Le Chèvrefeuille

世界は遊覧、思い出の場所であり、われらは去りゆく者

八丈島・青ヶ島(3) 崩壊の爪痕と青酎

○○〇〇/7/18

終日青ヶ島観光

 

本日は終日青ヶ島観光に充てる日だ。

特に、この日は以前訪れることのできなかった三宝港へのアプローチ道、そして大千代港の現在の様子を観に行く。世の中には物好きな人がいるもので、大千代港などと検索するとわざわざ危険を冒して大千代港の港湾施設にたどり着いたという妙にテンションの高いブログが行き当たるが、とても推奨されたものではないのでそういうのは一部の人に任せて、安全な範囲内での観察を行おうと思う。そしてせっかく時間があるので、この日は余った時間でのんびりすることにした。

 

まず最初は大凸部に向かうことにする。大凸部へ向かう道はあおがしま屋の奥の道を行く。コンクリートで固められた道は途中で終わり、簡単な階段が付けられた苔むした道を行く。

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大凸部への道

大凸部は青ヶ島の最高地点。山頂は開けているが、この日の午前中は曇っており、なかなか霧が晴れない。あたりには鶯の鳴き声が響き渡り、流れていく霧が美しい。海側には尾根のはるか下のヤバい場所に付けられた道が見える。あれはかつて三宝港へのアプローチとして使われていた道だ。

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雲が厚くなかなか晴れない。眼下にはすさまじい法面が

景色を目的としないのであればなかなかの雰囲気だが、残念ながらカルデラの景色をカメラに収めに来たので拍子抜けである。30分ほど待つが、一向に晴れず。残念ながら引き返すことにした。

次は集落から直接三宝港へ向かうアプローチへ。一応都道236号線ということになっているが、地震で崩落し現在は工事中だそうである。集落の左手に続く道を歩いていくと、次第に道のつけられた斜面の傾斜がキツくなってくる。小さなアップダウンを繰り返しつつ、斜面はすでに傾斜45度をはるかに越えている。なかなか恐ろしいところに道を作ったものだ。ガードレールの向こうは海であり、ハンドル操作を間違えると海まで真っ逆さまという具合だ。それに昨日述べたような地質ではこのような道を作ればそれ自体が崩落の引き金となりそうだ。事実法面は一部で数百メートルの高さまで固められており、以前は島の生命線であったこの道路を守ろうという執念が感じられる。

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眼下には海が青い。

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次第に道は下り傾斜になる。おそらくそのうち行き止まりだろう。工事の様子も観察したいが、降った後には必ず登らなければならずだるいので、ここで引き返すことにした。

しかしながら本当に凄まじいところに道をつけたものだ…

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斜度がすごい。道端に小さな祠があった

この後尾山展望公園にも行ってみたものの、霧の中で何も見えなかったので結局引き返す。

本日は宿でお昼ご飯を食べることになっているので、冷房の効いた自室で少し休むことにする。青ヶ島は先述の通り大変湿度が高い風土なので、夏は本当に蒸し暑い。冷房がある部屋が天国のようだ。お昼も冷房の効いた食堂で美味しくいただいた。

 

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昼食

午後は大千代港に向かう道端にある佐々木次郎大夫の家跡を観光し、いよいよ大千代港の視察(?それほど勿体ぶった言い方をすべきではないかもしれないが)である。その前に、なぜ大千代港が気になるのかを述べておく必要があるだろう。大千代港はオンライン上で一番上?にヒットするこの画像で右手前に写っている。

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この写真では地滑りによって大千代港へのアプローチ道路が寸断したことがわかる。一体なぜなのか。大千代港造成の工事と何か関係があるのか。非常に気になった。そしてこの地滑り。まるで山に乗っかった溶岩の皮を一枚ベロリと剥がしたように綺麗に層をなして地滑りが起きている。これは青ヶ島の地質と何か関係があるのか。その辺りを知りたくなったわけである。まあ、昨日宿前の広場の露頭を観察した結果ある程度推測はついているわけだが…

途中まではカルデラに向かう道と同じだ。佐々木次郎大夫の家跡は途中の道を海側に降ったところにある。オオタニワタリの生えたコンクリートの階段を下っていくと左手に祠があり、正面には青ヶ島には珍しい玉石垣がある。右手は民家と通じているが、これは佐々木次郎大夫の御子孫が住んでらっしゃるのだろうか?

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玉石垣とオオタニワタリ

玉石垣の道を進むと、おそらくかつて家が建っていたであろう広場に出る。すさまじい角度に屈曲して生えた大ソテツがあり、青ヶ島還住の歴史が偲ばれる。

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青ヶ島天明の大噴火で島民は八丈島への避難を余儀なくされた。彼らは八丈島で差別的な扱いを受けていたという。その元島民の帰還事業を推進したのが、名主の佐々木次郎大夫だったそうだ。全島民が青ヶ島への帰還を果たしたことを還住という。この還住という単語はかつての八丈島との連絡船の名前「還住丸」にも見ることができる。

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元来た道を戻り、カルデラのへりで大千代港への分岐に至る。ここを左、すなわち絶壁沿いに行く。いよいよという感じであるが、途中までは今までとあまり変わらないような、左手に緑豊かな急斜面を見るゆるい下り道で、むしろ牧歌的な趣である。しばらく行くと、左手に石碑が現れる。

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この先に大崩壊が待ち受けているとはあまり思えない牧歌的な道。行き止まり近くに石碑がある

この石碑は、大千代港へのアプローチ道の崩壊に気づかずに車で転落し、命を落としてしまった3名の方への慰霊碑のようだ。調べてみるとオンライン上で都の作成した資料に行きあたる。この崩壊はどうやら1994年すなわち平成6年に起きたようだ。しかしながら、この石碑からは崩壊地はあまり良く見えない。錆び切ってあまりその役目を果たしていない通行止めの鉄パイプを乗り越え、生い茂った雑草の中を進むと、眼下に深さ10メートルはあろうという大崩壊が目の前に現れた。あまり地質はよく見えないが、スコリア面で滑って崩れたというよりは溶岩ごとずるりと割れるように崩れた印象を受ける。

大崩壊の対岸には青々と生い茂った笹で覆われた手付かずの斜面が見え、道路という切れ込みが入れられる前の自然な青ヶ島の姿が偲ばれる。

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すさまじい崩壊跡


 

この崩壊により大千代港の整備は実質的に放棄されたというが、ここに道路を無理やり作ってもまた崩壊してしまうだろう。法面なんてこんな深い崩壊に比べたら料理の入った皿にかけられたサランラップ程度のものだ。これでは致し方あるまい。崩壊の目の前で道はヘアピンカーブを描いて左に折れるが、一応舗装されたこの道も途中で途切れ、途中から鉄パイプで足場が組まれている。一体どうやってこんなにアプローチ困難な道路を実用に供する予定だったのか?非常に気になるところだ。

 

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大千代港への貧弱なアプローチ道路

眼下のはるか下には、整備途中で放棄された大千代港が小さく見える。

 

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小さな大千代港

石碑に手を合わせたのち、大千代港を後にして集落に戻った。

朝よりは雲が薄くなり、大凸部の山頂が見え隠れする様になったので、再び大凸部や展望公園方面に向かってみる。再び1時間ほど粘ったが、雲は切れそうで切れない。仕方がないので諦めて下ることにした。

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1時間粘った成果(笑)

たまたま一緒に景色を粘っていた人が声をかけてくださり、青酎の試飲会に誘ってくださるという。青酎というのは青ヶ島特産の焼酎。お土産にひとつ買おうとは思っていたが、どんな風味かはわからないのでどうしたものかと思っていたのだった。試飲会についてはインターネットでその存在は知っていたが、まさかそれにこんな形で参加できるとは思っていなかった。予定外であったが、ぜひお願いしますと頭を下げる。あおがしま屋に宿泊していらっしゃるそうで、その前に17:50集合ということになった。夕食の時間に遅れそうなので、夕食の支度をしていた女将さんに試飲会に行くと声をかけておいた。

いざ試飲会へ。酒造所はあおがしま屋から集落中心へ向かう道の左手に分かれた道を下っていく。トマトなどの畑が並んだ緑濃い道を歩くと、突如青ヶ島酒造所と書かれた立派な建物が現れた。

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立派な酒造所

本日案内してくださるのは奥山さん。体格の良い中高年の男性である。

目の前にズラリと青酎の瓶が並ぶが、まずは冊子を手渡され、青酎に関するレクチャーから始まる。青ヶ島は特産のさつまいもを生かして古くから焼酎の生産が行われていたこと、かつては各家庭で焼酎の生産を行っていたため未だに多くの杜氏がおり各々によって全く味が違うこと、青酎は精製された麹ではなく土着の麹を使うため強い個性を持った味わいで品質は安定せず年によって味が全く違うこと、国税局の職員すら立ち入れない場所であったため家庭での酒造が近年まで黙認されていたことなど。このレクチャーをしてくださった奥山さんも杜氏の一人でいらっしゃるそうだ。なんと杜氏の他に畑仕事や牛の飼育、土木建築にも関わっていらっしゃるというマルチな方だが、村の人は皆そのように多くの仕事をこなしているのだという。金を貰って決まった労働をする都会の人とは違い、生きるために必要な活動を行っているという様子で、本来はこれが人間のあるべき姿なのだろう。

一通りレクチャーを受けたのち、いよいよ試飲へ。通常の白麹を使って作った青酎はいわゆる普通の「焼酎」の味がするのに対し、土着の麹を使った伝統の青酎は香りが尖っていて、強烈な味わい。干し草の香り、シナモンの香り、かび臭い香り…これは強烈だ。私は死因の結果香ばしい麦の香りが特徴の麦焼酎「恋ヶ奥」、シナモンのような香り高い三年古酒「あおちゅう 菊池正三年」を買うことにした。

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あおちゅうの解説をされる奥山さん

夕食に到着したのは、結局19時すぎになってしまった。女将さん「あまりにも遅いから、東京に帰っちゃったのかと思ったよ。」

小並感ある感想だが、この島では自然という力の凄まじさ、それを利用して生きている小さな存在にすぎない人間というものを強く意識させられる。都会では寄せ集まって技術とやらを駆使して強くなった気になり傲慢に生きている人間も、自然が圧倒的に強い環境の下では、その顔色を伺って謙虚に生きていかなければならない。そして人間というのは本来そういう存在であったはずだ。