Le Chèvrefeuille

世界は遊覧、思い出の場所であり、われらは去りゆく者

ウズベキスタン(9) エピローグ

1年越しに、ようやくウズベキスタン旅行記を書き終えた。

忙しさと(はてなブログ様には申し訳ないが…)画像のアップロードの手間、そして何より最近は文章を書く精神的余裕が全くなく、存在は覚えていたものの書くことが後回しになり、気が付いたら最終更新日が344日前とかになっていてまあ、時の流れの速さに絶句した。

(5)雪の峠道 の日は本当に深く記憶に残っている。当時の過去を振り返れない自分をまるで象徴するかのような景色が目の前に広がり、心の中は涙であふれていた。あの日から3年、希望を持ってはすぐに失望に変わるという経験をいったい何度繰り返したことか。それはまるで、三途の川の石積み、ギリシア神話でのシシューポスやタンタロスの経験したような、苦労と一言で片づけるにはあまりにも重すぎるものであり、それこそ信仰がある人にとっては神の罰なのではないかと思わせるほどの苦行で、それが2年ほど続いた。

1年ほど前から突如として流れが良い方向に向かい始めた。氷雪はやみ、分厚い雲が切れ、光が差し込んできた。次第に嵐は去った。今はもう、どこまでも広い青空である。忍耐がどれほど重要であることか。しかしその一言で片づけるには、どれほど重苦しい時間を過ごしたことか。「どんなに適当に生きているように見える人にも彼らなりの苦労がある」という話を以前「感謝」の記事で書いたように思うが、これはこの経験から学んだことである。

ウズベキスタン旅行自体は大変素晴らしい時間だったものの、文化の濃厚さという点ではイランにやや及ばなかった。また後から考えると、ガイドブックには載っていないがアフガニスタンとの国境都市、テルメズに行ってみたかった。そして何よりおそらくロシア支配時代に浸透した、西欧的近代的志向のようなものが古い町並みをむしばんでいる場面に遭遇することが少なくなかった。それでも人々は人と話すことが好きで、海外の人に好奇心を向ける雰囲気はやはり中東の文化圏の一部であるなあとも思わされた。

このあとオマーン旅行を最後に新型コロナウイルス感染症が世界を席巻し、海外旅行とは無縁の生活を送ることになる。これもこの3年ほどが苦しかった原因の一つである。

今は新型コロナウイルスも次第に弱体化・人との新和化が進み、だいぶ風邪のようになって行動制限もほとんどなくなった。ようやく海外への扉が少しずつ開きつつある。

氷雪の嵐が永遠に続くことはない。暗い時代、苦しい時期には必ず出口がある。

この記事を書きながら、そんなことを実感している。

 

なお、先述の通り(4)までと(5)以降では執筆時期に1年ほどの空白がある。この空白の間自分の人生も大きく転回した。したがって(4)までと(5)以降の記事には一度前の記事で触れたことと被っている部分があるかもしれない。また、(1)~(4)までの記事は「嵐の中にいる自分」が、(5)以降の記事は「嵐を抜け出した後の自分」が執筆しているので、この2者の間には自分ではそれほど気づかないのだが無意識のうちに文体や視点の相違があるかもしれない。それもそれとして楽しんでいただけたら幸いである。

 

さて、近日中にはオマーン旅行の記事を書きはじめることができるはずだ。

ウズベキスタン旅行の中からベストショット