Le Chèvrefeuille

世界は遊覧、思い出の場所であり、われらは去りゆく者

メキシコ(11) 編集後記

メキシコの記事を読んでくださった方、ありがとうございます。

 

メキシコという国は、ノリが軽く表面的で、楽しげだけど深みがない…そういう国を想像していたのですが、良い意味で驚いたことに、そこでの経験は予想を大きく超えた、素晴らしいものでした。

そもそもなぜ事前にそういう想像をしていたかというと、ガイドブックの雰囲気やネット上で見かける記事が全体的にポップでノリが軽めな雰囲気だったからなんです。地球の歩き方を本屋などで手に取って見てみてください。メキシコにハマる客層は多分こういうものだろう、という見立てで作られたとしか考えられないポップでカラフルなページデザインやフォントで彩られています。メキシコの旅行記Googleで検索してみれば、グアナフアトやタスコの町並み、そして民芸品に「カワイイ〜(ハート)」という声を上げそうな、所謂可愛い物好きの旅好きフッ軽女子の姿が思い浮かぶブログがたくさんあります。いくらアステカやマヤの遺産が素晴らしいものであっても、メキシコという国の雰囲気が重みや深みを湛えたものであるという風に思えなかったのは、ある意味自然な流れでした。昼間はカワイイ民芸品売り場やポップな町並みを楽しみ、夜はダンスや音楽、そしてパフォーマンスに酔いしれる、そういうよく言えばノリの軽い、悪く言えば吹けば飛ぶようなフラフラしたパリピ系の人々がこの国の旅行に向いているというふうに思っていたものです。

 

しかしながら、自分が見た景色は、それとは大きく違ったものでした。

人々は明るく話好きでありながらも親切で、しかしながらどこか奥ゆかしさを持っていました。チップを要求される場面もあったものの、基本的にはカネをせびる姿勢よりも真面目さの方が目立った印象です。スペインの文化と先住民の文化をうまく折衷させてひたむきに生きている人々の姿が心に残りました。帰国してから1ヶ月以上経った今でも、その時の素晴らしい記憶を昨日のように思い出します。確かにメキシコは隣国アメリカに比べればあまり豊かではない地域なのかもしれませんが、日々の生活そのものに豊かさを見出し、メキシカンなクンビアを聴きながら、楽しく生きていく文化的な豊かさというものを感じました。お金では測れない豊かさ。こういうものに邂逅することこそが海外旅行の醍醐味であり、人間社会に対する考察を深めるヒントになるのだと私は思います。

 

所謂メキシコに惹きつけられるような可愛い物好きの旅好きフッ軽女子やパリピ系の人々と私は、同じ景色を見ていながら全く違うことを考え、別の世界に触れていたことになります。

旅行というのは、というか自分が見ている景色というのは人によって大きく違って、結局人々の見ている景色というのは、自分自身の投影というか、己の世界観の反映に過ぎない部分があるんだろうな、と考えさせられます。

 

確かに表面的にはメキシコはポップで楽しく、明るい国です。それは間違いありません。しかしながら、そのポップで楽しい表層は所詮は「よそゆき」のメキシコの姿で、その表層を深く深く掘り下げていくと、歴史の重みとか豊かではない中で生きる人々の直向きさとか、先住民の血や文化を引き継ぐ誇りとか、そういった深みに行き当たります。それは「よそゆき」の表面に綺麗に覆い隠された、清冽な地下水脈のようで、その深みに触れられるかどうか、そもそもその深みに気づくことができるかどうかというのは、旅行する人にかかっているんだと思いました。

 

さて、メキシコから帰ってきた約2週間後には、モロッコに向かうことになります。

 

これは新婚旅行を兼ねていたのですが、事前にガイドブックやオンラインサイトで美しくイスラーム社会的な町並み、リヤドや建築の美しさ、そういったものに胸を膨らませていました。しかしながら実際にモロッコで町並みを歩き、砂漠を駆け抜けて経験したものは、自分の予想とは若干マイナスの意味で異なったものでした。

 

あまり期間を空けずに二つの国に行ったため、どうしても比較してしまうのはあまり良くないことではありますが、メキシコで触れられたもののうち何を、モロッコで触れることができなかったのか。そういうことをテーマに、モロッコの記事を書いていこうと思います。

 

もし私のブログを読んでくださっている方がいらっしゃったら、モロッコの記事を書き始めるまで、少々お待ちくだされば幸いです。