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11/6
5:30 ホテル・ビビハニム発
6:00 サマルカンド鉄道駅到着
6:35 サマルカンド駅発
8:50 タシケント駅
9:00~18:00 タシケント観光
18:30 タシケント国際空港
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11/7
8:55 ソウル着
(トランジットホテルにて休息)
15:10 OZ106 ソウル発
17:20 成田着
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本日の朝は早い。
3日お世話になったサマルカンドのホテルを寒いうちに出発し、サマルカンド駅へ。
まだ空は真っ暗で、やや無機質だがブハラ駅よりは立派なサマルカンド駅は青いライトアップがされており、幻想的ですらある。おやまた例の日本人女性二人組がいる。笑。
1時間ほど待つと改札開始である。
ブハラからサマルカンドに移動する際は席はエコノミークラスだったようで、無機質に席が並んでいたが本日はランクアップした座席になっている。旅行会社からとくに席のグレードについては言われていなかったが、いい加減なもんだ。それとも席数の関係だろうか。向かい合わせで相席ではあるが、パンまでサービスされるという。
相席となったのは少年とおばあさん。子供とその祖母であろうか。この子供、片言の英語ではあるが、私に興味を持ったらしく、かなり積極的に話しかけてくる。「どこの国から来たの?」「日本はどんな国?」「イスラームに興味がるの?」「コーランは読むの?」などなど。
覚えたての英語で頑張って話しかけている雰囲気がとてもかわいいのだが、日本人にはない積極性、外の世界への興味を持ち合わせている。これはイランにも言えることだが、単に経済的には発展途上国(この言い方は奇妙でしかないのだが…これはまた後述する)だから外の世界に興味を持たざるを得ないということではなく、純粋に外の世界に対する興味関心が強いのだと思う。日本人だったら隣に外国人がいたらしかめ面をするかよそよそしい表情でそっぽを向くか、どちらかだろう。日本にはいいところもたくさんあると思うが、そういう日本人の性質はあまり好きではない。
イスラーム文化に興味があるという話をしたところ、おばあさんがメッカに巡礼に行った時のお話をしてくれた。このおばあさんは英語は話せないのだけど、小学生が通訳的な感じでいろいろ教えてくれた。メッカ巡礼の時のおばあさんの写真を見せてもらったが、彼女はとても嬉しそうに写真に写っており、ムスリムにおけるメッカ巡礼の重要性について強く認識させられた。
旅行の醍醐味は、見知らぬ人と出会うこと、そして見知らぬ人と話をすることである。彼らはいい人かもしれないし、もちろん悪い人かもしれない。しかし、それでも自分と全く違う文化的背景で生きてきた人々の話に耳を傾けたり、違和感を持ったり、そういいうことに意味がある。そしてそういうものの蓄積が人格の涵養に効いてくるんだと思う。
車両の客室乗務員の女性はとても美人さんであったが、なんと日本に行ったことがあり、すこし日本語が話せるのだという。せっかくなので、このご家族と一緒に写真をとってもらうことにした。この客室乗務員の方も一緒に写真に入ってもらえればよかったなと思ったけど、まあ今更仕方のないことですね。とても楽しい時間だった。
下の写真はそんな場面の1シーンである。
そもそも、発展途上国とは何か。経済規模が劣っていたり、近代化が遅れているだけで発展途上国というのは奇妙なのではないか。経済的には豊かでなくとも、物質的に恵まれてなくとも、小さな幸せを享受して生きている人たちはたくさんいる。むしろ彼らの方が成熟した精神世界を持っているのではないか。いつまでも飽くなき利潤を求め、欲望にまかせて経済発展やイノベーションを志向することが、果たして本当に高邁な精神を有する人間のすることか。極めて疑問である。強欲であればあるほど得をするような資本主義というシステム、そして資本主義に基づいた経済規模を測る一面的な数字の指標だけで世界を見ようとする価値観には、異文化を理解しようとする姿勢が欠如ししているように思われ、きわめて幼稚と言わざるをを得ない。国内総生産や国民総生産で国を測って偉そうにしている方々こそ真に発展途上的な人間である。
そんなことを考えているとああ、もうタシケントに到着だ。
乗務員とおばあさん、小学生に別れを告げて、タシケント市街へ向かう車に乗り込む。
ガイドは本日はフリープランでもいいし、近くの大自然の景勝地を案内してもいいという。想定外だったので少し迷ったが、ガイドの人相が今一つ信用できなかったので、自分で市内観光をすることにした。まあ首都なんてたいてい、見どころがないか治安が悪いかどっちかなんだけどね。自分の意向を伝え、オペラハウスの前でドロップしてもらった。
こちらのオペラハウスは旧ソ連時代に、抑留された日本人の手により作られたものだという。地震の時も大きな被害を受けなかったといい、携わった日本の方々の思いや勤勉さが偲ばれる。
オペラハウスからGoogle Mapを頼りに市街を歩き、広場の真ん中にあるティムール博物館に出る。まだドアは閉まっているが人がたくさん並んでいる。残念ながらこの国には列を作って並ぶ習慣がないらしい。チケットを買う際に苦労したが、まあ異国というのはこういうものである。ティムール博物館は円筒型の立派な建物であるが、私自身底まで博物館が好きなわけではないので、さらっと通り過ぎてしまった。しかし天井の装飾がなかなか美しかった。
さて、地下鉄でチョルス―・バザール方面に向かう。
昨日に引き続いて非常に体調が悪いし、チョルス―バザールのあたりは治安が良くないとガイドブックに書いてあるので、その近傍にあるというハズラティ・イマーム・モスクに向かうことにする。地下鉄駅に入るにはジェトンという青いプラスチック製のコイン状のものを購入して乗る。駅にはたくさんの警察官がおり、荷物検査がされる。駅の装飾はなかなか見事ではあるが、車両は薄暗く車両間の行き来ができない。でもヨーロッパの地下鉄のようなスリがうじゃうじゃいそうな雰囲気ではなかった。
駅は撮影禁止とガイドブックに書いてあったものの、警察に聞いたところ撮影OKとのことであったので、撮影させてもらった。
チョルス―駅を出るとすぐそこにクカルダシュ・マドラサという歴史ある現役のマドラサとプラスチッキーな安っぽい色でドームが塗りたくられたモスクがあり、好対照をなしている。
バザールは生鮮食品を売っているとのことだが、特に興味もないのでバザールの横を通過し、歩いてハズラティ・イマーム・モスクへ向かう。この辺りはどうやら旧市街らしく、高さの揃った小さな民家が密集した雰囲気がみられる。
15分ほど歩くと、ハズラティ・イマーム・モスクに至る。モスクはムスリム以外入ることはできない。薄い水色のモスクのドームが、まるで天王星のようなイメージ。近くにはクルアーンの写本が収められた博物館があり、アラブ人がアラビア語を話しながら入っていった。マドラサ跡はお土産物屋が入っている。ガイドブックには一切触れられていなかったものの、木彫りのクオリティはブハラのそれと引けを取らないどころか、こちらの方が高いかもしれない。タシケント、土産物探しの穴場だと思う。
Gafur Gulom地下鉄駅まで徒歩で戻り、Kosmonavtlar駅で降り、ウズベキスタン工芸博物館へ向かう。閑静な住宅街を駅から15分ほど歩くと、ロシア公使の公邸として使われていた建物に到達する。建築それ自体も美しいが、博物館内には各地のスザニなどの工芸品が飾っており、なかなかのもの。
なお、ここには土産物屋があるとガイドブックに書いてあったものの、めぼしいものは何一つなかった。
近くにあるSal-Salというレストランに行き、昼食をとることにする。
ウズベキスタンに来てから、何度プロフを食べたことか。しかしまあ、昼や夜の食事としては空腹を満たすのにちょうどいいのである。この店のプロフはブハラのチャイハナ・チナルに劣らないおいしさであったものの、値段はブハラの倍以上。所詮は都会値段である。
待ち合わせは初日に泊まったホテルということなので、ホテルのロビーにある休憩所でお茶を注文し、2時間ほど暇をつぶした。待っているとようやく朝のガイドが来る。特に私に何かを問うこともなくタシケント空港まで連れていき、別れを告げた。
空港では早めにチェックイン。
現金をある程度以上もっていると出国審査で税金が取られるという話だったが、有り金をすべて見せたところ大丈夫とのことであった。飛行機に乗り込む際に、日本人観光客が「なんで列になって並ばないのかしら?」と文句を言っており、日本人らしいなあと思った。でもちょっとお門違いな文句だとも思う。
飛行機に乗り込み、仁川空港へ。
あまりにも体調が悪くどうやら発熱しているようだ。あまりよろしくないのでトランジットホテルに駆け込み、数時間寝た。症状が改善するかと思ったが、これはだめだ。
日本に帰国し、成田エクスプレスで東京の自宅へ。
イランの時と同様、また一週間ほど寝込んでしまった。海外旅行はとても神経を使うので、免疫力が下がってしまうのだろうか。海外旅行好きな一人としては、これは対策を練らなければいけないと思う。