Le Chèvrefeuille

世界は遊覧、思い出の場所であり、われらは去りゆく者

イラン旅行(3)2016.2.21 拝火教の軌跡

2016/2/21

7:00 シーラーズ・バスターミナル

7:30 高速バスにてシーラーズ発

15:00ごろ ヤズド・バスターミナル着

ヤズド市内観光(ゾロアスター教寺院、鳥葬の塔)

マレク・オットジャールホテル泊

 

本日はヤズドへ移動の日だ。Breakfast boxをあらかじめ頼んでおき、早朝にホテルを出る。タクシーでバスターミナルまでは11万リヤルだったが、10万リヤル札しか持っていないことを伝えるとまけてくれた。ありがたし。

自分たちの乗るバスはバスターミナルの15番に停車していた。Miihannur-Aaliyaaというバス会社のものらしい。ヤズドに来ていたというオーストラリアからの旅行者が今まで訪れた自分の旅行先について語っていた。親の遺産で食いつないでおり仕事はしていないという。イランは北朝鮮と並びもっとも面白い旅行先だったという。北朝鮮に旅行するとガイドがぴったりとついて親切に案内してくれるのだという。なるほどね。私も親の遺産で食いつないで好き放題旅行したいわ。と思ったのは内緒。

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朝のシーラーズのバスターミナル

バスに乗り込む。バスでも相変わらずローカルな音楽が流れている。この国では乗り物で音楽を流すのは普通のことなのだろうか。そういえば沖縄で高速バスに乗った時、日本では珍しく音楽を流していたことを思い出した。昨日ペルセポリスに行く際に通った道をさらに進んでいき、深く刻まれた谷を越えると、次第に景色が砂漠化してくる。まばらに枯草の生えた茫洋とした地平をただただ進んでいく。途中でトイレ休憩をはさむが、そこで珍しい5000リヤルのコインを手に入れた。

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トイレ休憩。周りは完全な砂漠で、こんなところに放置されたら多分死ぬだろう。

砂漠地帯から少しずつ標高を上げ、頂上に雪をいただいた山が見えてくる。植物が次第に増えてきて峠を越えたと思うと市街地に下っていく。本日の目的地、ヤズドだ。なおこの峠、手元の高度計を見ると2000mを優に超えていた。もっともイラン高原上の都市は多くが標高1000m以上のところにあるので、それほどすごいことではないのかもしれない。

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山を越えるとヤズド市街に出る。奥には残雪を抱いた山も

ヤズドのバスターミナルではタクシードライバーたちがバスの扉のところにスタンバっていて、おそらく白タクの運転手に半ば強引に勧誘された。ホテルへ向かう途中、タクシー運転手は「マレク・オットジャールホテルはきわめてイマイチのホテルだ、○○ホテルのほうが絶対にいい、そっちにしなさい」というが、残念ながらすでに手配済みである。若干眉唾な雰囲気のオッサンだし、とりあえず聞いたふりをして右から左に流した。ホテルまで14万リヤル程度で、調子のいいオッサンのわりにあんまりぼったくってこないなあなどと思った。しかしそのドライバーはトランクから荷物を取り出す際に、友人のザックのサイドポケットがトランクのどこかの突起に引っかかっていたのを力づくで取り出したので、友人のザックの一部が破れてしまった。なお新品だったそうである。

マレク・オットジャールホテルはキャラバンサライ(隊商宿)を改装したお洒落な雰囲気のホテルで、全館にかぐわしいフレグランスが焚かれている。こういうお洒落な装飾は日本だと妙齢の女性が「カワイイ~」などと声を上げてまるで女子力の象徴であるかのように女性雑誌に取り上げられるが、本来こういうのは現地の人々が生活に彩を添えるための遊び心で、元来性別というのは特に意識されていないはずである。荷物を置いて少し休んだ後、タクシーを呼んで拝火教神殿と鳥葬の塔に向かう。ヤズドのメインストリートは正面に大きなミナレットを備えた建築が見え、大変印象的だ。

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メインストリートの奥にそびえるタキーイェが印象的

拝火教神殿では入口で5万リヤルを払う。小ぶりな建物であるが、ゾロアスター教の守護霊プラヴァシが描かれている。

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ゾロアスター教寺院(アーテシュキャデ)。小ぶりな建物だ

内部に入ると1500年前から燃え続けているという火が展示されているほか、ゾロアスター教の教祖ザラスシュトラの絵が飾られている。ニーチェの有名な著作、「ツァラトゥストラはかく語りき」のツァラトゥストラである。あの著作ももはや有名になりすぎて一種の流行になってしまった感じがある。人口に膾炙することと正しく理解されることは残念ながら往々にしてトレードオフの関係にある感があり、流行になるということは当然多数の人にとってわかりやすいように棘が抜かれ、内容が歪められて消費物の一つに成り下がってしまったことを意味する。それは本当にニーチェの望んだことだろうか。

さて、ゾロアスター教の軌跡については自分の知識の整理も兼ねて一応まとめておく。ゾロアスター教はアケメネス朝ペルシア時代にはイランの国教であったといわれており、ペルセポリスでも王の墓に守護霊プラヴァシ(フラワシ)が刻まれていることを述べた。その後アレキサンダー大王による一時的な征服、セレウコス朝アルサケス朝といったヘレニズム文化の影響を受けた王朝の隆盛と衰退ののちに、サーサーン朝において再度国教としての扱いを受ける。サーサーン朝はイランやトルクメニスタンアフガニスタンからアナトリアに至る大帝国を築き上げるが、東ローマ帝国との相次ぐ抗争の果てに国力が減弱。7世紀に興ったイスラーム勢力との闘いに次々と破れ、651年にあっけなく滅亡してしまう。その後のイスラーム王朝による支配によりペルシアの地にはイスラームが浸透していき、ゾロアスター教は次第に衰退していくことになったわけである。

なお現在のイランでは、ヤズド市の1割にあたる3万人程度の信者がいるそうだが、ゾロアスター教は信徒を親に持たない人の入信を受け入れていないらしい。燃え続ける火もなんだかさびしげで、縁起でもないかもしれないが風前の灯火という言葉を思い出してしまう。この火はガラス越しにしか眺めることができないので、あまりきれいに写真を撮れなかった。

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燃え続ける火

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ゾロアスター教の祖、ザラスシュトラ

そのままタクシーで鳥葬の塔に向かう。鳥葬の塔は町のはずれの小高い山の上にある。塀に囲まれた区画の入口で5万リヤルを払い、少しゴツゴツして歩きづらい山の上にある塔をめざす。敷地内にはバードキールというカナートの換気口がある。

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鳥葬の塔とバードキール


火を神聖なものとみなすゾロアスター教のもとでは火葬は行われず、遺体が鳥により食べられることで土に還す鳥葬という独特の葬儀が行われた。この葬儀を行う場所が鳥葬の塔というわけである。このエリアには2つの鳥葬の塔があるが、より手前にある立派な塔をめざすことにする。頂上からは雑然としているが様式美のある旧市街と、人工的なアパートの立ち並ぶ新市街が見て取れるヤズドの市街が一望のもとに見渡せる。鳥葬の際に遺体が安置されたであろうへこみがあるが、当然人骨などのおどろおどろしい気配はなかった。友人はこの塔で寝ころんだ写真を撮っていた。

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鳥葬の塔から市街地を見下ろす

鳥葬の塔から降りたころにはすでに日はだいぶ傾いていた。タクシーでホテルに戻る。ホテルの部屋の鍵は古びた閂だが、カギをこじ開けて侵入するような人などそうはいないのだろう。白塗りの壁に囲まれた狭い部屋だが、ところどころに遊び心がある。このホテルは中庭が雰囲気のよいレストランになっており、ひさしぶりにくつろいでまともな夕食をいただくことができた。感無量である。バスターミナルで拾ったタクシーの運転手が言っていたよりよほどまっとうなホテルである。なおバスタブはなくシャワーであったが、それは砂漠都市という都市の事情を考えれば、仕方のないことだろう。

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ホテルの中庭はレストランになっており、雰囲気がよい

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久しぶりにまともな夕食にありつけた。ナン、サフランライス、ヤズドの煮込み料理