Le Chèvrefeuille

世界は遊覧、思い出の場所であり、われらは去りゆく者

パタゴニア(3) チロエ島

1/30 

8:00-19:00 終日チロエ島観光ツアー

ダルカウエ、カストロ訪問

 

ホテルの窓より朝焼け

本日はチロエ島観光ツアーである。GetYourGuideより予約した。

パタゴニア地域のツアーは外国人向けで値段も2-3万するものが多いが、チロエ島ツアーは昼食が含まれていないものの1万円を切る値段設定である。安いのは嬉しいが、ツアーの質については心配がなかったといえば嘘になる。

朝8時になると、ツアー会社の送迎バスが迎えに来た。送迎バスでは数組の参加者をピックアップし、市中心部でツアーバスに乗り換える。ツアーバスはほぼ満員になっており、ふとましい中年女性の隣に座ることになった。参加者はチリの人が多いようで、一部にドイツ人と台湾人が混在している。本日のツアーガイドN氏は体格の良いおばちゃんと言った雰囲気で、人が良さそうだ。まずは彼女が流れを説明する。英語、スペイン語と時々ポルトガル語を混ぜているようだ。

 

「本日はまずフェリーで海峡を渡り、チロエ島に入ります。フェリーが海峡を渡り終わる前には、必ずバスに戻ってくださいね。そこで小さな教会を見つつトイレ休憩。その後ダルカウエに向かいます。ダルカウエでは伝統的な建物でランチをしたのち、市街で1時間ほどフリータイムを取ります。その後カストロに向かいます。カストロで1時間ほどフリータイムがあり、その後帰る予定。帰着は19時ごろになります。」

「ランチは別料金で、1万5000ペソですが、赤ワイン、そして白ワインが飲み放題です。料理は何種類からか選べます。」と言って、席を回ってランチをどうするか聞きに来た。サケのグリル、貝の煮物、そのほか何種類か選べたようで、自分はサケのグリルを選択した。サケはチロエ島の特産品である。

プエルトモント付近では事故があったらしく20分程度足止めを食らった。この付近では煙が立ち込めている。これは山火事の煙らしい。

「この煙は3日前に発生した山火事のせいですね。この地域には森が多いんです。この事故が山火事と関係あるかどうかわかりませんが。」

1時間ほど走ると海が見えてきた。海峡を黄色いフェリーが行き来している。ここは本来チロエ島と本土を結ぶ橋がかかるはずだったが、今は予算の関係で工事が中断中。2基の橋梁だけが海から突き出ている。完成予定は2099年。もはや無期限凍結といった状態のようだ。しばらくフェリー待ちしたのち、バスはフェリーに乗り込む。

「フェリーにはカフェ、トイレ、テラスがあります。いいですか皆さん。バスが出発準備するまでには必ず戻ってきてくださいね。置いていきますよ!」

フェリーのデッキの上に登ってみると風が強いが、爽やかに晴れた空と青い海、そして穏やかな起伏を持つチロエ島が見えた。

この黄色いフェリーが数隻、24時間運航している

チロエ島を渡るとすぐ、チャカオという小さな町でトイレ休憩。この町はとても静かな雰囲気で、青い屋根と2つの尖塔を持つ教会がある。内部は柱や梁の一部に木が用いられているが、どちらかというとこぢんまりした雰囲気だ。

 

 

チャカオを過ぎると、干潟となった入江の周囲に家々が立ち並ぶ美しい光景が広がる道を通り過ぎる。ここを過ぎるとまるで北海道のような、穏やかな起伏に時折ポプラのような木々、そして農場が広がる風景が広がる。

チロエ島はチョノス、クンコ、そしてマプーチェといった先住民が住んでいた。この地にスペイン人が辿り着き、土着信仰とキリスト教信仰が混じって、木造教会に代表されるような独自の文化が育まれた。もちろん降水が多く、木材が多く手に入るという地理的な事情もあるだろう。南緯41度から44度の間に広がるチロエ島はサケの漁獲が多く、サケ漁やサケの加工の産業を合わせると人工の3割弱がサケ関連産業に従事しているらしい。

道が工事中で一部渋滞しており、ダルカウエを観光後に昼食というプランに変更になった。海が見えてくると段丘面と思われる坂を大きく下り、ダルカウエの市街に出た。

穏やかな入り江の町ダルカウエ

ダルカウエでは精霊信仰がいまだに根付いており、このうちTraucoという男の伝説とPincoiaという人魚の伝説について話してくれた。(こちらのページが参考になるだろう。https://www.chile.travel/en/blog-en-2/discover-the-fantastic-myths-and-legends-of-chiloe-a-place-full-of-mysteries/)ダルカウエ市街は落ち着いた雰囲気の港町で、先住民色の濃いお土産のマーケットが開かれている。街並みも可愛らしい雰囲気で、ゆっくりと流れる時間がとても心地よい。時折マプーチェの旗を掲げるお土産屋があり、土地柄を感じさせる。

ダルカウエには世界遺産となった教会群の1つである教会がある。こちらはくすんだ青色の屋根と白い壁、1個の尖塔を有し、チロエ島の教会群に特徴的な意匠を持つ。内部はティファニーブルーを基調とした可愛い色で塗装されている。教会前の広場にはアラウカリアの大木が植えられていた。

市街にはドラゴンボールを模した絵が描かれたトラックなどがあり、南米では日本のアニメ文化が好まれていることがよくわかる。著作権にうるさい人が見たら発狂しそうではあるが。

1時間ほどのフリータイムを終え、昼食へ。

昼食はダルカウエ近くの小高い丘にあるレストランである。ここではムール貝やサケなどの地元の食材を使った料理が楽しめる。前菜とムール貝料理が出てきたのちに、事前に注文していたサケ料理が出てきた。

たまたま同席していたのは一人旅行をしているというドイツ人の女性、そして隣に座っていた太めのおばさんと、その娘二人。

太めのおばさんに「なぜチリを訪れようと思ったのですか」と聞かれたので、「チリにおける先住民について興味がある。特にマプーチェの人々が今どのように暮らしているのか。本当はテムコやコンギジオ国立公園にも行きたかったのですが」と話した。

おばさんは病院付属の弁護士だそうで所謂白人種だが、娘二人は黒髪で肌の色も濃く、所謂メスティーソである。娘二人のうち姉の方は高校生くらいに見えるが英語をよく話す。国際的な弁護士の仕事をしたいのだという。なおドイツ人も弁護士で政府系の法務の仕事をしているらしい。弁護士ばっかりだな。まあ、ある程度の地位と金がないと旅行もできないということだろう。このドイツ人女性は現在アメリカからチリへ縦断したのち、日本、ニュージーランドと旅行するらしいが、サンティアゴのタクシーを利用後クレジットカードに覚えのない高額請求がされていることに気が付き、現在クレジットカードが止まっている状態と言っていた。今後旅行予定のニュージーランドで友人に再発行してもらったカードを届けてもらうそうである。そんなことがあるのか、とまるで人ごとのようにその時は聞いており、自分が同じ目にすでに遭っているとは想像だにしていなかった。

視野を広げられるような経験ができれば、それをきっかけにさらに視野を広げることができる。もちろん旅行も視野を広げる経験の一つ。しかしある程度金がないとできない体験でもある。海外に行く機会のある人が日本に潜む問題を客観的に指摘する一方で、日本を一歩も出たことのない人が日本の何が問題なのかすらわからずどんどん思想が偏っていき、「日本の○○に世界が驚愕!」といった嘲笑を誘うような番組をまことしやかに信じるようになってしまう(それは政治家にとって大変都合が良い。視野が狭く知識がない人は操りやすいからだ)。なお、ワインが飲み放題なのは嬉しいが、わんこそばのように注がれるので車酔いが怖く、たくさん水を飲んでおいた。

バスに戻るまでに台湾人の大学生カップルと会話する機会もあった。女の方の両親がチリで仕事しており、その関係で二人でチリに来たということらしい。大学生二人でチリとは、なかなか渋い。女の方はおそらく所謂帰国子女で英語の発音が流暢。男の方はまあまあといったところだが、大学生としては上出来だろう(私も大学生の頃は大して英語など話せなかった)。男の方は「日本は政治的にも台湾人にとってはモデルだと思っている」というので、「ご存知の通り日本の政治は高度に腐敗している。オリンピックでもそうだっただろう」というと「それは台湾も同じですよ。やはり日本は良い国だと思います」という。そういってくれるのは嬉しいが。。。

なお、女の方は他の人に「その服のブランド知ってる!」という切り口で話しかけていたし、男の方も日本について話すときに「このブランドは日本でたくさん売っていて云々」などと言っており、台湾人の国民レベルでのブランド思考の強烈さを感じ取らざるを得なかった。こういう国民レベルでの思考回路の偏りはなかなか自分で気付きにくい。恐ろしいことだ。東アジア、特に中国や韓国の異常なほどの学歴偏重社会もおそらく本人たちにとっては当たり前のことだし、謎マナーと非合理的なルールでがんじがらめの日本社会も日本人は当然のように受け入れている。慣習とか風土というのはまさに空気のように我々のまわりにまとわりついており、それを振り払うには海外旅行で文字通りリフレッシュすることが必要である。

レストランの庭からはダルカウエの家並みが綺麗に見えた。

 

さて、ツアー同行者との楽しい交流の時間を終え、次はチロエ島の中心都市、カストロに向かう。こちらはまるで京都府の伊根のような、海に突き出した建築が立ち並ぶ様子が有名だ。30分ほど走ると入江に面してカラフルな家々が立ち並ぶ有名な家並みが出現し、程なくしてカストロの家々を海から眺めるクルーズ船の船着場に到着した。

カストロは1567年、マルティン・ルイスによって征服され建設された都市である。今はチロエ島で最も大きい都市になっている。クルーズ船の料金5000ペソが別に徴収され、船に乗り込む。複雑な海岸線に囲まれた、波の穏やかな入江を船はゆく。海から眺める鱗のような壁を持つ家々が可愛らしく、なだらかな地形と可愛らしい家並みの調和は、写真で見るよりもはるかに美しい光景だ。たくさんの写真を撮った。

 

 

同じツアーに参加している別のドイツ人男2人組と話す機会を得た。こちらはいかつい顔をしており、いかにもドイツ人といった雰囲気。日本に3週間ほど出張した際に所謂飲みニュケーションに連れて行かれたよ、ハハハ、などと言われた。この二人組とはエルカラファテで再会することになる。

30分ほどの船ツアーは終了し、バスに戻る。丘を上ると程なくカストロの市街地に至る。有名な木造教会の前でドロップされ、しばし自由時間を与えられた。

外壁を黄色で、尖塔を紫色という独特の塗装がされ、2個の尖塔を持つサンフランシスコ教会は、チロエ島の木造教会群のなかでも有数の規模を持つ。内部は今まで入った教会と違って全てが木目調で、落ち着いたあたたかな雰囲気を醸し出している。外観はぱっとせず、ステンドグラスなど本場の教会に比べれば質素なものなのだろうが、rib vault(いわゆる肋骨交差穹窿)に沿って曲げられた細い木板が規則正しく並ぶ様は壮観である。

市街は意外にも観光客で賑わっており、小観光都市の様相を呈していた。ツアーバスを待っていると、先ほどの太めのおばさんは教会でチロエ教会の建築に関する本を買って読んでおり、またドイツ人男性はダルカウエで買ったというチロエの神話に関するスペイン語文献を読んでいた。彼らの知的好奇心には頭が下がる。

帰り道では、隣の太めのおばさんが色々と話しかけてきた。あまり英語は上手くないが、言いたいことはわかった。

「なぜチリの先住民問題に興味を持ったのですか」

「先住民は日本人と類似した、所謂モンゴロイド人種です。彼らは数万年前にベーリング海峡を渡ってアメリカ大陸に渡り、そこでインカやアステカなどの文明を築きました。尤もその遺産の多くは、スペイン人によって無惨に破壊されてしまいましたが。チリの南部にはマプーチェが住んでいると聞きます。私は彼らがどういう文化を持ち、どういう生活をしてきたか、そういうことに興味があります」

「なぜテムコには行かなかったのですか」

「コンギジオ国立公園とセットで訪れたかったのですが、適切なツアーが見つけられなかったからです(なお帰国後GetYourGuideでコンギジオ国立公園ツアーが爆誕していることを発見してなんとも言えない気持ちになった。)」

テムコはアラウカニア州の州都で、多くのマプーチェ族の人が住んでいる。テムコ自体は事前調査でも先住民マーケット以外にこれといった見所を発見することができなかった。

「マプーチェ族はずっと前からチリに住んでいて、スペイン人の支配に長い間抵抗してきましたよね。私の知り合いに社会学者がいるのですが、マプーチェの人々は今でもチリの支配に抵抗する人がいるという話を聞きます。彼らは彼らの土地に愛情があるのでしょうね。その彼らの心理を理解できているか、私にはわかりませんが」

彼女は会話の途中でよく自分がかつて読んだ本のタイトルを教えてくれ、彼女が大変な読書家であることを理解した。娘二人を旅行に連れてきているのは、チリという国の全体を彼らに見せて、チリの現状を知ってほしいからということらしい。単なる行楽ではなく旅行そのものに教育的意図を込めているところに教養を感じた。

観光バスはプエルトモントで多くの人を降ろし、プエルトバラスまで戻る人はわずかであった。バスから降りる人でガイドにチップを払う人はおらず、この国にはメキシコのようなチップ文化がないことを理解した。プエルトバラスでは町の中心部で降ろされ、ホテルまで徒歩で戻る。ここで台湾人カップル、一人旅行のドイツ人女性と別れた。ドイツ人女性は私と同様プンタアレーナスに飛行機で向かうとのことで、彼女と連絡先を交換しておいた(これがのちに重要な意味を持つことになる)。昼食をしっかり食べられたこと、時間が比較的遅めだったので、夕食は適当に保存食を食べるのみとした。

ホテルに帰室すると、チップとして置いておいた1ドル札がそのまま置かれていた。大きなベッドにもぐり込み、そのまま就寝。

もう遅いが、広場はイベントでにぎわっていた

チロエ島は私が他の人の写真やブログから想像していたよりもはるかに風光明媚な地域だった。事前情報からは、「のっぺりした地形とどこにでもありそうな風景の田舎町」程度にしか思っていなかったが、実際は「なだらかな地形と可愛らしい家並みの素晴らしい調和」であった。同じような意味の単語をポジティブなものに置き換えただけに聞こえるかもしれないが決して言葉遊びではなく、穏やかな地形、干潟の広がる内湾、かわいらしい家々、そして人口規模の小さい町特有の治安の良い町、どれをとっても好ましかった。木造教会も実際に足を踏み入れてみると思っていたよりもはるかに壮大で、心に訴えるものがあった。ツアーバスは少しボロかったけどもガイドは人柄がよく説明も丁寧で、このツアーが安かろう悪かろうなのではないかという心配は杞憂であった。

やはり何事も実際に目で見なければわからないということなのだろう。本をいくら読んでも、情報をいくらネットで集めても、真実には永遠に到達できない。それは人の目を介した情報だからだ。新しい物事に直接触れる時に自分に生起する感情は予測が難しいし、それこそが旅行の醍醐味でもあるのだなあ、としみじみ思った。