Le Chèvrefeuille

世界は遊覧、思い出の場所であり、われらは去りゆく者

オマーン(4) オマーン北部の大地

2020/2/25

8:30 アルファラジュ・ホテル発

シンクホール

وادي شاب

وادي طيوي

وادي بني خالد

マスカットへ戻り、余った時間で観光

21:20 マスカット空港

23:05 サラーラ

ハムダン・プラザホテル泊

 

またどうでもいい備忘録のような記事を挟んでしまったので、前回(3)のリンクを張っておく。

chevrefeuille.hatenablog.com

本日はマスカットから南下し、シンクホールやいくつかのワディといった、オマーンの中でも文化や建築ではなく、美しい自然を探訪する日である。オマーンはそれほど大きな国ではないものの自然は案外変化に富んでおり、特に東部の山脈沿いは人口も少なく、手付かずといってもいい自然が残されているという。

本日出迎えてくれたのは初日と同じサーリム氏。相変わらずオマーン特有の帽子とディシュダーシャがサマになる。早速彼の車に乗り込み、出発。

南に向かうとまずは盆地状の地形に出る。ここをどんどん南下していくと、民家は次第にまばらになっていき道も険しくなる。しばらく岩の露出した荒々しい道を走ると、海岸沿いに出る。赤い岩肌と青い海のコントラストが素晴らしい。

しばらく走ると、シンクホールに着いた。車を出ると外は暑い。

シンクホールはなんらかの理由で地下洞窟の上部が陥没してできた地形である。内部には澄んだ青い水を湛えており、その中ではヨーロッパ人や現地のアラブ人の青年が遊んでいた。大変微笑ましい光景である。

 

次にワディ・シャーブへ。

こちらのワディはトレッキングコースにもなっているらしい。入り口には売店がある。この売店でサーリム氏は謎のお菓子を買って私に渡してくれた。ワディを奥に進んでいくと、深く険しい谷に囲まれた美しい沢の地形が見られる。

 

これ以上奥に行くには船を渡らねばならないが、本日はさらに先に行くことになっているのでここで切り上げる。

次のワディ・ティウィは先ほどのワディよりも広く、開放的であり、奥へ車道が通じている。サーリム氏は車で自分をワディの奥へ案内したのち、15分から30分でワディの入り口の車へ戻ってくるように言った。しばし一人で散歩の時間である。

このワディには集落があるらしく、水はそれほど澄んではいないが、地元の岩石を積み上げて作った石垣やナツメヤシ、バナナが植えられた庭などが見られ、静かな雰囲気である。ナツメヤシ、バナナ、そしてマンゴーが重要な作物というのはサーリム氏の言だが、ここでもまさにその通り。団体観光客にも遭遇した。

 

さて、次はスールをかすめて、ワディ・バニ・ハーリドへ向かう。

このワディまではかなり長い距離(50km以上)あり、サーリム氏と色々話をすることができた。全てを記憶しているわけではないが、アラブ人ならではの視点からの考え方は非常に興味深かった。まずは国際情勢についての話題になった(どのような経緯でその話題になったのかは、覚えていないが)。イラク戦争アフガニスタンの件があると思うが、米国について、そしてイランはどう思っているのかを訊いてみた。彼曰く

アメリカは中東でたくさん悪いことをしてきた。イランは自身の力でアメリカに対抗している。我々も本当は彼ら(米国)のやり方は好きではないが、だからと言って何ができるというのか?従うしかない。」

アメリカはロシアを悪者に仕立てようとするが、彼らは特に悪いことをしているとは思っていない。(2020年2月当時の発言であることに注意されたし。)」

これらの発言から、彼らがイスラームに対して極めて無理解で、その文化や生活を蹂躙してきたことに対する苦々しさが窺えた。最近勃発したウクライナ戦争についてみても顕著である(もちろん◻︎シアのしたことが許されるはずもない)が、日本では名だたるスポークスマンは「中立」を自称していても結局は欧米寄りの意見を発していることが多い気がする。そもそも彼らは欧米以外の世界が見えていないから、自分の見ている世界は中立だと思い込んでいるのだが、実際はそうではない。中東があり、インドがあり、ロシアがあり、アフリカがあり、ラテンアメリカがある。この多元的な世界でバランスをとって物事を見るのは困難ではあるけれども、その困難さの片鱗に触れることに海外旅行に行く意味があるのではないかと思わずにはいられない。

さて、話をしているうちに私は日本からの旅行客にしては英語がうまいという話になり(そこまででもないと思うが)、前来た女性二人のおばさん旅行客は全然英語が通じなかったと言っていた。さらにどう言うわけか日本人はセックスレスだという話になり、日本人の壮年女性は〇〇をしないから〇〇が廃用性に萎縮して云々などという下ネタの話に飛び火していった(アラブ人男性は下ネタ好きである)。

スールの市街が見えるが、今回は通過

さて、かつてダウ船が製造される現場であったスールをかすめて、ワディ・バニ・ハーリドへ向かう。ワディにつくと欧米人の観光客、それも修学旅行と思われる高校生くらいのフランス人がたくさんいて驚いた。澄んだ水が勢いよく流れており美しい。本日の昼食は大きく澄んだ淵に面して設けられたレストラン。バイキング形式で美味であったが当時は食事の写真を撮る習慣がなく、撮り忘れてしまった。

 

淵にはドクターフィッシュがたくさん生息しており、裸足を水の中に入れるとツンツンと足をつついてきてくすぐったい。

小さな魚がドクターフィッシュ

美しいワディをあとにして、帰途に就く。

 

帰途ではサーリム氏が祈りの時間だからといって車を止め、小さなモスクに入っていった。せっかくなので自分も同行することにした。すると「神に祈りたいですか?」と訊かれた。せっかくなのでイスラームの片鱗を体験することに。祈りの仕方を教えてもらった。風通しの悪い簡素なモスクで静かに祈りを捧げると不思議な気持ちになってくる。

帰りは100キロ近くある道のりであったが、マスカットには比較的早い時間に到着。

時間があるということでマスカット随一のホテルに案内してもらう。壮大なロビーが特徴的。一泊4万だそうである。庶民にとっては高い。ホテルの周囲は金持ちたちの別荘になっているらしく、現地の人々のデートスポットでもあるらしい。海岸沿いの道では逢引きしている男女がいて微笑ましかった。彼らを見てニヤニヤしていると、サーリム氏が別に普通のことじゃないか?という感じで首をかしげていた。

 

このホテルからはごくわずかな距離で空港に着く。ここで2日間お世話になったサーリム氏とはお別れである。日本とは全く違う視点から捉える世界はやはりとても興味深く、参考になった。民族衣装の帽子やディシュダーシャが彼ほどサマになる男もなかなかいないだろう。厚くお礼申し上げ、別れを告げた。

オマーンの空港は相変わらず観光客が少なく現地人の割合が多い。若干不安になるが、無事オマーン・エアのサラーラ行きの飛行機に乗り込むことができた。

サラーラの空港では長身の男性が迎えてくれ、ホテルまで送ってくれた。

ハムダン・プラザホテルは空漠とした感じの建物で、部屋やベッドはだだっ広いが装飾に乏しく無機質な感じである。バスルームの天井は工事中だった。ベッドの寝心地は悪くなく、よく寝ることができた。

明日はサラーラ近傍のエクスカーションに向かう。ルブアルハリ砂漠や乳香の地、砂漠に点在する遺跡などを観光する予定である。