Le Chèvrefeuille

世界は遊覧、思い出の場所であり、われらは去りゆく者

南インド(0) プロローグ

世界が変わる国

インドといえば「世界が変わる国」である。

「インドに旅行して世界が変わった」などと自称する人の話を大学生時代よく聞いた。そうか世界が変わる国か。その言葉は本来安っぽいパッケージで語られるべきではないはずの個人の世界観の変化を「インド旅行=世界観が変わる」という単純化された図式に押し込めているようで違和感が昔は強かった。

他人からすればそれは当時の私の激しく屈折したものの見方と意地の悪い邪推なのだと言われるだろうが、旅行すると世界観の変容を招く国はインドだけではないのではないか、そもそも世界観の変容に寄与するのは海外旅行だけなのか、という思いもある。しかしながらイランに旅行して世界の見方が270度くらい変わってしまったのもまた事実で、インドのような強烈な国への旅行が、ヨーロッパや北米で飼い慣らされた体験しかしてこなかったナイーブな旅行者の世界観を変えうることもまた容易に想像できるので、今ではそう簡単に決めつけて批判していいものか悩ましいと思う。

かつては海外旅行を思いのままに敢行するほどの財力も胆力も時間もなかったが、行動力や語学力、そして思い立ったら海外旅行に行ける程度の時間が今の自分にはある(と思いたい)。まずはごちゃごちゃ考えたり理屈をこねたりせず、本当に世界が変わるのかどうか、行って体験してみることが先決である。その後自分の中で体験がどう咀嚼されるかは帰ってきてから考えればいい。有給消化義務もあることだし、時期もちょうど雨季の終わりということで、比較的日本から近く、そして強烈な異文化体験が期待できるインドに、白羽の矢を立てた。

 

宗教とカースト

インドについて調べてみると、最初にぶち当たるのがヒンドゥー教、そしてそこから派生した(というのは語弊があるのだが、とりあえず今回はこういう言い方をしておく)仏教やジャイナ教といった宗教に関する知識という大きな壁である。

今まで自分はヒンドゥーの神などほとんど知らなかったし、インド哲学がどのようなものだったかもほとんど知らなかった。インドに関する知識といえば自分の愛読書であるバガヴァッド・ギーターくらいのものであった。乏しい知識を耕すために何冊かの本を紐解いているうちに、シヴァとかブラフマンとか、ナンディとか、親しみのない横文字の意味を知ることになり、そういう視点でインド料理店などに行ってみると、ヒンドゥーの神やナンディーの置物などが配置されていて、非常に興味深いと思うとともに、世界をみる上でインドという要素が欠落していたことにも気付かされた。インド哲学ヒンドゥーに根差したものであるが、それこそギリシア哲学とほぼ同時期に遡る圧倒的な歴史があり、存在に関する問いについては特に興味深い。

インドで2番目にメジャーな宗教としてはもちろんイスラームがあり、奴隷王朝からムガル帝国に至るまで様々なイスラーム王朝が勃興したが、こと今回訪問する南インドにおいてはイスラームの影響がほとんどないので、今回は割愛する。

カーストに関してはもはや触れるまでもない。バラモンクシャトリヤから不可触民まで、インドでは身分差別がいまだに厳然と存在する。この辺りに関しては本を紐解いてはみたものの、実際に肌で体感しないとわからない部分だろう。

 

南インド北インド

インドは主に北インド南インドに二分される。

北インドは度々異民族や異教徒の侵入を受けた土地で、イスラーム文化の影響が濃い。住民は目鼻立ちのはっきりしたアーリア人系で、いわゆるインド人的な風貌である。有名なタージマハルやフマユーン廟はインド・イスラーム建築の白眉として名高い。ガンジス川の辺りの聖地ベナレス(ワラーナシー)も有名で、世界中の観光客が集まる。欠点としては北インドの観光地は地元民の観光客ズレが激しいということだろう。インドはモロッコやエジプトとともに世界三大ウザい国などという不名誉な称号を獲得しているが、それは主に北インドの観光地のことだと思われる。

対照的に南インドは相対的にイスラームの影響が小さく、特に南端付近においてはムガル帝国が最大版図を誇ったアウラングゼーブの時代においても、イスラーム王朝の支配を受けることはなかった。住民はドラヴィダ系であり、肌の色は黒く、言葉はインド・ヨーロッパ語族と系統の異なるドラヴィダ系言語を話す。このドラヴィダ系の人々はインダス文明の担い手であったことでも知られる。アーリア人の侵入に伴って南に追いやられたのだろうか。住人は北インドと比較して素朴で優しいことが知られている。

今回南インドを選んだのは、インドがあまりに想像し難い土地であるため、初回に北インドに行っても消化不良になる気がしたこと、そしてあまり旅程が長くないのでストレスを抱えたくなかったからである。相対的にストレスの少ないと想定される南インドでインドの片鱗をまずは体感してみることにした。

 

インドと感染症

インドは感染症が多い国であり、感染症の見本市として知られている。

A型肝炎チフスをはじめとしてマラリアも散発的に発生するし、なんといっても動物が放し飼いにされていることが多いことから狂犬病の発生数も非常に多い。破傷風の感染も結構怖い。黄熱病は流行地域ではなく、マラリアも頻度はそれほど高くないため予防内服の必要はないとのことだが、劇症化が怖いA型肝炎、致死率ほぼ100%の狂犬病に対してワクチン接種は必須と言ってもいい。チフス(有効率はそれほど高くないが)なども打っていった方が安心と思われる。

インドに行くと思い立ったのちすぐに某トラベルクリニックを受診した。多数のワクチンに多額の金を費やして今回の旅行に臨む。インド旅行自体は他国に比べると安価だが、感染症予防のための装備が高くつくので、トータルでみると案外安くないという印象である。なお、これらのワクチンは自費負担となるため、同じワクチンでもクリニックによって価格設定にかなりの開きがある。クリニックが値段をネットで公開していることも多いので、比較検討の上受診されることをお勧めしたい。

 

旅程

今回の旅程は、以下のようである。

day1 日本→デリー→深夜チェンナイ、チェンナイ泊

day2 チェンナイとその近郊の観光、チェンナイ泊

day3 タンジャーヴール泊

day4 マドゥライ泊

day5 カニャークマリ(いわゆるコモリン岬)泊

day6 アラップーラでハウスボート

day7 コチ(コーチン)観光、帰国

飛行機はどちらもエアインディアで、マイルで取得。時期的にANAの直行便はその時期は休止中であった。ノーストレスで行くならデリーまではANAの方がいいのかもしれないが、行きのフライトからインドを体験するならエアインディアだろう。

今回の旅程はほとんど旅行会社でモデルコースとなる一般的な日程を踏襲し、あまりに未知の世界であるインドの初回旅行ということでほぼ英語ガイド付きにしたが、こだわりポイントはday3のタンジャーヴル。ここはチョーラ朝時代におけるヒンドゥー教寺院の最高峰であるブリハディーシュワラ寺院で知られるが、日本人観光客にはほとんど知られていない。

ヒンドゥー色の強い南インドで、まずは濃密なカルチャーをゆったり体験してみたいと思っている。