Le Chèvrefeuille

世界は遊覧、思い出の場所であり、われらは去りゆく者

パキスタン(1) 総括

 

chevrefeuille.hatenablog.com

 

今回も普通に旅行記を書き進めようと思ったが、帰国時体調を崩しており、すぐに書き始めることができなかった。時系列通りに記事を書いてから最後に総括を書くのがいつものパターンだが、どうもその気が起きず、また自分の中に溜まっているものを吐き出したくて、パキスタン旅行記はこの総括から書き始めることになってしまった。

 

今回のパキスタン旅行は実際のところ自分の身の丈を超えていた感じがある。想像以上に冷え込んだフンザと想像以上に暑かった平野地帯の気温差、そして飛行機のキャンセルや道中での5時間をこえる足止めとそれに伴う2時間睡眠での計画の強行… 様々な要因から体調を崩し、風邪を引き、腹の調子は日を追うごとに悪くなり、旅行の終盤にはもはや早く日本に帰国したいという気持ちが優勢だった。

私自身は海外旅行で結構どっぷり訪問先の国に浸かることが多く、その国の良いところ、居心地の良いところを見出すように無意識のうちに努めていることが多かったこともあるのだろう。実際海外にいると「この国思ったより居心地いいなあ」と感じることの方が多い。海外旅行に行って「早く日本に帰りたい」という感情が湧いてきたのは、物心ついて以来初めてのことだった。

 

おそらくこれには複合的な要因があると思う。少し考えてみると;

①今回の日程がかなり強行かつ日程を詰めたものであったため、身体的時間的余裕がなかった。睡眠時間が削られ、それぞれの名所も十分に時間をとって観光ができず要点をかいつまんだような計画になり、満足度が下がった。

②スルーガイドという旅行スタイルがそもそも自分に合わなかった。朝から晩まで同じガイドがつきっきりで面倒を見るというものだが、この旅行スタイルはガイドの良し悪しやガイドとの相性が大きく旅行のクオリティに反映される。またつきっきりで面倒を見られるので自由度が低く、一人で行動しにくい。

③今回のガイドは人柄こそ良かったが、日本語ガイドという割に日本語力はかなり低く、結局コミュニケーションを取るには結局英語が必要で、ストレスが多かった。習熟度の低いカタコトの日本語で話されるくらいなら客が多く習熟度の高い英語ガイドの方がマシである。また体調を崩したりお腹の調子が悪いにも関わらず現地の食事を多く食べるよう勧めたり、現地の屋台のジュースを勧めるなど、日本に生活する人の生活実態をまるで把握していないように思われることが多かった。さらに、私は写真を撮ることを何よりも大切にしているが、ガイドは自分の拙い日本語の説明をすることにこだわった。これはそもそもガイドが私と合わなかったのか、このガイドがたまたま今ひとつだったのか、よくわからない。しかし、モヘンジョダロにて日本人夫婦を率いている現地日本語ガイドの日本語が大変流暢であったのを見て、同じ値段を払って得られるガイドの質の違いに愕然とした。

③現地の風土や気候、そしてインド亜大陸特有のあまり清潔と言えない風習が自分にあまり合わなかった。

 

上記のような要因が考えられるが、やはり①②③④が重なって体調を崩し、それがさらにその旅の印象を悪化させるという悪循環に陥っていた可能性が高い。個人的には②③がかなりきつかった。パキスタンというのは、個人的に言わせれば「カネで快適さの手に入らないイスラーム・インド」である。インドでは大抵富裕層向けの宿泊施設というのがあって、それなりにカネを積めばそれなりに快適に旅行できるが、パキスタンの特に地方部では停電上等、トイレに紙はなく、風呂場は汚いのが当たり前で、これはカネでアップグレードができない。体調がいいうちは良い刺激だが、体調が一度崩れてしまうともはや不快でしかない。

 

今回の旅行を振り返っても、イランやメキシコで体験したような、美しい景色とともに湧き出てくる澄んだ心持ちの類は、ほとんどない。美しい景色はたくさん思い浮かぶのに、その景色に伴って思い出される感情がなく空虚である。それは「今回の旅行はもう少しいいものになり得たのではないか」という気持ちなのかもしれないが、実のところこれは少し違う気がする。自分が思い描いていたようにいかなかったことに対する不満足の気持ちなのか、それともあまりにも情報量が多すぎて感情というメタ情報を付加する容量がなくなってしまったのか、もしくは単に直近すぎて言語化されていないだけなのか、それはいまだに整理がついていない。確かに計画を詰めすぎたために、美しい景色や歴史的建造物や遺跡が自分の中に感情を生起させる前に通り過ぎていってしまった感じはするし、自分の中で物事が咀嚼される前にガイドというプリズムを通してモノを見させられ、自分の解釈フォーマットに合わない形に変えられてしまったことによって思い入れが薄まってしまった感じもある。

ガイドの問題は人災な感が否めないが、パキスタンの気候は私が体温を維持するには過酷すぎ、パキスタンの食事は私がお腹の健康を維持するには刺激が強すぎ、パキスタンの文化は私が心の平安を維持するには不潔すぎた。この国は私のような体の弱い雑魚ではなく、心臓に毛が生え、ゴミを食べても腹を壊さず、プライバシーや旅行スタイルを崩されてもストレスを覚えないような図太く丈夫な人間が向いている。そして私はどうやらその適性を満たしていなかった。それだけのことだ。様々なストレスの中で、人々がフレンドリーであることだけが今回の旅行の救いだったが、日程が詰まりすぎていてそのフレンドリーさの奥底には、あまり触れることができなかった感じがする。

 

これだけネガティブな要素が揃っているのに、写真を振り返ってみると絶景や名所ばかり映っているのには本当に笑ってしまう。思えば体調を崩しがちだった旅行の後半、砂漠の灼熱にフラフラになりながらも、美しい写真を撮ることのこだわりだけは決して捨てなかったことを思い出す。だから撮りこぼしのようなものがほとんどなく、写真だけ振り返るとなんだか自分が見事な旅行をしたかのような気がしてくる。ある意味自分も大したものだ。そしてこのわだかまりが時間とともに消えていくと、後にはこの美しい写真だけが残って、記憶もまた美化されるのだろう。そういう仕掛けになっているに違いない。

 

そういうわけで、もう少し落ち着いたらいつも通り、日ごとに旅行記をまとめていくつもりだ。