Le Chèvrefeuille

世界は遊覧、思い出の場所であり、われらは去りゆく者

パタゴニア(1) サンティアゴへ

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成田 UA006 1725NRT 1415IAH

ヒューストンにて乗り継ぎ

ヒューストン UA847 2030IAH 0850SCL(+1)

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サンティアゴ市街観光

Hotel Plaza San Francisco泊

 

 

chevrefeuille.hatenablog.com

 

 

ようやく出発の日が来た。

海外旅行自体は数を重ねてきてはいるものの、今回の旅行は今までの旅行とは違う特別な緊張感がある。それは単に、サンティアゴの治安が事前情報からあまり良くないと推測されるとか、チリ側が全て個人手配だからとか、それだけではない気がする。半生にわたって憧れてきた地を、ついに踏む時が来たのだ。緊張というか、武者震いというか、そういうものだろうか。

今回利用するユナイテッド航空はチェックイン時に米国での住所が要求されたが、米国に滞在予定のない自分はオンラインチェックインができず。荷物預け入れゲートでチェックイン作業を行ったところ、無事にチェックインができた。米国経由便では米国で一旦荷物を回収する必要がある国が多いが、ヒューストン経由でユナイテッド航空を利用する場合は荷物がスルーで最終目的地まで流れる。

米国航空会社というだけあって、待機列は日本人ではなく、米国人の姿が多い。航空機内は白と紺色を基調としており、出発前の航空機内はいかにも米国風の洋楽みたいなのが流れている。洋楽ファンにはたまらないのかもしれないが、私はいかんせん欧米文化への憧れがそれほどないので、豚に真珠である。出発前の注意メッセージ(映像)は映画仕立てになっており、いかにも米国という感じがした。

フライトアテンダントは男性女性どちらもいるが、壮年の人が多い。若い女性が多いアジア系の航空会社とは全く違うが、人の命を守るためのスタッフに若々しさなどいらないということなのだろう。これはこれで安心感があって、私は嫌いではない。座席も満席ではなかったので余裕があり、助かった。

ユナイテッド航空機内食もまずまず

12時間ほどのフライトで、まずはヒューストンに到着。長い歩道を通って、入国審査へ。ESTAではなくビザだったのであれこれ尋問されるのかと思いきや、トランジットのみということを伝えるとなんの質問もされず、あっという間に審査を通過した。

入国審査を通過し、次のゲートへ。読書で時間をつぶす


乗り継ぎ時間は6時間。空港では相変わらずよくわからない洋楽が流れているが興味がない。特にやることもないので、「シオニズムとアラブ」というイスラエル建国の理論的支柱となったジャボディンスキーとその後継者の系譜に関する本を読んで、時間を潰す。水1本が5ドル超の世界で、日本の物価が安すぎるのか、米国の物価が高すぎるのかはもはやよくわからない。

チリへの便は2-3-2列という少し変わったレイアウトをもつボーイング767の機体。9時間ほどのフライトである。

ヒューストンからサンティアゴ

起きてみると窓の外にはほとんど植物の生えない山の畝が重なって見える。アタカマ砂漠フンボルト海流という強烈な寒流によって南米大陸の西岸に形成された砂漠である。山脈の奥にはひときわ高い山が見える。おそらくアコンカグアだろう。程なくして、サンティアゴに到着した。

サンティアゴに到着後、トイレを済ませて入国審査へ。

入国審査の列にはたまたま日本人二人がいた。何かの職人をやっているそうで、仕事の関係でチリに来たそうだ。入国審査ではPDIという紙をもらうことになっているが、審査官が適当で、PDIの紙を渡しそびれそうになっており、先述の日本人二人組の指摘でことなきを得た。助かった。

チリへ入国

空港から市街へのアクセスは、事前に情報を得ていたtransvipという相乗りタクシーサービスを使用しようと考えていたが、そのブースに人がおらず。ひとまずキャッシュを手に入れてから考えたかったので、まずは空港の外に出て現金を下ろそうと思ったが、手数料が1400円程度とバカ高い(空港のATMは手数料が高く設定されているようだ)。たまたま無線を持っているタクシードライバーの客引きがいて、服装も空港職員っぽかったので、これはオフィシャルのタクシーサービスだろうと思い、お願いすることにした。

(これが数日ののちに、大失敗であったことを悟ることになる。詳細は別記事を立てる予定だが、ブログの流れを阻害すると思うので、ひとまず今回はこれに関して深掘りせずに、話を進める。)

人の良さそうな客引きが無線でタクシーに情報を伝えると、車庫の奥からドライバーがやってきた。これに乗り込む。25ドルだという。駐車場を出て少し走ると、どういうわけか屋外の少し車が停車している小さなバス停のような場所に出た。タクシーを拾うための場所だろうか。なぜかここで金銭徴収人が出現し、クレジットカードも使えるというのでカードを通すが、2枚とも使えず。結局現金で払うことになったが、最初ドライバーが25ドルと言っていたのに、この金銭徴収人は25000チリペソなのだから30ドルだと言い張り、結局30ドル払った。この時点でほのかに不信感を持ったのは事実である。

空港を出て、高速道路に入って市街へ向かう。

高速道路の周りに広がるスラム街はトタン板や木の板、ダンボールなどでできた家が立ち並び、みるからに貧しそうな雰囲気が漂う。高速道路は小さな川に沿って走る。ドライバーはこの川がインディオとスペイン人の領域との境界線になっていたのだという。

市街地に入り、モネダ宮殿の横を抜けて、ホテルに到着。チップはないのかと要求されたが、ちょっと無理ですと答えておいた。

ホテルプラザ・サンフランシスコは、サンフランシスコ教会の横にあるホテル。木目調のクラシカルな内装が特徴的で、温かみのある雰囲気が漂っている。長いフライトで疲れがないわけではない。外も暑いので、少し休憩してから市街散歩に向かうことにした。部屋はやや天井が低いが、それがかえってクラシカルな印象を強調している。市街観光に行くというとホテルのフロントスタッフが地図を手渡してくれ、通って良いところ、いかない方がいいところなどを解説してくれた。特にひったくりが多発しているから携帯電話をいじりながら歩くことはしない方がいい、またスリが多いから荷物に常に気をつけて歩くように言われた。

ホテル・プラザ・サンフランシスコ。奥にサンフランシスコ教会が見える

客室は木を多く使い、落ち着いた雰囲気

本日の観光予定は、まずホテルから一番遠い観光地であるサン・クリストバルの丘へ向かう。その次にサンティアゴ旧市街に戻ってきて見どころを観光し、旧市街に程近いホテルに戻るという順路にした。

この日は日曜ミサの日であり、ホテルに隣接するサンフランシスコ教会はミサ後に閉じてしまい、隣接する博物館も閉じていた。この教会はチリのコンキスタドールであるペドロ・デ・バルディビアがスペインより携えてきた聖母マリアの像が安置されていることで有名である。ミサの最中に入り口を少し覗いた程度で写真はないが、石でできた重厚感のある内装が特徴的だった。

日曜日で人の少ない大通りをサン・クリストバルの丘へ向かう。途中サンタ・ルシアの丘というサン・クリストバルの丘と比べるとかなり小規模な丘があるが、こちらは見送る。壁には征服したインディヘナの人々にキリスト教を説く司祭か何かの絵があった。「未開の地を拓いた」。これがスペイン人にとっての新大陸征服のイメージなのだろう。その解釈が本当に正しいのか、甚だ疑問ではあるが。

 

しばらく歩くと、次第に観光地っぽい活気が出てくる。川を渡り、しばらく歩くとサン・クリストバルの丘へ登るケーブルカー「Funicular」がある。

ケーブルカー「Funicular」の入口

ここは地元クレジット払いだったので値段を失念してしまった(調べてみると往復で5590CLPらしい)。10分ほど待ってケーブルカーに乗り込む。半乾燥地帯ということもあり木々はまばらで、すぐに展望が開ける。

頂上駅からはしばらく坂を登ると、大きなキリスト像のある山の山頂に到達。地元の人々で賑わっており、外国人観光客の姿は比較的まばらだった。盆地状となったサンティアゴは大気汚染がひどいという。しかしながら綺麗に碁盤の目状になった市街の様子を見ることができた。サンティアゴの建築様式はこの山から見ても今ひとつ統一感がなく、美しさには欠ける。


Funicularを下って市街へ戻る。

川沿いの雰囲気の良い公園を歩き、国立美術館へ。ここは入場料無料で、荷物は受付に預ける。あまり現代美術に興味がなかったので適当に見て通過したが、建築自体は歴史が感じられ、見事なものだった。

1880年に建てられた歴史ある建築だという

ここから旧市街の中心地に入っていく。

時折スラム化した高層マンションが現れる、やや汚らしい旧市街である。以前は夜も歩けたというサンティアゴであるが、コロナ禍を経て経済が悪化しており、治安も増悪傾向だという。銀行などが集まっており、一応首都として歩ける程度の治安は確保されているが観光客はそれほど多いわけではなく賑わいに欠ける印象を受けた。街に警官もそれほどおらず、ルンペンや身なりの汚いものも散見され、歩くものとしては不安である。

旧市街の雰囲気は一部決して良好とはいえない

アルマス広場に面するサンティアゴ大聖堂はサンティアゴ観光の目玉の一つであるそうで、スペイン征服後すぐに建てられた長い歴史を持ち、ピノチェト政権下でも反体制派の集会所となっていたなど、近代史においても重要な場所であるが、残念ながら日曜ミサ後で閉じていた。

アルマス広場

そういうわけで、あとはプレコロンビア芸術博物館とモネダ宮殿を観光して、ホテルに戻ることにする。旧市街の中央部には何個か銀行のATMがあり、このうちの1個で現金をおろすことができた。

プレコロンビア芸術博物館は、プレコロンビア期のラテンアメリカ全域における芸術品を展示する、なかなか興味深い博物館である。個人的にはマプーチェ族の展示を楽しみにしていた。入場料は1万ペソ。

プレコロンビア歴史博物館

マプーチェというのはチリ中南部に住んでいた先住民で、スペインの征服に対して数百年にわたって抵抗を続けてきた、屈強で勇敢な人々である。ペドロ・デ・バルディビアを戦いで破り処刑したのは、マプーチェ族の英雄、ラウタロであった。そのような歴史的経緯もあり、マプーチェ族の文化や芸術、歴史には非常に興味を持っていたが、ネット上で得られる情報はきわめて貧弱であった。

ここではマプーチェ族が先祖の墓に作ったまるでモアイ像のような人物の彫刻や、彼らの使っていた土器、絨毯や布製品、銀細工などが展示されており、非常に興味深い。マプーチェ族の歴史というのはインカやアステカの人々と違って人口もそれほど多くない上に、ピノチェト政権下で弾圧を受けてきた歴史もあるのだろう、どうもスポットが当たりにくかったようで資料も少ない。この博物館の展示はマプーチェの人々の芸術を詳説する数少ない美術館。外国人観光客もおり、ゆっくりと展示や解説を読んでいた。私としても非常に興味深かった。

回廊状の建物になっている2階はインカやアステカ、マヤなどの芸術品が展示されていた。こちらはもちろんメキシコの人類学博物館には劣るが、それなりの規模のコレクションになっておりなかなか楽しめた。

インカ時代の布のコレクションや土器のコレクションなども充実している

次第に町の雰囲気はお堅い感じになり政府系の建物が集中したエリアとなる。最高裁判所の建物の裏手を通り、モネダ宮殿へ至る。

モネダ宮殿

モネダ宮殿はチリの近代史において、非常に重要な意味を持つ。1970年代、選挙により選ばれた初の社会主義政権が成立した。サルバドール・アジェンデ政権である。アジェンデはこれまでアメリカのメジャー企業の食い物にされてきた鉱山の国有化などを推し進めたが、米国の強い反発とCIAの工作により政権の転覆が企てられる。1973年、軍部がクーデターを決行。モネダ宮殿は軍により空爆を受け、アジェンデはこのモネダ宮殿で最後の演説を行い、自死した。奇しくも9月11日、同時多発テロも同じ日である。これを皮肉と言わずしてなんと言おうか。

このCIAの工作を主導したのが今年になって死去したキッシンジャーであると言われている。彼の外交交渉における剛腕ぶりはプラスの評価がされることが多いようであるが、その一方で彼の視点は極めて帝国主義的で多様性を尊重する姿勢に欠けており、自分の理解しない勢力はあらゆる手段を用いて徹底的に潰す人間であったという評価もまた消し難い。1900年代後半のアメリカ全盛期における帝国主義的な姿勢における彼の存在が果たした役割は大きい。もちろん社会主義政権でありながら米国からの圧力を跳ね返し続けたキューバのようにはならず、アジェンデ政権が倒されたことには彼の失政もまた理由の一つとして挙げられることは事実であるようだが、民主主義であること、民主的な手段で選ばれた政権を自分の気に入らないからという理由で好き放題転覆した米国の姿勢には強い疑問を呈さざるを得ない。彼らの掲げる「自由」「民主主義」とはいったい何なのか。我々も熟考せねばならない課題であるように思う。

なお、アジェンデ政権が亡き者にされたあとピノチェト軍事独裁政権を敷き、米国から送り込まれたフリードマン学派の新自由主義経済学者、通称シカゴボーイズが好き放題やった結果チリでは大きな経済格差が生まれた。ピノチェト時代は大きな経済成長を遂げたなどという情報もあるが独裁政権下での情報であり眉唾である。ピノチェト時代は多くの人が弾圧され、アジェンデ政権の転覆と相まって生まれた大きな経済格差、社会的な溝は50年経った今も未だチリ社会に大きな禍根を残しているらしい。新自由主義は米国や最近になって小泉や竹中により日本にも鳴り物入りで導入されたが、結局その場しのぎでうまく行ったためしがない。強いものだけのための社会の行き着く先は常に破滅である。

今や綺麗に修復され、当時の面影のないモネダ宮殿の周囲には多くのチリ国旗がはためき、その横にはサルバドール・アジェンデ銅像が静かに立っていた。

 

旧市街を歩き、大通りを渡ってホテルに戻る。

疲れもあるので、本日の夕食はホテルに付属するレストランでとることにした。こういう時にレストラン探しをすること自体がリスクである。付属するレストラン「Restaurant Bristol」は有名シェフが腕を振るうというレストランで大変好評らしい。この日は貝のスープとチキングリル、野菜サラダを頼んだが、とても美味しい味付けのスープ、そして野菜が山盛りのチキングリルが出された。合計5000円程度であったが、満足度は高かった。数日後にはクレジットカードが不正利用されて止まり、少ない現金でひもじい日々を過ごすことになろうとは、この時想像だにしていなかった。

本日の夕食