって来たわ。その時『足りるを知る』ということについて考えさせられたわね。ドイツ人はいつも文句ばかり言っているから。」しかし、現状に対して不条理を指摘し、声を上げることもまた大切なことだ。それができていないから今の日本は経営者が労働者を搾取し放題という環境に甘え、コストカットばかりで技術革新のための投資を怠り、その顛末が今の日本の凋落である。

「それもそうね。物事は何事も中庸が大事だと思う。」

そして印象に残った国についての話を続けた。

「アラスカでは、イヌイットの人々が非常に多くて、彼らと接するのは非常に興味深かった。グランドキャニオンの自然は圧倒的で非現実的だったし、チリのパタゴニアの自然も素晴らしかった。もちろんニュージーランドもそう。そして日本。とても1つには決められないわね」

私にとってやはり印象的だったのはやはり、まずはラテンアメリカである。ラテンアメリカでは音楽は人々の生活に根付いているのを実感した(こちらの記事に詳しく書いてある。興味があればラテンアメリカの音楽をお聞きください。)アメリカの空港を経由したが、米国の音楽は商業主義的な感じがして、心に響かない感じがするという話をしたところ彼女も納得していた。

 

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最後に最も印象に残った国の話をしてみた。そう、イランである。2016年2月のあの経験が自分の人生を変えたこと、自分の目で世界を見る必要性を痛感したこと、人々の文化への愛着、笑顔あふれる世界などなど、について話した。

彼女にイランの写真を見せてみたところ、彼女が一番驚いていたのは、イランの人々が皆笑顔で、幸せそうにしていたという点だった。

「もちろん欧米諸国から見たイラン像が100パーセント間違っているとは思いません。しかし人々が日々を楽しみ、文化的に暮らしているという側面も間違いなくあります。そのためにアメリカのビザを取得する価値は、十分あると思いますよ(もちろん半分ジョークだが。)」

 

彼女を東京駅まで見送り、彼女に厚く感謝の意を伝え、帰路に着く。

大変充実した時間になった。外国人との対話は刺激に満ちている。そして彼らと対話するたびに、新たな発見がある。これこそが海外との交流を持つことの醍醐味であり、海外旅行で得ることができたものの一つだと思う。

 

2016年にイランを訪れてからかれこれ8年になる。

 

あの時は英語なんてろくに話せなかった。8年後には外国人とさまざまなトピックで議論を交わせる程度の英語力を身につけ、外国人と食事をしつつ話すなどという機会を得ることになっていた。毎日語学を勉強する時は決して実感できないことだが、こうして成果として現れると我ながら感慨深いものがある。そしてそれはもちろん自身の日々の努力だけでなく、周囲の人々に恵まれたおかげだろう。努力の仕方を背中で教えてくれる人間が周囲にいたからこそ、日々倦まず学ぶという習慣の重要性が理解できたのは事実だと思う。

世の中にはさまざまな学びがあるけど、私の世界を最もドラスティックかつドラマティックに変化させたのは算数でも国語でも理科でも社会でもなく、外国というものの存在であり、そして外国語を学んだことだった。それは学ぶことによって今まで話すことのできなかった人と話せるようになり、今まで見ることのできなかった世界を見ることができるようになったからだと思う。そして広がった世界それ自体が、さらに世界の広さを教えてくれる。今は英語とちょっとしたフランス語、そしてカタコトのアラビア語程度しか使えないけれども、日々の積み重ねが劇的な進化を生み、さらに8年後には全く違う世界を見ているかと思うと、少しワクワクする。そしてそれこそが努力する意味で、生きる意味でもあるのだと思う。

 

最後に、日本を訪問した外国人をなぜここまでもてなすのか自分でもよくわからなかったのだけれど、それは所謂「おもてなし」という東京オリンピックで安っぽく濫用された概念とは無縁であり、よく考えてみるとやはり2016年のイランでの経験が強烈に刻み込まれていたことに気づいた。

イランでは多くの人が私に見返りを求めることなく助けの手を差し伸べてくれた。もちろん悪い人もいたけれど、そんなものどうでも良くなるくらい、多くの素晴らしき人に出会った。その時初めて「人間が素晴らしいものであること」を自覚したこと、そしてイスファハーンで我々の世話をしてくれた絨毯屋の店主の男性が「日本では日本人が本当に親身に接してくれました。これはその恩返しだと思っています」と語っていたことを思い出す。日本へ帰国してイランの興奮冷めやらぬ間、私がどう生きるべきかについて考えさせられた。

日本を訪れる人々をもてなすことは、私にとっては異国にはまだ見ぬ素晴らしい世界が広がっていること、そして人間の素晴らしい側面を教えてくれたれたイランの人々への恩返しであり、私に課された使命なのだと思っている。

 

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