Le Chèvrefeuille

世界は遊覧、思い出の場所であり、われらは去りゆく者

闇の中にまたたく光

 

chevrefeuille.hatenablog.com

「ちがう!生命は闇の中にまたたく光だ!」(風の谷のナウシカより)

 

10年ほど前山で出会った人が、ついに7大陸最高峰登頂を成し遂げたという話を聞いた。その偉業は本当に素晴らしいもので、心からおめでとうございます、という気持ちでいっぱいだ。

 

思えば、彼との出会いは本当に偶然だった。かつてこのブログの独り言的な記事にも何度か登場する彼は、2013年8月の終わり、北アルプスを縦走しているときに出会った。爽やかだが芯のある、知性と逞しさを兼ね備えた雰囲気を持つ当時50代の彼は大学の大先輩にあたり、私に親近感を抱いたのか一緒に下山することになり、彼の車で私を東京まで送ってくれた。その際白馬で日帰り温泉に入ったこと、彼が駐車場に向かう中で日経新聞を読んでいたこと、そして一番印象的だったのは、車の中での会話だった。その多くは、いまだに鮮明に思い出すことができる。

 

何度も記事に書いているように、当時の私は腐り切っていた。第一志望の大学に行けず、かといってもう一年やり直す勇気もなく、ただただ負け組として絶望とニヒリズムの闇に堕ちていた。ここは自分のいるべき場所ではない。漠然とした、しかし強烈な違和感の中で、全く帰属意識を持つことなく山を彷徨っていた。

 

私の人生はどん底なんです、と自嘲気味に語った自分の言葉に対して、彼が語った言葉、これについても以前述べたような気がするが、「今がどん底なら、これから良くなるしかないと思えばいい。」特に強烈な感情を込めたわけでもないその言葉は、私に過度に同情することもなく、かといって私を嘲笑するものでもなく、まるで私が精神面で復活を遂げてこれから良き人生を歩むことが当然であるかのような、確信と力強さに満ちたトーンで語った。彼の言葉もそうだが、彼の人生が刻まれているような、そういう話し方が強く印象に残っている。それは当時、本当は私が最も求めていた言葉だったからなのかもしれない。聞いてみれば彼は某メガバンクに勤務後、某外資系金融で10年間働いてお金を貯めたとのこと。自分はかつて野球部であったから、体力に自信があること。そして、その時に語ったのが、7大陸最高峰登頂の夢だった。50代前半で当たり前のように夢を語る彼は、死んだ魚のように社会的義務を果たす没個性の集団しか知らなかった自分には鮮烈な印象を残した。そして彼が好んで聞いていた山下達郎の曲もまた印象的だった。facebookで友達になったものの彼とはそれほど頻繁にコンタクトを取ることもなく疎遠になってしまったが、彼の言葉、そして彼と話した記憶だけは強烈に記憶に残っていた。

 

あれからちょうど10年以上が経った頃、facebookで彼の成功の知らせを受け取った。ああ、10年が経ったのだなあという感嘆、語った夢を本当に成し遂げた彼の有言実行ぶりへの驚嘆、そして自分を導いた恩人への尊敬の念が沸々と湧き上がってきた。思えばこの10年間、彼の一言は私にとってずっと導きの言葉であった。暗闇を照らす一筋の光、どんな闇の中でも決して消えることのない導きの星だった。そして今もそうである。

 

あれから10年、私は少しだけ外国語を操れるようになり、様々な異国の文化や考え方に惹かれて、海外を一人で旅するようになった。自分は彼の言葉に恥じないような、良い人生を送れているだろうか。少しは立派な人間になれただろうか。まあなれてはないんだろうけど。それでも多少はマシな人間になったという自覚はある。かつてのように自分の失敗にばかり目を向けて腐ることなく、それを踏み台にして前に進めているという自覚も、多少はある。そしてかつてよりは自分の人生哲学がソリッドかつ滑らかなものになっているはず。それは私の心の中には決して消えない光があったからだ。今の彼にもし会うことができたら、私はどんなことを話すだろうか。もしその機会が永遠になかったとしても、私は暗闇を照らしてきた光の先にあるものへ、手を伸ばし続けたい。