Le Chèvrefeuille

世界は遊覧、思い出の場所であり、われらは去りゆく者

パタゴニアとイグアスの滝(12) イグアスの滝

2/8

7:00より

ブラジル側・アルゼンチン側イグアス滝観光

プエルトイグアス空港へ

AR1741 2025IGR 2220EZE

着後、ブエノスアイレス市街へ

Savoy Hotel

 

本日は終日イグアスの滝を観光し、夜にブエノスアイレスへ移動する。

イグアスの滝は現在アルゼンチン側観光の目玉である悪魔の喉笛遊歩道が流されているため、十分な観光ができない。1日でアルゼンチン側とブラジル側をまとめて観光できないかと考え、少し高価だったがブラジル側・アルゼンチン側どちらも観光できる終日プライベートツアーを予約した。

朝起床し、朝食。

冷たい風が強く吹くパタゴニアの大地とは打って変わって、暖かい空気の中を鳥が囀り、とても気持ちが良い。食堂では朝食が出されたが、パン、ジュース、フルーツいずれも美味しい。特にフルーツはパタゴニアで出されたものと鮮度が全く違い、目が覚めるようなおいしさだった。主人曰く「パタゴニアはフルーツを空輸しているからね!ここの果物はとれたてだよ。」

 

ゆっくり時間を過ごしたいが迎えが来ているので、荷物をまとめてガイドの車へ。

本日のガイドはA氏、日系ブラジル人2世であり日本語を話せるガイドである。1世のご両親はブラジル移民の募集が終了する直前にブラジルへ移住。日本にいる近しい親族は叔母だけらしい。本日の予定を説明される。まずは3カ国国境へ向かい、その後ブラジル側のイグアス滝を観光。その後アルゼンチン側に移動し、昼食をとりつつアルゼンチン側を観光。オプションツアーとして130ドルでイグアス滝の滝壺へのボートツアーを提案された。ずぶ濡れになるということと正直持ち金はそれほど多くないのでやや躊躇したが、すでに旅行終盤であり今後それほどの出費予定もなく、今後そう何回も訪れられる場所ではないだろうと考え、今回は参加してみることにした。

まずは3カ国国境へ向かう。宿から車で数分のところだ。アルゼンチンの国旗が真ん中に、両サイドにパラグアイとブラジルの旗が立っている。「ブラジルの旗が小さいのが気に入らないですよねえ。」と日系ブラジル人ガイドはいう。

i guazuとはグアラニー語で「大いなる水」の意味

ここはイグアスの滝のあるイグアス川パラナ川に合流するところで、川がそのまま国境線になっている。アルゼンチンとブラジルを結ぶ橋は80年代に作られたそうだが、新たにブラジルとパラグアイを結ぶ橋が最近完成した。しかしながらまだ出入国管理ゲートの工事がまだ済んでおらず、供用は先になるらしい。

橋の手前でアルゼンチン側の国境を越え、さらに橋を越えたところでブラジルに入国。アルゼンチン側はスタンプを押されないが、ブラジル側では入国スタンプが押された。ほんのわずかな時間ではあるがブラジルへの入国を果たす。この国境橋、数ヶ月前のペソ切り下げによってアルゼンチンの物価が相対的に下落し、ブラジル側からアルゼンチン側へ買い物の車が殺到したらしい。なお、ブラジル人の彼から見てアルゼンチンの人はプライドが高いらしく、高いインフレ率で生活が苦しくてもアルゼンチン人にインフレはどうですか、と尋ねると「全然平気ですよ〜」と強がるらしい。

これはアルゼンチン側ゲート

しばしド派手な宝石などが並ぶお土産店でトイレ休憩。

ブラジル側はアルゼンチン側と比較して森林破壊が顕著であり、イグアス国立公園の領域外の土地はほとんどが農場化している。ところどころに赤土が露出しているのがわかる。しばらく走ると、国立公園の入国ゲートへ。ここでガイドがチケットを買って、入場。

 

国立公園内を走ることができるのは、路線バス以外に一部のガイドツアーの車のみ。今回はプライベートツアーなので、国立公園内に車で入場できた。往復に時間の融通が効くので個人ツアーのメリットは大きい。国立公園内に入場すると車は最高速度40kmを遵守する必要があり、GPSを渡され速度を管理される。これは公園内の生物を保護するためのもの。速度超過だとしばらく国立公園内への入域が認められなくなるそうだ。

美しい森の中を行く

高い木々に囲まれた道をゆっくり通っていく。しばらくして駐車場に到達した。

遊歩道は川沿いの崖に沿って付けられており、しばらくここを歩いていく。対岸にアルゼンチン側の滝が見える。

朝の時間はブラジル側から虹のかかる滝を拝むことができる

時折展望台が設けられた遊歩道を歩いていくと、滝の上に遊歩道がつけられている場所に到達。ネットでもよく見かける、有名な展望台の一つだ。

滝は二段になっており、遊歩道のつけられた場所はその中段にあたる。

遊歩道は水しぶきがすごく、遊歩道の先端では轟音を立てて流れ落ちる黄色を帯びた水が凄まじい。なかなか例えようのない、みたことのない景色だが、強いて例えるなら映画で見るような旧約聖書の海割れだろうか。地球のダイナミズムを感じさせる壮大な景色だ。流れ落ちる滝の水しぶきの影響で、美しい虹のかかった滝を見ることができた。虹を見るにはブラジルを午前中に観光するのがおすすめだそうだ。もはや写真の方が雄弁だろうから、コメントは少なめに。

エレベーターが設置されており、滝の上部まで登ることができる。滝壺の間近まで近づくことができた。

 

ブラジル側遊歩道の散策を終え、アルゼンチン側へ向かう。ブラジルを出国し、橋を渡り、アルゼンチンに入国。

昨日夜通った道であるが、昼に通ると全く雰囲気が違う。アルゼンチン側はブラジル側と打って変わって森林がよく残っているが、思っていたほど鬱蒼とはしておらず、明るい雰囲気の森が広がっている。20分ほど走っただろうか。ゲートを過ぎ、アルゼンチン側国立公園入り口に到着した。

 

入り口を入ると小さな列車に乗り込み、国立公園の奥の方に向かう。列車は前の方が空いていたが、あまりにも前の方に行くとエンジンの熱で暑いとのことで、ガイドに導かれて一番前の車両の後方に座った。

 

気温が高く暑い。時折吹き抜ける風が救いだ。列車は目的地に到着。本当は線路はこの先の悪魔の喉笛散策コースまで伸びているのだが、悪魔の喉笛コースは昨年の洪水により流されてしまって現在は歩くことができない。

駅に到着し、散策を開始。今後滝壺ボートツアーで濡れる予定があるということで、大きな荷物は車の中に置かせてもらう。滝の上を散策するルートと下を散策するルートがあるが、まずは滝の上から散策することになった。

滝の上ルートでは、穏やかに流れる水や森林の中を歩く道で、アップダウンはほとんどなく快適な散策コース。ブラジル側のように滝の全貌は見えないが、時折連なる滝を望むことができる。歩道の終わりに近づくと水の上に付けられたコースを歩いていき爽快感があるが、日差しが容赦なく汗が滝のようだ。

 

歩道は盲端になっており、ここから引き返して歩道入口へ戻る。
時折ハナグマが姿を表す。ガイド曰く多数生息しているのでそれほど珍しいものでもないらしい。実はけっこう凶暴で引っかかれてけがをするなどの被害も報告されているようだ。穏やかな水流の中を探すと大きなナマズが見つかることがある。羽の模様が美しい蝶もたくさんいたが、写真撮影はなかなか困難で、蝶の写真は結局1枚も撮れなかった。

ナマズ(左)とハナグマ(右)

昼食はフードコートが並ぶエリアで摂る。現金をそれほど持っておらずクレカも使えないこと、暑くお腹もそれほど空いていないことから、軽食屋でハンバーグと野菜のエンパナーダ、そしてリンゴジュースを選択。全部で1万ペソ程度の値段だった。暑さで汗を多くかき、喉が渇いていたためリンゴジュースのボトルはあっという間に空になった。

さて、次は下部コースを歩く。イグアス滝は二段に分かれている部分が多いが、階段状になっている部分のちょうど真ん中のバンド状のところにコースはつけられている。こちらの方が起伏に富んでおり、上から流れ落ちる水しぶきを浴びる場面が多く、滝も全体像が望めて臨場感がある。ここで二日前にパイネ国立公園ツアーで一緒だったオランダ人と遭遇。せっかくなので記念撮影した。時折展望が開け、滝壺これから乗る滝壺ボートも見えた。

このコースではイグアス滝本体だけではなく、支流にかかる小さな滝も見ることができる。小さな滝もこれはこれで趣があってよい。

支流の小さな滝。小さな、といっても大きい

 

一通り遊歩道を回り終わり、最後のアトラクション、滝壺ボートである。

ボートの待合室に行き、時間を過ごす。椅子が用意されており、さらにエアコンが効いていて大変快適であった。30分ほど携帯をいじりながらゆっくりしていると、次第に空が暗くなり大雨が降ってきた。まさにスコールである。

時間になると待合室近くの駐車場に、ボート乗り場まで連れて行ってくれるオープントラック的なものが現れた。皆突然のスコールでずぶ濡れになっている。前の時間帯の乗客が完全に降りた後、椅子に溜まった水はちゃんと掃除されていた。さて、今度は我々が滝壺ボートに乗る番である。スコールの雨脚もだいぶ弱まってきた。

滝壺ボート乗り場まではかなりの距離があり、トラックはゆっくり走る。ここでイグアス周辺の森林の説明や、今回のツアーの注意点について聞く。かなり濡れるということで、黄色い防水袋が配布されたものの、私は何も入れず靴への浸水防止のために膝掛け的に使おうと考えた。これは微妙に成功だったような気もするし失敗だったような気もする。

ガイドの説明を受けながら、船着き場へ

20分ほどで、船着場に到着する。救命胴衣を身に付けさせられ、船に乗り込む。バスを降車する時点で、ボートに向かう列のうち割と先頭に近いところを歩いていたはずだが、どうしても先頭を取りたい現地の青年どもに抜かされた。うーん大人気ない。まあ青年だしな。

船着場へ向かう

人々を乗せて、ボートは水の上を滑り出す。かなりのスピードだ。

しばらくは穏やかな水流をいくが、しばしゴルジュのような水流の激しいところも現れる。ブラジル側ボート乗り場を左手に見て進んでいくと、まずは悪魔の喉笛側の滝壺に到着した。ボートはある程度水しぶきがかからない程度のところで引き返すのだと思っていたが、船は滝の飛沫が敢えてたくさんかかる程度のところまで滝壺に突っ込んでいく。崖の上から轟音を立てて目の前に水しぶきの塊が流れ落ちるその迫力は、確かに滝壺からでしか見ることのできないものだ。

滝壺のかなり近くまで接近。だがこれは序の口だった

一旦引き返し、中洲のようになっている島を迂回し、アルゼンチン側の滝壺へ向かう。

 

次第に水流が激しくなっていき、次第に周囲が霧、いやもっと大粒の水滴に包まれる。まるで雨の中にいるようだ。夕方にスコールが降ったからか、昼間見た時よりも水流が増しており、爆音を立てて凄まじい勢いで水塊が蠢いている。なかなか写真では伝えがたい迫力だ。流れ落ちるとかそんなチャチなものでは断じてねえ、もっと凄まじいものの片鱗を(黙

ボートはこの流れの激しい滝壺に突っ込んでいく。

服は多少濡れる程度だろうと思っていたが、滝壺の直下はまるで集中豪雨のようであり、下着まであっという間に濡れて、身に付けていたウエストポーチまでびっしょりになった。限界まで写真や動画を撮り続けていたものの、もはや目を開けていることすらできず、目の前が真っ白になった。

この写真を最後に目を開けていられなくなった

どれほど時間がたっただろうか。ようやく滝壺からボートは離れ、帰路に着く。

思っていたより激しく濡れた。予想のはるか上をいく凄まじいアトラクションだった。

 

ボートを降り、オープントラックは公園入り口まで我々を送ってくれた。

国立公園の閉園が近く、入り口に人はまばらである。あまりにもずぶ濡れで、服もズボンもびっしょり。確認してみると、パスポートや現金の入っている防水であるはずのウエストポーチまで普通に浸水していた。まじか。財布や貴重品はチャック付きビニール袋に入れておいたため無事だった。正直このアトラクションはここまで濡れると予想していなかった。ガイドは私がトイレで着替え終わるまで待っていてくれた。黄色い防水袋を膝掛けがわりに使っていたおかげで靴は浸水せずに済んだのが救いだ。上から下まで全ての服を着替えた。

入道雲の見える夕暮れのイグアス国立公園入口

夕暮れのやわらかい日差しの中を、空港へ向かう。

空港では荷物の預け入れが終わるまでガイドが待っていてくれた。今回のツアーはそれなりに高くついたがイグアスの滝のブラジル側とアルゼンチン側を1日で効率よく回ることができ、プライベートなので融通も効き有意義なツアーだった。感謝申し上げ、登場ゲートへ。本日のスコールのせいか飛行機の出発が遅れ、1時間ほどの遅延となった。

 

ブエノスアイレスのエセイサ国際空港は市街からはかなり離れたところにある。事前情報で地下鉄に乗るのに必要なSUBEカードは市街で手に入りにくく、空港のキオスク(OPEN 25hrs)に大量の在庫があるという噂を聞いていたので、荷物を回収後出口を出てすぐのところにあるOPEN 25hrsに直行。SUBEカードを840ペソで手に入れた。本当に有り余るほど在庫があって驚いた。

 

空港に着いたのは22時を回っていたが、空港ではドライバーとガイドのおばさんが出迎えてくれた。ホテルへ向かう車の中でブエノスアイレス市街のマップを渡してくれ、みるべきところ、歩いて良いところや治安の悪いところ、バッグはひったくりなどありうるので前に抱えて持った方が良い、携帯のひったくりがあるので気をつけろ、などの注意点を伺った。また、朝9時前は警察が町でパトロールしていないので治安が良くないと言っていた。こんな深夜なのにありがたい。なんだかすみません。

30分ほどで夜の怪しげな家々の明かりが灯るブエノスアイレスの市街地に到達した。街中は女性が歩く姿もあるが、不良の男どもが屯しており雰囲気はあまり良くない。夜出歩くのは少なくとも避けた方がよさそうな雰囲気だ。程なくして、Savoy hotelに到着。

 

Savoy hotelアインシュタインも泊まったという歴史あるホテル。ブエノスアイレスの典型的な建築様式を踏襲しており、ロビーは妖艶な赤いシャンデリアが灯り、奥のバーホールは絢爛な装飾がなされている。チェックイン時に保証のためクレジットカードの番号が必要と言われたが、ガイドのおばさんがフロントスタッフに事情を説明してくれた。明日の17時半にホテルロビーで待ち合わせということを確認し、ようやく自室へ。時間は23時を回っていた。Savoy hotelの客室はグレーとブラック、ホワイトで統一された内装で、天井がかなり高く、格調の高さを感じさせる。

Savoy Hotelのロビー

荷物を引っ張り出す。服はびしょびしょに濡れており、しばらくビニール袋に入れておいたからか若干の生乾き臭がし始めている。洗うのも面倒だし着替えはあるので、濡れた服を絞って干すことに。

イグアスの滝とはまあありがちな有名どころの観光地だなあなどと斜に構えたことを思っていたのだが、実際に行ってみるとその規模や水量は下馬評に違わぬ迫力だったし、周囲の自然も含めて十二分に訪れる価値があった。

正直最後のボートツアーは高価だと思ったし、濡れると聞いて躊躇したし、実際思った以上に濡れてしまいポーチの中身まで全て干さなければいけない始末であったが、不思議と後悔はなかった。こういう無茶なツアーには、慎重な性格の私は人に勧められなければ決して参加しなかっただろう。自分の殻を破るには、時には自分の意に反して他者に強制されることも必要である。きっとあの時あんな無茶なことしたな、という思い出に残りそうな体験だった。参加して良かったと思う。

濡れた服を絞ってハンガーに掛けながら、そんなことを考えていた。

旅行中は朝にシャワーを浴びることが多かったが、さすがに何が入っているかわからない(?)滝の水でずぶ濡れになってしまったため、シャワーを浴びてから就寝。

明日はブエノスアイレスの市街観光である。長かった旅程も、明日で最終日。非常に感慨深い。

 

 

パタゴニア(11) プエルトイグアスへ

2/7

0900 ミヤザトイン発

AR1968 1130FTE 1610AEP

ブエノスアイレス、ホルヘ・ニューベリー空港で乗り継ぎ

AR1740 1850AEP 2040IGR

バスにてホテルへ移動

Rincon Escondido B&B

 

この日はほぼ移動のみでそれほど内容がない記事になりそうだが、一応記録を残しておくことにする。

朝起きると、どうも胃が痛い。思いあたる節としては昨日夕食がかなり遅かったこと。そのまま寝てしまったため逆流性食道炎のような感じになってしまったのだろうか。まあ大丈夫だろう。本日は朝に余裕があるため、ゆったりと朝食とパンケーキをいただいた。ミヤザトインとその女将さんには色々ご迷惑をかけたが大変お世話になった。お店の情報から金銭の支払いまで彼女の理解とサポートが大変ありがたかったと思う。朝8時半ごろになると女将さんは市街に出てしまい、いるのは日本語を話せない掃除スタッフの女性のみになってしまったが、ドライバーがやってくると彼女が送り出してくれた。

9時ちょうどにドライバーはやってきた。空港へ向かう。

ドライバーに「スペイン語は話せるか?」と聞かれたので、「ほんの少し」と答えるとスペイン語で色々聞かれたが早速分からず。最初から英語で良かったのではと思わなくもないが、まあ良い。

空港へ向かう

エルカラファテの空港も小規模なものだが、お土産が充実している。しかしながらお土産店で売っていたマグネットはただ写真を貼り付けただけのものが多く、そのほかのお土産もこの地域の特産品というほどではなかった。現金も少ないので結局買わないことにした。

エルカラファテ空港

本日の飛行機はエルカラファテを出るとブエノスアイレスに直行するのだと思っていたがそうではなく、バリローチェを経由するらしい。エルカラファテは飛行機の運用上はパタゴニアの要所になっており、ウシュアイアやブエノスアイレスだけでなく、コルドバやバリローチェなど様々なところへ便が出ている。ここエルカラファテはウシュアイアと違ってあまり地元の人々の生活感がなかったので私は正直好きになれなかったが、観光客は多いようだ。バリローチェといえばアンデス山脈麓のリゾート地で、プエルトバラスからバリローチェへ抜ける道は絶景の連続ということで有名だ。どうせチリにはマプーチェ族の足跡をたどるために再訪しなければならないので、その際に一緒に訪れてみたい場所の一つである。

1時間半ほどのフライトで、大きな湖が見えてくる。ほどなくバリローチェに到着。多くの乗客はここで降りていくが、10人程度は飛行機に残り、再度ブエノスアイレスへの出発を待つ。バリローチェからの乗客が乗り込み、再び飛行機はブエノスアイレスへ出発した。このフライトでは軽食とドリンクが提供された。

バリローチェの湖。いつかここも訪れたい

ウトウトしていると次第に飛行機が高度を下げていくのがわかった。窓の外を眺めると区画の整理された都会である。ブエノスアイレス市街の上空を飛んでいるようだ。ヨーロッパの街並みのような整然さは無いものの、赤い屋根と白い壁、そして緑色の木々のコントラストはそれなりに美しい。ほう、これが地球の(ほぼ)反対側の大都市、ブエノスアイレスか。ホルヘ・ニューベリー空港は市街に近接した場所にあり、程なくして空港に到着。

整然とした区画のブエノスアイレス市街

空港に到着し、職員に尋ねると一度ゲートを出て再度入り直すように指示された。言われた通りにする。ホルヘ・ニューベリー空港はガラス張りで市街の様子がよく見える。たくさん止まっているタクシー、整然とした街並み、人の多い通り。サンティアゴよりもよほど雰囲気が良さそうに見える。空港はゲートの外にも中にも食堂はたくさんあったが、胃の調子が悪かったので食事をパスした。2時間ほど待ち、プエルトイグアスへ向かう次の飛行機へ乗り込んだ。

時は夕暮れ。次第にオレンジ色を帯びた太陽が、ラプラタ川河口の海を照らしている。その奥には蛇行する大きな川が見える。この便に限らずアルゼンチン航空の飛行機は全体的にシートピッチに余裕があり、かなり快適だ。こちらもウトウトしていると、外は真っ暗になっていた。

 

アルゼンチンでもイグアスの滝のあるミシオネス州はほぼ森林に覆われており、市街はまばらである(なお、川を挟んで対岸側のブラジルは森林破壊が著しくほぼ畑にされている。Google Mapなどで航空写真を見ると、チリ側とアルゼンチン側で自然利用が全く異なることがわかる)。窓の外には時折小さな市街の明かりが見える。次第に飛行機が高度を下げていく。川を挟んで大きな市街と電灯に照らされた橋が見える。あれはおそらくプエルトイグアスとブラジル側の市街フォス・ド・イグアス、そして国境橋だろう。程なくして、飛行機は空港に滑り込んだ。

 

空港で荷物をピックアップ後空港を出た。辺りの空気はエルカラファテやウシュアイアのそれとは想像もつかないような熱気を帯びており、自分が亜熱帯に来たことを痛感する。数日前にGetYourGuideで手配していたバスに乗り込んだ。バスに空予約があったらしく、しばらく人を待っていたが、10分ほど待っても来ないので出発。このバスに乗り込んだのは本日宿泊するRincon Escondidoのマネージャーのおばさんと、ひたすらSNSで何かを書き込んでは写真を撮っているアジア系の女性だけだった。電灯のほとんどないジャングルの中を、ノリノリの音楽を流しながらバスはいく。しばらくするとぽつりぽつりと民家が現れた。全体的にオレンジ色の電灯を使い、熱帯ながらおしゃれな雰囲気だ。程なくして本日の宿の前でマネージャーのおばさんと共に、バスを降りた。

出迎えてくれたおじさんはRincon Escondidoの主人。この宿は門からしてすでにおしゃれである。敷地内にはプールや離れなどがあり、庭にはバナナなどの熱帯の木がたくさん植えられており、おしゃれな雰囲気が漂う。植えられている植物としてはかつてのメキシコのメリダで泊まったホテル、Hotel Meridaに近いが、こちらの方が圧倒的におしゃれだ。

 

食堂に案内され、宿の説明を聞く。市街のどこで食事ができるかというのも教えてくれた(けれども、残念ながらもう夜遅いのですぐに寝たい。出歩くことはないだろう)。明日のピックアップの時間を聞かれたので7時だと答えると、「それはガイドが嘘をついているのではないか?大抵は7時半か8時だ」などというので7時と言われていると説明。それでもいまいち納得せず、ガイドの連絡先を教えて直接連絡を取ってもらうことにした。謎。

さて、この宿は室内も素晴らしい。

必要十分な広さ、アンティーク調でおしゃれな調度品。とても90ドルのクオリティと思えない。1泊200ドル程度したウシュアイアや、1泊100ドルを超えたエルカラファテよりもクオリティとしては上である。何よりも宿がとてもフォトジェニックで、大変テンションが上がる。やはり旅行の滞在時間の大部分はホテル。必要とあらばカネに糸目をつけないことも大事だが、この値段でこの質の宿に出会うと唸らされるものがある。地域柄蚊が多いのが唯一かつ最大の欠点であり、数箇所刺されてしまった(プエルトイグアスは黄熱病発生地域である。行かれる際は黄熱病のワクチンを接種することが望まれる。私自身今回黄熱病ワクチンを接種して臨んだ)。

シックなデザインの客室

この素晴らしい宿に2連泊できないことが残念だが、明日のイグアスの滝を楽しみにしながら、就寝。

 

 

パタゴニア(10) パイネ国立公園

2/5

0630-2100ごろ

終日パイネ国立公園ツアー

Hosteria Miyazato Inn泊

 

本日は早朝から出発し、国境を再び渡ってチリに入国。パイネ国立公園を観光し戻ってくるという長丁場のツアーである。GetYourGuideとベルトラに同じ会社からツアーが出ており、GetYourGuideの方が格安だったが2月の応募欄が空白となっていたため、やや割高ではあったがベルトラの方から予約した。

エルカラファテから1日のツアーで行ける場所としては代表的なペリトモレノ氷河やその周辺の氷河以外にはフィッツロイ周辺のトレッキング、そしてパイネ国立公園がある。パイネ国立公園はどちらかというとチリ側のプエルト・ナタレスから観光するのがメインであるが、エルカラファテからのツアーも少数出ている。フィッツロイのトレッキングとパイネ国立公園で迷ったが、パイネ国立公園の景観はフィッツロイの強化版だろうなどと適当な事を考え、パイネ国立公園ツアーを選択した。

 

ミヤザトインでは6時20分ごろに簡単な朝食を出してくれた。6時半ちょうどにピックアップの車が迎えに来る。市街から離れたホテルで何組かをピックアップしたのち、メインのツアーバスに合流した。ツアーバスと言ってもベンツマークのついたゴツい悪路用のバスである。

まず本日のツアーの概略をば。

最初にエスペランサという町にてトイレ休憩。その後アルゼンチンの出国、チリの入国手続きがある。この入国手続きには時間がかかることが多いため、なるべくトイレ休憩は短くしたい、ご協力お願いしますとのこと。入国後パイネ国立公園に入り、ランチ。国立公園内をバスで周遊しつつトレッキングコースを歩く。時間に余裕があれば2個のトレッキングコースを歩くこともできるようだが、入国に時間がかかり1個になってしまうことが多いという。パイネ国立公園観光後、再びチリの出国、アルゼンチンの入国があり、再度エスペランサにてトイレ休憩ののち、エルカラファテに帰還するという、かなり長丁場の旅である。

砂漠の中をひたすらバスは走る。悪路用のバスは振動をダイレクトに伝えてきて、乗り心地はお世辞にも快適とは言えない。朝日に照らされた砂漠には時折野生のグアナコが群れをなして現れる。

砂漠にグアナコが現れる

1時間半ほど走るとエスペランサに到着し、しばしトイレ休憩となる。

時折牧場がある

バスは再び出発。ここから1時間ほど走ると次第にアンデスの山々が近づいてきて、アルゼンチン側、ついでチリ側出入国管理ゲート。本日は奇跡的にアルゼンチン側、チリ側ほとんど待ち時間なく通過。チリでは再びPDIの紙をもらい、税関の紙もしくはネットで得られるフォームを提示する。簡単な荷物検査の後、チリに入国。

チリに入国するとすぐにみやげ物屋がある。左は今回のツアーバス

山々が近づいてきて、遠くにパイネ国立公園の象徴、鋸の歯のように聳える岩峰が遠くに見えるようになってきた。ここでしばしバスはフォトストップ。

パイネとかパタゴニアとか、この地域の地名はよく登山アパレルのメーカーの名前に採用されている。そのうちパイネといえば石井スポーツのオリジナルブランドとして有名だが、そのパイネ国立公園の象徴である山々が今、目の前に広がっている。うーん、なかなか感慨深い。このあたりは道路の舗装工事を行っているそうだが、工事のペースは一日1メートルという亀のようなスピードで行われているらしい。

パイネ国立公園の印象的な山塊が現れた

バスは次第に山々の襞の中に入っていき、Amarga湖という湖の辺りでランチ休憩となった。お弁当はサンドイッチ2個とジュース、ペットボトルの水とベーコン入りのパン、お菓子など、量としては十分すぎるほどである。風がおさまると湖に反射した逆さパイネが映し出され、美しい。

Amarga湖に映し出されるトーレス・デル・パイネの山々

お昼休憩が終了し、湖のほとりの道路を走っていく。湖の辺りではグアナコが見られた。これは湖に含まれるミネラルを摂取しにきているそうだ。

ミネラルを摂取しに来るグアナコ

バスは次第にワインディングロードを走っていくようになり、ところどころに絶景が現れる。しばらくしてパイネ国立公園入り口へ。

ここで昨日オンライン購入した国立公園チケットの確認が行われた。本日は出入国が非常にスムーズだったため時間に余裕があり、2つのトレッキングコースを歩くことができるという。

パイネ国立公園入口

何ヶ所かフォトストップがあり、素晴らしい写真を撮影することができた。トーレス・デル・パイネは上の方が黒っぽく、下の方は灰色になっている。これは上層部が堆積岩、下の方が花崗岩でできているから、ということだそうだ。あまりに現実離れした絶景が続き、次第に自分の中で美しさの閾値がバグってきたのを感じる。

 

最初のトレッキングコースでは、氷河湖から流れ落ちる滝が見られる。この一帯はいつ頃噴出したものなのかはわからないが玄武岩に覆われており、あたりの地面は黒っぽい。ところどころに溶岩の層が露出しているところがあり、ここはかつて溶岩台地であったのかもしれない。しばらく歩くと、きれいな青緑色の水が轟音を立てて流れ落ちる滝が現れた。落差は決して大きくないが水量は豊富で、迫力のある滝だ。

牛の角のような山々

もと来た道を戻り、バスへ。次はペオエ湖のほとりへ向かう。

ペオエ湖にはパイネ国立公園内で初めて作られたホテルが湖の中の島の上にあり有名だそうだ。ペオエ湖の辺りでバスは停車し、ここで再びトレッキング開始。

 

背の高い枯草の中をつけられた道を歩いていく。小高い丘の頂上へ登ると、よくパイネ国立公園ツアーの写真として宣伝されるような、青緑色の湖の向こうに荒々しい山々が並ぶ景色が現れた。

少し雲が増えてきてしまったため写真としては微妙な感じもするが、それでも素晴らしい景色である。ガイドの「今日は素晴らしい景色ですよ!」というのが本当なのか、それとも観光客を楽しませるためのリップサービスなのかどうかはわからないが、それでも次々と現れる素晴らしい景色に大満足であった。せっかくなのでトレッキングガイドに写真撮影をお願いしたが、「1枚10ドルな!」と冗談をいってバシャバシャと写真を撮ってくれた。写真撮影は素早く、なおかつ良い構図の美しい写真を撮ってくれた。

湖に太陽光が差し、美しいターコイズブルーに輝いた

再びバスに乗り込み、帰途に着く。

帰りの出入国ではアルゼンチン側がやや混雑しており、抜けるのに30分ほどかかった。エスペランサで再びトイレ休憩し、2時間弱でようやく、エル・カラファテの市街に帰還した。時間は21時ごろになっていた。

ホテルに一旦戻り、夕食を食べることにした。ARPの持ち金があまりないため、USDが使えて深夜まで営業しているお店をミヤザトインの女将に聞いたところ、ミヤザトインから徒歩数分のところにある、湖のほとりの"La Cantina"という店を教えてくれた。

La Cantinaはいわゆる飲み屋的な雰囲気で、やや雑然とした感じだが、店員のお姉さんの対応は良い。ハンバーガーとビールを注文したが、ハンバーガーは正直それほど美味というわけではなかった。ハンバーガーとしてはプエルト・バラスのPuelche Restaurantで食べたハンバーガーの方が肉も具もジューシーでずっと美味しかったと思う。まあ、店員の感じは悪くなかったし、USDでお釣りが出るように払ってARPを10枚ほど手に入れたのでよしとしよう。

遅夕食

店を出るとなんと雨が降っていた。もともと風が強い地域なので雨が降ると暴風雨のようになる。雨脚が弱まった時宜を見計らって、そそくさとホテルに戻った。乾燥したアルゼンチン側パタゴニアにもまとまった雨が降ることがあるんだなと妙に感心した。長いツアーでクタクタになったので、この日は吸い込まれるように寝た。

明日は飛行機を乗り継ぎ、プエルトイグアスへ。風と氷の大地から亜熱帯へ一気に向かう。波乱に富んだ旅もいよいよ終盤である。

 

 

 

 

パタゴニア(9) ペリトモレノ氷河

2/4

0830頃-1700頃 ペリトモレノ氷河ツアー

氷河湖クルーズ+氷河周囲トレッキング

Hosteria Miyazato Inn泊

 

本日はペリトモレノ氷河観光ツアーに参加する。

ペリトモレノ氷河といえばアルゼンチン側パタゴニア観光の大本命といっても過言ではないくらい、有名な観光地である。氷河の上をトレッキングするツアーもあるようだが、今回はトレッキングではなく普通の氷河観光ツアーに参加することにした。

Miyazato Innの食事は比較的簡単なもので豪華さはないが、女将さんがパンケーキを焼いてくれる。落ち着いた雰囲気の食堂でゆっくりと朝食を食べる。ロビーのソファでゆっくりしていると、ピックアップのドライバーが現れた。

車に乗り込むと何組かの人を回収し、ツアーの車に合流。すでに多くの人が乗っていたが、英語を必要としているのは自分のみであとはすべてスペイン語母語とする人々らしく、一番前の席に座らされた(いや、座ることができたというべきか)。席からは走っていく道の様子がよく見える。ガイドが本日の予定について話してくれた。食事はこのツアーには含まれていないというので、旅行会社から食事の予約がしてあるという風に聞いているとWhatsAppの画面を見せたところ納得し、適切な時間にレストラン前にドロップするから心配するな、と言ってくれた。

ペリトモレノ氷河への道

アルゼンチン側パタゴニアは乾燥した大地が広がるが、これは多くの水蒸気を含んだ空気がアンデス山脈にぶつかって雨や雪を降らせ、その過程でほとんどの水蒸気を失ってしまうかららしい。バスがアンデス山脈の山々に近づくにつれて、まばらだった木々の数が増えて緑が鮮やかになっていく。そして、エルカラファテは快晴であったはずだが次第に雲が増えて空が暗くなってきた。

虹も見えた

これは関東山地季節風がぶつかる関係で冬に日本海側で雪が多く、関東地方は乾いた空気となり雪がほとんど降らないのとまさに同じ原理である。国立公園料金はすでに支払われているため、国立公園入口では入場券が配られた。アルゼンチンの激しいインフレの影響か、ガイドが膨大な札束の枚数を数えているのが印象的だった。

途中で氷河の様子が見える展望所でフォトストップとなる。ここで、ようやく美しい青白色に輝く氷河が姿を現した。写真を撮るとともに、これからさらに近づいていく氷河に期待が膨らむ。

ペリトモレノ氷河が見えてきた

ここから10分もせずに船着き場に到着した。ここで氷河湖クルーズの船に乗り込む。私の参加したツアーの客以外にも多くの人を乗せて、船は出発。

船着場

ペリトモレノ氷河はパタゴニア地方に多くある氷河のうちもっとも人里に近くアプローチが容易な氷河の一つである。氷河の名前の由来のうんちくについても語られたが詳細は忘れてしまった。たしかこの地域を探検し氷河を発見したイタリア人の名前にちなんだものと記憶している。この氷河は横幅だけで4-5kmあるという巨大な氷河で、氷の高さだけで7-8mあるという。先述の通りアンデス山脈に湿った空気がぶつかる影響で大量の降雪があるため氷河の前進する速度が速く、1日に2メートルに達するそうだ。

氷河湖は美しいエメラルドグリーン色をしているが、これは氷河が岩を削り取ってできたミネラル分がコロイドとなって沈殿せずに浮遊するために生じるもので、削り取る岩の成分、すなわち氷河の存在する部分の地質に応じて微妙に色が違うらしい。

20分ほどでクルーズ船は氷河の近くに到達し、屋外に出ることが許された。

 

氷河から出てくる冷気のせいか、船着き場よりもはるかに寒い。時折音を立てて崩れ落ちる氷塊が見えるが、大きい規模の崩壊はクルーズ中に見ることはできなかった。

なお、氷河の氷は青い色をしているが、これは降雪が重さにより圧縮されて氷になり、雪に含まれていた空気が抜けていき透明度が高くなっていく過程で赤色の光を吸収しやすくなるためだという。晴れの日よりも曇りの日の方が青が鮮やかだそうだ。

氷河の対岸にある岩に目を向けると、何本もの平行な線が岩に刻み付けられているのに気づく。これはいわゆる擦痕であり、氷河に含まれる岩石が母岩を削るためにできるものである。

擦痕も綺麗に見えた

間近で氷河を楽しんだのち、1時間ほどでクルーズ船は船着き場に戻ってきた。

ここからはペリトモレノ氷河の先端部分まで観光バスで向かう。食事の予約がされていたのはこのツアーで自分だけらしく、レストラン"Resto del Glaciar Perito Moreno"の前でドロップされ、集合時間と集合場所を告げられた。

レストランに入り名前を告げて予約を確認。予約はちゃんとされていたらしく、席に案内された。最初にスープとパンが出てきたのだが、コース料理的なものだと思っていなかったので随分簡素な料理だと思いつつこの時点でパンを間食してしまった。あとから羊肉と野菜の煮込み料理、そしてデザートまでちゃんと出てきた。レストランの窓から眺める緑の森林と青い氷河のコントラストが素晴らしい。この日見た景色の中でここからの景色が一番だったかもしれない。レストランに滞在している間は日差しが得られず、いい写真を撮れなかったのが少し心残りではあるが。

素晴らしい景色のレストラン

さて、景色の良いレストランをあとにし、集合場所へ向かいつつ簡単なトレッキングコースを歩く。今まで見たことがないタイプの美しい景色が眼前に広がっている。自分がこの場にいることが不思議な気持ちだ。もちろん氷河も素晴らしいが、トレッキングコースのまわりの森の美しさもまた素晴らしい。多くの人は氷河に心を奪われ森林など見向きもしていないのだろうが、この森林美もまた氷河の美しさを引き立てているように思われた。

 

しばらくトレッキングコースを歩くと氷河の先端がしだいに近づいてきた。よく見ると氷河の先端部で分断された氷河湖の色が左右で違っていることがわかる。これは先ほど聞いた話のように削った母岩の成分を反映したものということだろうか。氷河の巨大さの前で人々がまるで蟻のように小さく見える。

 

氷河の写真を多く撮影し満足したので、トレッキングコースの上の方にある駐車場へ向かう。ここでなんと、チロエ島ツアーで一緒だったドイツ人男性二人組に再会。なんという偶然だろう。自分を例のクレジットカード不正利用事件の第二の被害者になってしまったと自己紹介するのが大変いたたまれないが、もしサンティアゴ空港からタクシーを利用する際は気を付けるように、情報共有しておいた。せっかくなので彼らと記念写真を撮影しておいた。

集合時間の15時半までには集合場所であった駐車場に到着し、ツアーバスに乗り込む。ガイドには「(一番前の席なので)特等席で景色を楽しんでもいいし、寝てもいいよ!」と言われたので「景色を楽しみつつ寝てしまうと思います(笑)」と返答したが、帰りのバスで案の定寝てしまった。市街でピックアップ車に乗り換え、ミヤザトインに帰還。

本日は私の勘違いで昼を食べすぎてしまったためおなかがほとんどすいておらず、非常食をすこし食べるだけで済ませた。明日のパイネ国立公園ツアーに向けて、国立公園の入場料の支払いなどの準備をしておいた。

ミヤザトイン周囲は落ち着いた雰囲気

 

 

パタゴニア(8) エル・カラファテへ

2/3

AM

ウシュアイア市街観光

PM

AR1865

1515 ウシュアイア空港

1635 エルカラファテ空港、ホテルへ送迎

Hosteria Miazato Inn泊

 

本日は午前中ウシュアイア市街を散歩したのち、午後の便でエルカラファテに移動する。

ウシュアイアの自然は昨日堪能したが、ウシュアイアの歴史的側面についてはあまり昨日スポットライトを当てた観光をしていなかった。尤も、昨日までの記事を読めばところどころに囚人とかいう単語が散見されることからすでに理解の及んでいる読者もいるかと思うが、ウシュアイアは地理的に隔絶された場所にあることから、監獄の町として発達した経緯がある。本日は監獄博物館(正確には元監獄と船舶博物館)に赴き、ウシュアイアを監獄都市としての側面から見てみたい。

本日は昨日のピースボート日本人団体ご一行様もいないので、ゆっくり朝食を食べる。

ホテルのチェックアウトは10時とやや早いので荷物をまとめ、チェックアウトし荷物を預けた。ホテルから徒歩10分程度で監獄博物館に至る。開館は10時なので10分ほど前に行ったのだがすでに行列ができていた。監獄なんてそれほど美しいものでもないだろうになぜこれほど人気があるのかはわからないが、どうやら団体ツアーの観光コースに入っているということらしい。入場料は19000ARPと、日本円にして2500円程度するだろうか、かなり高い。正直自分の持ち金を考えて入場を躊躇したが、南米最南端まで来て観光をケチるのもどうかと思い、入ってみることにした。

監獄博物館

この監獄博物館(元監獄と船舶博物館)は実際監獄として使われていた建物を博物館にしたもの。ここには政治犯や凶悪犯罪の犯人などが幽閉されていたという。

構造はベンサムの提唱したパノプティコンをそのまま形にしたような放射状である。中心部に体育館のようなホールが設けられ、ここから放射状に伸びる建物に均一な大きさの部屋が並んでおり、この部屋の大部分が展示室になっているが、じっくり展示を見ていると日が暮れそうなほどなので、巻き気味に見ていく。

放射状に伸びる建物ごとにテーマが異なり、航海の歴史や船舶の進歩などをまとめた棟や、囚人の生活をまとめた棟、そしてウシュアイアに暮らした人々の調度品を集めた棟などがある。

1つの棟はほぼ監獄として使われていた当時のまま残されており、塗装は冷たい青灰色で、禿げた塗装や壁の汚れも当時のままと思われ、陰鬱で息苦しい空気が漂っていた。

 

お土産ショップは博物館内に2ヶ所あり、1ヶ所で"Ushuaia"とペンギンのイラストが手描きされたマグネットを購入した。

Nintendoのキャラが手描きされた謎の家

博物館を出て、昼食に向かう。ホテルに13時に迎えが来ると思って12時ごろにランチの店に入ってお通しのパンが出てきたところで、WhatsAppに連絡が来た。「我々はホテルで待っています。今どこにいますか?」1時間早くないか?と思いながらお通しを出してくれた店員に謝り、店を出た。ホテルは店から数分のところにあり、ホテルのロビーに戻るとドライバーが待っていた。

ホテルからウシュアイアの空港は車で15分ほど。ドライバーと女性のスタッフが乗っており、これから空港に到着する観光客の迎えを兼ねている様子であった。程なくして木をふんだんに利用したウシュアイアの空港に到着。

ウシュアイアの空港に到着

早く迎えに来たのはよいが、到着が早すぎたのでやることがなく、ひたすら携帯をいじって時間を過ごす。

ようやく飛行機がやってきて、機体に乗り込む。アルゼンチンなのでさぞかし飛行機も遅れるのだろうと思ったが定刻通りに案内された。

 

飛行機が飛び立つ。次第に山々に抱かれたウシュアイアの市街が小さくなっていく。

次第に雲が増えてきて、ウシュアイアの市街も雲の中に消えていった。

さようなら、美しき町ウシュアイア

ウシュアイアはプンタアレーナスとともに物心ついた頃からその名前に憧れていた都市である。かつての自分は南米最南端という言葉に対して、灰色の空、強く吹き付ける風、そしてどこか伏目がちに歩く心を閉ざした人々…といったイメージを描いていたが、それは結局高校生の頃の自分の乏しい見聞を元にした想像の産物であった。当時の自分は自然に対する感度は大変鋭かった一方で、人間とは人との関わりの中で生きていくものだという視点が決定的に欠けていた。確かに灰色の空、強く吹き付ける風までは合っていたが、そんな大地の日々音楽を楽しみながら明るく、そしてたくましく暮らす人々の姿は全く想像と違うものだった(これはプンタアレーナス訪問時の記事にも書いたことであるが)。

南米最南端の大地は私が思っていたよりもはるかに美しく、上品で、心温まるような明るさと輝きに満ちていた。そして、ウシュアイアは厳しい自然の中で身を寄せ合って生きる人々の小ささと力強さを感じさせる町だった。ある程度観光地化されてはいるものの地元の人の生活感が濃厚に感じられ、市街を取り巻く自然の素晴らしさと共に、非常に印象に残る訪問になったと思う。

さて、1時間ほどのフライトで、次第に飛行機は高度を下げていく。大地は乾いており木々はまばらで、遠くに綺麗な水色の湖から流れ出る川が見える。エルカラファテはもうすぐである。

エメラルドグリーンの湖が見える。エルカラファテはすぐ

空港に到着し、荷物を回収して外に出ると、名札を書いた送迎の人が待っていた。

多くの乗客を乗せて、送迎車はエルカラファテ市街へ出発。

市街に至ると、人々を少しずつドロップしていき、最後の方になって本日の宿、ミヤザトインの前で降ろされた。ミヤザトインには今日から3泊し、ここを拠点にペリトモレノ氷河やパイネ国立公園へ向かうツアーに参加する。

本日から3泊するミヤザトイン

このミヤザトインはレンガと木を基調とした温かみのある建築。先日の記事で触れたように、オーナーは日本語が話せる女性の方である。クレジットカードが使えなくなったため別の支払い手段を使えないかと聞いたところ、PayPalも使うことができるから心配しないで!とのお言葉をいただいた。日本語が使えない環境には慣れているし英語でもそれほど不自由はしないはずだが、やはり日本語が通じるというのはありがたい。オーナーのElizabethさんは一通り宿と市街について案内してくれた。荷物を置いて、ベッドで一休み。ちょうど旅行会社から、プエルトイグアスとブエノスアイレスのホテル手配が完了した旨の連絡が来た。ここ数日旅行が続行できるかどうかで心の底からは落ち着くことのできない日々を過ごしていただけに、ようやく旅行が安心して続行できると、心からホッとした。

少し休んだのち、市街に買い物と夕食に出る。

ミヤザトインは市街中心部から少し離れた落ち着いた一角にあり、静かな滞在が楽しめる場所だが、エルカラファテの中心市街はガヤガヤしており、カジノなどもあって退廃的な雰囲気が漂っている。純粋に氷河観光の拠点として発達した街だからなのだろうか、ウシュアイアのように地元の人々が厳しい自然環境の中で生きているという雰囲気は薄く、あまり好感が持てなかった。スーパーでは2Lの水を1000ペソとちょっとで購入。その後直接本日の夕食をいただく予定のレストランへ向かった。

本日向かったのはMi Ranchoというレストラン。

中心市街とミヤザトインのちょうど中間地点あたりにあり、比較的落ち着いたエリアに位置している。ウシュアイアの素晴らしいレストランSalitreと比べるとやや高いが、パスタを中心として色々なメニューがそこそこリーズナブルに揃っている。

本日はカニのパスタを注文。カニのパスタというので、カニの具の入った麺パスタを想像していたが全く異なり、カニフレークの入った餃子状のパスタにクリームソースがかけられ、色とりどりの花で装飾されている。予想とは違ったがとても美味しく、お腹がいっぱいになった。

Mi Ranchoは雰囲気の良いレストラン。カニのパスタもおいしい

さて、明日はペリトモレノ氷河の観光に向かう。アルゼンチン側パタゴニアの観光地としてはあまりに有名であるが、実際のところどんな感じだろうか。

 

 

 

パタゴニア(7) フエゴ島の自然

2/2

8:00-13:30ごろ

フエゴ島国立公園観光(簡単なトレッキングあり)

世界の果て号乗車

15:30-17:30ごろ

ビーグル水道クルーズ

Hotel Albatros泊

 

本日はフエゴ島の自然を満喫すべく、午前中はフエゴ島国立公園の散策ツアー、午後はビーグル水道クルーズに参加する。世界の果て号はフエゴ島国立公園内にあり、こちらは国立公園とセットでの観光となる。

6時半ごろ朝食の食堂が開くが、ピースボートと思われる大量の日本人の老人が群れをなしていた。食堂が開くと、彼らはなぜか列を作って並び始める。他の客は列など作らず好きなように好きなものを取っているのに、彼らは長蛇の列を作って順序よく食べ物を取っていくのである。実に日本人らしくて笑ってしまった。

おそらく彼らにとっては日本人の集団の中で列をなさなければ集団から白眼視されるという恐怖が無意識のうちにあるのだろう。しかしこれはあまりにも滑稽な構図である。日本人にとっての常識は、海外の人にとっては必ずしも常識とは限らない。海外旅行というのはそういう無意識のうちにある因習を再検討することに大きな意味があるのに、これほどの集団で海外に押しかけると、集団の中での同調圧力が大きくなり、外界と接し、自分の中の因習の滑稽さに気づくこともままならないのである。なんともまあ、哀れな話である。昼ご飯にありつけるかどうかがわからないので、ひとまずかなり多めに朝食をとっておいた。

朝食

8時ごろに本日のガイドが迎えに来た。人が良さそうな感じの男性だ。何個かのホテルを回って客をピックアップしていくが、最終的に全員で10人程度の小規模なグループとなった。

真夏ながら新雪に覆われた山々

車を西へ走らせるとほどなくしてウシュアイアの市域が終わり、20分ほどでフエゴ島国立公園の入り口、世界の果て号の駅に到着した。

昨日の冷たい雨は山の上の方では雪となっていたようだ。美しい新雪がナンキョクブナの森を覆っている。ウシュアイアでは今が盛夏の季節であるはず。盛夏であっても月の平均気温が10度に満たない気温が低い地域ではあるが、少し冷え込むだけで山々が雪に覆われるとは。自然の厳しさに驚く。吐く息は白く、展望台から世界の果て号からはもくもくと濃い白煙が上がっているのが見える。

 

しばし自由時間&トイレ休憩となり、ガイドはここで様子を見ていたが、どうも世界の果て号が混雑しておりなかなか乗車できないと考えたのか、フエゴ島国立公園の散策から始めることになった。

世界の果て号の駅から離れるとすぐに静かな森の中を走るようになり、10分ほどでフエゴ島国立公園の一角に到着した。

 

空は鉛色の雲に覆われている。眼前にはくすんだ色の静かな入江が広がり、岸辺は少し緑色を帯びた岩石が露出しており、海藻が打ち上げられている。大型の鳥が湖岸で静かに佇んでいた。ここには最南端の郵便局があり、ここでパスポートにスタンプを押したり、手紙を出したりすることができる。簡単なお土産も売っていた。特にキッタリアが寄生していた枝から作ったキーホルダーは、後から色々なお土産屋を覗いてみたがここでしか売っていなかったので、買う価値がるかもしれない。(キッタリアについては、後ほどの説明を参照ください)

 

再び車で国立公園内を移動する。

山々は樹形の美しいナンキョクブナに覆われている。ところどころに現れる湖と森林、雪をいただく山が静かで落ち着きのある雰囲気を形作っている。熱帯雨林のワサワサした雰囲気とは対照的な静謐さ、清潔感があり、大変に好ましい。車の中では国立公園に生息する動植物の写真が掲載されたボードが回覧された。

美しい森を行く

しばらくしてトレッキングコースの入り口に到達した。ここからはナンキョクブナの森林を堪能する。森はやはり静かで、木々は地衣類やコケに覆われており、まさに太古の森といった雰囲気だ。残念ながらキッタリアはほとんど見つけられなかったが、わずかに小さいものを発見した。

キッタリアというのはナンキョクブナなどの枝に寄生するキノコの一つで、かつてインディオが食用にしたことから、「インディオのパン(Indian's Bread)」と呼ばれている。今回ほとんど見られなかったのは、このキッタリアの発生するシーズンが11月から12月にかけてであるかららしい。薄いオレンジ色の丸いキノコが木々にたくさんくっついている景色を楽しみにしていただけに、少しシーズンを外してしまったのが残念に思われた。

左:説明をするガイド 右:小さなキッタリアが残っていた

湖を見渡す展望台をこえ、しばらく歩くと再び入り江の奥に至る。ここで再び、しばし散策。

設置された看板が「フォークランド諸島(マルビナス)はアルゼンチンの領土です!」と強い主張をしており思わず笑ってしまった。

 

今度はビジターセンターへの移動。トイレ休憩を兼ねている。

ビジターセンターは相変わらず入り江に面した高台にあり、この周囲には枝がコブ状に盛り上がった不思議な形の木がある。ガイドに聞いてみると、まさにこれがキッタリアの寄生した木であるらしい。ガイドが指差した地面の方を見ると、黒くなりたくさんの穴が空いた丸いスポンジ状の物体がたくさん落ちている。まさにこれがキッタリア。胞子を吐き出した後、枯れて落ちたらしい。一部オレンジ色をわずかに保ったものが残っている。このユニークなキノコの生態について、もっと知りたくなった。

 

 

再び車に乗り込み、世界の果て号へ。

世界の果て号の森林側の駅は、国立公園入り口側の駅よりも比較的空いており、10分ほどで乗ることができた。紺色に塗装された車体の世界の果て号は、乗客を集めていよいよ出発。軌間の狭い世界の果て号は、ゆっくりと森林の合間を縫って走る。

世界の果て号に乗車

しばらく走ると、切り株がまばらに残る、ひらけた場所を走るようになる。ここはかつて囚人が木の伐採を行なった場所であるらしい。雪の残る山々と、綺麗なU字谷。まるでアルプスのような高山的景観である。

 

しばらく走ると中間駅で、列車交換も兼ねて10分ほど停車する。

この駅から少し登ったところには小さな滝があった。ヤーガン族がかつて儀式で着ていたという縦の縞模様の服、その色をアルゼンチンの国旗のそれに置き換えたコスプレをした人が待ち構えており、彼らと写真撮影している人がいて思わず笑ってしまった。

 

再び列車に乗り込む。10分ほどで元の国立公園入り口駅に戻ってきた。美しいU字谷が広がる景色を横目に、ウシュアイア市街へ帰還。時間は13時半をまわっていた。

U字谷が美しい

まずは両替である。両替は「Jupiter Casa de Cambio」というところで行った。というかGoogle Mapでの評判は最悪だが、ここしか両替所がない。50ドルを1ドル1000ペソで両替されたので、50枚の1000ペソ札をゲット。これは公式レートより少し良い(レストランでは、1ドル1100ペソ換算でドル払いできる店もあるようだ)。インフレの激しいアルゼンチンでは今や札束を持って歩くのが基本である。

狙っていたランチの店「El Viejo Marino」は残念ながらすでに新規の客受け入れを停止しており、その上土曜夜と日曜日は閉店らしい。残念。15時半のクルーズ船の出発まで簡単に市街を回ってみたが、良さげだと思った店は価格帯が高く、めぼしいレストランを見つけられなかった。仕方なく昼食は抜きとし、世界の果て博物館に行ってみることにした。

入場料は近隣にある世界の果ての家博物館と合わせて4000ARP程度である。あまり古い建築のないこの地域にあって多少の趣がある建物の世界の果て博物館は、そこまでめぼしい展示はないもののヤーガン族の風俗などが簡単にまとめられていた。また海に生息する生物の剥製も展示されているが、如何せんこれから実物を見に行くのでそこまでありがたみを感じない。かなり規模が小さい博物館で、通過するように見学を終了した。

世界の果て博物館

次は世界の果ての家博物館。両開きのドアは狭く、ドアノブにザックの紐が引っかかった。受付のおじさんに「(ドアノブにザックをひっかけた人は)今日二人目だね!」と爆笑された。

こちらはかつて政府機関の建物として使われていたもので、プンタアレーナスの豪邸のような豪華さはないが、多少の趣を感じる。当時の議事堂や調度品なども展示されていた。

世界の果ての家博物館

15時ごろに船着場の近くにあるブースにてバウチャーを船のチケットに交換。船着場から船に乗り込んだ。

クルーズ船に乗り込む

この船に乗っているのはほとんどがヨーロッパか南米の人々で、アジア系の人間は私一人しかいなかった。15時半に船は出発。午前中のツアーで一緒だったブラジル人の壮年夫婦と同席した。彼らに良いレストランを知っているか尋ねると、「Salitre!ここは素晴らしいレストランですよ!」と教えてくれた。しばらくすると、船室の外に出られるようになる。雪をいただいた山に囲まれたウシュアイア市街が小さくなっていく。

ウシュアイア市街

船の中ではちょっとした飲み物や軽食を注文することができる。しばらくして小さな島に到達し、ここで一旦下船。

小さな島で下船

この島ではフエゴ島周囲の島に生息する不思議な植物をたくさん見ることができた。展望台からは雪を頂いた鋭い山々が立ち並んでおり、壮観。

左のふかふかな緑の塊のような植物はBalsam Bogという

しばらくして船に戻り、ビーグル水道を東へ進んでいく。対岸の大地に小さな集落が点在するのが見える。おそらく「世界最南端の町」プエルト・ウイリアムズが見えているのだろう。なお、このプエルト・ウイリアムズはチリ領である。

野鳥やアシカが多数生息する島の近くで、船は速度を下げ、この島をゆっくりと1周した。ここに住んでいるのはペンギンに形の似た鳥だが、残念ながらこれはペンギンではなくウミウの1種である。アシカは相変わらず老人の呻き声のような声をあげていた。背景にある山々が雪を頂いており、まるで南極の景色のようだ。

 

しばらくするとクルーズ船は今まで来た道を戻り、40分ほどでウシュアイアの港に到達した。

港に戻ってきた

一旦ホテルに戻る。開店時間に合わせてブラジル人夫婦の教えてくれたレストラン、Salitreにいくことにした。

Salitreはホテルから少し離れており、10分ほど歩いたところにある。坂の途中に作られたレストランは趣があり、窓からの景色も素晴らしい。数日ぶりのまともな夕食ということで散々迷い、メスティーソ風の美人女性スタッフを困らせてしまったが、最終的にBondiolaという豚肉の煮込み料理とフエゴ島産の羊肉を使ったエンパナーダ、そしてハニービールを注文した。しばらくすると、かわいらしい盛り付けの料理が提供された。

 

エンパナーダとボンディオラ。いずれも素晴らしかった

何日ぶりのまともな夕食だろう。美味しい味付けの料理が身に染みる。

途中で何組か集団で予約なく店を訪れた人がいたが、予約済みの席が多いようで入店を断られていた。中心市街から少し距離はあるが、どうやら知る人ぞ知る人気店らしい。値段は全体で12000ARPを切る値段で、かなりリーズナブル。素晴らしい料理と気さくなスタッフのサービス。ありがとうございました。

夕刻になると山を覆っていた雪もあらかた溶けてなくなっていた

フエゴ島国立公園の自然は決して派手さやわかりやすさはないものの、静謐で上品な魅力にあふれており、個人的には大変良い訪問だったと思う。あまりにも素晴らしかったので、本当は終日フエゴ島国立公園のトレッキングに充てたいと思ったほどだった。もし再訪が可能ならばキッタリアのシーズンにまた訪れたい。久しぶりに美味しい料理で身も心も満たされ、ホテルのベッドに潜り込みゆっくり寝た。

 

(今回の記事を編集したあとで気づいたことだが、ウシュアイアを訪問した他の方のブログと比較すると、自分の写真は人工物や旅行の経過を記録する画像が少なく、自然そのものの写真が多い気がする。同じ場所でも人によって見ているものが大きく違う。非常に興味深いことである。)

パタゴニア(6) 最果ての地へ

2/1

8:00 Bus-Surにてウシュアイアへ

チリ/アルゼンチンの国境越え

18:00頃 ウシュアイア到着

Hotel Albatros泊

 

ホテルの窓から朝焼け

本日はチリにおけるパタゴニアの中心的都市、プンタアレーナスから、アルゼンチン側におけるパタゴニアの中心都市、ウシュアイアへ移動する。

ご存知の通り、ウシュアイアは実質南米最南端の都市として知られている。ビーグル水道を挟んでウシュアイアの向かいにある集落・プエルトウイリアムズが南米最南端の都市という話もあるそうだが軍隊の人数が多く、人口数万人を有し一般人が住む普通の都市としてはやはりウシュアイアが最南端である。

私自身は、今まで見てきた写真集やネット上の記事の影響からか、南米最南端の都市といえばやはり強風で変形した樹木、彩度に乏しい荒涼とした大地、そして寒々しい都市の風景、そういうイメージが強い。実際のところどうなのだろうか。自分の目で見てみたい。さらに、飛行機移動が多い今回の旅行においてプンタアレーナスからウシュアイアへの移動は陸路としたのは、フエゴ島の大地についてより深く知ろうと思ったから、さらに南米最南端という場所に至るためにそれなりに困難なプロセスを踏んでこそ、その真価が理解できるのではないかと思ったからだ。

今回乗車するバスのルートはまずマゼラン海峡を渡り、フエゴ島を大きく南北に縦断。U字谷の発達するアンデス山脈の峠をこえ、そしてウシュアイアに至るという、地図から見てもなかなかにダイナミックなルートである。かつてマゼランが発見した時ヤーガン族が焚き火をしていたという大地。現在の姿はどのようなものだろうか。

本日はホテルの朝食にありつくことができた。

ダークブラウンとホワイトを基調とした内装で、とても格調高い雰囲気だ。食事自体はそれほど種類はなく、いわゆるおかず系のタンパク質が取れるものはそれほどなかった。

格調ある雰囲気の食堂

隣接されたシャクルトン・カフェ。本当はここで優雅にお茶でもしたかったものだが

荷物をまとめ、7時半ごろにホテルをあとにする。

昨晩と同じ朝番の男性が見送ってくれた。このホテルのスタッフには本当にお世話になった。こんな目に遭いたくはなかったが、クレジットカードの不正利用がなければ、このホテルのスタッフの優しさに触れることもできなかっただろう。海外で警察のお世話になるというのも、ある意味貴重な体験ではある。プンタアレーナスの滞在が忘れられないものになったのは、彼らの優しさがあったからと言っても過言ではない。寒々しい景色の都市だが、人々の心は暖かかった。ラテンの血が通っていた。確かにここは北欧、アイスランドニュージーランド、アラスカ南部と同じ気候帯に属する寒冷な地域だが、ここの人々は寒いながらもラテンアメリカ的な風情を失っていないという意味で、個性ある地域だと思う。

 

本日は曇り空で、外は昨日よりかなり冷え込んでいる。

朝の静かな町並みを、ホテルから数ブロックほどのBus-Surのバス停へ向かう。バス停奥の待合室にある受付でeチケットの写しとパスポートを提示する。15分ほど待つと、バスの方に案内された。しばらくしてバスは出発。

赤いほうのバスで出発

バスのシートピッチはやや狭く、その上前の席に座っていたフランス人少女二人組が座席を倒せるだけ倒してきたので、不快極まりなかった。さらに前にある運転席との間にある壁と窓の段差に足を投げ出して、行儀が悪いことこの上ない。元々自分の前の座席はいわゆる優先席的な扱いで予約はなるべく避けてくださいと書いてあったので、4ヶ月以上前で席が選び放題の状態であったにもかかわらず避けたのに、なんという連中だろう。さすが世界観が植民地時代で止まっているフラ公である。

バス停を出ると、窓の外には草がまばらに生えるだけの、単調な景色が続く。今日は外気温が非常に低く、バスの窓は常に結露しており、外の景色を綺麗に写真にするのが難しい。その上バスのドライバーは特に音楽を流すこともなく、かといってメキシコのバスのように映画を見るモニターがついているわけでもないので退屈だ。

荒涼とした景色が続く

1時間半から2時間ほどの乗車で、バスはフェリーに乗り込み、いよいよマゼラン海峡を渡る。

フェリーではしばし自由時間が与えられた。トイレを済ませ、フェリーを簡単に探検する。非常に冷たい風が、強く吹いている。小雨が混じっており、すっきりしない天気だ。

空には鉛色の雲が低く横たわっている。マゼラン海峡の海は空の色と似た、憂鬱なグレーを帯びた青灰色だ。

しばらくしてバスに戻り、バスはフェリーを出てフエゴ島の大地を駆け抜ける。

依然としてマゼラン海峡を渡る前のような単調な景色が続く。斜め前に座っている4歳くらいの女の子と、その親族であろうと思われるお婆さん2人は風貌からおそらく地元の人だと思うが、彼らが大音量で音楽を流していたため、良い気晴らしになった。やはり旅情には音楽が必要だ。尤も4歳の女の子がデスパシートの歌詞を口ずさんでいるのは、歌詞の内容的に大丈夫なのかわからないけど。4時間ほど走ったところで、チリの出入国審査ゲートが出現した。バスに乗っている全員の出国審査が終わるのを待って、バスは再び出発する。

10分ほど走ると、今度はアルゼンチンの出入国審査ゲートが出現した。木目調で少し余裕の感じられたチリのゲートと比較すると少し古びており、簡素な印象だ。

チリ側(左)とアルゼンチン側(右)のゲート

再び全員の入国審査が終わると、ここで初めて、サンドイッチとジュース、そして水が配られた。比較的鮮度の高いハムとしっとりしたパンで、なかなか悪くなかった。他の記事ではどこかのスーパーの近くで再び停車をすると書いてあったが、そのような停車はなく、一直線にウシュアイアへ向かっているようだ。

アルゼンチン側のゲートを過ぎて1−2時間ほど経過すると、まばらではあるが樹木が見られるようになってくる。いずれも強い風で変形しているが、南に向かうほど樹木の数が増えていき、Tolhuinという湖のほとりの集落に至る頃には森となっていた。

ナンキョクブナの森が広がる

本来眼前には森林限界を超えた山々や美しい湖が広がっているはずだが、山の上の方は霧に覆われており、窓ガラスは結露に覆われて、あまり外の様子がはっきりわからない。しかし時折窓ガラスの結露を手で拭うと、清潔感のある岩肌とまるで針葉樹のような樹形のナンキョクブナがとても美しい森林を形成していることがわかる。

峠を越える

U時谷の底となる湿地にはオレンジ色の植物のようなものが生えている。翌日のフエゴ島国立公園ツアーで知ったのだが、これは地衣類の一種であるそうだ。

谷底の湿地にオレンジ色が広がる

峠をこえると、ウシュアイアという名前の書かれた塔をすぎる。例の女の子が"llegamos, llegamos!"と何回も言っていて可愛らしかった。標高を次第に下げていき、市街に入っていくと、ようやく港のほど近くにあるバス停に到着した。

 

バス停ではしばらくして、WhatsAppで連絡を取っていたドライバーが現れた。

アルゼンチン側は一部のツアーを除いて、各種の送迎やツアーを概ね旅行会社に手配してもらっている。やや高くついたが、やはりタクシーを捕まえたりするのはそれなりに精神的負荷がかかる作業であり、こういう部分で手が抜けるのは地味にありがたい。と言っても今回のHotel Albatrosはバス停から歩いて数分のところにあり、すぐに到着した。ウシュアイアにおける各種送迎の日程表、明日のフエゴ島国立公園・ビーグル水道クルーズツアーのバウチャーを渡され、別れを告げる。

本日の宿泊は、Hotel Albatros。比較的名の通ったホテルである。ホテルのロビーでは日本人の団体観光客がおり、英語がそこそこな日本人が何やら交渉している。どうやらピースボートが来ているらしいが、なるべく日本人とバレないようにそそくさとチェックインを済ませ、自室へ。荷物を置き、ベッドに横たわった。

 

ここ数日、色々なことがあり過ぎた。長い間憧れていたプンタアレーナスの訪問も、クレカの件で心から楽しむ余裕などなく、当初の予想と違った訪問となってしまった。尤もある意味大変に印象深い訪問となったことは間違いがない。最南端の寒々しさではなく地元の人々の暖かさという、観光客であればともすれば通過してしまうかもしれない側面を理解できたのは、非常に良かったのかもしれない。しばし休憩し、「Fin del Mundo」と書かれた看板がある港へ向かう。ここはホテルから徒歩数分の距離だ。

信号をこえて少し歩くと、ビーグル水道に面して、Fin del Mundoの看板が現れた。

写真でこの看板を何度見たことだろうか。

ある時は個人のホームページで。

ある時はwikipediaで。

ある時は写真集で。

人生のうち半分以上、ずっと自分の心の中にあったあの看板が、今自分の目の前にある。長い道のりと人生の荒波を経て、私はようやくここへたどり着いたのである。

Fin del Mundo

しかしながら、やはり実際に訪問してみると、自分が想像していたのとはかなり違う趣を持った都市であることがわかる。

もう少し穏やかな地形を思い描いていたが、ここウシュアイアは山が海のほど近くまで迫る坂の町であり、町全体に立体感がある。そして、自分が思っていたよりも賑わいと広がりがある。そして、そもそも看板周囲に植樹されている木も、特段強風で変形しているわけではない。「かつて南米最南端に到達したとき自分が受けるだろうと予想していた感銘」と、「実際に受けた感銘」は無視しがたい隔たりがあるように感じた。

今回の旅行は、かつての憧れと現実の隙間を埋める作業なのかもしれない。

そしてその憧れと現実の差異こそが、かつての自分と現在の自分の差異であり、それこそが成長…とまではは言えなくても、人としての変化の象徴であるように思われた。

 

 

少し感慨に浸りながら、ホテルに戻る。

まだ旅行会社からは手配完了の連絡がないので、安心はできない。

どうせ節約しなければならないし、体を動かしておらずそれほどおなかも減っていないので、本日はホテルの自室で保存食を食べるのみにした。同じ価格帯のはずのプエルトバラスのホテルと比べると客室は手狭だし、壁が薄く、隣の部屋の話し声もよく聞こえた。町有数の四つ星ホテルのはずなのだが、ずいぶんお粗末だな。