Le Chèvrefeuille

世界は遊覧、思い出の場所であり、われらは去りゆく者

モロッコ(0) プロローグ

旅行記を書くにあたって必ずプロローグとかエピローグを書く癖があるのだけど、背景知識とか、旅行を終えて何を感じたかとか、そういうものをまとめることはそれなりに重要だと個人的には思っているので、お付き合いいただきたい。

 

ロッコ

この国は以前からその建築や町並みの美しさを知り、気になっていた。青い町シャウエン、ジャマル・エル・フナ広場や迷路のようなスークで知られるモロッコ観光の中心マラケシュ、文化的中心フェズ、そして古都メクネス。アトラス山脈をこえると広大なサハラ砂漠が広がる。その色鮮やかさや細かなアラベスク模様の美しさ、賑わいとかわいさのあるスークのおみやげ…その魅力を上げれば枚挙に暇がない。しかしながらいわゆる海外旅行好きにはそれなりにメジャーな地域であるため一人で行くほど尖った(?)旅行先でもなく、イランほど荘厳な美しさと長い歴史を持っているようにも思えなかったので、いつか海外旅行に旅行に一緒に行けるような人が現れたらその時一緒に行きたい国という認識でいた。

 

ロッコアラビア語ではالمملكة المغربيةといい、マグリブ王国、すなわち日の没するところの王国とでも言った意味だろうか。アラビア語ではリビア以西の国をマグリブ地方という。その中でも極西に位置するのがモロッコである。

 

ロッコは元来ベルベル人が住んでいたが、イスラームの誕生と西進によりこの地にもイスラームが根付いた。イスラームの征服によりウマイヤ朝の版図となったのちベルベル人の反乱により事実上独立したこの地域は、イドリース1世(ムーレイ・イドリス)により支配された。当初はウォルビリスを首都としていたがイドリース2世の治世で首都がフェズに移転することになる。この地域で崇敬を受けており聖域とされているムーレイ・イドリスや、フェズにあるムーレイ・イドリス2世廟は、この地域におけるイスラームの定着に尽力した彼らが祀られた廟である。その後ズィール朝ファーティマ朝の支配を受けたようだが、この時代モロッコの地にはあまり顕著なものは残っていないようである。

ロッコで著名なのはムラービト朝ムワッヒド朝である。この時代はマラケシュを首都として、マグリブ地方を中心としてイベリア半島までが版図に入ることになった。イベリア半島ではその後レコンキスタの進行により次第にキリスト教の影響が濃くなってくる。マリーン朝時代にはポルトガルなどのヨーロッパ諸国の国が力をつけ、サハラ砂漠越えによる権益も次第に奪われていく。サアド朝時代は巧みな外交でオスマン帝国からの独立を維持するが、その後アラウィー朝時代の末期にはスペインやフランスの侵略を受け、フランスの保護領と化すことになった。1956年にフランスからの独立を果たし、今に至る。現在のモロッコ王国はアラウィー朝の系譜に属しており、エチオピア帝国が滅亡したのちアフリカで数少ない王国となる。

 

ロッコを理解する上でのポイントとしてまず挙げられるのは、この多くの王朝の興亡の系譜である。マラケシュ、フェズ、メクネス、それぞれを首都とした王朝があり、そのそれぞれに特色がある。

2番目としてはモロッコに住む人々である。モロッコイスラームの征服と敷衍に従ってアラブ人がこの地に定住していったが、この地域の先住民はベルベル人である。フェズやメクネス、マラケシュといった都市の名前はベルベル語の影響が大きく、今でも山間部ではベルベル人が独自の言語や文化を持って暮らしている。ベルベル語は独特の文字で表記され、これを交通標識などで目にすることは多い。

3つ目としてはレコンキスタの影響が挙げられる。レコンキスタによって追放されたイベリア半島イスラーム教徒は、モロッコに移り住むことによってラバトをはじめとした都市の復興を担ったほか、アンダルス文化の継承者となった。モロッコを旅行すると観光スポットでアンダルス音楽を聴くことが多いが、これはその影響である。

最後のポイントとしてはやはりフランスによる保護領化だろう。現在でもモロッコではフランスの影響が強く、多くの現地人はフランス語を理解する。もし旅行するならフランス語が何かと役に立つことが多いと思われる。

 

いざモロッコに行く計画を立ててはみたものの、相方は元々海外旅行をそこまで好きな方ではなく、旅行先に関しても比較的保守的で、モロッコに行くことについてかなり及び腰であった。もちろんこれは価値観の押し付けでしかないことはわかっているが、このような保守的な人だからこそ、今まで見たことのないような世界に連れて行ったらどのような反応を示し、どのような影響が刻み込まれるのかを知りたかった。そして自分が今までどのような世界を見てきたのかを、この旅行を通して知って欲しいと思った。何日もかけて説得し、ようやく一緒に来てもらえることになったというわけである。

本来ならば10〜12日ほどかけて何日か主要な都市に滞在しゆっくりモロッコを回ってみたかったが、相方は1週間+土日きっかりしか休みが取れないのだという。日本という国はかくも休みを取ることに厳しいのだが、日本人にとってはこれが普通なのだから仕方がない。相方は砂漠でラクダに乗ることを希望した。私一人ではラクダに乗ることは決してないだろうからこの提案を受けることにし、(少し急ぎ足の計画にはなってしまうが)思い切って青い町シャウエンを計画から外し、マラケシュ→アイト・ベン・ハッドゥ→サハラ砂漠→メクネス→フェズを7泊10日の旅程に詰め込んだ。

 

この2週間前にメキシコに行っていたため、必然的にキリスト教国とイスラム教国の違いを意識しながら旅行に行くことになる。

ロッコの美しいリヤドやスーク、そして砂漠を紹介する可愛らしい本は多く出版されており、少なくとも写真だけならばメキシコよりもはるかに洗練されているように見え、文化の純度も高いように感じられた。当然期待を膨らませざるを得ない。

 

そんなこんなで3月10日の夜、我々は羽田空港へと向かった。