Le Chèvrefeuille

世界は遊覧、思い出の場所であり、われらは去りゆく者

オマーン(5) ドファール地方

2020/2/26

サラーラ近郊観光

ルブアルハリ砂漠、ウバール、ワディダウカ

 

ハムダンプラザホテル泊

 

 

本日はサラーラの近郊を貸し切りの4WDにて一周する。

 サラーラというのはオマーン南部、ドファール地方の中心的都市であり、この周辺は夏になるとモンスーンの影響を受け、極端に曇りの日が多くなる。サラーラは南方を海、そのほかの三方を崖に囲まれた独特の地形で、このモンスーンの影響でサラーラ自体はそれほど降水量は多くないものの、サラーラ周囲の山々には雲がぶつかって雨が降り、夏には緑に囲まれた美しい場所となる。サウジアラビアUAEなどの湾岸諸国の人々が夏になるとこの町に避暑に訪れるのだという。

本日はこのサラーラの近郊にあるルブアルハリ砂漠、古代遺跡ウバール、そして乳香の木で有名なワディ・ダウカをめぐる。

朝8時半に迎えに来てくださったのはAhmed氏。太った兄ちゃん風だがまだ若い。自分と同じくらいの歳だろうか。とてもご機嫌な感じで、自分を乗せた車はサラーラ北方の山へ登る道に差し掛かる。「日本ではどんな曲が流行なんだ?」と聞かれたのでちょうど旬であったパプリカを教ると、とても興味深そうに聞いている。

まずはルブアルハリ砂漠へ向かう。モンスーンがもたらす雨の範囲は非常に狭いため、サラーラを取り囲む山をこえるとすぐに砂漠のような風景となる。休憩所でザクロジュースを買い、スムライトという小都市を通り過ぎて1時間ほど走ると、白っぽい砂のどこまでも広がる砂漠、ルブアルハリ砂漠に来た。

ルブアルハリ砂漠は、アラビア語で「Rub3 al-khalii」。英語に直訳すればEmpty quarterであるが、1/4というよりはどちらかというと「空虚な一角」とでもいった意味だろう。アラビア半島南部に広がる、広大な砂漠だ。

ルブアルハリ砂漠

4WD車は車道をこえて砂漠へ突入する。思ったより生えている草が多い。これは数年前に襲来したサイクロンが雨をもたらし、その結果草がいまだに生い茂っているのだという。こんな砂漠の中でもひとたび雨が来るとぐんぐんと成長する植物たちの生命力には脱帽せざるを得ない。

一旦車を降り、砂漠に生える植物について解説を受ける。スイカのようなかわいらしい実はハンザルという。実際のところスイカの原種といううわさもあるが、本当のところは不明。ただし、このハンザルには毒があって食べることはできないのだという。

もう1種類生えている植物の名前は失念したが、こちらは葉っぱを折ると乳液を分泌する。これは美肌のための乳液としても使われたりするらしい。

砂漠の植物。かわいいスイカのようなハンザルだが、毒があるらしい

車に戻り、砂漠にある砂丘を途中まで登ったところで記念撮影をしてくれた。一人で砂漠に来て写真を撮られるだけというのも一抹の虚しさがあったが、この旅行の3年後にはモロッコで結婚相手と砂漠に行くことができたのだから、今となっては文句を言うことではない。砂の色は全体的に白っぽく、赤っぽさの際立つモロッコとは地質が違うことがわかる。砂に含まれている鉄分量の違いなのだろうと推測される。

砂漠の典型的な景色。世界の果て感はある

さて、砂漠を堪能したのちに市街に戻り、ラクダを飼育している施設に寄ることになり、テントに案内される。ここで働いている人はインドやパキスタンなどからの出稼ぎの労働者であるようだが、クミンの効いたアラビアコーヒーをふるまってくださった。

労働者が顔に巻いている布は強い日差しから肌を守るためのものだそうだ

次に、ウバールの遺跡があるシャサルという町に向かう。途中で彼の親戚(同じ部族の人間だという)の営む自動車整備工場に寄って、その親戚の方とお話しすることもできた。

ウバールという遺跡は、その昔は一つの都市であったようだが、砂漠化の進行により人々は去り、失われた町となった。その遺構が現在世界遺産として登録されているらしい。…というとなんだか壮大な遺跡のようにも感じるが、回ってみると拍子抜けするほど小さい。

ウバールの遺跡は規模が小さく、少し拍子抜け

ウバールの周辺には、おそらく地下水を利用してるのだと思われるセンターピボットがあり、試験的に農業が営まれている。夏季にそれなりの降雨があるサラーラ近郊の雨が由来の地下水ならばそれほどすぐに涸れるということもないかもしれない。航空写真で見ると白っぽい砂漠の真ん中に点々と黒い丸が集簇していて興味深い。

ほどなくして昼食。本日はバイキング形式で、なかなか美味なレストランである。夕食は食べに行く気力がない可能性が大であるので、たくさん食べた。

少し遅めの昼食

帰途では乳香の谷と言われるワディ・ダウカに寄る。

確かにこの辺りは自生する乳香も多いようだが、乳香の木自体はかなり減少していて絶滅する危険性もあるということだろうか、この一帯では大規模に栽培がおこなわれている。チリチリして硬質な葉と、少し白っぽくてガサガサした樹皮。傷をつけて乳香が滴ったあとが残っている。なおこの乳香とか没薬とかいうのは旧約聖書にも出てくる東方三博士の贈り物のうちの2つだそうだが、いずれもソマリアオマーンといった近接した地域に産出するのは興味深い。

乳香の木。左の写真に写っているのがAhmed氏

乳香の谷全景。多くは栽培もの

さて、ホテルへ帰還である。サラーラへは先ほど登ってきた大きな標高差を下っていく。途中で美しいサラーラ市街が見えた。

30分ほど走るとホテルに到達し、解散。明日は別のガイドが来るらしいので、8時半にホテル前で待ち合わせとのことであった。Ahmed氏と別れてホテルへ。本日も面倒なので、夕食は補給食である。

 

明日はサラーラ半日観光。深夜に送迎車にてサラーラ空港へ向かい、帰国の途に就く。