Le Chèvrefeuille

世界は遊覧、思い出の場所であり、われらは去りゆく者

南インド(2) カーンチプラムとマハーバリプラム

11/25

天気:晴れ時々大雨

9:00 ガイドと共にカーンチプラムへ

午前

エーカンバラナータル寺院、ヴァイクンタ・ベルマール寺院、ワラダラージャ・ベルマール寺院、カイラーサナータル寺院

昼食

午後

マハーバリプラムへ

海岸寺院、ファイブ・ラタ、アルジュナの苦行、クリシュナのバターボール

チェンナイ

ホテルにて夕食

Taj Coromandel泊

 

本日は、チェンナイ近郊の都市であるカーンチプラムとマハーバリプラムをめぐる。

チェンナイ自体にはほとんど見どころはないが、カーンチプラムは7-8世紀にパッラヴァ朝の都として栄えた町である。200ほどのヒンドゥー寺院があるといい、多くの歴史的な遺産を目にすることができる。マハーバリプラムは7世紀に遡る、大きな岩を彫り抜いて作ったという寺院群がありみどころとなっている。

 

ビュッフェ形式の美味しい朝食を提供するレストランでゆったり食事をしたのち、朝9時にロビーへ向かうと本日のガイドが現れた。スキンヘッドで薄い褐色調の肌のおっさんである。早速車に乗り込み、70kmほど離れたカーンチプラムへ、車を走らせる。

朝のチェンナイ市街はゴミゴミしており、まるでゾウの鼻がのたうち回っているか、踊るヒンドゥーの神の彫刻のように怪しげで躍動感のあるタミル文字の看板が道の両側を埋め尽くしている。文字や言葉が文化そのものである所以を実感する。道路を走るのは派手な色がペイントされたボロボロの公共バス、隙間を埋め尽くすように走る大量の原付とオートリキシャ、そして車線無視で走る車たち。道路のど真ん中を優雅に歩く牛は、あらゆる交通法規を超越した存在である。

チェンナイ市街はかなりゴミゴミしており、カオスそのもの

ゴミゴミしたチェンナイ市街を抜けると、ゴミがところどころで放棄された緑が広がる郊外に至る。郊外には自動車工場やガラス工場など、工場が点在している。1時間ほど車が走ると再びトラディショナルな雰囲気漂う市街地に到着する。本日最初の見どころ、カーンチプラムである。

カーンチプラムの町並み

カーンチプラムではまず最初にワラダラーシャ・ペルマール寺院に向かう。

この寺院は16世紀のヴィジャヤナガル朝時代に建てられたもので、ヴィシュヌ神を祀っている。白く塗られた塔門(ゴープラム)が特徴。聖域はヒンドゥー教徒のみが入れるが、寺院内には一般人も入ることができる。

ヒンドゥー寺院にお邪魔するのはこれが初めてだが、靴を脱ぎ裸足で入場することになっている。ただでさえ牛や犬のフンが多いインドで裸足で歩くというのはどうも憚られるが、郷に入っては郷に従うしかない。

細かい装飾が施された大きな塔門を通って、寺院内へ。

ワラダラージャ・ペルマール寺院への参道

ガイドから寺院の説明を受ける。寺院へ入った空間の正面には大きなポールがあり、ポールの先端部には3列の装飾がある。これは寺院が旗を掲げるときに使用するものであり、このポールの存在は生きたヒンドゥー寺院であることを示すものである。その隣の祭壇はかつて生贄を捧げた場所。現在は使われないことが多いが、祭りの際には生贄が捧げられることもあるとかないとか。

寺院の奥からは、独特の楽器とリズムで奏でられる、不思議なメロディが流れてくる。これは神に捧げる音楽ということだ。

 

寺院の中には細かい装飾がなされた石柱が特徴的なホールがあり、四隅にあるリングは1つの石から削り出されたものだというから驚きである。石彫技術の高さを思い知らされる。

ホールの支柱。四隅に配置された鎖は岩を彫って作ったというから驚きだ

沐浴池にはヴィシュヌ神の彫刻を容れた厨子が沈んでおり、何十年かに1回水を抜き、そのご神体を取り出して儀式を行うのだという。

沐浴池

駐車場へ戻る。相変わらず牛が道を塞いでいることすら気にせず優雅に歩いている。駐車場では旅行会社のバスがたくさん駐車しているが、派手な色で謎の装飾が施されており、地元の人々の美的センス全開である。ちょっと圧がすごい。

次はエーカンバラナータル寺院へ向かうが、この寺院に向かっている途中で次第に黒い雲が近づいてきて、滝のような雨が降り始めた。11月はチェンナイは雨季真っ只中。季節風の影響をうけ、まるで熱帯のようなスコールが降る。排水設備の乏しい道は当然のように冠水し、車やバイクは水しぶきを上げながら走っていく。ほどなくして寺院の駐車場に到達するが、寺院へ向かう道は水浸し。泥水に動物の糞が混じっているであろう汚い水の中を裸足で寺院へ向かう。これはちょっと破傷風が怖い。足を怪我するのだけは御免である。

 

寺院は黄色調の立派なゴープラムと巨大な回廊を有する。まずは回廊へ入る。

エーカンバラナータル寺院はシヴァ神を祀る寺院であり、回廊の入り口には古い小ぶりなナンディ像が安置されている。装飾の多数施された黒っぽい四角断面の柱が多数立ち並ぶ空間は威厳に満ちている。この回廊は多くの巡礼者が宿泊できるように設置されたんだとか。回廊内には彩色の施された、なかなかに個性的な神々の像が置かれており、祭りの際に取り出すのだという。

リンガ(左)と、派手に装飾された神々の偶像(右)


回廊脇には多数のリンガが設置されている。このリンガというのはシヴァの男性器とパールヴァディの女性器が接合したもののシンボルだそうで、これだけ聞くと随分とお下な感じだが、豊穣の象徴であるそうで、多数の花や蝋燭が置かれている。

本堂にはヒンドゥー教徒しか入ることができないそうだが、回廊の一角には樹齢3500年というマンゴーの木がある。この木の下でシヴァとパールヴァディが結婚したという伝説がある。スコールが降りしきる中、回廊を滴り落ちる雨粒と緑が鮮やかなマンゴーの木の葉、そして水に濡れた彫刻が美しい趣を醸し出す。地元の人々はこの空間でゆっくり時間を過ごしたり、記念撮影したりしている。本を読みながらまるで歌のように章句を詠む女性の声が聞こえてくるが、これは祈りの言葉を捧げているのだという。

一通り内部を観光して寺院を出る頃には、雨はほとんど止んでいた。

次に向かうのはヴァイクンタ・ペルマール寺院。

この寺院は8世紀の寺院だそうだが、イスラームの侵攻によって壁の彫刻が塗り固められたり、塔門が破壊されたりしたという。この寺院は先述のポールが撤去されており、もはや人々が祈りを捧げる生きた寺院ではないことがわかる。奥に進むと、Yaliという様々な動物の要素が混ぜられた想像上の生き物が彫られた多数の石柱が見られる回廊がある。この回廊に見られる壁画は先述の通り塗り固められていたものを掘り出したため一部損傷しているものの、神話だけでなくカンボジアとの交流を示す壁画など、歴史を記録したものも含まれており貴重である。もはや歴史的モニュメントとしての価値を残すのみとなった寺院は参拝者がおらず、整然と柱の立ち並ぶ回廊は静寂に包まれている。

カーンチプラムで最後に訪問する寺院となるカイラーサナータル寺院は、こちらも8世紀初頭にパッラヴァ朝によって作られた寺院である。こちらももはや歴史的モニュメントになってしまっており参拝者はいないが、小祠堂が巡らされた回廊や、一部に数百年前に施された色彩が残る神々の彫刻は素晴らしい。周囲の熱帯雨林の緑と寺院の黄土色が好対照をなし、美しい景観だ。

さて、カーンチプラムの4つの寺院の観光が終了すると、昼食の時間。

地元民御用達のターリ料理のお店である。エアコンの効いた部屋とエアコンのない部屋に分かれており、大抵エアコンのない部屋の方が混んでいるが、自分はエアコンのある部屋に通された。食べ方がわからないが店の人が懇切丁寧に教えてくれた。特にチップをせびる様子もなく善良な人々である。

ターリ料理を食べる際には、最初に中央に米を盛り、そこに小皿に入ったカレーを少しずつ混ぜて食べていく。本来右手を使って食べるものだが、ここはスプーンを使わせてもらう。水とパイナップルジュースを注文したが、費用は飲み物も含めて旅行会社が出してくれるという。太っ腹である。

さて、午後は100kmほど離れたマハーバリプラムへ向かう。

途中で寝てしまったので車窓はあまり覚えていないが、マハーバリプラムに近づくと石彫の店が増えてきた。マハーバリプラムは石彫が特産品だという。店先に並ぶ石彫はヒンドゥーの神々のものもあるが、どちらかというと仏像の方が多い。これらは主に東南アジアの仏教国に輸出されるものだという。

マハーバリプラムは石彫で有名

石彫の店が立ち並ぶ道を通り抜けて、ファイブ・ラタの近くに到達した。

ファイブ・ラタは巨石を彫り抜いて作ったという特異な寺院で、最も古いものは7世紀に遡る。世界遺産となっている石彫の宗教施設としてはインドであればアジャンタやエローラ、世界を見渡せばエチオピアのラリベラ巌窟教会群などがあるが、作るのに要する手間は石を積んでいく普通の建築と比較すると比べ物にならないだろう。当時の人々の技術と熱意は、驚嘆に値する。これらの寺院はのちの南インドの寺院建築のお手本となったことで有名。他にライオンやゾウの彫像なども残っている。

ファイブ・ラタ

ここから少し歩くと、海岸寺院に至る。

海岸寺院は8世紀初頭のパッラヴァ朝時代によって作られたものである。こちらの寺院は石造、すなわち切り出した石を組み合わせて作ったものである。技術的には難しそうな石彫寺院の方が古く、石造寺院の方が新しい技術であるというのは興味深い。かつてこの場所にはもっと多くの寺院があったそうだが、海蝕作用によって崩れてしまい、今残っているのはこの寺院のみ。ユネスコによって特殊な表面保護材が用いられているという。

海岸寺

残っている彫像も海蝕作用によってディテールが失われているものが多いが、かつての生贄の風習を記録する、首の切り落とされた動物の彫像や、Yaliの彫像などを見ることができた。

車に戻る際にガイドがチャイを注文していた。

店員は見事な手つきでチャイを注ぐが、あまりにその動作が素早く、美しい写真を撮れなかった。

本日の最後は、アルジュナの苦行、そしてクリシュナのバターボール。

アルジュナの苦行というのは壮大なレリーフで、マハーバーラタに詠まれたアルジュナの苦行を刻んだものとも、ガンガーの降下を表すとも言われている。中央で片足で修行するのがアルジュナ、その隣にいるのがシヴァ神。中央の溝に彫られたのはガンジス川を表すという。周囲には多くの人物やゾウ、シカやネコなどが彫られれおり、レリーフとしては世界最大のものだという。

アルジュナの苦行、そして隣には石窟寺院

これを手で掘ったと考える気が遠くなりそうなレリーフ

このアルジュナの苦行の横には石窟寺院がある。

この石窟寺院内部に見られる彫刻は、雨の神が怒りによって大雨をもたらした時に、ヴィシュヌ神が山を持ち上げて住民を匿った様を描いたものだという。またこの建築には石窟時代から石造時代への技術の移行が見られる。

山を持ち上げるヴィシュヌ神。寺院は石彫部分と石造部分からなる

クリシュナのバターボールと名付けられた岩はこのレリーフから数百メートルのところにあり、今にも転げ落ちそうな岩が、なだらかな岩山の上に乗っている。クリシュナの大好物であるバターボールにちなんで、この名前が付けられた。

クリシュナのバターボール

この近傍はちょっとした公園になっており、雰囲気が良い。

近傍にはまた何個かの石彫・石窟寺院がある。石彫の寺院は仏教時代の建築だが、ブッダの像の部分は削られてなくなり、内部にはガネーシャの像が安置されている。

 

近くにはネズミのような形をした大きな実をつけている木があり、これはsausage treeという熱帯アフリカ原産の植物であるそうだ。

sausage treeの果実

密度の濃かったチェンナイ近郊観光も、ようやく終わりである。

帰路に着くと、ほどなくして日が暮れ、車窓は夕闇に包まれた。車は海岸沿いの砂州の上に作られた高速道路を走っていく。車窓からはタミル文字の並ぶ商店が賑わっている様子が見える。夜でも治安が悪そうな雰囲気は感じられず、思ったよりも和やかな雰囲気が漂っている。

夜のチェンナイ近郊

ホテルに到着し、ガイドと別れる。

昨日は遅くの到着だったのでホテルの設備をじっくり見る余裕などほとんどなかったが、改めて見るとTaj Coromandelはロビー、部屋ともに大変内装が美しいホテルである。部屋に戻るとチップなど置いていなかったのに足湯用の桶とタオルまで用意されていた。散りばめられている花びらは本物。ホスピタリティに感服した。浴室は大理石張りで、こちらもなかなか見事。

夕食は旅行会社が手配してくれた、Taj Coromandelホテルのディナー。ビュッフェ形式でなかなか美味しいもの揃いである。どういうわけか翌日に約600ルピーの水代を請求された。

本日の夕食

明日はティルチラーパッリまで飛行機で向かい、そこから二つのブリハディーシュワラ寺院、アイラーヴァテシュワラ寺院という、チョーラ朝の壮大な寺院をめぐる。いずれも世界遺産に指定されており、今回の南インド旅行のハイライトの一つ。楽しみだ。